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第三章 近づく心
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「カナ。どうか結婚して欲しい」
「っ……」
「妻として、側にいてくれないか」
やっぱり、今カナって……
いやいやそんな事より——
「私がカナリアさんでなくとも、婚姻関係を結ぶという事?」
「そうだ。酷な話だろうが、カナにはカナリアとして振る舞ってもらわねばならない事もあるだろう」
カナは手をついた柵を握る手に力を込めた。
願ってもない話しだった。
知らない場所で、知り合いの誰もいない場所で、文化や生活習慣の全く違う場所で、誰の助けも無く生きて行くには、今のカナには何も無さすぎる。その筈なのだけれど、素直に喜ぶ事が出来ない。
「……でも私……」
「分かってる。カナリアのフリはしなくていい」
「え?」
「カナはカナのままでいいよ」
「……」
私が、私のままでいい?
それは、アズには苦痛でしかないんじゃ……
「これでもよく考えたんだ。……考えて考えて、色んな筋道を立ててみた。……でも、どうしても、カナリアを手放すという選択は出来なかった」
「……アズ」
彼のアンバーが強い光を持って此方へ向けられている。不安や怯えを含み弱々しく揺れていたのと同じ色が、決意を含む覚悟を決めた強い光を湛えている。
その美しい瞳に囚われて、カナはアズベルトから目が離せなくなってしまった。
「カナには酷な事を強いるのは分かってる。どんな罰も甘んじて受けよう」
アズベルトが一歩二歩と近づいてくる。
彼の瞳から目を外せないまま、彼の大きな手が柵を握るカナの手に重ねられた。
「タケルを忘れろとは言わない。君が抱える不安は全て俺が取り除く。……だからどうか、タケルの代わりに、一番側でカナを守らせて欲しい」
カナは熱く込み上げる目頭を隠すように俯いた。
まさかアズベルトからそんな言葉を貰うとは想像もしていなかったのだ。
今にも溢れ落ちそうな熱を懸命に堪えた。
「……私二十九よ? カナリアさんに比べたら全然若くなんかないわ」
「そういえばそうだったな」
「家事だって料理だって自分でやりたいし、絶対にそのうちやり出すと思うわ」
「ああ。好きにしたらいい」
まさかの了承に、思わず顔を上げて彼を見上げた。いいの? と、表情で問えば、もちろんだと言わんばかりに目尻が細められる。
「カナリアは今まで理不尽な不自由を強いられてきたんだ。少しくらい我儘を言ったところで、誰も不満など言わないよ」
「アズは……ナタリーは……それでいいの? 私で……本当に、いいの……?」
柵を握っていたカナの手に置かれていたアズベルトのそれが、カナの頬へと伸ばされた。
大きな手が頬をそっと包み込むと、彼の親指が掠めるように頬骨の高いところを撫でてくる。
「カナは優しすぎる……君だって理不尽に幸せな将来を奪われたんだ。もっと怒って当然なのに」
「……最初はどうしてこんな事にって思ったわ。……でも、私がもしカナリアさんと同じ境遇だったら……きっと彼女と同じように考えたと思うから」
だから悲しいとは思ったが憎らしいとは思えなかった。二人が気遣ってくれたおかげももちろんある。
アズベルトに対して抱いていた不満も、彼の置かれた境遇を思えば当然の事だった。
今ならちゃんと相手を慮れる優しい人だとよくわかる。
「……カナ……。俺はやっぱり、そんな君が側に居てくれたらと思う。……カナはどうしたい? やはり、此処にいるのは辛い?」
「私……わたし、は……」
ここに居たら、アズベルトやナタリーを傷付けるだけだと思っていた。自分がどんなに彼らに尽くしたとしても、彼女の深愛には遠く及ばないから。
カナがカナリアであろうとすればする程、傷を抉ってしまうだけだろうと。
「だけど、カナリアさんの手紙を見て……彼女の想いを知った時、それを叶えてあげられるのは……私だけだと思ったの」
「ありがとう。カナリアの為に、そこまで考えてくれて」
此方へ向けられた穏やかな琥珀色を真っ直ぐに見つめる。
