盤上に咲くイオス

菫城 珪

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4 天秤

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4  天秤
 
 悲痛な声にオルテガは僅かに眉を顰めるとそっと俺の髪を撫でてくれる。
「だろうな。ゆっくり休め。お前が望まぬ客人は俺が追い払ってやろう」
 本気の声音に安堵を覚えながらそっとオルテガを窺う。有り難い話ではあるが、本当にコイツを巻き込んで良いのだろうかと躊躇が生まれた。数少ないセイアッドの味方であるオルテガは同時にヒロインの攻略対象でもある。
 いつかはあの女に籠絡されるかもしれない。不意に浮かんだ不安は一気に心を恐怖で染め上げた。「私」にとって、それ程あの夜の出来事は心に深い傷を残しているのだろう。記憶と感情の主導権が殆ど「俺」にあるとはいえそれぞれを共有している状態の「俺」もまたその恐怖に引き摺られ、思い出すのは「俺」の事。
 俺が就職したのは小さなゲーム製作会社だ。資本も人数も少ないからこそ、社員で出来る事をやって極力外注を避けるような会社だった。そんな小さな会社で俺は俺なりに一生懸命働いたつもりだ。
 プログラミングを勉強したり、絵の練習をしたり、シナリオの書き方も、他にも色々な事を学んだ。今だから思うが、そうやって努力すればするほど俺は会社にとって都合の良い道具になっていったのだろう。外注しなくても俺にやらせればいい。そんな流れがあった。
 セイアッドは初めてキャラクターデザインを任されて、自分なりに一生懸命考え、少しでも良い物を作ろうと頑張った結果に産まれたキャラクターだ。されど、待っていたのは裏切りとあからさまな贔屓と差別だ。
 このゲームには社内で幾人かの人間がキャラクターデザインとシナリオ作成に関わっていた。その中でキャラクターもシナリオも俺が考えて作ったものだけが蔑ろにされ、当てつけのように口だけ達者な後輩のアイディアが多く採用された。そして、実際の制作の場ではあらゆる仕事を押し付けられて追い詰められて、恐らく死んだのだろう。
 ゲームの完成と発売を見届けた俺はその後も仕事に追われた。うちの会社で一番の売上を叩き出し、人気が出たからとグッズだのファンディスクだのとさまざまな事をやらされたものだ。
「俺」の最期に見た光景として覚えているのは通勤に使っていた地下鉄へと降る階段だ。薄暗い階段を連日の寝不足の中で降りているうちに階段を踏み外して……。一瞬の浮遊感と暗転しながらも転がる体の感覚と全身を襲う痛み、それから誰かが挙げる悲鳴。そこから先は覚えていない。気が付いたらセイアッドになっていた。
「私」も「俺」もただただ疲れ果てていた。そうだ、「俺」と「私」は良く似ているのだ。だからこそ、俺は「私」を幸せにしたい。
「……お前も望まぬ客だと言ったらどうする」
 小さく呟いたのは憎まれ口。信じても良いのか、その裁定を下すべく天秤を掲げよう。
 オルテガよ、お前はどちら側の人間だ。万が一、既にヒロインに籠絡されているのならば、さっさと追い出さなければ今後の計画が怪しくなる。
 俺の問い掛けに苦笑を零すと、オルテガの夕焼け色の瞳がじっと俺を見た。優しいその瞳に敵意は見えない。
「リア、俺はお前の味方だ」
 向けられる声音は何処までも力強く真っ直ぐだ。目を逸らす事も出来ず、真っ向からオルテガの言葉を受け止める。
「例え国に弓引く事になっても、俺はお前の傍から離れない。だから、俺を使え。好きに利用しろ。お前独りで居るよりも、俺がいた方が何かと都合が良いだろう?」
 ……嗚呼、お前は何もかも承知でやって来たのか。
 真摯に俺を見つめる瞳に、切々と自分を売り込むような台詞に、痛い程そう思ってしまった。断罪され、追放された宰相など追い掛けてくれば自分の立場がどうなるかなど分かっているだろう。そして、これから俺がやろうとしている事も。
 それでも、お前はこの手を取ると言うのか。
「……全て失くす事になるかもしれないぞ」
 オルテガは騎士団長であるが、その前にガーランド侯爵家の人間でもある。次男とはいえ、侯爵家の人間が、仮にも騎士団長の人間が国に歯向かえば、どうなる事か。オルテガにだって背負う地位も家も立場もあるのだ。
 心の奥底、「私」が躊躇している。オルテガの為ならば、ここで突き放すべきなのだろう。失敗すれば、その輝かしい未来を閉ざしてしまうのだから。
「ここで今、お前を選ばずにこの手を離す方が後悔する」
 俺の心情を読んだように欲しい言葉が与えられ、大きな手が俺の頬に触れる。真っ直ぐに見つめてくる夕焼け色の瞳に嘘は見えなかった。
 ……この手を望んでも良いのだろうか。宰相の席を追い払われたとてセイアッドの影響力はまだまだ大きく、これから俺が為そうとしている事は国を揺るがす。
