盤上に咲くイオス

菫城 珪

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閑話 ダグラス・カイ・ノーシェルトの悔恨

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閑話 ダグラス・カイ・ノーシェルトの悔恨
 
 ダグラス・カイ・ノーシェルトは代々財務大臣を務めるノーシェルト公爵家の嫡男としてこの世に生を受けた。淡い空色の髪に太陽のような金色の瞳が美しく、容姿も整っているのに生真面目な気質が祟っていつも神経質に顰めっ面をしているような青年だ。
 幼い頃から財務大臣である父の跡を継ぐべく様々な事を学び、学園に入ってからは王太子であるライドハルトの側近として、また親友として過ごしてきた。淡々と日々を過ごす彼にとっての楽しみは親友達と語らう時間と、幼馴染で二つ年上の婚約者であるヘドヴィカ・イシェル・クルハーネクと過ごす事だった。
 ヘドヴィカはクルハーネク侯爵家の三女で才女として高名である。これまでになかった画期的なアイディアによっていくつも便利な物を発明したり、頭脳明晰で若くして領政に関わっていたりと聡明かつ活発な女性で、時折まるで夢を見ているかのように不思議な事を言ったりもするがそれも含めて彼女と過ごすのは楽しかった。
 ダグラスは王国一の図書館を探しても見つからないような様々な物語を、深い森のような常盤色の瞳をキラキラさせながら語って聞かせてくれる彼女の横顔が好きだった。ヘドヴィカはいつも優しくてダグラスと共に歩んでくれる女性で、時折弟扱いされるのだけはちょっとだけ嫌だったけれど、それもお互いに成長すればなくなっていった。二人の間には穏やかで深い愛情が確かにあったのだ。
 暖かな春の昼下がり、二人で取り止めのない会話をしながらヘドヴィカの不思議な話を楽しむ。いずれは結婚してそんな穏やかで優しい日々が続いていくのだと、そう信じて疑わなかった。
 しかし、ダグラスは学園でとある少女と出会ってしまった。
 それがステラ・ルシェ・ミナルチークだ。
 元平民で基本的なマナーすら知らない彼女は普段のダグラスならば、眉を顰めるような存在の筈だった。しかし、そんな思いとは裏腹にいつしか彼女からどんどん目が離せなくなっていく。
 ステラは良くも悪くも天衣無縫な存在だ。その自由奔放な振る舞いに学園に在籍していた多くの者達が良い感情を抱いていた訳ではない。
 それなのに、気が付いたら皆ステラの事を好きになっていた。
 それが異常だと思った時にはもう遅かった。ステラを前にすると微かな甘い香りと共に思考に霞が掛かったようになり、まともに考えられなくなる。
 何事も冷静に見て考えてから行動してきたダグラスだが、不思議とステラが言う事には何事でも肯定的な気分になった。それは王太子ライドハルトも、前騎士団長子息マーティンも同じだったようだ。
 ただ、ダグラスは積極的に近寄って来ようとするステラを最後まで避け続けた。自分には愛する婚約者がいて、そんな彼女を裏切る事は出来ない、と。しかし、それも長くは続かなかった。ライドハルトもマーティンもステラを近くに置くようになり、彼等と過ごす時間が長かったダグラスもまた必然的にステラと過ごす時間が増えた。
 彼女と過ごす内にまるで麻薬のように徐々に思考能力が落ち、ステラの事を考える時間が増え、更に彼女と過ごす時間が増えた。それにつれてあんなに仲の良かったヘドヴィカとも徐々に疎遠になる。そんな負のスパイラルに陥ったのだ。
 そのうちに、ダグラスより年上の彼女は官吏登用の試験に優秀な成績で受かり、一足飛びに宰相付きの文官として王城に詰めるようになった事でより一層会う時間はなくなった。
 王太子であるライドハルトやいずれ大臣になるダグラスにとってセイアッドは宰相でありながら指導者でもある。国政に携わる上で宰相との連携は必須であり、ダグラスは父についてセイアッドの仕事を垣間見る事も多かった。その当時は、尊敬すべき人物であり、彼を目標に日々努力していたというのに。
 ある日、ステラの一言で世界は反転した。
『宰相様が顔を合わせる度に私に厳しく言うの。下賤の生まれが殿下や他の貴族子息に近付くなって』
 涙ながらに語る彼女の言葉に、らしくもなく一気に激情が湧き上がる。身分など些細な事だ。学園では誰しもが平等であり、語り合う権利があるというのに!
 火のついた正義感は留まる事を知らず、父が諌めるのも聞かずにダグラスは国王の生誕祭でセイアッドを断罪の一役を担うに至った。
 ……この時に、少しでも父や家族の言葉に耳を貸していれば、未来は違ったのかもしれない。
 冷静に考えてみれば、貧民街の大火災で誰しもが忌避した貧民達を相手に無償で治癒魔法を施し、行き場を失くした民達を率先して救った者が、そんな言い方をする訳がない。