「私、アズの側にいたい」
私のままでいいと言ってくれるなら、カナリアさんの想いだけ受け継いで、この世界で『かな』として生きて行きたい。
今はまだ健を忘れる事なんて出来ないけど、カナリアさんが繋いでくれた彼の側で、私が出来る事をしていきたい。
「良かった……生涯大切にすると誓う」
彼の大きな手に掬い取られて、向き合う形で両手を握られた。
時折吹き付ける緩やかに風にさらりとブロンドを揺らしながら、嬉しそうに目尻を細めるアズベルトを見つめる。
半ば見惚れるように眺めていると、彼から今後の提案がなされた。
「君が心を許してくれるまで、カナの気持ちを蔑ろにするような事は絶対しない」
昨夜の情事未遂を思い出して一気に顔が熱くなった。
「……ええ」
「だからお互いを知る事から始めよう」
「そうね。賛成だわ」
「そこで早速ひとつ相談があるんだが、聞いてくれる?」
その夜。
カナは何時もより緊張の面持ちでドレッサーの前に座っていた。
湯浴みは既に済ませ、寝巻きに着替え、濡れた髪にタオルを当てているところだ。
ドライヤーという便利家電が無いため、何度かタオルを替えつつ、地道に水分を取っていくしか無いのだ。
「ドライヤーがあればなぁ……」
「どらいやぁ、とは何だ?」
急に後ろから声を掛けられ、カナの肩がビクリと跳ねた。
鏡越しに此方を覗き込んでくるのは、此方も湯浴みを済ませ夜着に身を包んだアズベルトである。
そう、此処はアズベルトの寝室だった。
昼間、ひとつ相談があると言った彼の提案が、『今夜から一緒に寝る事』だったのだ。
理由はいくつかある。
ひとつはナタリーが帰省している為、カナの部屋の隣に常駐するメイドがいない事。
元々カナのカナリア修行の為に別荘にいる。カナの特殊な事情を鑑みても、誰でも彼でも話してしまえる事情でないだけに、人はおいそれと増やせない。
そして元気になりつつあるとはいえ、まだ医者に罹っている身だ。一人にしておくのはアズベルトが不安で不眠症になるかもしれないと言われてしまえば、カナには強く拒否する事は出来なかった。
それ以外にもアズベルトの仕事がなかなか忙しく、昼間にあまり多くの時間を取れない事が挙げられた。夜の限られた時間でも共に過ごす事が出来れば、『お互いを知る』という目的は果たしやすくなる。
後は昨夜、成り行きとはいえ共にベッドで過ごし、不本意にも安眠出来てしまった事が挙げられた。
今まではアズベルトがカナリアに配慮して同じ寝室を使う事をしていなかったが、実際は『今この瞬間に何かあったら』と、ずっと不安だったという。それが昨夜ああいう形になり、驚く程安心して眠れてしまった。
それならそうしない理由は無いと、こういう事態になったのだ。
「私がやろう」
そう言ってカナが手にしていたヘアオイルの小瓶を受け取り、アズベルトがカナの黒髪に丁寧にオイルを馴染ませ、櫛を入れてくれている。
いつならナタリーがやっていたのだが、それをアズベルトがやっているという現状に、何だかそわそわと落ち着かない気持ちになった。
「で、どらいやぁとは何の事だ?」
「ドライヤーって言うのは、濡れた髪を乾かすための家電なの」
カナはドライヤー以外にも家で使っていた様々な電化製品の話しをした。
最初はカナの世界にも魔術が存在して、しかも高度な使い方をしていると驚いていたアズベルトだったが、それらが此方の世界の『神の怒り』と言われる神鳴りの素である電気エネルギーだと知り、更に目を丸くしていた。
「終わったよ」
「ありがとう、アズ。今度は私が」
「え? や、私は……。いや、お願いしようか」
今度はアズベルトが椅子へ腰掛け、カナが彼の後ろに立った。
オイルを手に取り、手のひらに馴染ませて温め、アズベルトの細くてサラサラの髪へ丁寧に丁寧に馴染ませていく。
微風にも巻き上げられてしまいそうな細い髪の束を手に取った。馴染ませたオイルのせいで綺麗なブロンドが更に艶を増している。
オイルのいい香りが漂い、それが自分のものと同じだと気が付き、カナは急に恥ずかしくなってきた。
