マレカ・シアール〜王妃になるのはお断りです〜

橘川芙蓉

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22.城下デート

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 朝日が地平線から顔を出し、辺りが明るくなり始めた頃、ファルリンはいつも後宮へと向かう。後宮の入り口には礼拝所が設けられているのだ。後宮には金星アルゾフラの神アナーヒターが住んでいるので、神官達が簡易的な礼拝所を整備したのだった。
 いつもの通りファルリンは、祭壇に祈りを捧げていると、背後に人の気配を感じた。毎朝、神官達もこの時間に祈りに来るのでそのうちの誰かかと思ってそのままファルリンは祈りを続ける。

「熱心に願っているのね」

 嫋やかで鳥のように美しい声が、ファルリンの頭上から降りかかる。祈りを捧げるため、膝立ちになっていたファルリンは、とっさに立ち上がった。ファルリンは声が上ずりながら言った。

「アナーヒター様、これはご無礼を」

 祈りを捧げていたファルリンに声をかけたのは、後宮の住人、女神アナーヒターであった。アナーヒターは、鈴の音のような笑い声を上げた。

「いいのよ。金星の種アルゾフラ・ビゼルの様子を見に来ただけだから」

 アナーヒターに金星の種アルゾフラ・ビゼルと呼ばれて、ファルリンは頬が緩んでいくのを感じた。頬がうっすらと上気している。
 初めてアナーヒターに会った後、カタユーンに金星の種アルゾフラ・ビゼルとは何かを尋ねたのだ。カタユーンは、神殿用語なので一般的には使われていない言葉だけれど、と断った上で意味を説明してくれた。
 信仰心が厚く、善性を持っている者のことを指していて、のちに聖者として列せられることが多いという。ファルリンは、女神からの最大級の褒め言葉に誇らしく思った。

「アナーヒター様は、お好きな食べ物はありますか?」

「そうねぇ。私は何でも好きよ。何か捧げてくれるのかしら?」

 アナーヒターの瞳が好奇心で煌めいてファルリンをじっと見つめる。女神は超越した雰囲気を持っているが、時にはこのように人懐こい表情をみせる。

「今日、城下町へ参ります。アナーヒター様のお好きな物を、もし手に入れられたらと思いまして」

 ファルリンは、小さい頃から女神アナーヒターの活躍した神話が好きだった。その話は、多少遊牧民向けに改変され、アナーヒターは駱駝に騎乗し砂漠を縦断し悪神を倒す物語であったが、幼いファルリンにはそれがとても格好良く思ったのだ。

茘枝リッチーが食べてみたいわ」

茘枝リッチーって何ですか?」

 女神の食べたい物の回答に、ファルリンは首をかしげた。

「東南の国で採れる果物よ。見た目は龍の鱗だけれど中を割ると白くてつるんとした、瑞々しい果実が現れるの」

「承知しました。市場スークで探しますね」

 ファルリンはアナーヒターに最敬礼して礼拝所から退出した。





 ファルリンは、近衛騎士として着用する貫頭衣カンドーラ以外は、砂漠で生活をしていた時に着用していた衣服しかないことに気がついた。
 王宮で近衛騎士として仕えることが決まったときから、身の回りの品物以外、手に入れたことがなかったのだ。休日は、すべてメフルダードと過ごしてきたからだった。

 部屋に迎えにきたピルーズが何か言いたそうな表情をして、口を動かしたが言葉にならなかった。そこで初めてファルリンは、ピルーズが自分に何を期待していたのか判ったのだ。

「今日は中止にしますか?」

 ファルリンは、一番無難な回答を選んだ。デートのつもりで誘った相手が着飾ることもしていないのであれば、連れて歩くには不満だろう。ピルーズは無言だ。ファルリンは、それを回答と受け取ってピルーズを部屋から追い出しにかかる。

「いや、待て待てって。確かに可愛い格好してくれないかなー?とは思ったけれど、よくよく考えたら、そんな暇が無いぐらい近衛騎士として努力していたんだから、そのままで良いよ」

 ピルーズは自分の背中をぐいぐい押して、部屋から追い出しているファルリンに振り返って言った。ファルリンは、ピルーズの背中を押す手を止めてピルーズを見上げた。

「ほら、行こうぜ。市場スークの掘り出し物が無くなる」

 ピルーズはファルリンに向き直って、ファルリンの手を掴んだ。自然な仕草でピルーズはファルリンと手を繋ぐ。二人は、そのまま王都スールマーズの城下へ向かった。




 砂漠の王国と言われるヤシャール王国は、大陸の東と西を繋ぐ要地にあり、東西の交易の重要地点になっている。王都スールマーズは常に世界中の商人達が集まると言われていて、この世のあらゆる物はスールマーズにあると言われていた。
 そのためあちこちに市場スークが立ち、大勢の人々が行き交っていた。聞こえる言葉はヤシャール語が多いが、遠い国々の言葉も時折聞こえてくる。国際色豊かな都市である。
 一番大きい市場スークは、王宮への道ぞいにある大市場カビール・スークと言われている。ファルリンとピルーズは、まず大市場カビール・スークへと足を向けた。

(ペイマーンさんのお店あるかな)

 王都へ来るときに供に旅をした商人ペイマーンは、この辺りで小さなスパイスの店を構えていた。ファルリンは、好奇心に任せてきょろきょろと辺りを見回している。人が多いので、ピルーズはファルリンが迷子にならないように気を配りながら、しっかりと手を繋いだ。

 やがて見覚えのある店舗をみつけて、ファルリンは胸が高鳴った。

「あのお店にいきたいです」

 ファルリンは通りに並ぶ店の中で、小さなスパイス屋を指した。ピルーズは頷いて二人でスパイス屋へと向かった。
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