 そもそも学生であるステラに対してセイアッドが声を掛ける機会なんてそうない筈だ。あるとすれば、王城になる。例え学生であろうが、学園外では貴族のルールに則るべきであり、万が一にも遭遇していた場合にはセイアッドが何かしらの忠告したとしてもおかしくはない。
 しかし、ダグラスは留まる事が出来なかった。ただ高揚し、青い正義感に突き動かされるままに一人の少女の言葉を盲目的に信じて突っ走ってしまった。
 生誕祭が終わった後、ダグラスは屋敷で父から手酷く叱責を受けた。そもそもノーシェルト家はセオドアの進めてきた改革と奸臣粛清に賛同しており、その跡を継いだセイアッドに対しても協力的な態度を示している。それなのに、その嫡男がセイアッドを断罪し追放したのだ。父の怒りと落胆は深くまた激しかった。
「何を考えているんだ、この愚か者め!! あれ程言ったのに何故殿下を諌めなかった! 何故思い止まらなかった!!」
 いつも高潔で穏やかな父の涙ながらの叱責はダグラスの心を揺さぶり、同時に自分の中に疑念が微かに湧き上がった。
 本当にこれで良かったのか、と……。
 ヘドヴィカがノーシェルト家にやってきたのは次の日の夜だった。
 微かな疑念を抱えながらも未だ断罪に高揚していたダグラスはセイアッドの信奉者であるヘドヴィカ来訪の報せに苛立って追い返そうとした。しかし、ホールに通されていた彼女の姿を見て、思考が凍り付く。
 いつも大らかに笑っていた彼女が初めて見せた憤怒の表情に抱えていた筈の怒りも萎んでしまう。
「カイ、自分がしでかした事がどういう事なのか、本当にわかっているの?」
 静かにそう告げるヘドヴィカの表情に、声に、ダグラスの胸中に再び疑問が湧き上がる。
 良くよく考えてみれば、王太子が出してきたセイアッドが行ったという悪政を示すその証拠は信憑性が低いものが多かった。突けば簡単にボロが出ただろう。財務大臣の息子としてこれまで国が行ってきた施策や各領地の動きを見てきた。それに、かつて存在した貧民街でのセイアッドの行いも父から聞いているし、実際に元貧民街の者とも話をした。セイアッドのその人となりだって間近に見た。……冷静になればなるほど程セイアッドが挙げられた悪行に手を染める人には思えなかった。
 そこまで考えてまるで頭から冷水を掛けられたようにダグラスの背筋にゾッと怖気が奔った。一体自分は何をしているのか。自分の行動が信じられなくて一気に血の気が引く。
「カイ」
 ヘドヴィカに名を呼ばれて、びくりと体が震える。
「あ……僕は一体何を……?」
 長い微睡みから突然目が覚めたようだった。思考がはっきりする程に自らがしでかした事を自覚して、思わず座り込む。
「どうしよう、僕は何て事を……!!」
 髪を掻き毟り、絶叫する。王太子や一部貴族が背後にいたとはいえ、無実の罪で侯爵家の人間を、それも宰相を追いやってしまった。
 突然開けた視界の先にあるのは自らがしでかした罪の残り香。心臓が跳ね回り、呼吸すら上手く出来ない。
「……私はセイアッド様の冤罪を晴らす為に動くつもりよ」
 凛とした声に顔を上げれば、常盤色をした強い瞳がある。そうか、彼女はセイアッド付きの文官になっていたのだとその時にやっと思い至った。上司の為に彼女は動くのだ。
「イシェル……」
「貴方も、自分が成すべき事をなさい。今からでも遅くないわ」
「そう、だろうか……」
 ヘドヴィカはそう言うが、ダグラスには自信がなかった。国の重鎮である宰相を無実の罪で追いやったなど、大罪もいいところだ。良くて廃嫡、悪くて国外追放か。
 いずれにせよ、ヘドヴィカと共に生きる事は出来ないだろう。それが何よりもショックで悲しかった。
 再び俯き掛けたところでパンッと両頬を勢い良く挟まれる。じんじんする痛みと共に顔を上げさせられて視界に入るのは涙を浮かべた深い常盤色の瞳だ。
「ずっと一緒だった私にも、貴方を止められなかった責任はあるわ。貴方の様子がおかしかった事に気が付いていたのに……! 貴方が咎められるなら私も一緒に罰を受ける。だから、何もせずに諦めるより少しでも足掻きなさい!」
 いつも気丈な彼女の涙を、初めて見た。ダグラスもまたぼろぼろと涙を流しながら堪らずにヘドヴィカの細い体を抱き締める。
 久方振りに抱き締めた婚約者はいつもと同じ優しい花のような香りがした。されど、その肩は少し細くなっていたような気がする。これもまた自分の罪なのだと自分に言い聞かせながらダグラスは拳を強く握り締める。
 まだ背を押してくれる人が、心から自分を思って叱ってくれる人がいる。その事に感謝をしながら、ダグラスは自らの犯した罪に立ち向かう決意をした。
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