ふと前を見ると、鏡越しに此方を見つめる琥珀色に、あっという間に囚われてしまう。アズベルトはフッと表情を緩めると、その場を立ちカナの手を引いた。
「おいで」
向かう先は大きなベッドである。近づくにつれて自分の心臓の音が強く大きくなっていくのを聞いた。
変に意識しちゃダメよ。同じところで寝るだけ。ただ寝るだけなんだから。
先に入ったアズベルトが此方を振り返ると、ポンポンと隣を叩いてくる。
もう既に鼓膜にまで響いている胸の音を聞きながら、カナは大きなベッドの上をモゾモゾと移動し、彼の隣に横になって鼻まで掛布を引き上げた。
「そんなに固くならなくても、約束通りカナの気持ちを蔑ろにしたりしないから、安心して」
意識しすぎていた事が恥ずかしくて、カナは小さく頷くだけだ。
そんな彼女にクスリと笑うと、アズベルトは近くのサイドテーブルの上に置かれたランプの火を消した。途端に部屋が真っ暗になり、隣にいるアズベルトの気配がより強く感じられてしまう。
アズは快眠でも、私が不眠になりそうだわ……
痛いくらい鳴り続ける胸を押さえつけた。無駄な事くらい分かっていたが、そうせずにはいられなかったのだ。
「……カナ」
「はっ、はいっっっ!」
「嫌だったらはっきりそう言ってくれ」
クスクスと笑い声を堪えながら、肩に彼の体温を感じたと同時に、カナの腹部に腕が回された。それどころか軽く引き寄せられ、カナの左半分が完全にアズベルトに密着したようだった。
「心臓が……壊れそう」
「ふふっ、それは困るな」
耳にかかる僅かな吐息がくすぐったくて、同時にゾクゾクと身体の奥の方を震わせる。肩から伝わる彼の鼓動が常よりも早い気がして、アズベルトも同じ気持ちなのかもしれないと思うと、昂っていた鼓動が徐々に落ち着いていくように感じられた。
「おやすみ……カナ」
「おやすみなさい」
アズベルトの温もりと言いようの無い安心感が、今日たくさん歩いて疲れていたであろう身体を眠りへと誘ってゆく。
心細くて仕方のなかった夜に、こんなにも穏やかな心地でいられるなんて不思議な気持ちだった。
少し前までは有り得なかった心境の変化を確かに感じながら、カナはアズベルトの腕の中でゆっくりゆっくり夢の中へと落ちていった。
「っ……」
「妻として、側にいてくれないか」
やっぱり、今カナって……
いやいやそんな事より——
「私がカナリアさんでなくとも、婚姻関係を結ぶという事?」
「そうだ。酷な話だろうが、カナにはカナリアとして振る舞ってもらわねばならない事もあるだろう」
カナは手をついた柵を握る手に力を込めた。
願ってもない話しだった。
知らない場所で、知り合いの誰もいない場所で、文化や生活習慣の全く違う場所で、誰の助けも無く生きて行くには、今のカナには何も無さすぎる。その筈なのだけれど、素直に喜ぶ事が出来ない。
「……でも私……」
「分かってる。カナリアのフリはしなくていい」
「え?」
「カナはカナのままでいいよ」
「……」
私が、私のままでいい?
それは、アズには苦痛でしかないんじゃ……
「これでもよく考えたんだ。……考えて考えて、色んな筋道を立ててみた。……でも、どうしても、カナリアを手放すという選択は出来なかった」
「……アズ」
彼のアンバーが強い光を持って此方へ向けられている。不安や怯えを含み弱々しく揺れていたのと同じ色が、決意を含む覚悟を決めた強い光を湛えている。
その美しい瞳に囚われて、カナはアズベルトから目が離せなくなってしまった。
「カナには酷な事を強いるのは分かってる。どんな罰も甘んじて受けよう」
アズベルトが一歩二歩と近づいてくる。
彼の瞳から目を外せないまま、彼の大きな手が柵を握るカナの手に重ねられた。
「タケルを忘れろとは言わない。君が抱える不安は全て俺が取り除く。……だからどうか、タケルの代わりに、一番側でカナを守らせて欲しい」
カナは熱く込み上げる目頭を隠すように俯いた。
まさかアズベルトからそんな言葉を貰うとは想像もしていなかったのだ。
今にも溢れ落ちそうな熱を懸命に堪えた。
「……私二十九よ? カナリアさんに比べたら全然若くなんかないわ」
「そういえばそうだったな」
「家事だって料理だって自分でやりたいし、絶対にそのうちやり出すと思うわ」
