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21.神話時代
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ジャハーンダールは、うんざりしていた。可愛がっていた猫に裏切られた気分だった。ファルリンに話しかければ顔ごと視線をそらされ、体よく逃げていって仕舞う。
一見、これだけだと相当に嫌われている状態だが、ファルリンの耳が赤く染まっていることは、ジャハーンダールは気がついていたので、照れ隠しに逃げていることは分かっている。
分かってはいるが、あそこまで逃げられるとやるせない気分になる。
さらに、ジャハーンダールの気分を盛り下げるのは、マハスティから頻繁に来る逢い引きのお誘いの手紙であった。
マハスティは奥ゆかしい貴族令嬢であるので、逢い引きとはっきりとは書かれていないが宮廷独特のやりとりで書かれた文体からは、逢い引きの誘いをなぜしてこないのか、といった詰りが含まれていた。
「ヘダーヤト、断りの文章を考えろ」
「僕は君の母親じゃないんだから、逢い引きの断りぐらい自分で書きなよ」
「何度も断っているのだが、懲りずに手紙が届けられる」
「食わず嫌いしないで、味見してみたら?」
「ちょっとでも味見をしてみろ、すぐに王妃だ結婚だ、とマハスティの父親が乗り込んでくるぞ」
ヘダーヤトは、ジャハーンダールを傀儡に自分が政権の手中を納めようとしているマハスティの父親を想像して、首を振った。
「味見は厳禁」
「幼い頃は良い遊び相手だったが、どうしたわけか年頃になったら、高飛車で高慢で我が儘という手に負えない状態になっていたな」
ジャハーンダールとヘダーヤト、マハスティは幼馴染みである。小さい頃は気が合ったため、仲が良かった。その様子を知っているのでマハスティの父親はジャハーンダールを傀儡にできると思っているのであった。
「幼馴染みの王子と結婚なんて童話になりそうな夢を見てるんじゃないかなぁ」
「俺がそれを叶えてやる義理はない」
「その割には、ちゃんと仲良くしているよね」
「恋人、愛人、結婚、そこら辺の単語が関わってくると態度が変わる」
「あぁ……ちょっと残念なコだよね」
ジャハーンダールは、政務が忙しいことを理由にマハスティに断りの手紙を書いた。封蝋で丁寧に手紙を封印して、ジャハーンダール付きの従者に渡す。
「ヘダーヤトついてこい。王宮の書庫で調べ物がある」
「はいはい。承知つかまつりました」
王宮の地下にある書庫へとジャハーンダールとヘダーヤトは向かった。王宮には書庫が二つある。第一書庫は王宮の一般職員向けに、娯楽や休憩ができるようにと憩いの場を兼ねた部屋の造りになっているのに対し、地下にある第二書庫は文字通り、本の倉庫となっている。娯楽性の低い歴代の国王の記録や手記、国事行事の資料などが納められている。
ランタンを灯して、細くて長い螺旋階段を降りていく。
「ここに、気になることでもあるのかい?」
「まだ、神が地上に居た頃の神話時代の話を探そうと思ってな。単なる魔獣襲撃だけで終わりそうにない気がしないか?」
「指揮系統がしっかりしてきているしね。まるで背後で人間が操っているようだ、と思うときもあるね」
ヘダーヤトが答える。階段を降りきり、ランタンを掲げ前方を照らす。扉をあけて中に入る。部屋は暗く、ほこりっぽい匂いがする。最近は誰も使っていないようだ。
ジャハーンダールが手を叩き、魔法で書庫中の据え置きランタンに明かりを灯す。
所狭しと並んだ棚には、びっしりと本が整然と並んでいる。部屋の中心には、大人の太ももあたりの大きさの小さな台が置かれていた。
台の上には、古代魔法の文字が刻まれている。
ジャハーンダールは台の前に立ち、右手を台の上にかざした。
「女神復活、女神再臨の書を持て」
小さな台の上の古代魔法の文字が光り、ジャハーンダールの前に、数冊の本が飛んでやってきた。ジャハーンダールが魔法で操作した台は、検索用の魔法がかけられた魔法道具なのだ。
