入れ替わった花嫁は元団長騎士様の溺愛に溺れまくる

九日

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第一章 入れ替わった花嫁

章閑話—1 アズベルトの艱苦

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「旦那様!! ……カナリア様が……」

 執務室に駆け込んで来た執事の青年、クーラの呼び掛けに応える事も忘れて飛び出した。
 彼が来たという事は、おそらくそういう事だ。
 覚悟はしていた筈なのに、心臓が握り潰されそうな程痛くて苦しかった。

 急いで駆け付けたカナリアの部屋では、周りの啜り泣く声をナタリーの名を呼ぶ声がかき消していた。
 私の姿を見るなり無言で首を横に振った医者に、軽い目眩を覚え、目の前が真っ暗になった。

「そ……んな……」

 フラフラとベッドへ近づき、場所を空けてくれたナタリーに代わり、横たわるカナリアの手を握る。痩せ細って筋が浮いてしまった手は驚く程冷たく、強く握れば折れてしまいそうで、握り締めてしまいたい衝動を必死に堪えて両手を添えた。

「リア……いくな! 頼む……カナリア!」

 すっかり頬が落ちてしまったそこへ手を伸ばした。
 固く瞼を閉じ、青白く生気を失ってしまった顔にその手が震える。
 いつもするように親指で冷たい頬をなぞった。目に見えて呼吸が弱くなっていく。

「カナリア!! ……カナリア……」

 何故、もっと早く彼女を側に置かなかったのか。
 何故、彼女の気持ちに気付いていながら向き合おうとしなかったのか。
 十以上歳が離れている事を理由にして、彼女の気持ちを蔑ろにしてきた罰が下ったのか。
『アズ兄様』と、後ろをちょろちょろしていた可愛らしい天使は、いつの間にかすれ違えば誰もが振り向く美姫に成長していた。
 身体が弱く社交界デビューを諦めると悲しそうに目を伏せていたカナリアの為に、彼女の両親とうちの両親が彼女の十三歳の誕生日に我が家でパーティーを開いた時だ。年頃の友人を招いた席で、初めて着飾った彼女の姿に心を奪われたのは私だけでは無かったのだ。
 その日初めて自分の本当の気持ちに気付き、同時にたくさんの男の目に触れさせた事を後悔した。

 誰よりも彼女を知っていた筈だった。こうなってしまってからでは遅いとわかりきっていたのに。
 後悔ばかりが押し寄せ、瞳には涙が滲んでいく。

「カナリア!!」

 
 そんな時、固く閉ざされたカナリアの瞼がピクリと動いたように見えた。徐々に頬に赤みが戻り、冷え切っていた皮膚に温かみが戻って来たのだ。

「リア? ……カナリア!?」

 握っていた手に反応があった。弱々しいものだったが、確かに握り返してくる感覚があった。

「旦那様!! リアが! リアが!!」

 呼吸が徐々に戻ってきた。虫の息だったそれが、胸の上下が僅かだが確認出来るまでになった。

「顔色が……脈が戻ってきた……こんな……奇跡だ……!」

 周りが慌ただしく動き出す中、握る手に力を込めその手を自分の頬につけると、何度も彼女の名を呼んだ。
 
「リア! ……カナリア! 頼む……目を開けてくれ……」
 
 祈りと願いが届いたのか、カナリアが薄く瞼を開いた。焦点が合っていないのか、その眼差しがこちらと交わる事は無かったが、安堵から今度こそ熱いものが頬を伝っていった。

「カナリア!! ……良かった……」
 
 瞳はすぐに閉じられてしまったが、呼吸が安定した事、顔色が格段に良くなった事から、やまは超えたと判断された。


 そう思っていたのに……

 目覚めた彼女は様子がおかしかった。
 昨夜まで意識が無かったにも関わらず、部屋を訪れた時には鏡台の前でナタリーの側に膝をつき、呆けた顔でこちらを見ていた。態度がやけによそよそしく、普段使わない敬語を使ってくる。
 そればかりか

「そもそも貴方誰ですか? ここどこ?」

 信じられない一言に思考回路が停止した。彼女の、カナリアの口からそんなセリフが出ようなどと、一体誰に想像出来ただろうか。
 生まれた時から一緒に、家族のように側で過ごしてきたのに。
 会うたびに『アズ兄様』と胸に飛び込んで来たカナリアが、『アズベルト様』と恥じらいながら可愛らしい笑顔を向けてくれたカナリアが、『アズ』と慈愛に満ちた眼差しを向けながらこちらへ腕を伸ばして来た愛しい人が、今までに見たことのないような表情で私を拒絶したのだ。
 目の前にいる筈のカナリアが、全く知らない人のような違和感に混乱した。
 長い間意識が戻らない副作用で、一時的な記憶の混乱なのだと信じたかった。


 しかし、そんな私たちに追い討ちを掛けるかのように、カナリアの口から信じられない言葉が紡がれる。

「信じてもらえないかもしれませんが、私は……カナリアさんではありません」

 中身が別人だと話す彼女の言葉を信じる事など到底出来なかったが、彼女が自分の事を話す内容はまるで暗号のようで、半分も理解が及ばなかった。
 そもそも、カナリアが私を惑わすような嘘を吐くとは思えない。病弱でいつどうなるかわからない身で、そんな嘘を吐く理由がまるで無いのだ。
 身体中から血の気が引いた。何が起こっているのか、全く理解が出来なかった。
 仮に目の前のカナリアがカナリアでないなら、彼女は何処へ行ってしまったのか。
 それを問い正したかったが、カナリアと全く同じ顔のカナを怯えさせただけだった。
 私が自分自身の手でカナリアを怯えさせた事にショックを受け、それから何も考えられなくなってしまった。
 退出しようとした私をカナリアは『アズベルトさん』と呼んだ。今までに一度だってそんな他人行儀な呼び方をされた事は無い。それが無性に悲しくて虚しくて、このやり切れない思いを何処へぶつければいいのか分からなかった。

