盤上に咲くイオス

菫城 珪

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71 岩と奇食

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71   岩と奇食
 
 サディアスが帰ってきたのは空を夕日が真っ赤に染める頃だった。
 どうやらオルテガはダーランといたようで、俺が戻ってきたのを聞いてひと足先に帰ってきたらしい。
 事後の甘い気怠さを引き摺りながら帰ってきたサディアスを出迎えれば、かなりの大荷物だった。左腕には何やら沢山物が詰まった大きな紙袋を抱え、右手には木製のバケツを提げている。中には水が入っているようで時折ちゃぷんと水音がした。
 市場で活きた魚でも買ってきたんだろうか。
「ただいまー」
「おかえり。随分楽しんできたみたいだな」
「レヴォネは美味しい物や珍しい物が沢山あるからついつい買いすぎちゃった」
 にこにこしている様子に、どうやら心から楽しんでくれているようだと安堵する。久方振りの休暇なら目一杯楽しんでもらいたいものだ。
「ところで、そのバケツの中身は何なんだ?」
 そう言いながら先程から気になっていたバケツの中身を覗き込む。夕日を映して真っ赤に染まった水の下には「俺」にも見覚えのある生き物が蠢いていた。
 赤紫っぽい体色、丸い頭部、吸盤の並んだ細長い触手のような蠢く腕。日本人には馴染み深い食材、タコだ。
「なんだ、活きたタコなんて珍しい物を買ってきたな」
 レヴォネは海洋交易の都市であり、俺達の居るレヴォネ家本邸も海との距離はそう離れていない。その為にアルカマルは新鮮な魚介類を食べられる稀有な都市であるんだが、それでも活きたタコは珍しい。これにはまあ別の理由もあるんだけど…。
「お店の人に「美味しいから是非」って薦められたんだけど、どうやって食べるの? 食べ方の想像が付かないんだけど」
「任せろ」
 困った様子のサディアスからバケツを受け取り、俺は庭に出る。庭にはいくつか岩があるんだが、その中でも表面がザラザラして粗い物を選んで傍らにバケツを下ろした。
 俺が服の袖を捲っているあたりで荷物を置いたサディアスが庭に出てくるついでにオルテガもついてきたようだ。初めて見るサディアスは何をするのかと興味津々といった様子で、何度か目にしたことがあるオルテガは何とも言えない微妙な顔をしている。
 タコ料理はここからが肝心だ。
 袖を捲った俺は徐ろにバケツの中に手を突っ込んでタコの頭を引っ掴む。バケツや俺の腕に吸盤をくっつけて必死に最期の抵抗をするタコと格闘してバケツから引き摺り出せば、なかなか立派なタコだった。これは下拵えに骨が折れそうだ。
 サディアスの好奇心に満ちた視線を受けながら、俺はタコの足を数本纏めて掴み直してから岩に向き直る。
「何をするの?」
 困惑するようなサディアスの声を受けながら、俺はタコを振りかぶり、思い切り岩に叩き付けた。ビタン! と良い音が響く中、サディアスが唖然とした顔でこちらを見ている。まあ、初見は驚くよな。
「リア、何してるの……?」
「このままだと硬くて食べられないから岩に叩き付けて身を柔らかくするんだ」
 恐る恐るといった様子で訊ねてくるサディアスに答えながら二度三度と岩にタコを思い切り叩き付ける。「俺」の世界ではタコを食べるのはごく一部の国と地域の人達だけだったが、この世界でもそれは同じらしい。
 鮮度が落ちやすいから流通の制限が大きいし、見た目もグロテスクだからなかなか受け入れられ難いらしい。何よりタコの下処理が大変だ。
 そのままでは身が硬くて食べられないから組織を壊す必要があるし、纏う滑りをしっかり取るのも重要。日本では滑り取りに塩をジャブジャブ使えるが、この世界で塩は貴重品だ。そんな塩を惜しげもなく使えるのは権力の証でもあるかもしれないが、一般庶民ではそうもいかない。
 代わりに編み出されたのがこの岩に叩き付けたり擦り付ける事でタコの身の組織を破壊しつつ、滑りを取るという方法だ。確かイタリアなんかでは漁師達がタコをこうやって岩に叩き付けるらしいから理にかなっているんだろう。作業中の見た目が悪過ぎるのが問題なくらいか。
「だからって乱暴すぎない?」
「タコを甘く見るなよ。ちゃんと下拵えしないと噛んでも噛み切れない代物が出来上がる。美味く食べる為には必要な工程なんだ」
「もうちょっとこう他の方法は……」
「棒で滅多打ちの方が良かったか?」
「ボコボコにする以外で!」
「ない。だから既に加工した物も売っていただろうに。なんで、わざわざ生きた奴にしたんだ」
 タコが一般的に流通出来ない理由がここにある。鮮度もさることながら下拵えがとにかく大変なのだ。だから、市場の魚屋なんかでは既に漁師がボコボコにしたタコが売られているが、それも足が取れていたり身も崩れていたりと見た目も非常に宜しくない。かといって他の方法では手間暇とコストが掛かりすぎる。
 レヴォネでも海に近い一部でしか食べられない珍味かつ、奇食。それがこの世界におけるタコだ。
「俺も最初見た時は驚いた」
 遠い目をしたオルテガが言うのを聞きながら俺は再びタコを岩に叩き付ける。「私」の時に全く同じ事をして幼少期のオルテガをドン引きさせた事があるのでそれを思い出しているのかもしれない。やっぱりセイアッドに対する美化フィルターが掛かりすぎだと思うんだよな。
 食事に関してレヴォネ家の者は手を抜かない。美味い食事は自らの領地の武器にもなるからだ。人間、美味い飯があれば頑張れる。そんな家風で育ってきたからこそ、「私」は幼い頃から料理が趣味になっていた。
「ただ、調理工程は野蛮そのものだが、美味いのだけは確かだ。酒にも合う」
「猟奇的……」
「文句があるならお前達の分は硬いまま食べさせてやろうか」
 ぐったりしたタコの頭を鷲掴みにしたまま訊ねれば、サディアスとオルテガがブンブンと首を横に振った。
 
