入れ替わった花嫁は元団長騎士様の溺愛に溺れまくる

九日

文字の大きさ
11 / 78
第二章 戸惑う心 触れ合う身体

しおりを挟む
 別荘へ滞在するようになって一週間が過ぎた頃、カナリアの身体はすっかり元気になっていた。
 意識の戻らない日が続いていたとは思えない程の異常な回復ぶりだった。
 以前、定期的に発症していた原因不明の発作も見られなくなり、医者の診察も一日二回から隔日へと減っている。例の凄い味のする薬の量も格段に減っていて、カナは内心胸を撫で下ろしていた。

 急に元気になった理由はわからないが、自分の身体が(正確には違うのだが)自分の思い通りに動かないことに大きなストレスを感じていたカナにとっては非常に喜ばしいことだ。
 朝はスッキリ起きられるし、自分で身支度を整え、窓を開けて朝の清々しい空気を室内へと取り入れた。
 着替えを済ませ、顔を洗い、髪をとかして、軽い化粧程度なら自分で済ませた。
 白粉をはたき、チークをのせ、リップを塗る程度だったが、以前の病人っぽさはすでになく、肌には血色が戻りこけていた頬も張りが出て、唇もツヤツヤしている。
 ほんの少し色をのせただけで、見違えるように様相を変える素材の良さに、慣れないなとは思いつつ、シミも小皺もない肌にはそれなりに満足していた。

 いつもの朝のルーティーンを済ませたところで、部屋の扉が控え目にノックされた。返事をすると、姿を見せたのはナタリーだ。

「おはよう、リア。身体の具合はどう?」

「おはよう、ナタリー。もうすっかり良いみたい」

「そう。良かった。今日はどうしましょうか?」

「んー、そうね……この間の本の続きが読みたいのだけど」

「分かったわ。朝食の後に本をお借り出来るか、旦那様に確認しておくわ」

「ええ。ありがとう」

 何気ない会話を交わし、朝食の為一階のダイニングへと向かうカナリアの後に続きながら、ナタリーはいまだに違和感しかない彼女の背をじっと見つめる。
 ここ数年は部屋を出る事はおろか、ベッドから出る事も稀だったカナリアが、今こうして目の前を自分の足で歩いている。
 ずっと待ち望んだ筈の光景なのに、いざ急にそんな状況に陥ると、逆に慣れないものなのだと分かった。

 カナリアの身の回りの事は全てナタリーがやってきた。
 それが当たり前の事であったし、アズベルトのお屋敷に仕えるようになって、カナリアの専属にしてもらえた事は信頼の証であり、ナタリーにとっては名誉な事だったのだ。
 それがある日突然不要だと言われた。

「ナタリーはやらなきゃいけない事が沢山あって忙しいでしょう? だから、自分で出来る事くらい自分でやるわ!」

 それがカナの言い分だった。
 カナからすればそれはごく当たり前の事で、大きな屋敷を一生懸命掃除したり、食事や備品の手配をしてくれたり、カナリアの身の回りの世話を焼いたりと、忙しく動き回るナタリーの負担を少しでも減らしたいという配慮からでもあった。
 それは理解出来る。貴族位の制度が無いと言っていたカナの世界では、それが当たり前の事だと聞いたし、実際そうする事でナタリーの仕事が減った訳だから、身体も楽になった。カナ自身も悪気があって言っている訳ではもちろん無い。それも十分分かっている。
 しかし、ナタリーは複雑な想いを抱かずにはいられなかった。
 カナリアが元気になる事が嬉しい筈なのに、ベッドから出て自由に動き回っていればいる程、それは『カナ』なのだと思い知らされている気がした。