「逆賊の汚名を被ってから後悔したって知らないぞ」
「その時はお前を抱えて隣国に亡命でもするとしよう」
 ふっと笑みを浮かべて当たり前のようにそんな事を言うから、不覚にも視界が歪んだ。顔を見られないようにとオルテガから顔を背けて慌てて涙を拭う。
「……自分が王になろうとは思わないのか?」
 少しばかり鼻声になりながら一応訊ねてみる。オルテガが望むなら彼を玉座に座らせてやる事も可能だ。セイアッドはそれだけの事が出来る。
「お前だって俺の気質を知ってるだろうに」
 返ってきたのは予想通りの言葉だった。俺は彼には十分王としての素質があると思うが、オルテガ本人は権力を望まない。それよりも民衆の為に働ける役職を、その力を振るう方法を選ぶ男だ。
「欲のない奴め」
 思わず笑みを浮かべ、振り返りながら告げれば、オルテガも夕焼け色の瞳を細くする。
「リアが選んだ奴なら喜んで剣を捧げよう」
「私が変な奴を選んだらどうする」
「お前がそんな愚行を犯すとは思えないがな」
「わからないぞ。うっかり冤罪を食らって追放されるような男だ。復讐に国をめちゃくちゃにしてやろうと考えてもおかしくないだろう」
 俺の言葉に、オルテガは肩を揺らしながらくつくつと愉しげに笑い声を漏らす。その表情は楽しそうだ。
「そんな回りくどい事せずともリアなら言葉一つで国をあっという間にひっくり返せるだろ」
「買い被りすぎだ」
 軽口の応酬をし、オルテガのセイアッドへの評価の高さが少々照れ臭くて誤魔化すように肩にお湯を掛ける。
 ……少しのぼせてきたな。湯の温度はそれ程高くないとはいえ、長く浸かっていると体力のない今の俺には少々しんどい。
「そろそろ上ろう。立てるか?」
「……手を貸してくれ」
 オルテガに促されて立ちあがろうとした所で軽い目眩がして失敗した。なんとか誤魔化そうとしたが、目敏く気が付いたオルテガが手を差し出してくるから素直に甘える事にする。
 逞しく大きな手に青白く痩せこけた俺の手を乗せるといきなり力強く引っ張られた。思いの外その力が強く思い切り体勢を崩した俺はオルテガの胸に突っ込む羽目になる。
 厚い胸板は逞しく、触れる素肌は驚く程熱い。その熱と抱き止められるような体勢を自覚して思わず顔が熱くなった。
「っ……す、すまない。思ったよりも逆上せていたみたいだ」
 慌てて謝罪しながら体を離そうとするが、いつの間にやら腰に回されたオルテガの腕に阻まれて失敗する。それどころかより体が密着するように抱き締められて、思わず息をするのも忘れた。
「リア」
 耳元で響く低い声にゾクリと背筋が粟立つ。耳に触れる吐息も、包み込むように抱き締める体も、俺を捕らえて離さない腕も、何もかもが火傷しそうな程熱い。
 ばくばくと心臓が早足で拍動する中、オルテガの手がするりと俺の腰を撫でた。思わずびくりと震える俺の体を見て、オルテガが笑みを浮かべるのが見える。
「オルテガ、あまり悪ふざけは」
「フィン」
「え……?」
 叱り付けようとする俺の声に被せるように低い声が発せられる。少々威圧的な声音に戸惑っていれば、オルテガが再び俺の腰を撫で、もう片方の手で俺の頬に触れた。
「フィンだ。昔のように真名で呼んでくれ、リア」
 強請る声音は優しく甘い。そうだ、オルテガはこういう男だった。
 いつでも真っ直ぐにセイアッドを見つめ、ストレートに思いを言葉にする。だからこそ、「私」は……。
「恥ずかしいからそろそろ離れてくれ。……フィン」
 ほとんど聞こえるか聞こえないかというレベルの小さな声だったと思う。それでも、オルテガはしっかり聞いていたらしい。
「わかった。お前には嫌われたくないからな」
 名残惜しそうに離れる腕を、「私」もまた名残惜しく感じてしまう。
 久々に間近に見るオルテガは、記憶にある姿よりもずっと大人になっていた。騎士団長として相応しい体躯は鍛え抜かれているが、しなやか。所々に歴戦の傷が残っているのすら色っぽく見えてしまう。
 比べる俺の体の貧相な事。肋は浮いているし、筋肉もない。どうやったらこんな体になるんだろうか。やはり筋トレか?
「リア?」
「っ! 悪い、不躾だった」
 じっとオルテガの体を見ていた事を不審に思ったのか、オルテガが声をかけてくる。不躾に見ていた事に気が付いて慌てて謝りながら視線を背ければ、視界の端でオルテガが笑みを浮かべた。
「惚れたか?」
「誰が!」
 揶揄うような口振りに噛み付き返すが、不敵な笑みを浮かべてこちらを見るオルテガにそれ以上の強がりが通用する筈もない。これ見よがしに濡れた宵闇色の髪を掻き上げて見せる姿は悔しいくらい様になっているし、心臓がそろそろ爆発しそうだ。
「ああもう! 先に出るぞ」
 これ以上話しているとどうにかなりそうだと俺は逃げるようにして脱衣所へと向かった。
 