 一頻りタコを叩きつけた所で日も落ちて暗くなったので俺達は揃って屋敷の中に戻った。サディアスとオルテガはそのまま酒を飲むようで食堂へ。俺は下拵えしたタコで何か作ってもらう為に厨房へと向かう。
 お願いするのはタコのトマト煮込みとカルパッチョのような料理だ。アレを見た後で原型が見えるような料理を食べるのはハードルが高いであろうサディアス用に食べ易くした物と食べ慣れている俺とオルテガが食べる分だ。
 流石に生では食べられないので茹でて出す事になるが、これだけ新鮮だと刺身が恋しくなる。この世界は洋風な世界なせいか醤油や味噌といった日本人に馴染みの大豆発酵食品がない。一応、魚醤はあるがやはり大豆を発酵させたものとは味も風味も違う。
 ダーランの故郷にはそれと思しき調味料があるらしいが、遠過ぎて仕入れるのは難しいだろうと振られ済みだ。味噌も醤油も恋しくて堪らない。何とかして手に入らないだろうか。
 ただ、食糧事情が洋食に全振りしている以外は現代日本と殆ど変わらないのはありがたいことだ。この辺はフワッとしたファンタジー設定様々だな。ゲーム内でもステラの小遣い稼ぎに食堂でアルバイトがあったり、好感度を上げる為に好きな料理をプレゼントしたり出来たが、そこら辺の設定を引き摺っているのかもしれない。
 何にせよ美味い飯があるのはありがたい。飯がまずいとやる気は起きないからな…!
 厨房にタコを託して手を洗ってから食堂に戻れば、早速サディアスが今日買ってきた物をテーブルに広げている。見れば、酒やそのつまみになりそうな物ばかりだ。
「昨日あれ程飲んだのにまだ飲むのか?」
「ワインの新作って聞いてつい買っちゃった! レヴォネは何でも美味しいんだもの」
 呆れて呟けば、ワインのコルクを抜きながらサディアスが楽しそうに宣う。今日は寝落ちするまで飲まないで欲しいものだ。
 オルテガはサディアスの正面に卵を抱えて座っていた。どうやら律儀に俺のお願いを守ってくれているらしい。
「父親らしくなってきたな」
 からかってやれば、不機嫌になるかと思いきや、予想に反してオルテガが愛おしそうに卵を撫でた。
「子は鎹というだろう?」
 にこやかにそう言われて何とも言えない気分になる。嬉しい。とても嬉しいんだが、こう……。
「なんか言い方が重いねぇ」
 呆れた様にサディアスが俺の心情を代弁してくれた。オルテガの愛情は嬉しいんだが、たまにこうやって愛執の片鱗が表にも見え隠れするようになってきたような気がする。
「リアもそこで嬉しそうにしないでよ。フィンが調子に乗るよ!」
「すまない、嬉しくてつい」
「ほらー! そういうところだよ!」
 似た者カップルめ! と文句を言われてオルテガと二人で吹き出す。こうやって茶化されるのすら嬉しくて堪らないのだから、相当重症なんだろう。
 
