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72 薬指の約束
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72 薬指の約束
翌日、俺は朝から自分の執務室で手紙を書いていた。
明日ピティスに運んでもらう手紙自体は簡単に書き終わった。前もって工作の内容は話し合ってあったし、実行に移す指示を出すだけだから。
今日は屋敷に届いた手紙も大した内容がなかったので返事を書き終え次第、考え事がしたいんだが、今現在あんまり集中出来ないでいる。
ついでに、サディアスに話を聞きたくて二人きりになる機会を狙っているんだが、オルテガのガードが堅くてなかなか上手く行かない。王都の協力者について話が聞きたいんだけどな…。
腹を這う不埒な手を叩きながら何とか思考の海に漕ぎ出す。
王都に戻れば自ずと協力者が誰なのか明らかになるだろうと思っている。それに、「あの子」というサディアスの口振りからもある程度相手は絞れていた。
サディアスに昔から接する事が出来る人物で政治の中心に関わることも出来るセイアッドに近しい人物。ここまでの情報を得た上でセイアッドの人間関係を思い返せば、思い当たる人物は少々異質な存在だった。
幼い頃から優秀な成績を修め、革新的な案を発案し、領地経営を手伝い、女性というだけで不利なこの国でセイアッド付きの文官にまでのし上がった。そして、攻略対象者であり、サディアスの甥であるダグラスの婚約者という立場。
もう一人の転生者であり、セイアッドの影の協力者の正体はヘドヴィカ・イシェル・クルハーネク侯爵令嬢だと俺は思っている。
彼女ならば、どうすればセイアッドが有利になるのか分かっているだろうし、それを実現させる行動力も能力もある。もしかすると、政治的な部分以外にも動いてくれているのかもしれない。
彼女の目的は分からないが、敵ではないと思う。直接会って話したいところだが、彼女の方がそれを受け入れてくれるかどうか分からない。
オルテガの乱入で話は中断せざるを得なかったし、サディアスが明言を避けたのも「俺」の現状が良く分かっていなかった事もあるが、ヘドヴィカ側から話すのを止められているのかもしれない。
王都に戻ってから探りを入れたいところだが、どうだろうか。もし、彼女が転生者なら聞きたい事が山程あった。
……考え事をしている最中に胸を撫でるんじゃない。邪魔するなと軽く手をつねってやった。
ずっと気に掛かっている事がある。それは俺の知らない設定も多いという事だ。オルテガが使っていたあの香水は明らかに俺の精神に影響を及ぼしていた様に思う。試していないから分からないが、恐らく俺の香水にも同じような効果があるのだろう。これは後で実験したいと思っている。
ラソワについてもそうだ。俺の知る本編ではほとんど言及がなかったというのに、この世界では異様なほどの存在感を放つ。グラシアールの容姿や設定だって攻略対象にはもってこいだろう。ひょっとすると、卵や竜の話もそれに関連しているのかもしれない。
あのゲームに続編あるいは改変があったとしたら。
俺が知っているのはあくまでも俺が開発に携わった範囲までの事だ。後になって追加された要素があるのならば、俺はそれを知らない。
もし、その知らない知識の中に盤面をひっくり返す様なものがあったとしたら。
例えば、対象の好意を一気にマックスにするようなアイテムを相手が使ったら、或いはその逆の作用があるアイテムを知らずに俺が使ってしまったら。
そうなって来るとここまで上手くいっている事をひっくり返される恐れがある。
知識の穴を埋める為にもサディアスとその協力者と話がしたい。それに集中して今後の事とか考察とかいろいろ考え事がしたい。したいんだが……。
思考を深くしようとする度にそれが気に入らないと言わんばかりに背後から首筋や耳を熱い吐息が擽る。
「……フィン、頼むから少し離れてくれ」
「何故?」
「仕事にならないからだ!」
がー! と背後から俺を抱き竦める男に向かって振り返って威嚇して見せるが、オルテガは楽しそうに笑うだけだ。そう、俺の今現在の位置は自分の執務室、オルテガの膝の上である。
どうしてこうなってる。
「王都に戻ったらもうこんな風には過ごせないだろう」
拗ねた様に言いながらオルテガが俺の肩に顔を埋める。ぐうぅ、可愛い事をしてくれる。
でも、ここで折れたらダメだ。ダーランにもサディアスにも散々チョロいと言われているが、ここで甘やかすからダメなんだ。椅子を先に陣取られて膝の上に来いと言われ、拒否して暫く問答した挙句、結局折れて座っている段階でアウトな気もするけど!