 ある時。

「ナタリー。髪の毛をまとめたいのだけど、髪留めってどこかしら?」

「どうしたの、リア。今日はお客様の予定はないわよ?」

 鏡台に座らせ、櫛を手に取るナタリーを鏡越しに見つめながら、カナリアが楽しそうに笑っている。

「お掃除しようと思って」

「え?」

 驚きに手が止まってしまったナタリーに、そんなに驚く事なのかと思いながら笑みを深くするカナリア。

「自分の部屋くらい自分でやるわ! ナタリー、他にもやらなきゃいけない事が沢山あるでしょう?」

「……それはそうだけど……」

「せっかく動けるようになったのに、ベッドの中にばかりいたら逆に具合が悪くなっちゃうもの」
 
 楽しそうに屈託のない可憐な笑顔を向けられてしまえば、ナタリーには断る理由も拒否する理由も無いのだった。


 また別の日。

「ナタリー、キッチンを使わせて欲しいのだけど……」

「キッチンですって?」

 驚きに目を丸くするナタリーに、いけない事を言ってしまっただろうかと、不安げに眉尻を下げるカナリアが声を落として呟く。

「やっぱり……ダメ……?」

「あ……いえ、ダメという訳では……。でもどうして?」

「お茶の時間に食べるクッキーを焼きたいの」

 お菓子を作りたいという彼女に、ナタリーは思案するように睫毛を伏せる。アズベルトに許可を取らなければ難しいかと予想していたカナリアは、すっかり肩を落としてしまった。

「やっぱり、私がキッチンを使うだなんて、おかしいわよね?」

「そんな事ないわ! 少し驚いただけ。お菓子作りくらいなら大丈夫だと思うし、私も手伝うから一緒に作りましょう」

「本当? 本当に良いの?」

「ええ」

 途端に顔を綻ばせる姿に、ナタリーの頬も緩む。

「嬉しい! ナタリー、ありがとう!! ……あ、その……」

 喜んだと思ったら、今度は何かを探るように、言いにくそうにナタリーを伺い見てくる。

「アズは、甘いものとか食べる人……?」

「ええ。特にお嫌いなものは無いわ」

「そう。……いや、その、お世話になってるから……その……」

「きっと、お喜びになると思うわ」

 そう伝えた時の彼女の表情が本当に可愛らしくて天使のようで、ナタリーはズキズキと疼く胸の痛みを堪えながら、いつも通りの笑顔を浮かべたのだった。


 毎日の食事も液体状のものから通常の食事へとすっかり移り変わった頃には、カナリアの身体は本来の調子を取り戻していた。
 元々滑らかで白かった肌には艶が戻り、胸周りにも張りが出た。細かった腕や足もふっくらしてきたし、小振りなお尻にもしっかり弾力が戻った。アズベルトにとっても、ナタリーにとっても喜ばしい事だ。
 何より思うように動かない自分の身体にフラストレーションが溜まっていたカナにとっては喜ばしい限りだ。
 ナタリーもカナリアが精力的に動いて何でもやろうとする姿は本当に嬉しかった。
 今まで一緒にやりたいと思っていた手仕事を一緒にやってみたり、協力して作ったお菓子を食べておしゃべりしたり、国についての歴史書を読んだり、フォーミリオ領について学んだり。
 楽しい時を共有出来る事に喜びを感じていた。
 しかし、心の奥の方で僅かに燻っている違和感をずっと拭えないままだった。
 心を覆っている薄い膜には見えない傷が無数に刻まれている。それでもナタリーは最後の希望に望みを託し、その傷は見えないフリをしていた。
 認めてしまえば揺らいでしまいそうで怖かった。

 アズベルトならきっと何とかしてくれる。カナリアはきっと戻ってくる。その思いだけが、ナタリーの気持ちを奮い立たせる唯一の拠り所だったのだ。



 朝食後、ナタリーは今日も登城するというアズベルトを見送った。
 カナリアは先日の本の続きを読むと言って、アズベルトが貸した本を持ち、ダイニングで彼を見送った後部屋へと入っている。
 玄関まで見送ると言った彼女を『ここでいい』と言ったのはアズベルトの方だ。
「無理せず徐々にで良い」と言ったその言葉には、嘘はないと思う。調子が戻ってきたとはいえ、カナリアの身体を案じてのセリフだったと思う。
 カナリアはカナリアで、考えがあっての事なのだろう。食い下がる事はせず、素直に聞き入れ早々にダイニングを後にした。

「後を頼む」

 そう告げて愛馬にまたがる主人の背を見つめていた。
 他の使用人がいる場所では、ナタリーの目にも普段通りに接している。
 が、今のように三人だけの時は、二人の間に何ともいえないぎこちなさが垣間見えた。
 ナタリーの知る二人からはかけ離れたその姿が、『カナリア』は何処にも居ないのだと暗に言われているようで、その度にナタリーを侵食していく不安という名の靄は一層厚く濃く心を覆い尽くしていくのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【12月末日公開終了】有能女官の赴任先は辺境伯領

