31 / 46
第三話 妖狐と不審死
6 妻を探して裏山へ
しおりを挟む
「雪音がいない?」
翌日、昼過ぎに城へ戻った剛厚は、侍女の口から発せられた言葉に耳を疑った。全身が揺れているのかと錯覚するほど鼓動が激しく鳴り響き、甲高い耳鳴りに襲われる。
「はい、朝餉の時間になってもご起床なさいませんでしたので、ご寝所にお迎えに上がりましたところ、どなたもいらっしゃらず。床の上に、殿に宛てられたこの文だけが残されておりまして」
剛厚は、おずおずと差し出された紙を受け取り、危うく破りかける勢いで開く。
――露の葉が何者かに攫われたようです。助けに行きますが、すぐに戻るのでどうかご心配なさらず。
(心配せぬわけがなかろうに)
剛厚は憤りのまま文を握り潰すと、青い顔をした侍女を問い詰めた。
「それで、半日も何もせずただ某を待っていたということか」
「は、はい、申し訳ございません。ですが姫様が城を抜け出すのはいつものことですので」
「今は、不穏な事件が頻発しているのだぞ」
「事件の被害者は皆、殿方であり……」
「今後、女人が狙われぬという保証があるというのか!」
侍女は、真顔でも恐ろしげな風体の剛厚が爆発させた怒りにとうとう怖気づき、小刻みに震えながら膝を突いた。
「申し訳、ございません」
剛厚は肩で息をしながら、その場で平伏する侍女の背中を見下ろす。
焦燥が身体中の血管を激しく巡り、正気を失いそうだ。
雪音は、今後何かあったときには必ず剛厚に相談をすると約束してくれた。だから彼女が単身、夜間に出かけたというならば、剛厚の帰りを待っている間もないほどの一大事だったのだろう。友である露の葉が攫われたというのなら、雪音の動揺も無理からぬこと。
短い文からは、詳細な状況が読み取れない。もしかすると、いつもの通り、あやかしの悪戯が原因の他愛もない一騒動なのかもしれない。けれども、ひどく胸騒ぎがする。
昨日、終日城下に出て情報を集めたところ、不審死事件に誘発されて、不穏な騒動が奥野国中に広まっているという事実を直に耳にしたばかりである。
とはいえ、侍女ばかりを責められない。彼女が言う通り、雪音も剛厚も素行が悪い。突然夜間に消えて翌日まで戻らないということが何度もあった。
剛厚は深呼吸をしていくらか平静を装うと、意識して抑揚を押し殺した声音で命じた。
「すまぬ、言い過ぎた。よいか、雪音が城を出た時の様子を知る者がいないか急ぎ聴取せよ。部屋の中も調べ、他に手がかりがないものか探してくれ」
それから剛厚は妖山にも入り、戸喜左衛門をはじめ、雪音と交流のあるあやかしたちを訪ねた。あいにく雪音の行方に関する手がかりはない。もしや露の葉が戻ってはいないだろうかと、妖狸屋敷を訪ねるも、狸爺は呑気な様子である。
「露の葉か、そういえばおらんな。まあ案じずとも、しばらくしたらその辺の雪の中から出てくるじゃろう」
「雪音は露の葉が攫われたと書き残したのだ。心配ではないのか」
「ううむ、だが露の葉は妖狸じゃ。物に化けることにおいては右に出る者がない。どこに囚われたとて、例えば枯れ葉にでも化けて、ふうっ、と風に乗れば、簡単に逃げ出せるじゃろう。そもそも、此度の騒動はただ、おぬしが露の葉に化かされているだけという可能性もあるぞい」
「これほど悪質な悪戯があるものか」
「ひひひ、鬼やい。おぬしは考え過ぎじゃよ。あやかしは本来、何にも縛られぬ自由なもの。生きるも死ぬも己次第。雪音がすぐに一人でどこかに行ってしまうのも、別に妙なことではなかろうに」
取るに足らないことのように言われ、剛厚は顔をしかめて吐き捨てる。
「あやかしを身近にして育ったとはいえ、雪音は人間だ。か弱い存在なのだ」
狸爺は片眉を上げて口を開きかけたのだが、何か言う間を与える前に、剛厚は踵を返す。憤然と山を下れば、白雪を踏む己の足音ばかりが大きく響く。雪は日ごとに深くなっている。
翌日、昼過ぎに城へ戻った剛厚は、侍女の口から発せられた言葉に耳を疑った。全身が揺れているのかと錯覚するほど鼓動が激しく鳴り響き、甲高い耳鳴りに襲われる。
「はい、朝餉の時間になってもご起床なさいませんでしたので、ご寝所にお迎えに上がりましたところ、どなたもいらっしゃらず。床の上に、殿に宛てられたこの文だけが残されておりまして」
剛厚は、おずおずと差し出された紙を受け取り、危うく破りかける勢いで開く。
――露の葉が何者かに攫われたようです。助けに行きますが、すぐに戻るのでどうかご心配なさらず。