ジャハーンダールの目の前に、三冊の本が浮いている。どれも高価な装丁が施された分厚い本だ。そのうちの一冊をジャハーンダールは手に取った。手に、ずっしりと本の重さを感じる。
「意外と候補が少ないな。どれも神話の記録だ」
ジャハーンダールは、本の表紙を見てページをぱらぱらとめくった。
「一番古いのは、これかな」
ヘダーヤトが中に浮いている二冊のうち、一冊を手にした。ヘダーヤトは本を始めから終わりまでぱらぱらとページをめくりながら、呪文を唱える。口から呪文を紡ぐたびに、ヘダーヤトの瞳が金色に煌めく。やがて、本に書かれた文字が金色に輝き、文字が宙に浮いたと同時に光って、空中に霧散する。
次の瞬間、机の上にはミニチュアの砂漠と、小さなオアシス都市が広がっていた。
ヘダーヤトは魔法で、本に描かれている神話を机の上の小さな世界で具象化したのだ。
「その魔法、便利だよな」
ジャハーンダールは、机の上に広がるミニチュア世界に感心する。
「僕以外に使えないけどね」
ヘダーヤトは得意げに笑った。これもヘダーヤトの考え出した魔法で、古代魔法語を使っていないのだ。
穏やかであった、ミニチュアの世界で変化が起きる。人々が平和に暮らしていたオアシス都市に、大挙して悪魔が押し寄せ、人々を虐殺していく。人々が絶望にうちひしがれる中、一人の青年が立ち上がる。それがのちに、星と慈雨の神ティシュトリアとなった。
「ティシュトリアの姿、俺に似てないか?」
絶望のどん底に居る人々を、ティシュトリアは勇気づけていく。その姿は、ジャハーンダールと重なる。
「僕のイメージが具現化されるから。仕方ない」
ティシュトリアを助けているのは、のちの金星と豊穣の女神アナーヒターだ。これは、現在後宮の居候となっているアナーヒターの姿だ。
二人は協力し、悪魔を退治する。そして、悪神である旱魃との戦いの最中に、アナーヒターは戦死し、ティシュトリアは悲嘆に暮れる。最高神アフラ・マズダーの力により、アナーヒターは再生し、ティシュトリアと供に旱魃を封印することに成功する。
机の上では、古代魔法の打ち合いや、神業のような剣技がミニチュアで再現されている。
「おい、やめろ」
世界が平和になって、ティシュトリアとアナーヒターが手を取り合い仲睦まじくしている姿が再現されると、ジャハーンダールは不機嫌になった。
「まあ、ここまでで良いか」
ヘダーヤトは、机の上をぽんと軽く叩いて、魔法を解除した。机の上に具象化されていた者は、砂のように崩れて消えていった。
「これは、ヤシャール王国の国民なら幼子でも知っている神話だよ。どの神々が戦ったかは、色々なバージョンがある。この本では、ティシュトリアとアナーヒターみたいだね」
「ティシュトリアとアナーヒターは中級神と言われているからな。現場に出て戦うにはちょうど良かったのだろう。いきなり最高神のアフラ・マズダーが出てきても話の盛り上がりに欠ける」
「じゃ、次行ってみようか」
ヘダーヤトは、ジャハーンダールが手にしていた本を手にとって同じように魔法をかける。机の上にミニチュア劇場が展開された。
最初に魔法をかけた本と同じで、善側の神と、悪側の神が対立し戦い、善側が勝利し平和が訪れるという筋書きだ。戦っている神々のメンバーが替わっているということぐらいの差しかない。
三冊目も同様の結果だった。
「いずれも旱魃と戦っていたな」
「今年は、雨季に雨水が充分貯められたか確認したほうがいいかもしれないね」
「神話の時代の再現、というには根拠が少ないが干魃は大問題だからな。すぐに体制を整えよう」
ジャハーンダールは、一番年代の古い本の借用手続きを済ませ、ヘダーヤトに手渡した。
「神官の意見が聞きたいといって、カタユーンにこの本を渡せ」
「僕が?」
「メフルダードに命じろ」
「……まどろっこしいことやるね」
ヘダーヤトは、呆れたように言った。数十分後、ヘダーヤトは自分の執務室でメフルダードの姿をしたジャハーンダールに、書庫から持ち出した本を手渡し、神官長カタユーンに届けるように命じた。