たぬきち25番
恋愛
辺境伯領の当主が他界。代わりに領主になったのは元騎士団の隊長ギルベルト(26) ずっと騎士団に在籍して領のことなど右も左もわからない。 そのため新しい辺境伯様は帳簿も書類も不備ばかり。しかも辺境伯領は王国の端なので修正も大変。 そこで仕事を終わらせるために、腕っぷしに定評のあるギリギリ貴族の男爵出身の女官ライラ(18)が辺境伯領に出向くことになった。   だがそこでライラを待っていたのは、元騎士とは思えないほどつかみどころのない辺境伯様と、前辺境伯夫妻の忘れ形見の3人のこどもたち(14歳男子、9歳男子、6歳女子)だった。 仕事のわからない辺境伯を助けながら、こどもたちの生活を助けたり、魔物を倒したり!? そしていつしか、ライラと辺境伯やこどもたちとの関係が変わっていく…… ※お待たせしました。 ※他サイト様にも掲載中

『有能すぎる王太子秘書官、馬鹿がいいと言われ婚約破棄されましたが、国を賢者にして去ります』

しおしお
恋愛
王太子の秘書官として、陰で国政を支えてきたアヴェンタドール。 どれほど杜撰な政策案でも整え、形にし、成果へ導いてきたのは彼女だった。 しかし王太子エリシオンは、その功績に気づくことなく、 「女は馬鹿なくらいがいい」 という傲慢な理由で婚約破棄を言い渡す。 出しゃばりすぎる女は、妃に相応しくない―― そう断じられ、王宮から追い出された彼女を待っていたのは、 さらに危険な第二王子の婚約話と、国家を揺るがす陰謀だった。 王太子は無能さを露呈し、 第二王子は野心のために手段を選ばない。 そして隣国と帝国の影が、静かに国を包囲していく。 ならば―― 関わらないために、関わるしかない。 アヴェンタドールは王国を救うため、 政治の最前線に立つことを選ぶ。 だがそれは、権力を欲したからではない。 国を“賢く”して、 自分がいなくても回るようにするため。 有能すぎたがゆえに切り捨てられた一人の女性が、 ざまぁの先で選んだのは、復讐でも栄光でもない、 静かな勝利だった。 ---

【12月末日公開終了】これは裏切りですか?

たぬきち25番
恋愛
転生してすぐに婚約破棄をされたアリシアは、嫁ぎ先を失い、実家に戻ることになった。 だが、実家戻ると『婚約破棄をされた娘』と噂され、家族の迷惑になっているので出て行く必要がある。 そんな時、母から住み込みの仕事を紹介されたアリシアは……?

夫に顧みられない王妃は、人間をやめることにしました~もふもふ自由なセカンドライフを謳歌するつもりだったのに、何故かペットにされています!~

狭山ひびき
恋愛
もう耐えられない! 隣国から嫁いで五年。一度も国王である夫から関心を示されず白い結婚を続けていた王妃フィリエルはついに決断した。 わたし、もう王妃やめる! 政略結婚だから、ある程度の覚悟はしていた。けれども幼い日に淡い恋心を抱いて以来、ずっと片思いをしていた相手から冷たくされる日々に、フィリエルの心はもう限界に達していた。政略結婚である以上、王妃の意思で離婚はできない。しかしもうこれ以上、好きな人に無視される日々は送りたくないのだ。 離婚できないなら人間をやめるわ! 王妃で、そして隣国の王女であるフィリエルは、この先生きていてもきっと幸せにはなれないだろう。生まれた時から政治の駒。それがフィリエルの人生だ。ならばそんな「人生」を捨てて、人間以外として生きたほうがましだと、フィリエルは思った。 これからは自由気ままな「猫生」を送るのよ! フィリエルは少し前に知り合いになった、「廃墟の塔の魔女」に頼み込み、猫の姿に変えてもらう。 よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。 「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」 やめてえ!そんなところ撫でないで~! 夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――

