あやかし化かし合い戦記〜煮え切らない人食い鬼と美味そうな妻〜

平本りこ

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第三話 妖狐と不審死

5 いかにも怪しげな矢文

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 剛厚つよあつの兄、狭瀬はざせ源次郎幸厚ゆきあつ妖山あやかしやま城下にやって来て、もう三日が経つ。

 日に日に冬は深まり、北国である奥野国おくののくにの中でも特に北方に位置する白澤家の所領では、とうとう地表を見ることがなくなった。

 城下や村々では、連日のように不審死が発生しており、民らの間には、いよいよ恐怖が蔓延している。いっこうに被害が治まらない状況に、妖山城主夫妻は焦燥を抱き始めていた。

 剛厚は人間らへの聞き込み調査に奮闘しており、今宵は城下に滞在するという。一方の雪音は連日、妖山に住まう妖狐ようこや雪女に聞き込みを行い過ごしている。けれども残念ながら有益な情報はない。

 悪いことに、夏眠かみんから目覚め始めたばかりの雪女が、眠っていた間に着せられていた濡れ衣に憤り、報復のため、あやかし三箇条を破り男の生気を吸い尽くそうとする二次被害が起こりかけもした。それどころか。

「今度は天狗のお酒なの?」

 天狗戸喜左衛門ときざえもんが送ってくれたふみと、ちまたを震撼させたとある事件の報告書を畳の上に並べ、雪音は嘆息した。

 先日、雪音と戸喜左衛門が龍北藍ほくらんに捕らわれた折、天狗が仲間解放の対価として北藍に差し出した天狗酒は、取引成立時の宣言通り、城下の有力商人を介して人の世に出回った。

 一口飲めば夢の世界、二口飲めば浄土の蓮が見えると噂の美酒である。当然値段も張るのだが、裕福な大名や公卿を中心に評判を得た。

 ところがつい先日、不穏な事態が発生した。天狗の酒を飲んだ者らが酒宴の後で、腹痛嘔吐を訴えたらしいのだ。

 命の危機に見舞われたのが、隣国の家老だったことも不運である。あやかしの魔の手が島国中に伸ばされているのだ、という噂が、まことしやかに広まるきっかけとなった。

 戸喜左衛門から雪音に宛てられた文には、どの酒も同じ樽で作っているのだから、一本の酒瓶だけに毒性があるはずはないと記されていた。雪音も同感だ。おそらく酒宴で広まった腹痛は、ただの食あたりではなかろうか。

 本来は何の関連性もない事件たちが、どれもこれもあやかしと結びつけられてしまうこの状況。島国内で最も多くのあやかし領民を抱える白澤領は今、岐路に立たされているといっても過言ではないだろう。

 世は戦国、下剋上の時代。このまま事態の収拾がつかないならば、城主としての資質を問われ、剛厚が討たれる懸念すらある。

「どうにかしなければならないわ」

 雪音はさらに大きな溜め息をつき、文を畳んで懐に入れる。それから腰を上げ、冷え込む夜の縁側へと出た。

 今宵は久方ぶりの晴れである。戸を開けば、舞い込むのは粉雪ではなく頬を刺す寒風。深窓の姫君ならば、あまりの寒さに震え上がる気温だが、妖山の麓屋敷で育った雪音にとって、初冬の冷気など大したことはない。

「お母様はお元気かしら」

 つい一年前までは、小さな屋敷で母や一族の皆に囲まれて慎ましやかに暮らしていた。ところが、春の気配も遠い真冬のある日。突如として、先代白澤当主の訃報が舞い込んだ。雪音には異母兄が数人いたが、皆若くして身罷っていた。仕方なく、唯一存命の子である雪音が城に招かれることとなったのだ。

 母はその折、雪音と共に屋敷を出た。そして、娘から手が離れたことで自由に戻り、どこかへ気ままに去って行った。雪音の母方の一族では、そう珍しくないことである。

 もし、白澤家が城主の立場を追われたならば。自由を得た雪音は何を思い何を望むだろうか。

 ふう、と吐いた息が白く凍る。

 月の若い星月夜。満天に広がる砂金のような星々に目を細める。妖山の麓で見たものと何ら変わらぬ星空が、感傷を呼び覚ます。

(らしくないわね)

 雪音は胸中で呟いて、室内に戻ろうとする。その時だ。

 何かが風を切り裂く音がした。続いて、手を伸ばせば届く位置に植えられている庭の松の木に、紙が結いつけられた棒状のものが突き刺さる。矢文やぶみだ。

 雪音は驚きに見開いていた目をすっと険しくして、矢を引き抜いた。射手がいたと思しき方角に首を巡らせるが、あるのはしっとりとした夜の闇ばかりである。

 室内に戻り、おもむろに文を開いて灯台の火にかざす。流麗な、見慣れない筆致の文字が連なっていた。

 ――妖狐露の葉を捕らえた。今宵、の刻に、町人地にある北藍川ほくらんがわの渡しへ参られよ。妖狐の命惜しくば、他言は無用なり。

「まあ。狐と狸の見分けもつかないの?」

 無論、露の葉は妖狐ではなく妖狸ようりである。

 雪音は袖で口元を覆い、顔を盛大にしかめてから、優美な桜の透かしが彫られた鏡台の引き出しを開く。いつぞやの山寺で手に入れた怪しげな書状が無造作に突っ込まれている横に矢を隠し、矢文は畳んで懐へ入れ、思考を目まぐるしく展開させながら庇越しに空を見上げた。

 先日、剛厚は雪音に、決して危険なことをするな、必ず事前に相談するようにと言いつけた。けれども今宵、夫は夜通しの調査のため不在である。

 怪しげな矢文。どのような意図で、誰が送ったものなのかわからない。まんまと呼び出しに応じるのは敵の思うつぼ。そう思いはするものの、露の葉を人質に取られているならば、無視をするわけにもいかぬのだ。

 雪音は灯台の火皿で揺れる仄かな明かりを頼りに、剛厚に宛てた文をしたためる。寝具の上にそれを置き、城中が寝静まる子の刻に、相手の要求通り城下に下り、城壁の外、町屋が立ち並ぶ街道沿いの町人地へと向かった。

 被衣かつぎで顔を隠し、手燭を片手に足早に町を行く。揺れる灯は、足元を照らすには心許ない。けれども雪音は夜目が利く。むしろ苦労させられたのは積雪だ。冬の始まりとはいえ、くっきりと足跡がつくほどの厚さに積もっていた。

 やがて目的の場所へとたどり着く。そして。

「まんまと来たな」

 川辺の物置小屋の陰から、男の影が現れた。次の瞬間、頸部から頭部にかけて激しい衝撃が走る。何が起こったのかもわからないまま、雪音は意識を失った。
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