盤上に咲くイオス

菫城 珪

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王都編2 月魄の顕現

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王都編2  月魄の顕現
 
 貴族街を通り抜け、馬車は遂に王城の入り口であるゲートハウスに辿り着いた。
 ゲートハウスというのは城門と一体化した建物で、王城を守る為に跳ね橋と落とし格子、城門とを備えたものだ。ゲートハウスを境に王城と城下の間には堀が巡らしてあり、水が満ちている。更に王城側には堀に合わせて高い城壁が築かれており、この城を守っていた。難攻不落と謳われる城は勇壮な姿で夕闇の中に聳えている。
 リンゼヒースが先んじて知らせてくれたおかげか、城下側にいた門番の兵士達は俺達に向かって首を垂れながら通してくれた。木製の跳ね橋を馬車が駆ける揺れを感じながら久方振りの登城に否応無しに緊張して、思わず膝の上の拳を握り締めた。
 ゲートハウスのアーチを潜り抜けながら脳裏に浮かぶのはあの夜の事だ。
 全身を襲う痛み、注がれる視線、向けられる悪意。
 あの日、あの瞬間。この世界で「俺」が目覚めた事でセイアッドの未来は変わった。これから先に待ち受けるものは「俺」の知識にないものも多いだろう。
 だが、俺は負けられない。国の為に、民の為に。協力してくれている者達に報いる為に。何よりもセイアッドとオルテガの未来の為に。
 王城の敷地に入ってからも道は暫く続く。王都に暮らす国民の避難所として、また長い籠城に耐え得るようにと敷地内には騎士達の詰め所や訓練場、食糧備蓄の巨大な倉庫、セレモニー用の広場と様々な施設があるからだ。
 それらを軽快に通り過ぎ、一際大きく軋んで馬車が遂に停まる。にわかに外が騒がしくなるのを聞きながら俺は深呼吸をした。
「リア」
 名を呼ばれて横を見ればサディアスに抱き締められた。
「存分に暴れてくると良いよ」
 ぎゅうと抱き締められながら送られたエールに思わず笑みが浮かぶ。…そうだな、あの夜のように俺は独りではない。
 馬車のドアが開き、外の騒めきがより大きく聞こえる。
 視界に入るだけでもそこそこの人出があるようだ。大方、俺が戻った事を聞き付けて城に詰めていた者達が見物に来たのだろう。これは昨夜の打ち合わせで予測していた通りだ。訪問のタイミングは予定とは少し違うが、初っ端が肝心な事に変わりはない。
「リア、手を」
 外から手を差し出してくれるのはオルテガだ。彼が居てくれるなら大丈夫。そっと重ねた手を強く握ってくれる温もりだけで安心出来る。
 彼の方を見れば、黄昏色の瞳を優しく細めて大丈夫だと唇だけ動かして言ってくれた。その言葉に笑みを返して、俺は馬車のステップを踏み締めて馬車から出る。
 ちらりと視線で窺えば、この場に集まっている者達は宮廷貴族の連中が多かったようだ。中にはちらほらと俺の部下達の姿も見えるので、彼らも駆け付けてくれたのだろう。
