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第二章 戸惑う心 触れ合う身体
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別荘に来て二週間程が経過し、三人での暮らしにも大分慣れてきた頃、カナは二人に内緒である計画を立てていた。
元々得意だった事を活かして、二人に何かしてあげられないだろうかと考えていたのだ。
「やっぱり得意料理でもてなす、とかかなぁ……」
少し前まではちょっとしたお菓子を作るにも体力がもたず、付き添ってくれているナタリーに代わって貰わなければならない程だった。
それが、きちんと食事が摂れるようになり、身体の調子も良くなり、大体の事がナタリーの力を借りずとも出来るようになってきた事で、サプライズで夕飯作りをしようかと考えたのである。
ナタリーとアズベルトは、カナに対し本当によくしてくれている。
カナリアを取り戻す為という大義名分があるせいだとは思うが、ナタリーは何かとカナを気にかけ、助けてくれた。
初めの頃に比べると一緒に出来る事が増え、時に友人のように接してくれている。
健と離れ知らない場所に一人だったカナには心強く、同時に救われる思いだった。
アズベルトも食事以外の時間はほとんど仕事をしているような忙しい人にも関わらず、食事の時間は必ず一緒にテーブルを囲んでくれている。
初めのうちは警戒されていたのか、あまり会話が弾むというような事は無かったが、最近はどんな事をして過ごしたのか尋ねてきたり、借りた本の内容について話したりと、些細な会話が増えてきた。
最初こそ傲慢な男だと苦手意識があったものの、多少の強引さは否めないがカナリアに対する想いや過保護さを理解しただけに、ある程度は仕方がないのだと諦める事にした。
そんな忙しい彼が仕事の合間を縫って城へ出向き、帰る方法を探してくれているのだ。その感謝も込めて何かしてあげられないだろうかとずっと考えていたのだ。
得意の和食なら喜んでもらえるだろうかと思案してみる。
調味料が揃うかどうかが問題だ。
今まで出てきた食事の中に、和食に使われるような味付けのものが見当たらなかったからだ。その辺の確認はナタリー以外の人間にとって貰わねばなるまい。
問題はナタリーにどうバレないように準備をするかだ。
キッチンを使わせてもらう時は必ず側に控えている為、とても彼女の目を盗んで……とはいかないだろう。
ナタリーならサプライズにしなくても喜んでくれるかもしれないが、一人でもここまで出来るようになった、というところを見せたいから出来れば彼女にも内緒が良い。
それならと、カナはダイニングでティーカップを傾けながら、キッチンへ続く入り口でナタリーと話している一人の執事へと視線を向けた。
「え? 夕食を、カナリア様が……ですか?」
サプライズ計画を話す為、自室へとクーラを呼び打ち明けたところ、目を見開いて驚かれてしまった。
前々から思っていたが、カナが家事に携わろうとすると大抵の人が驚くのは何なのか。
貴族の奥様はキッチンに立つ事も許されないのか。それともカナリアだからなのだろうか。
「私が料理をするのは変かしら?」
悲しそうに眉尻を下げるカナリアに、クーラは慌てて訂正した。
「いえ、そう言う訳では……。趣味をお持ちになる事は素敵な事だと思います。ただ、奥様が刃物を持つと言うのは、あまり一般的では無かったもので、驚いたのでございます」
なるほど。
貴婦人は旦那様の為に手料理をふるまったりしないものなのね。覚えておこう。
「アズにもナタリーにも助けてもらってばかりだから、二人にお礼がしたいの。今まで出来なかった事にチャレンジして、二人をうんとビックリさせたいのよ。だから、ナタリーにも内緒がいいの」
「しかし、それは……」
難しいと言う事だろう。
それは分かってる。
ナタリーはカナリア専属のメイドなのだ。
よっぽどの事がない限り彼女の側を離れたりしない筈だ。
ここ最近共に過ごしてよく分かった。