「ああ。好きにしたらいい」
まさかの了承に、思わず顔を上げて彼を見上げた。いいの? と、表情で問えば、もちろんだと言わんばかりに目尻が細められる。
「カナリアは今まで理不尽な不自由を強いられてきたんだ。少しくらい我儘を言ったところで、誰も不満など言わないよ」
「アズは……ナタリーは……それでいいの? 私で……本当に、いいの……?」
柵を握っていたカナの手に置かれていたアズベルトのそれが、カナの頬へと伸ばされた。
大きな手が頬をそっと包み込むと、彼の親指が掠めるように頬骨の高いところを撫でてくる。
「カナは優しすぎる……君だって理不尽に幸せな将来を奪われたんだ。もっと怒って当然なのに」
「……最初はどうしてこんな事にって思ったわ。……でも、私がもしカナリアさんと同じ境遇だったら……きっと彼女と同じように考えたと思うから」
だから悲しいとは思ったが憎らしいとは思えなかった。二人が気遣ってくれたおかげももちろんある。
アズベルトに対して抱いていた不満も、彼の置かれた境遇を思えば当然の事だった。
今ならちゃんと相手を慮れる優しい人だとよくわかる。
「……カナ……。俺はやっぱり、そんな君が側に居てくれたらと思う。……カナはどうしたい? やはり、此処にいるのは辛い?」
「私……わたし、は……」
ここに居たら、アズベルトやナタリーを傷付けるだけだと思っていた。自分がどんなに彼らに尽くしたとしても、彼女の深愛には遠く及ばないから。
カナがカナリアであろうとすればする程、傷を抉ってしまうだけだろうと。
「だけど、カナリアさんの手紙を見て……彼女の想いを知った時、それを叶えてあげられるのは……私だけだと思ったの」
「ありがとう。カナリアの為に、そこまで考えてくれて」
此方へ向けられた穏やかな琥珀色を真っ直ぐに見つめる。
「私、アズの側にいたい」
私のままでいいと言ってくれるなら、カナリアさんの想いだけ受け継いで、この世界で『かな』として生きて行きたい。
今はまだ健を忘れる事なんて出来ないけど、カナリアさんが繋いでくれた彼の側で、私が出来る事をしていきたい。
「良かった……生涯大切にすると誓う」
彼の大きな手に掬い取られて、向き合う形で両手を握られた。
時折吹き付ける緩やかに風にさらりとブロンドを揺らしながら、嬉しそうに目尻を細めるアズベルトを見つめる。
半ば見惚れるように眺めていると、彼から今後の提案がなされた。
「君が心を許してくれるまで、カナの気持ちを蔑ろにするような事は絶対しない」
昨夜の情事未遂を思い出して一気に顔が熱くなった。
「……ええ」
「だからお互いを知る事から始めよう」
「そうね。賛成だわ」
「そこで早速ひとつ相談があるんだが、聞いてくれる?」
その夜。
カナは何時もより緊張の面持ちでドレッサーの前に座っていた。
湯浴みは既に済ませ、寝巻きに着替え、濡れた髪にタオルを当てているところだ。
ドライヤーという便利家電が無いため、何度かタオルを替えつつ、地道に水分を取っていくしか無いのだ。
「ドライヤーがあればなぁ……」
「どらいやぁ、とは何だ?」
急に後ろから声を掛けられ、カナの肩がビクリと跳ねた。
鏡越しに此方を覗き込んでくるのは、此方も湯浴みを済ませ夜着に身を包んだアズベルトである。
そう、此処はアズベルトの寝室だった。
昼間、ひとつ相談があると言った彼の提案が、『今夜から一緒に寝る事』だったのだ。
理由はいくつかある。
ひとつはナタリーが帰省している為、カナの部屋の隣に常駐するメイドがいない事。
元々カナのカナリア修行の為に別荘にいる。カナの特殊な事情を鑑みても、誰でも彼でも話してしまえる事情でないだけに、人はおいそれと増やせない。
そして元気になりつつあるとはいえ、まだ医者に罹っている身だ。一人にしておくのはアズベルトが不安で不眠症になるかもしれないと言われてしまえば、カナには強く拒否する事は出来なかった。
それ以外にもアズベルトの仕事がなかなか忙しく、昼間にあまり多くの時間を取れない事が挙げられた。夜の限られた時間でも共に過ごす事が出来れば、『お互いを知る』という目的は果たしやすくなる。