「薄暗いから足元に気を付けろ」
 他所に視線を向けたのが気に入らないのか、オルテガが声をかけてくる。クスリと笑みを零せば、周囲がまた騒めいた。
「過保護な奴だ。この程度では転ばないよ」
「それでも、だ」
 軽口を叩きながらオルテガの手を借りて遂に王都の地に降り立つ。見上げた先に聳え立つ尖塔が随分と懐かしく思えた。
 嗚呼、帰って来た。
 深い感慨に包まれながらオルテガに礼を言って手を離し、観衆へと顔を向ける。
 そして、美しく見えるように柔らかく笑みを浮かべてみせた。セイアッド・リア・レヴォネが帰って来たのだと思い知らせる為に。
 これにどんな効果があるのか良くわからないが、馬車から降りたら周りにいる連中に向かって一発微笑み掛けてやれというリンゼヒースのアドバイスに従ったものだ。一部でざわめきが起きたようだが、それくらいだろうか。何の意味があるんだか。顔が引き攣っていなかったか不安だ。
 しかし、色んな意味で効果があったのか、あからさまに不機嫌になったオルテガが俺の肩を抱き寄せて外套で姿を隠してくれる。オルテガの態度を見るに、効果は十分だったようだ。
「……リア」
 隠しもせずに不機嫌そうな声音が俺を呼び、大きな手が俺の左手を取ると薬指におさまっている指輪に口付けを落とす。指に触れる少しかさついた感触に申し訳ない気持ちになるが、ここは我慢してもらわなければ。
 薄暗いから周囲からは指輪は見にくいかもしれないが、睦み合っているのは雰囲気で分かるだろう。
「そう怒らないでくれ、フィン。……事が全て上手くいったら私は生涯お前だけに尽くすと約束しただろう」
 外套の影に隠れるようにしながら指先でオルテガの頬をすりと撫で、甘い声でオルテガにだけ聞こえるように小さく囁いてみせる。それで一旦は満足したのか、オルテガが俺の額にキスを落とすと少しだけ体を離して俺の手を取って歩き出した。キスされた瞬間、黄色い悲鳴と野太い悲鳴が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
 正直、見物人が大勢いる中でこんなやり取りをするのは小っ恥ずかしくて仕方ないんだが、ここは我慢だ。
 四人で打ち合わせした事に「セイアッドとオルテガの関係の深さを匂わせる」という事柄がある。リンゼヒースは二人の未来の為への布石だと言っていたが、本当に効果があるんだろうか。
 入り口でもう一度俺の左手の指輪にキスをするとオルテガが本格的に体を離した。ここから先は俺一人で行かなければならない。
「陛下との話が終わったら迎えに行く。それから、何かあったら直ぐに俺の名を呼べ」
「ああ。……また後で」
 言葉を交わして、俺は王城の入り口に向かう。そこには出迎えの為に陛下の側近と近衛騎士が数人控えていた。
 ここからは「俺」の戦いだ。何がなんでも勝たなければならない。
 左手の指に残る感触に背を押されながら、俺はゆっくりと彼等の方へと歩き出した。
 