カナリアに対する過保護が過ぎるのはアズベルトだけでは無いのだという事が。
「お願いよクーラ! 他に頼める人がいないの!!」
胸の前で両手を握り合わせ、瞳を潤ませて彼を見つめた。実際潤んでいたかどうかはわからないが、カナが出来る精一杯の十六歳は演じ切った筈だ。
僅かに怯み、唇を真一文字に結んだクーラは、次の瞬間にはキリッと表情を引き締めカナリアに向き直った。
「わかりました。カナリア様の望み、この不肖クーラ・シジリアンがお手伝い致します!」
右手を胸に当て恭しく腰を折る青年に、ホッと笑みを浮かべると、二人で今後の動きについて確認していく。
まず必要なのは調味料の確認だ。
カナリアから使いたいものの味や用途を聞き出すと、クーラは胸元に忍ばせていた小さなメモ帳に書き取っていく。
それから今現在で決まっているアズベルトの予定を共有した。
直近でいくなら明日と明明後日に登城の予定が入っていた。普段は別荘で仕事をしているアズベルトだが、登城の日は夕食ギリギリの時間までは帰ってこない。内緒で食事の準備をするならその日に合わせるのが良さそうだ。
問題はナタリーだ。カナリアから引き離す為にはよっぽどの理由が必要だ。
「うーん。どうしよう」
「カナリア様、こんなのは如何でしょう」
最近、本宅のある都市部の一部の店で『カカオ』なる物が発売され、密かな人気となっているのだという。すり潰して砂糖とミルクと混ぜて飲むのが良いらしく、甘味として好まれる以外にも滋養強壮の効果もあるという話だった。
ただ稀少な物の為、流通量が不安定で必ず手に入るとは限らないようだ。
「カナリア様がご所望とあれば、ナタリーは探しに行く筈です。流通量が不安定となれば、時間を稼ぐにはもってこいではないでしょうか」
「クーラ! それだわ!! とっても良い考えね」
「では、旦那様が登城する日に、ナタリーにお使いを頼むという事でよろしいですか?」
「ええ。カカオ豆が手に入ったら嬉しいけれど、そこまで高望みは出来ないわね」
「……それから、当日はナタリーの代わりに私がお側に控えます。それだけは譲れませんので、どうかご容赦ください。調味料の方は直ぐにお調べしてご用意致します」
「分かったわ。本当にありがとう!!」
使用人達の間で密かな話題となっているカナリアの微笑、通称『天使の微笑み』。
それを直に目の当たりにしたクーラは、心臓を鷲掴みにされたような錯覚と共にしばし魅入られたまま放心していた。
ナタリーが一生側に仕えると言った訳が少し分かった気がした。
こちらを見つめたまま固まってしまったクーラに『大丈夫?』と問い掛ける。
それに我に返ったクーラが、再びキリッと姿勢を正し、一礼すると仕事に戻って行った。
こうして知らぬ間にまた一人、カナリアに過保護なる人間が誕生したのだった。
その夜、アズベルトと二人で過ごす夕食の席では、ニコニコと笑顔を浮かべたカナリアの姿があった。鼻歌でも歌い出しそうな程上機嫌なカナリアの様子に、彼女の正面に座るアズベルトと、側で給仕の為に控えているナタリーが顔を見合わせている。
「何か良いことでもあったのか?」
「え?」
ギクリと頬を引き攣らせるカナリアへ、口元を緩めたアズベルトの眼差しが向けられている。
「随分と上機嫌じゃないか」
そんなにわかりやすかっただろうかと内心焦っていたカナに、ナタリーが追い討ちを掛けてくる。
「そういえばクーラと楽しそうに話してましたね? 何を話されていたのですか?」
二人の熱い眼差しに背筋を冷やしながら、カナは引き攣る頬を懸命に押し上げる。
「何を、というか、仲良くなれた事が嬉しくて、その、つい……」
目が泳いでしまいそうになるのを、アズベルトの首元にあるスカーフのような飾りを見つめる事でどうにか凌いだ。あれは何という装飾だったかと考えながら、思考を飛ばす事で誤魔化したとも言える。
昔から嘘は下手くそだった。
何だか無理やり作った理由のような気がした二人からは、疑わしそうな眼差しを寄越されている。