決意を新たに厳しくしようとしている矢先、デスクの上に置いていた俺の左手にオルテガが手を重ねて来る。ふしくれだって男らしい指は細くて白い俺の指とは大違いだ。
「フィン」
いい加減にしろとの意味を込めて強く名を呼ぶ。しかし、オルテガは俺を抱き締めたまま、重ねた俺の左手をぎゅっと握って黙り込んでしまう。
本気で拗ねているのか、何なのか。小さく溜め息をついて好きな様にさせてやる。ある程度満足したら離すだろう。
「……帰ったらお前と離れるのが嫌だ」
拗ねた声音が耳元を擽る。まるで子供の我儘だな。深い藍色の髪を撫でてやりながら黙って言い分を聞く。
「やっとこうして想いを重ねられたのにまた離れ離れになってしまう。俺がいない間にお前に何かあったら……今度こそ俺は何をするか分からない」
うーん、今日も絶好調に愛が重いな。しかし、それだけ今回のことはオルテガにとってトラウマになっているのかもしれない。
「お互いに立場がある以上仕方ないだろう?」
宥めるように言いながら腹に回る腕を指先で撫でる。溢れる愛おしさに急かされるまま、オルテガに身を任せた。
「それは理解している……つもりだった。だが、いざ間近になると……耐え難い」
可愛らしい事だ。それで臍を曲げて拗ねているのだから。
「だから、約束が欲しい。お前が俺のものなのだという目に見える証拠が」
男らしい指が俺の左手の薬指をなぞる。その意味に気が付いて顔が熱くなった。
「……口約束では不安か?」
「お前は約束を違えないだろう。俺の気分と周りの問題だ」
要するに周りを牽制する材料が欲しいという事らしい。そんなに心配しなくてもわざわざ寄ってくる奴なんていないだろうに。
「どうせ寄ってくる奴なんていないと思っているんだろう?」
バレたか。黙っていたら背後でオルテガが呆れた様に深い溜め息を零した。
「その警戒心の無さも心配の一因だぞ」
「私なんぞを求める物好きなんてお前くらいだろう」
「グラシアールやアスフールの一件は?」
「う……」
「学生時代、何度お前の追っ掛けを追っ払ったと思っている」
「……」
残念ながら心当たりしかない。悔しい事に全く言い返せなかった。ここは素直に折れた方が良さそうだ。
「分かった。お前の望む通りにしよう。指輪でも首輪でも何でも好きにつけたらいい」
捕まっていない右手を挙げて降参を示せば、背後のオルテガがのそりと動いた。何をするのかと思っていれば、頬に掛かっていた髪が耳に掛けられる。
「……まずは髪。それから首」
部位の名前を呟きながらオルテガの指が辿っていく。行為の最中のような触れ方に背筋がゾクゾクする。
「耳にも欲しいな」
耳朶を指先でつまむ様に触れられて耳元で低い声が囁く。一体何の話だろうか。
「腕、足……。指は勿論この指を俺にくれるんだろう?」
一頻り体の部位をあげると、最後にオルテガが俺の左手の薬指を指先でなぞる。この世界でも左手の薬指の持つ意味は同じだ。
「……お前の指も「私」にくれるなら、喜んで差し出そう」
「お前にしかやらないさ」
やっと満足したのか、少し声が柔らかくなる。左手を取られたと思ったらそのままオルテガの口元に運ばれて薬指の付け根にキスを落とされた。
「……お前に似合う指輪を贈らせてくれ」
愛を誓う言葉と行動を嬉しく思いながらほんの少し哀しく、そして羨ましくなる。無事に生きていたら「俺」にもいつかこんな風に想い合える人が出来たんだろうか。ふとそんな事を思う。
……いや、今更考えても詮無き事だな。「俺」の命は既に終わっていて、今はセイアッドが幸せになる為に戦っている。それが「俺」の存在意義だ。
その意義を果たした時、「俺」は不要なものになる。この体を「私」に返した時、「俺」は消え失せるんだろう。
そんな「俺」が先を望んではいけない。
嗚呼でも、ほんの少し。ほんの少しだけで良いから、この幸福な気持ちを分けて欲しかった。
そう思いながらオルテガの左手を取ると、「俺」は同じように彼の薬指に口付けを落とした。
翌日、俺は朝から自分の執務室で手紙を書いていた。
明日ピティスに運んでもらう手紙自体は簡単に書き終わった。前もって工作の内容は話し合ってあったし、実行に移す指示を出すだけだから。