 ◇◆◇◆
 
 久方振りに王都の人間が目にしたセイアッドは見違えていた。
 碌に整えられる事すらなく、いつも幽鬼の如くボサボサだった長い黒髪は僅かな残照を浴びて絹糸のように艶やかに輝いている。生気が失せて陰鬱だった瞳は闇夜を照らす月のように溌剌と煌めいていた。死人のように青白かった肌には健康的に血が通って透き通るような白磁色になり、痩けた頬はまろく滑らかに。
 色濃く目の縁に居座っていた隈も失せ、細いが凛と伸びた背筋も優美な身のこなしもそこに在るだけで全てを圧倒する程美しい。
 かつて月の化身とまで言われたセオドアの再来を思わせるその姿に人々は息を呑んだ。ほんの少し前まで幽霊やら骸骨だと蔑まれていた醜男がその父を凌駕するような存在へと変わっていたのだから。
 そんな男が騎士団長であるオルテガのエスコートで馬車から降りて来たのだ。その場に集まっていた者達はそれぞれ思惑を持っていたが、皆同じ驚嘆に見舞われる。
 柔らかな笑みを浮かべてオルテガに礼を述べるセイアッドに誰もが目を奪われた。一目負け犬を見てやろうと、或いは待ち侘びた帰還を見届けようと集まっていた観衆に気が付くとセイアッドはそれはそれは美しく微笑んで見せる。追い討ちのようなその笑みに、人々は圧倒されて多くは言葉を失くす。
 かつてのセオドアがそうであったように、見た目や仕草だけで人を惑わせる。実際、場に居た多く者は笑みを見ただけで心を動かされた。
 ただ、セイアッドの傍らにいた男の方はそんな周囲の反応が面白くないようで、さりげなく彼の細い肩を抱きながら自らが纏う外套でその身を隠す。誰にも見せたくないと黄昏色の視線で牽制する姿はまるで獲物を抱え込んだ猛獣のようだ。
 独占欲の塊のようなオルテガにとってセイアッドがその美貌を己が武器として振るう事は面白くない事だった。
 然りとて、今独占欲に任せて彼の行動を咎めればセイアッドの不興を買うのである。だから、せめてもの手段としてこうして隠す。
 セイアッド自身、その行為は悪くないと思っているのだろう。人は隠されれば隠される程に興味を唆られる生き物だ。オルテガがこうしてセイアッドを守り隠す事で噂は更に尾鰭をつけて広がるのだろうから。
「……リア」
 不服そうな声音でオルテガがセイアッドを呼び、左手の薬指に鎮められた約束に口付ける。
 腕の中の幼馴染はまだ分かっていないのだろう。自分達に向けられている視線の色に。
 崇敬、敵意、羨望、劣情…。
 様々な視線が自身に集まっている事を、その意味を真に理解していない。今だって大して気に留めてすらいないのだろう。
 セイアッドはいつでも自身の価値を正確に理解していない。自身の持つ容姿も能力も地位も過小評価し、つまらないものだと或いは大した事ないのだと思っている節がある。
 そういった数多の欲に対して無防備だからこそ、セオドアにはなかった清廉な魅力がセイアッドにあるのかもしれない。しかし、同時にそれは彼の危うさでもある。
 他の者がそんな彼を欲して手を出そうとするならば、或いはその身を害そうとするならばオルテガはその者を決して赦しはしない。兎を狩る獅子のようにその牙の餌食にするだろう。
「そう怒らないでくれ、フィン。……事が全て上手くいったら私は生涯お前だけに尽くすと約束しただろう」
 外套の影に隠れながら細い指先がオルテガの頬を撫で、甘い声で囁きながらセイアッドが笑む。その笑みに応えるようにオルテガは白い額にそっと口付ければ、周囲からは様々な感情が混じったざわめきが起きた。
 隙間からこの睦み合いが見えている事も承知して、オルテガはセイアッドの望むままに振る舞う。
 セイアッドがこの場でオルテガに望む事はただ一つ。ただ彼の武器で在る事だ。
 武勇もさる事ながら騎士団長であり国内でも有数の権力を持つ侯爵家の人間であるオルテガの影響力は大きい。そのオルテガがセイアッドの傍らでこのような振る舞いをすれば、世間がどう思うかなど一目瞭然。
 宰相追放と同時に北へと奔り、共に戻ってきた所でこのように親密な様子を見せつければ、世間は若く無謀な王太子よりも辣腕を振るった宰相を取ったのだと思うだろう。
 綻び崩れ始めた国政に、浪費する王太子の婚約者候補に不満を持つ者達はオルテガの行動を見てどう考えるのか。更には王家からはセイアッドの冤罪についての発表があったばかりだ。
 そもそも宰相の罪とは如何なるものだったのか。そして、誰がその罪を被せようとしていたのか。
 生活の悪化と共に民衆にまでじわじわと広がっていた疑問と共に露わになるのはこれまで評価されてこなかったセイアッドの功績だ。
 誰がこれまで国民生活の安寧を守ってきたのか。誰のお陰で労せずとも珍しい嗜好品が手に入っていたのか。誰の手柄で長らく断絶していたラソワとの蟠りが解け、繋がりが出来たのか。
 さりげなく、されど確実に広がる噂はあっという間に王都を染める。そして、質実剛健を地で行く男がその傍らに侍り、守るその美しい姿を見て、人々は心酔するのだろう。
 入り口まで行けば国王ユリシーズの側近と数名の近衛騎士が待ち構えていた。細い手を取り、再び左指の薬指に鎮めた約束に口付けてからオルテガはセイアッドを送り出す。
 ここから先は彼が一人で行かなくては。
「陛下との話が終わったら迎えに行く。それから、何かあったら直ぐに俺の名を呼べ」
「ああ。……また後で」
 言葉を交わして、セイアッドは小さくオルテガに微笑んだ。
 緊張していたのだろう。歩いている間はいつもより少し硬い表情をしていたが、言葉と口付けに背を押されたのかオルテガの腕を離れる時にはいつも通りの顔をしていた。
 ゆっくりと歩み始めた細い背を見送るとオルテガもまた己の役割を果たすべく歩き出すのだった。
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