メフルダードは恭しく本を受け取り、ヘダーヤトの執務室を退室した。わざわざ、ヘダーヤトの執務室で仕事をしている、他の魔術師達にメフルダードという同じ魔術師仲間がいることを印象づけたのだった。
一見、これだけだと相当に嫌われている状態だが、ファルリンの耳が赤く染まっていることは、ジャハーンダールは気がついていたので、照れ隠しに逃げていることは分かっている。
分かってはいるが、あそこまで逃げられるとやるせない気分になる。
さらに、ジャハーンダールの気分を盛り下げるのは、マハスティから頻繁に来る逢い引きのお誘いの手紙であった。
マハスティは奥ゆかしい貴族令嬢であるので、逢い引きとはっきりとは書かれていないが宮廷独特のやりとりで書かれた文体からは、逢い引きの誘いをなぜしてこないのか、といった詰りが含まれていた。
「ヘダーヤト、断りの文章を考えろ」
「僕は君の母親じゃないんだから、逢い引きの断りぐらい自分で書きなよ」
「何度も断っているのだが、懲りずに手紙が届けられる」
「食わず嫌いしないで、味見してみたら?」
「ちょっとでも味見をしてみろ、すぐに王妃だ結婚だ、とマハスティの父親が乗り込んでくるぞ」
ヘダーヤトは、ジャハーンダールを傀儡に自分が政権の手中を納めようとしているマハスティの父親を想像して、首を振った。
「味見は厳禁」
「幼い頃は良い遊び相手だったが、どうしたわけか年頃になったら、高飛車で高慢で我が儘という手に負えない状態になっていたな」
ジャハーンダールとヘダーヤト、マハスティは幼馴染みである。小さい頃は気が合ったため、仲が良かった。その様子を知っているのでマハスティの父親はジャハーンダールを傀儡にできると思っているのであった。
「幼馴染みの王子と結婚なんて童話になりそうな夢を見てるんじゃないかなぁ」
「俺がそれを叶えてやる義理はない」
「その割には、ちゃんと仲良くしているよね」
「恋人、愛人、結婚、そこら辺の単語が関わってくると態度が変わる」
「あぁ……ちょっと残念なコだよね」
ジャハーンダールは、政務が忙しいことを理由にマハスティに断りの手紙を書いた。封蝋で丁寧に手紙を封印して、ジャハーンダール付きの従者に渡す。
「ヘダーヤトついてこい。王宮の書庫で調べ物がある」
「はいはい。承知つかまつりました」
王宮の地下にある書庫へとジャハーンダールとヘダーヤトは向かった。王宮には書庫が二つある。第一書庫は王宮の一般職員向けに、娯楽や休憩ができるようにと憩いの場を兼ねた部屋の造りになっているのに対し、地下にある第二書庫は文字通り、本の倉庫となっている。娯楽性の低い歴代の国王の記録や手記、国事行事の資料などが納められている。
ランタンを灯して、細くて長い螺旋階段を降りていく。
「ここに、気になることでもあるのかい?」
「まだ、神が地上に居た頃の神話時代の話を探そうと思ってな。単なる魔獣襲撃だけで終わりそうにない気がしないか?」
「指揮系統がしっかりしてきているしね。まるで背後で人間が操っているようだ、と思うときもあるね」
ヘダーヤトが答える。階段を降りきり、ランタンを掲げ前方を照らす。扉をあけて中に入る。部屋は暗く、ほこりっぽい匂いがする。最近は誰も使っていないようだ。
ジャハーンダールが手を叩き、魔法で書庫中の据え置きランタンに明かりを灯す。
所狭しと並んだ棚には、びっしりと本が整然と並んでいる。部屋の中心には、大人の太ももあたりの大きさの小さな台が置かれていた。
台の上には、古代魔法の文字が刻まれている。
ジャハーンダールは台の前に立ち、右手を台の上にかざした。
「女神復活、女神再臨の書を持て」
小さな台の上の古代魔法の文字が光り、ジャハーンダールの前に、数冊の本が飛んでやってきた。ジャハーンダールが魔法で操作した台は、検索用の魔法がかけられた魔法道具なのだ。
ジャハーンダールの目の前に、三冊の本が浮いている。どれも高価な装丁が施された分厚い本だ。そのうちの一冊をジャハーンダールは手に取った。手に、ずっしりと本の重さを感じる。
「意外と候補が少ないな。どれも神話の記録だ」
ジャハーンダールは、本の表紙を見てページをぱらぱらとめくった。