 その後、夕食は和やかに進んだ。
 サディアスもなんだかんだ言ってタコ料理を満喫してくれたようで綺麗に完食していた。
 そんな夕食の席もたけなわという所で俺はサディアスを見る。
「どうしたの?」
 昨日とは違ってセーブして飲んでいるのか、ほろ酔いと言った様子のサディアスが視線を受けて首を傾げた。休暇で来たばかりの彼に告げるのは申し訳ないな。
「そろそろ王都に戻ろうと思っている」
 俺の言葉に目を丸くすると、サディアスは小さく笑った。
「そっか。そろそろ戻らないと色々心配だって朝も言ってたもんね」
「馬鹿がこれ以上やらかす前に帰って片をつけたい。メイは暫くゆっくりしていてくれて構わないが……」
「いや、僕も戻るよ。そんなに直ぐには行かないでしょ?」
「王都の反応次第だが、早くても十日後以降になると思う」
「それなら十分。その間は全力でのんびりさせてもらうよ」
 それだけ言うと、サディアスは俺とオルテガがつついていたタコのカルパッチョもどきの残りにフォークを伸ばす。気に入ってもらえたようで何よりだ。
 あっさり了承したサディアスとは対照的にオルテガはまだ不服そうに眉を寄せている。そんな顔したってダメだぞ。戻らないとこのままじゃ国が滅びかねん。
 毒蟲やそれに追従する連中は勝手に滅びれば良いが、民や無関係な者達を必要以上に巻き込む訳にはいかない。それにしたって何でたった二ヶ月程でここまでめちゃくちゃに出来るんだか。後始末する身にもなって欲しい。
「明後日の定期連絡で王都にいる者に工作を頼むつもりだ」
「リアが帰って来たら泣いて喜ぶ人が大勢いそうだね」
「……そうだと良いが」
 投げ槍に答えれば、サディアスに深い溜め息をつかれた。
「なんでそう自信がないのかな。もっと胸張ってドーンと行きなよ!」
「もっと言ってやってくれ。リアには自覚と自信が足りない」
 二人がかりで言われて、苦笑いするしかない。シガウスにも似たような事で怒られたが、基本的に「俺」も「私」も自己評価が低くて自信がないのだ。
 手を抜く事はないが、時折本当にこれで良いのかと酷く不安になる。「私」の方は特にだ。
 父から十分な教えを乞う事も儘ならないままに宰相の地位を引き継ぐ事になり、自らの一挙一動が言葉一つが国に住む者達に影響を与える。そんな重責を常に背負っていれば、不安感も強くなるところにミナルチークを始めとした反レヴォネ派の連中からの嫌がらせで余計に自信を失っていた。
 今ならばやり返すなり言い返すなり出来ると思うが、それも儘ならないほどに「私」は疲弊し切っていたのだ。そんな状況を味わった者に自信を持てと言うのはなかなかに酷なものじゃないだろうか。
 だが、今の意識の主導は「俺」だ。ある意味気楽な立場でもあるので、戻ったら気が済むまで暴れてやる気満々だ。ふんぞり返っている連中の足元を掬ってひっくり返してやるのはさぞかし楽しいだろうな。
 家の繋がりや歴史を、「私」は重んじようとしたが、それで手間取っていては意味が無い。そんなのぶった斬ってやれば良いのだ。足を引っ張るだけの役立たずなら例え貴族であろうが要らないのだから。
「戻ったら思いっきり暴れても良いだろうか」
 笑みを浮かべて二人に問い掛ける。彼等はセイアッドの友人であるが、同時にこの国を担う重鎮達だ。
「構わないよ。この際、綺麗さっぱり大掃除といこう」
「後始末は任せておけ。お前は、お前の思うままに」
 二人とも問いの意味に気が付いたのだろう。友人としての顔ではなく、それぞれ魔術師団長、騎士団長の顔をして答えた。
 二人の返事に満足して微笑む。あと二人、了承を得られれば…。これは王都に戻ってからの話になるか。
 戻るのは憂鬱であるが、同時に楽しみでもある。追い遣った連中が平伏する様はきっと壮観なことだろう。
 嗚呼、楽しみだ!
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