今日は屋敷に届いた手紙も大した内容がなかったので返事を書き終え次第、考え事がしたいんだが、今現在あんまり集中出来ないでいる。
ついでに、サディアスに話を聞きたくて二人きりになる機会を狙っているんだが、オルテガのガードが堅くてなかなか上手く行かない。王都の協力者について話が聞きたいんだけどな…。
腹を這う不埒な手を叩きながら何とか思考の海に漕ぎ出す。
王都に戻れば自ずと協力者が誰なのか明らかになるだろうと思っている。それに、「あの子」というサディアスの口振りからもある程度相手は絞れていた。
サディアスに昔から接する事が出来る人物で政治の中心に関わることも出来るセイアッドに近しい人物。ここまでの情報を得た上でセイアッドの人間関係を思い返せば、思い当たる人物は少々異質な存在だった。
幼い頃から優秀な成績を修め、革新的な案を発案し、領地経営を手伝い、女性というだけで不利なこの国でセイアッド付きの文官にまでのし上がった。そして、攻略対象者であり、サディアスの甥であるダグラスの婚約者という立場。
もう一人の転生者であり、セイアッドの影の協力者の正体はヘドヴィカ・イシェル・クルハーネク侯爵令嬢だと俺は思っている。
彼女ならば、どうすればセイアッドが有利になるのか分かっているだろうし、それを実現させる行動力も能力もある。もしかすると、政治的な部分以外にも動いてくれているのかもしれない。
彼女の目的は分からないが、敵ではないと思う。直接会って話したいところだが、彼女の方がそれを受け入れてくれるかどうか分からない。
オルテガの乱入で話は中断せざるを得なかったし、サディアスが明言を避けたのも「俺」の現状が良く分かっていなかった事もあるが、ヘドヴィカ側から話すのを止められているのかもしれない。
王都に戻ってから探りを入れたいところだが、どうだろうか。もし、彼女が転生者なら聞きたい事が山程あった。
……考え事をしている最中に胸を撫でるんじゃない。邪魔するなと軽く手をつねってやった。
ずっと気に掛かっている事がある。それは俺の知らない設定も多いという事だ。オルテガが使っていたあの香水は明らかに俺の精神に影響を及ぼしていた様に思う。試していないから分からないが、恐らく俺の香水にも同じような効果があるのだろう。これは後で実験したいと思っている。
ラソワについてもそうだ。俺の知る本編ではほとんど言及がなかったというのに、この世界では異様なほどの存在感を放つ。グラシアールの容姿や設定だって攻略対象にはもってこいだろう。ひょっとすると、卵や竜の話もそれに関連しているのかもしれない。
あのゲームに続編あるいは改変があったとしたら。
俺が知っているのはあくまでも俺が開発に携わった範囲までの事だ。後になって追加された要素があるのならば、俺はそれを知らない。
もし、その知らない知識の中に盤面をひっくり返す様なものがあったとしたら。
例えば、対象の好意を一気にマックスにするようなアイテムを相手が使ったら、或いはその逆の作用があるアイテムを知らずに俺が使ってしまったら。
そうなって来るとここまで上手くいっている事をひっくり返される恐れがある。
知識の穴を埋める為にもサディアスとその協力者と話がしたい。それに集中して今後の事とか考察とかいろいろ考え事がしたい。したいんだが……。
思考を深くしようとする度にそれが気に入らないと言わんばかりに背後から首筋や耳を熱い吐息が擽る。
「……フィン、頼むから少し離れてくれ」
「何故?」
「仕事にならないからだ!」
がー! と背後から俺を抱き竦める男に向かって振り返って威嚇して見せるが、オルテガは楽しそうに笑うだけだ。そう、俺の今現在の位置は自分の執務室、オルテガの膝の上である。
どうしてこうなってる。
「王都に戻ったらもうこんな風には過ごせないだろう」
拗ねた様に言いながらオルテガが俺の肩に顔を埋める。ぐうぅ、可愛い事をしてくれる。
でも、ここで折れたらダメだ。ダーランにもサディアスにも散々チョロいと言われているが、ここで甘やかすからダメなんだ。椅子を先に陣取られて膝の上に来いと言われ、拒否して暫く問答した挙句、結局折れて座っている段階でアウトな気もするけど!