それに気付かない振りをしながら食事を再開させると、突然屋根を打ちつける雨の音が響いてきた。
「雨……ですね」
それは瞬く間に強く大きくなり、三人しかいない静かな屋敷に恐ろしく響き渡っていく。
窓の外を一瞬の閃光が瞬くと、しばらくの後にゴロゴロと遠くに雷鳴も聞こえてくる。激しい雨足が轟々と窓を叩き、時折強風が窓枠をガタガタと揺らした。
「今夜は荒れそうだな……」
窓へ視線をやりながらポツリと呟くアズベルトに、カナは不安気な眼差しを向け膝の手をギュッと握るのだった。
「ではカナリア様。おやすみなさいませ」
「おやすみ……」
灯りを落とし、扉の前で美しい一礼をすると、ナタリーは部屋を出て行った。
本宅に比べると小さく見える部屋にひとり残されたカナは、厚いカーテンに覆われた窓へと視線を向けた。
相変わらず雨は激しく窓を打ちつけ、強風が窓枠をガタガタといわしている。静かな室内が屋根を叩く雨音を響かせ、カナの不安を大いに煽ってくる。
雷に良い思い出が無いカナは、次はいつ光るのかとビクビクしながら掛布を握り締めた。
とても眠れそうに無いなと小さく溜め息を吐き出した時、窓の外が一際明るく光った。稲光が宵闇を切り裂くように四方八方へその腕を伸ばすと、すぐ後に頭の上で爆発でもあったかのような轟音が大気を震わせ、地響きの如く建物を揺らした。
「きゃあああ!!」
あまりの恐怖に悲鳴を上げると、カナは耳を塞ぎベッドへ踞った。ブルブルと身体を震わせ、大気を揺るがす余韻が消えるのを、祈る思いで待った。
すぐ隣の部屋にはナタリーが居る筈だが、いい歳して雷が怖いだなんて、そんな恥ずかしい事言える筈もない。
いつもならこんな荒天時にひとりになることなんてなかったのに。そんな事を思い出しながらギュッと閉じた瞼に涙が滲んでいく。
と、その時。
「カナリア」
直ぐ後ろで声がして肩を掴まれ、心臓が縮み上がった。絶対に十年は寿命が縮まったと思う。
「ひゃぁぁぁぁぁ!!!」
悲鳴にならない悲鳴をあげ、ばっくんばっくん大暴れしている心臓のせいで痛い胸を抑えて振り返る。
そこには行き場のなくなった右手を空に彷徨わせ、戸惑った表情のアズベルトが立っていた。
元々得意だった事を活かして、二人に何かしてあげられないだろうかと考えていたのだ。
「やっぱり得意料理でもてなす、とかかなぁ……」
少し前まではちょっとしたお菓子を作るにも体力がもたず、付き添ってくれているナタリーに代わって貰わなければならない程だった。
それが、きちんと食事が摂れるようになり、身体の調子も良くなり、大体の事がナタリーの力を借りずとも出来るようになってきた事で、サプライズで夕飯作りをしようかと考えたのである。
ナタリーとアズベルトは、カナに対し本当によくしてくれている。
カナリアを取り戻す為という大義名分があるせいだとは思うが、ナタリーは何かとカナを気にかけ、助けてくれた。
初めの頃に比べると一緒に出来る事が増え、時に友人のように接してくれている。
健と離れ知らない場所に一人だったカナには心強く、同時に救われる思いだった。
アズベルトも食事以外の時間はほとんど仕事をしているような忙しい人にも関わらず、食事の時間は必ず一緒にテーブルを囲んでくれている。
初めのうちは警戒されていたのか、あまり会話が弾むというような事は無かったが、最近はどんな事をして過ごしたのか尋ねてきたり、借りた本の内容について話したりと、些細な会話が増えてきた。
最初こそ傲慢な男だと苦手意識があったものの、多少の強引さは否めないがカナリアに対する想いや過保護さを理解しただけに、ある程度は仕方がないのだと諦める事にした。
そんな忙しい彼が仕事の合間を縫って城へ出向き、帰る方法を探してくれているのだ。その感謝も込めて何かしてあげられないだろうかとずっと考えていたのだ。
得意の和食なら喜んでもらえるだろうかと思案してみる。
調味料が揃うかどうかが問題だ。
今まで出てきた食事の中に、和食に使われるような味付けのものが見当たらなかったからだ。その辺の確認はナタリー以外の人間にとって貰わねばなるまい。