「一番古いのは、これかな」
ヘダーヤトが中に浮いている二冊のうち、一冊を手にした。ヘダーヤトは本を始めから終わりまでぱらぱらとページをめくりながら、呪文を唱える。口から呪文を紡ぐたびに、ヘダーヤトの瞳が金色に煌めく。やがて、本に書かれた文字が金色に輝き、文字が宙に浮いたと同時に光って、空中に霧散する。
次の瞬間、机の上にはミニチュアの砂漠と、小さなオアシス都市が広がっていた。
ヘダーヤトは魔法で、本に描かれている神話を机の上の小さな世界で具象化したのだ。
「その魔法、便利だよな」
ジャハーンダールは、机の上に広がるミニチュア世界に感心する。
「僕以外に使えないけどね」
ヘダーヤトは得意げに笑った。これもヘダーヤトの考え出した魔法で、古代魔法語を使っていないのだ。
穏やかであった、ミニチュアの世界で変化が起きる。人々が平和に暮らしていたオアシス都市に、大挙して悪魔が押し寄せ、人々を虐殺していく。人々が絶望にうちひしがれる中、一人の青年が立ち上がる。それがのちに、星と慈雨の神ティシュトリアとなった。
「ティシュトリアの姿、俺に似てないか?」
絶望のどん底に居る人々を、ティシュトリアは勇気づけていく。その姿は、ジャハーンダールと重なる。
「僕のイメージが具現化されるから。仕方ない」
ティシュトリアを助けているのは、のちの金星と豊穣の女神アナーヒターだ。これは、現在後宮の居候となっているアナーヒターの姿だ。
二人は協力し、悪魔を退治する。そして、悪神である旱魃との戦いの最中に、アナーヒターは戦死し、ティシュトリアは悲嘆に暮れる。最高神アフラ・マズダーの力により、アナーヒターは再生し、ティシュトリアと供に旱魃を封印することに成功する。
机の上では、古代魔法の打ち合いや、神業のような剣技がミニチュアで再現されている。
「おい、やめろ」
世界が平和になって、ティシュトリアとアナーヒターが手を取り合い仲睦まじくしている姿が再現されると、ジャハーンダールは不機嫌になった。
「まあ、ここまでで良いか」
ヘダーヤトは、机の上をぽんと軽く叩いて、魔法を解除した。机の上に具象化されていた者は、砂のように崩れて消えていった。
「これは、ヤシャール王国の国民なら幼子でも知っている神話だよ。どの神々が戦ったかは、色々なバージョンがある。この本では、ティシュトリアとアナーヒターみたいだね」
「ティシュトリアとアナーヒターは中級神と言われているからな。現場に出て戦うにはちょうど良かったのだろう。いきなり最高神のアフラ・マズダーが出てきても話の盛り上がりに欠ける」
「じゃ、次行ってみようか」
ヘダーヤトは、ジャハーンダールが手にしていた本を手にとって同じように魔法をかける。机の上にミニチュア劇場が展開された。
最初に魔法をかけた本と同じで、善側の神と、悪側の神が対立し戦い、善側が勝利し平和が訪れるという筋書きだ。戦っている神々のメンバーが替わっているということぐらいの差しかない。
三冊目も同様の結果だった。
「いずれも旱魃と戦っていたな」
「今年は、雨季に雨水が充分貯められたか確認したほうがいいかもしれないね」
「神話の時代の再現、というには根拠が少ないが干魃は大問題だからな。すぐに体制を整えよう」
ジャハーンダールは、一番年代の古い本の借用手続きを済ませ、ヘダーヤトに手渡した。
「神官の意見が聞きたいといって、カタユーンにこの本を渡せ」
「僕が?」
「メフルダードに命じろ」
「……まどろっこしいことやるね」
ヘダーヤトは、呆れたように言った。数十分後、ヘダーヤトは自分の執務室でメフルダードの姿をしたジャハーンダールに、書庫から持ち出した本を手渡し、神官長カタユーンに届けるように命じた。
メフルダードは恭しく本を受け取り、ヘダーヤトの執務室を退室した。わざわざ、ヘダーヤトの執務室で仕事をしている、他の魔術師達にメフルダードという同じ魔術師仲間がいることを印象づけたのだった。
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