決意を新たに厳しくしようとしている矢先、デスクの上に置いていた俺の左手にオルテガが手を重ねて来る。ふしくれだって男らしい指は細くて白い俺の指とは大違いだ。
「フィン」
いい加減にしろとの意味を込めて強く名を呼ぶ。しかし、オルテガは俺を抱き締めたまま、重ねた俺の左手をぎゅっと握って黙り込んでしまう。
本気で拗ねているのか、何なのか。小さく溜め息をついて好きな様にさせてやる。ある程度満足したら離すだろう。
「……帰ったらお前と離れるのが嫌だ」
拗ねた声音が耳元を擽る。まるで子供の我儘だな。深い藍色の髪を撫でてやりながら黙って言い分を聞く。
「やっとこうして想いを重ねられたのにまた離れ離れになってしまう。俺がいない間にお前に何かあったら……今度こそ俺は何をするか分からない」
うーん、今日も絶好調に愛が重いな。しかし、それだけ今回のことはオルテガにとってトラウマになっているのかもしれない。
「お互いに立場がある以上仕方ないだろう?」
宥めるように言いながら腹に回る腕を指先で撫でる。溢れる愛おしさに急かされるまま、オルテガに身を任せた。
「それは理解している……つもりだった。だが、いざ間近になると……耐え難い」
可愛らしい事だ。それで臍を曲げて拗ねているのだから。
「だから、約束が欲しい。お前が俺のものなのだという目に見える証拠が」
男らしい指が俺の左手の薬指をなぞる。その意味に気が付いて顔が熱くなった。
「……口約束では不安か?」
「お前は約束を違えないだろう。俺の気分と周りの問題だ」
要するに周りを牽制する材料が欲しいという事らしい。そんなに心配しなくてもわざわざ寄ってくる奴なんていないだろうに。
「どうせ寄ってくる奴なんていないと思っているんだろう?」
バレたか。黙っていたら背後でオルテガが呆れた様に深い溜め息を零した。
「その警戒心の無さも心配の一因だぞ」
「私なんぞを求める物好きなんてお前くらいだろう」
「グラシアールやアスフールの一件は?」
「う……」
「学生時代、何度お前の追っ掛けを追っ払ったと思っている」
「……」
残念ながら心当たりしかない。悔しい事に全く言い返せなかった。ここは素直に折れた方が良さそうだ。
「分かった。お前の望む通りにしよう。指輪でも首輪でも何でも好きにつけたらいい」
捕まっていない右手を挙げて降参を示せば、背後のオルテガがのそりと動いた。何をするのかと思っていれば、頬に掛かっていた髪が耳に掛けられる。
「……まずは髪。それから首」
部位の名前を呟きながらオルテガの指が辿っていく。行為の最中のような触れ方に背筋がゾクゾクする。
「耳にも欲しいな」
耳朶を指先でつまむ様に触れられて耳元で低い声が囁く。一体何の話だろうか。
「腕、足……。指は勿論この指を俺にくれるんだろう?」
一頻り体の部位をあげると、最後にオルテガが俺の左手の薬指を指先でなぞる。この世界でも左手の薬指の持つ意味は同じだ。
「……お前の指も「私」にくれるなら、喜んで差し出そう」
「お前にしかやらないさ」
やっと満足したのか、少し声が柔らかくなる。左手を取られたと思ったらそのままオルテガの口元に運ばれて薬指の付け根にキスを落とされた。
「……お前に似合う指輪を贈らせてくれ」
愛を誓う言葉と行動を嬉しく思いながらほんの少し哀しく、そして羨ましくなる。無事に生きていたら「俺」にもいつかこんな風に想い合える人が出来たんだろうか。ふとそんな事を思う。
……いや、今更考えても詮無き事だな。「俺」の命は既に終わっていて、今はセイアッドが幸せになる為に戦っている。それが「俺」の存在意義だ。
その意義を果たした時、「俺」は不要なものになる。この体を「私」に返した時、「俺」は消え失せるんだろう。
そんな「俺」が先を望んではいけない。
嗚呼でも、ほんの少し。ほんの少しだけで良いから、この幸福な気持ちを分けて欲しかった。
そう思いながらオルテガの左手を取ると、「俺」は同じように彼の薬指に口付けを落とした。
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