問題はナタリーにどうバレないように準備をするかだ。
キッチンを使わせてもらう時は必ず側に控えている為、とても彼女の目を盗んで……とはいかないだろう。
ナタリーならサプライズにしなくても喜んでくれるかもしれないが、一人でもここまで出来るようになった、というところを見せたいから出来れば彼女にも内緒が良い。
それならと、カナはダイニングでティーカップを傾けながら、キッチンへ続く入り口でナタリーと話している一人の執事へと視線を向けた。
「え? 夕食を、カナリア様が……ですか?」
サプライズ計画を話す為、自室へとクーラを呼び打ち明けたところ、目を見開いて驚かれてしまった。
前々から思っていたが、カナが家事に携わろうとすると大抵の人が驚くのは何なのか。
貴族の奥様はキッチンに立つ事も許されないのか。それともカナリアだからなのだろうか。
「私が料理をするのは変かしら?」
悲しそうに眉尻を下げるカナリアに、クーラは慌てて訂正した。
「いえ、そう言う訳では……。趣味をお持ちになる事は素敵な事だと思います。ただ、奥様が刃物を持つと言うのは、あまり一般的では無かったもので、驚いたのでございます」
なるほど。
貴婦人は旦那様の為に手料理をふるまったりしないものなのね。覚えておこう。
「アズにもナタリーにも助けてもらってばかりだから、二人にお礼がしたいの。今まで出来なかった事にチャレンジして、二人をうんとビックリさせたいのよ。だから、ナタリーにも内緒がいいの」
「しかし、それは……」
難しいと言う事だろう。
それは分かってる。
ナタリーはカナリア専属のメイドなのだ。
よっぽどの事がない限り彼女の側を離れたりしない筈だ。
ここ最近共に過ごしてよく分かった。
カナリアに対する過保護が過ぎるのはアズベルトだけでは無いのだという事が。
「お願いよクーラ! 他に頼める人がいないの!!」
胸の前で両手を握り合わせ、瞳を潤ませて彼を見つめた。実際潤んでいたかどうかはわからないが、カナが出来る精一杯の十六歳は演じ切った筈だ。
僅かに怯み、唇を真一文字に結んだクーラは、次の瞬間にはキリッと表情を引き締めカナリアに向き直った。
「わかりました。カナリア様の望み、この不肖クーラ・シジリアンがお手伝い致します!」
右手を胸に当て恭しく腰を折る青年に、ホッと笑みを浮かべると、二人で今後の動きについて確認していく。
まず必要なのは調味料の確認だ。
カナリアから使いたいものの味や用途を聞き出すと、クーラは胸元に忍ばせていた小さなメモ帳に書き取っていく。
それから今現在で決まっているアズベルトの予定を共有した。
直近でいくなら明日と明明後日に登城の予定が入っていた。普段は別荘で仕事をしているアズベルトだが、登城の日は夕食ギリギリの時間までは帰ってこない。内緒で食事の準備をするならその日に合わせるのが良さそうだ。
問題はナタリーだ。カナリアから引き離す為にはよっぽどの理由が必要だ。
「うーん。どうしよう」
「カナリア様、こんなのは如何でしょう」
最近、本宅のある都市部の一部の店で『カカオ』なる物が発売され、密かな人気となっているのだという。すり潰して砂糖とミルクと混ぜて飲むのが良いらしく、甘味として好まれる以外にも滋養強壮の効果もあるという話だった。
ただ稀少な物の為、流通量が不安定で必ず手に入るとは限らないようだ。
「カナリア様がご所望とあれば、ナタリーは探しに行く筈です。流通量が不安定となれば、時間を稼ぐにはもってこいではないでしょうか」
「クーラ! それだわ!! とっても良い考えね」
「では、旦那様が登城する日に、ナタリーにお使いを頼むという事でよろしいですか?」
「ええ。カカオ豆が手に入ったら嬉しいけれど、そこまで高望みは出来ないわね」
「……それから、当日はナタリーの代わりに私がお側に控えます。それだけは譲れませんので、どうかご容赦ください。調味料の方は直ぐにお調べしてご用意致します」
「分かったわ。本当にありがとう!!」