 ◆◆◆
 
 逃げるようにして浴室を後にするセイアッドの細い背中を見つめながら、オルテガはたった今まで腕の中にあった感触を思い出していた。記憶にあった体に比べて随分痩せていたし、血色も悪い。それだけ自らを蔑ろにし続けていたのだろう。
 同時に胸の内に湧き上がってくるのは烈火のような怒りだ。その矛先は彼を蔑めた王太子一派やその元凶でもある聖女候補のステラ、国政に関わる者達、それからオルテガ自身に向けられる。
 己がもっと早くセイアッドを取り巻く現状に気が付いてもっと早くに動いていれば、セイアッドが傷付けられる事はなかった。騎士団長という立場上、遠征も多く学生時代や一介の騎士時代よりもセイアッドの傍にいられる時間が減っていた。その間に、彼は追い詰められそして貶められた。
 聞き及んだ仕打ちは身を粉にして国の為に公私を捧げた者に対するものではない。その功績が公になっていないのは偏にセイアッド自身が国の為にと公表される事を望んでこなかったからだ。
 これから乱れる国を思えば、少々頭は痛いが、オルテガにとって今一番重要なのはセイアッドだ。
 地位も、名誉も、家も、何も要らない。
 オルテガが心からただ希うのは月のように穏やかで美しい幼馴染の幸せだけだ。
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