後は昨夜、成り行きとはいえ共にベッドで過ごし、不本意にも安眠出来てしまった事が挙げられた。
今まではアズベルトがカナリアに配慮して同じ寝室を使う事をしていなかったが、実際は『今この瞬間に何かあったら』と、ずっと不安だったという。それが昨夜ああいう形になり、驚く程安心して眠れてしまった。
それならそうしない理由は無いと、こういう事態になったのだ。
「私がやろう」
そう言ってカナが手にしていたヘアオイルの小瓶を受け取り、アズベルトがカナの黒髪に丁寧にオイルを馴染ませ、櫛を入れてくれている。
いつならナタリーがやっていたのだが、それをアズベルトがやっているという現状に、何だかそわそわと落ち着かない気持ちになった。
「で、どらいやぁとは何の事だ?」
「ドライヤーって言うのは、濡れた髪を乾かすための家電なの」
カナはドライヤー以外にも家で使っていた様々な電化製品の話しをした。
最初はカナの世界にも魔術が存在して、しかも高度な使い方をしていると驚いていたアズベルトだったが、それらが此方の世界の『神の怒り』と言われる神鳴りの素である電気エネルギーだと知り、更に目を丸くしていた。
「終わったよ」
「ありがとう、アズ。今度は私が」
「え? や、私は……。いや、お願いしようか」
今度はアズベルトが椅子へ腰掛け、カナが彼の後ろに立った。
オイルを手に取り、手のひらに馴染ませて温め、アズベルトの細くてサラサラの髪へ丁寧に丁寧に馴染ませていく。
微風にも巻き上げられてしまいそうな細い髪の束を手に取った。馴染ませたオイルのせいで綺麗なブロンドが更に艶を増している。
オイルのいい香りが漂い、それが自分のものと同じだと気が付き、カナは急に恥ずかしくなってきた。
ふと前を見ると、鏡越しに此方を見つめる琥珀色に、あっという間に囚われてしまう。アズベルトはフッと表情を緩めると、その場を立ちカナの手を引いた。
「おいで」
向かう先は大きなベッドである。近づくにつれて自分の心臓の音が強く大きくなっていくのを聞いた。
変に意識しちゃダメよ。同じところで寝るだけ。ただ寝るだけなんだから。
先に入ったアズベルトが此方を振り返ると、ポンポンと隣を叩いてくる。
もう既に鼓膜にまで響いている胸の音を聞きながら、カナは大きなベッドの上をモゾモゾと移動し、彼の隣に横になって鼻まで掛布を引き上げた。
「そんなに固くならなくても、約束通りカナの気持ちを蔑ろにしたりしないから、安心して」
意識しすぎていた事が恥ずかしくて、カナは小さく頷くだけだ。
そんな彼女にクスリと笑うと、アズベルトは近くのサイドテーブルの上に置かれたランプの火を消した。途端に部屋が真っ暗になり、隣にいるアズベルトの気配がより強く感じられてしまう。
アズは快眠でも、私が不眠になりそうだわ……
痛いくらい鳴り続ける胸を押さえつけた。無駄な事くらい分かっていたが、そうせずにはいられなかったのだ。
「……カナ」
「はっ、はいっっっ!」
「嫌だったらはっきりそう言ってくれ」
クスクスと笑い声を堪えながら、肩に彼の体温を感じたと同時に、カナの腹部に腕が回された。それどころか軽く引き寄せられ、カナの左半分が完全にアズベルトに密着したようだった。
「心臓が……壊れそう」
「ふふっ、それは困るな」
耳にかかる僅かな吐息がくすぐったくて、同時にゾクゾクと身体の奥の方を震わせる。肩から伝わる彼の鼓動が常よりも早い気がして、アズベルトも同じ気持ちなのかもしれないと思うと、昂っていた鼓動が徐々に落ち着いていくように感じられた。
「おやすみ……カナ」
「おやすみなさい」
アズベルトの温もりと言いようの無い安心感が、今日たくさん歩いて疲れていたであろう身体を眠りへと誘ってゆく。
心細くて仕方のなかった夜に、こんなにも穏やかな心地でいられるなんて不思議な気持ちだった。
少し前までは有り得なかった心境の変化を確かに感じながら、カナはアズベルトの腕の中でゆっくりゆっくり夢の中へと落ちていった。
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