使用人達の間で密かな話題となっているカナリアの微笑、通称『天使の微笑み』。
それを直に目の当たりにしたクーラは、心臓を鷲掴みにされたような錯覚と共にしばし魅入られたまま放心していた。
ナタリーが一生側に仕えると言った訳が少し分かった気がした。
こちらを見つめたまま固まってしまったクーラに『大丈夫?』と問い掛ける。
それに我に返ったクーラが、再びキリッと姿勢を正し、一礼すると仕事に戻って行った。
こうして知らぬ間にまた一人、カナリアに過保護なる人間が誕生したのだった。
その夜、アズベルトと二人で過ごす夕食の席では、ニコニコと笑顔を浮かべたカナリアの姿があった。鼻歌でも歌い出しそうな程上機嫌なカナリアの様子に、彼女の正面に座るアズベルトと、側で給仕の為に控えているナタリーが顔を見合わせている。
「何か良いことでもあったのか?」
「え?」
ギクリと頬を引き攣らせるカナリアへ、口元を緩めたアズベルトの眼差しが向けられている。
「随分と上機嫌じゃないか」
そんなにわかりやすかっただろうかと内心焦っていたカナに、ナタリーが追い討ちを掛けてくる。
「そういえばクーラと楽しそうに話してましたね? 何を話されていたのですか?」
二人の熱い眼差しに背筋を冷やしながら、カナは引き攣る頬を懸命に押し上げる。
「何を、というか、仲良くなれた事が嬉しくて、その、つい……」
目が泳いでしまいそうになるのを、アズベルトの首元にあるスカーフのような飾りを見つめる事でどうにか凌いだ。あれは何という装飾だったかと考えながら、思考を飛ばす事で誤魔化したとも言える。
昔から嘘は下手くそだった。
何だか無理やり作った理由のような気がした二人からは、疑わしそうな眼差しを寄越されている。
それに気付かない振りをしながら食事を再開させると、突然屋根を打ちつける雨の音が響いてきた。
「雨……ですね」
それは瞬く間に強く大きくなり、三人しかいない静かな屋敷に恐ろしく響き渡っていく。
窓の外を一瞬の閃光が瞬くと、しばらくの後にゴロゴロと遠くに雷鳴も聞こえてくる。激しい雨足が轟々と窓を叩き、時折強風が窓枠をガタガタと揺らした。
「今夜は荒れそうだな……」
窓へ視線をやりながらポツリと呟くアズベルトに、カナは不安気な眼差しを向け膝の手をギュッと握るのだった。
「ではカナリア様。おやすみなさいませ」
「おやすみ……」
灯りを落とし、扉の前で美しい一礼をすると、ナタリーは部屋を出て行った。
本宅に比べると小さく見える部屋にひとり残されたカナは、厚いカーテンに覆われた窓へと視線を向けた。
相変わらず雨は激しく窓を打ちつけ、強風が窓枠をガタガタといわしている。静かな室内が屋根を叩く雨音を響かせ、カナの不安を大いに煽ってくる。
雷に良い思い出が無いカナは、次はいつ光るのかとビクビクしながら掛布を握り締めた。
とても眠れそうに無いなと小さく溜め息を吐き出した時、窓の外が一際明るく光った。稲光が宵闇を切り裂くように四方八方へその腕を伸ばすと、すぐ後に頭の上で爆発でもあったかのような轟音が大気を震わせ、地響きの如く建物を揺らした。
「きゃあああ!!」
あまりの恐怖に悲鳴を上げると、カナは耳を塞ぎベッドへ踞った。ブルブルと身体を震わせ、大気を揺るがす余韻が消えるのを、祈る思いで待った。
すぐ隣の部屋にはナタリーが居る筈だが、いい歳して雷が怖いだなんて、そんな恥ずかしい事言える筈もない。
いつもならこんな荒天時にひとりになることなんてなかったのに。そんな事を思い出しながらギュッと閉じた瞼に涙が滲んでいく。
と、その時。
「カナリア」
直ぐ後ろで声がして肩を掴まれ、心臓が縮み上がった。絶対に十年は寿命が縮まったと思う。
「ひゃぁぁぁぁぁ!!!」
悲鳴にならない悲鳴をあげ、ばっくんばっくん大暴れしている心臓のせいで痛い胸を抑えて振り返る。
そこには行き場のなくなった右手を空に彷徨わせ、戸惑った表情のアズベルトが立っていた。
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