見た目は子供、頭脳は大人。 公爵令嬢セリカ

しおしお
恋愛
四歳で婚約破棄された“天才幼女”―― 今や、彼女を妻にしたいと王子が三人。 そして隣国の国王まで参戦!? 史上最大の婿取り争奪戦が始まる。 リュミエール王国の公爵令嬢セリカ・ディオールは、幼い頃に王家から婚約破棄された。 理由はただひとつ。 > 「幼すぎて才能がない」 ――だが、それは歴史に残る大失策となる。 成長したセリカは、領地を空前の繁栄へ導いた“天才”として王国中から称賛される存在に。 灌漑改革、交易路の再建、魔物被害の根絶…… 彼女の功績は、王族すら遠く及ばないほど。 その名声を聞きつけ、王家はざわついた。 「セリカに婿を取らせる」 父であるディオール公爵がそう発表した瞬間―― なんと、三人の王子が同時に立候補。 ・冷静沈着な第一王子アコード ・誠実温和な第二王子セドリック ・策略家で負けず嫌いの第三王子シビック 王宮は“セリカ争奪戦”の様相を呈し、 王子たちは互いの足を引っ張り合う始末。 しかし、混乱は国内だけでは終わらなかった。 セリカの名声は国境を越え、 ついには隣国の―― 国王まで本人と結婚したいと求婚してくる。 「天才で可愛くて領地ごと嫁げる?  そんな逸材、逃す手はない!」 国家の威信を賭けた婿争奪戦は、ついに“国VS国”の大騒動へ。 当の本人であるセリカはというと―― 「わたし、お嫁に行くより……お昼寝のほうが好きなんですの」 王家が焦り、隣国がざわめき、世界が動く。 しかしセリカだけはマイペースにスイーツを作り、お昼寝し、領地を救い続ける。 これは―― 婚約破棄された天才令嬢が、 王国どころか国家間の争奪戦を巻き起こしながら 自由奔放に世界を変えてしまう物語。

実は家事万能な伯爵令嬢、婚約破棄されても全く問題ありません ~追放された先で洗濯した男は、伝説の天使様でした~

空色蜻蛉
恋愛
「令嬢であるお前は、身の周りのことは従者なしに何もできまい」 氷薔薇姫の異名で知られるネーヴェは、王子に婚約破棄され、辺境の地モンタルチーノに追放された。 「私が何も出来ない箱入り娘だと、勘違いしているのね。私から見れば、聖女様の方がよっぽど箱入りだけど」 ネーヴェは自分で屋敷を掃除したり美味しい料理を作ったり、自由な生活を満喫する。 成り行きで、葡萄畑作りで泥だらけになっている男と仲良くなるが、実は彼の正体は伝説の・・であった。

転生しましたが悪役令嬢な気がするんですけど⁉︎

水月華
恋愛
ヘンリエッタ・スタンホープは8歳の時に前世の記憶を思い出す。最初は混乱したが、じきに貴族生活に順応し始める。・・・が、ある時気づく。 もしかして‘’私‘’って悪役令嬢ポジションでは?整った容姿。申し分ない身分。・・・だけなら疑わなかったが、ある時ふと言われたのである。「昔のヘンリエッタは我儘だったのにこんなに立派になって」と。 振り返れば記憶が戻る前は嫌いな食べ物が出ると癇癪を起こし、着たいドレスがないと癇癪を起こし…。私めっちゃ性格悪かった!! え?記憶戻らなかったらそのままだった=悪役令嬢!?いやいや確かに前世では転生して悪役令嬢とか流行ってたけどまさか自分が!? でもヘンリエッタ・スタンホープなんて知らないし、私どうすればいいのー!? と、とにかく攻略対象者候補たちには必要以上に近づかない様にしよう! 前世の記憶のせいで恋愛なんて面倒くさいし、政略結婚じゃないなら出来れば避けたい! だからこっちに熱い眼差しを送らないで! 答えられないんです! これは悪役令嬢(?)の侯爵令嬢があるかもしれない破滅フラグを手探りで回避しようとするお話。 または前世の記憶から臆病になっている彼女が再び大切な人を見つけるお話。 小説家になろうでも投稿してます。 こちらは全話投稿してますので、先を読みたいと思ってくださればそちらからもよろしくお願いします。

転生したので推し活をしていたら、推しに溺愛されました。

ラム猫
恋愛
 異世界に転生した|天音《あまね》ことアメリーは、ある日、この世界が前世で熱狂的に遊んでいた乙女ゲームの世界であることに気が付く。  『煌めく騎士と甘い夜』の攻略対象の一人、騎士団長シオン・アルカス。アメリーは、彼の大ファンだった。彼女は喜びで飛び上がり、推し活と称してこっそりと彼に贈り物をするようになる。  しかしその行為は推しの目につき、彼に興味と執着を抱かれるようになったのだった。正体がばれてからは、あろうことか美しい彼の側でお世話係のような役割を担うことになる。  彼女は推しのためならばと奮闘するが、なぜか彼は彼女に甘い言葉を囁いてくるようになり……。 ※この作品は、『小説家になろう』様『カクヨム』様にも投稿しています。

処理中です...