 聞けばナタリーにもカナリアに対する違和感があったようだ。信じられないという思いと、そうかもしれないという思いが混じった、普段のナタリーと比べて冷静さを欠いた反応だった。
 しかしとてもじゃないが信じられない。
 信じたくないが正しいかもしれない。
 目の前に愛しい彼女がいるのに別人だなんて……。
 カナリアが一体何をしたというのか。
 ずっと病に苦しんで、辛い治療に耐えて来たというのに。
 どんな拷問だと叫んでしまいたかった。
 

 いや、私は諦めない。
 もしかしたらある日突然カナリアが記憶を取り戻すことがあるかもしれない。
 それこそ何か理由が、方法があるかもしれない。
 カナを帰してやる事が出来れば、カナリアが帰ってくるかもしれないではないか。
 こんなお伽話のような出来事、誰も信じる筈がない。しばらくは事情を知るナタリーと二人だけの秘密事項にしておこう。
 城にある資料室なら、こんなお伽話のような事象の例があるだろうか。
 魔導師の力を借りれば、何か突破口が掴めるだろうか。
 得体のしれない現象には少なからず魔導や魔術の力が及んでいる事が多いものだ。
 有難い事に、王室付きの魔導師には友人がいる。
 カナリアの治療でも随分世話になった男だ。
 忙しい奴だが、彼なら力になってくれる筈だ。そう思ったら居ても立っても居られなくなり、すぐに彼宛に手紙を認めしたためた。
 どう説明したものか、何度も書き直し、緊急性を出す為にわざわざ封蝋印まで押した。どうか方法が見つかりますようにと、祈らずにはいられなかった。


 カナリアの身に起こった事が衝撃的過ぎて、彼女の両親が来る事を直前まで失念していた。
 当日の朝、クーラからその事を伝えられ、内心では焦っていたのだ。どうしたものかと考えたが、来るのはの両親だ。合わせない選択肢などあり得なかった。
 ナタリーと医者と共に部屋を訪れると、昨日と同様ベッドから起き上がり、窓の手前でこちらを見つめるカナリアの姿があった。数日前まで意識が無かった等とは思えない程の回復ぶりに、医者は大いに喜んでいる。
 診察の間、どう伝えようかと考えていたが、事情を知らない翁とのやりとりを無難にこなす彼女を見て、今日くらいならやり過ごせるのではないかと考えた。目が覚めたばかりという事を考慮すれば、色々と都合の良いタイミングだったかもしれない。
 案の定彼女は「無理だ」と言ったが、やってもらわねばならない。帰還の方法を探すという取引を持ちかけ何とか説得に成功したようだ。
 彼女の目的もそれであるなら利害関係は一致している。
 お互いの目的を果たす為、協力していこうではないか。

 が、ここで一つ誤算があった。

「結婚式ってどういう事?」

 ナタリーの素晴らしいフォローもあって、どうにかこうにかこの場は切り抜けられそうだと思っていた矢先。
 私達の間では周知の事実だった為に、特に説明などしていなかった婚約者という立場が、彼女には納得がいかない様子だった。
 その説明や情報のすり合わせも含めて「夕食を一緒に」と言ったのだが、を口走ってしまったと考えたのか、彼女は小さく震え怯えている様子だった。
 それだけ私の態度も悪かったのだろう。
 そんな事を気に病んでまた体調を崩してしまったら大変だ。
 気にせずゆっくり休んでいろという意味でそれを伝えたのだが、カナは挽回しなければと考えていたようだ。
 私の手に自分のを重ねると、頬をうっすらと染め、目尻を下げるとふわりと微笑んだ。

「……っ!」

 いつものカナリアの姿がそこにあった。
 痩せて頬は落ちてしまっていたが、格段に血色の良くなった顔色に薄く乗せられた仄かな紅が、彼女の魅力を引き出している。
 蕾が幾重にも折り重なった花びらをふんわりと咲き広げるような、儚くも可憐な笑顔に胸が締め付けられるようだった。
 キスをしてしまったのは完全に無意識だ。
 離れていく彼女の驚いた表情で、自分が何をしたのか知った。カナリアの顔を見れないまま、ナタリーに任せその場を後にした。


 彼女が結婚を頑なに拒否したのは、すでに夫がいるからだと分かった。彼女にも帰る場所があり、愛しい人がいたのだ。
 そんな人には酷な話しだろうという事は分かる。分かるが彼女がカナリアである以上、どうする事も出来なかった。
 二つの領地を統合する事は、もうすでに決まっている。カナリアを妻にと望んだのは、他でもない私自身だ。今更白紙になど出来ないし、する気も毛頭ない。
 だからこれは取引だ。
 お互いにあるべき姿に戻す為、今は周りもお互いも偽るしかないのだ。今だけ。戻るまでの辛抱だ。
 それなのに……

「……キスは、やめて……」

 愛らしく頬を染め、恥ずかしそうにそっぽを向いてしまった彼女がカナリアにしか見えなくて、握り潰されてしまいそうにズキズキと痛む心に耐えながら、私はキツく拳を握る事しか出来なかった。
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