(心配せぬわけがなかろうに)
剛厚は憤りのまま文を握り潰すと、青い顔をした侍女を問い詰めた。
「それで、半日も何もせずただ某を待っていたということか」
「は、はい、申し訳ございません。ですが姫様が城を抜け出すのはいつものことですので」
「今は、不穏な事件が頻発しているのだぞ」
「事件の被害者は皆、殿方であり……」
「今後、女人が狙われぬという保証があるというのか!」
侍女は、真顔でも恐ろしげな風体の剛厚が爆発させた怒りにとうとう怖気づき、小刻みに震えながら膝を突いた。
「申し訳、ございません」
剛厚は肩で息をしながら、その場で平伏する侍女の背中を見下ろす。
焦燥が身体中の血管を激しく巡り、正気を失いそうだ。
雪音は、今後何かあったときには必ず剛厚に相談をすると約束してくれた。だから彼女が単身、夜間に出かけたというならば、剛厚の帰りを待っている間もないほどの一大事だったのだろう。友である露の葉が攫われたというのなら、雪音の動揺も無理からぬこと。
短い文からは、詳細な状況が読み取れない。もしかすると、いつもの通り、あやかしの悪戯が原因の他愛もない一騒動なのかもしれない。けれども、ひどく胸騒ぎがする。
昨日、終日城下に出て情報を集めたところ、不審死事件に誘発されて、不穏な騒動が奥野国中に広まっているという事実を直に耳にしたばかりである。
とはいえ、侍女ばかりを責められない。彼女が言う通り、雪音も剛厚も素行が悪い。突然夜間に消えて翌日まで戻らないということが何度もあった。
剛厚は深呼吸をしていくらか平静を装うと、意識して抑揚を押し殺した声音で命じた。
「すまぬ、言い過ぎた。よいか、雪音が城を出た時の様子を知る者がいないか急ぎ聴取せよ。部屋の中も調べ、他に手がかりがないものか探してくれ」
それから剛厚は妖山にも入り、戸喜左衛門をはじめ、雪音と交流のあるあやかしたちを訪ねた。あいにく雪音の行方に関する手がかりはない。もしや露の葉が戻ってはいないだろうかと、妖狸屋敷を訪ねるも、狸爺は呑気な様子である。
「露の葉か、そういえばおらんな。まあ案じずとも、しばらくしたらその辺の雪の中から出てくるじゃろう」
「雪音は露の葉が攫われたと書き残したのだ。心配ではないのか」
「ううむ、だが露の葉は妖狸じゃ。物に化けることにおいては右に出る者がない。どこに囚われたとて、例えば枯れ葉にでも化けて、ふうっ、と風に乗れば、簡単に逃げ出せるじゃろう。そもそも、此度の騒動はただ、おぬしが露の葉に化かされているだけという可能性もあるぞい」
「これほど悪質な悪戯があるものか」
「ひひひ、鬼やい。おぬしは考え過ぎじゃよ。あやかしは本来、何にも縛られぬ自由なもの。生きるも死ぬも己次第。雪音がすぐに一人でどこかに行ってしまうのも、別に妙なことではなかろうに」
取るに足らないことのように言われ、剛厚は顔をしかめて吐き捨てる。
「あやかしを身近にして育ったとはいえ、雪音は人間だ。か弱い存在なのだ」
狸爺は片眉を上げて口を開きかけたのだが、何か言う間を与える前に、剛厚は踵を返す。憤然と山を下れば、白雪を踏む己の足音ばかりが大きく響く。雪は日ごとに深くなっている。
0
あなたにおすすめの小説
【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~
御崎菟翔
キャラ文芸
【平凡な高校生 × 妖従者たちが紡ぐ、絆と成長の主従現代和風ファンタジー!】
★第9回キャラ文芸大賞エントリー中!
「選ぶのはお前だ」
――そう言われても、もう引き返せない。
ごく普通の高校生・奏太(そうた)は、夏休みのある日、本家から奇妙な呼び出しを受ける。
そこで待っていたのは、人の言葉を話す蝶・汐(うしお)と、大鷲・亘(わたり)。
彼らに告げられたのは、人界と異界を隔てる結界を修復する「守り手」という、一族に伝わる秘密の役目だった。
「嫌なら断ってもいい」と言われたものの、放置すれば友人が、家族が、町が危険に晒される。
なし崩し的に役目を引き受けた奏太は、夜な夜な大鷲の背に乗り、廃校や心霊スポットへ「出勤」することに!
小生意気な妖たちに絡まれ、毒を吐く蛙と戦い、ついには異世界「妖界」での政変にまで巻き込まれていく奏太。
その過程で彼は、一族が隠し続けてきた「残酷な真実」と、従姉・結(ゆい)の悲しい運命を知ることになる――
これは、後に「秩序の神」と呼ばれる青年が、まだ「ただの人間」だった頃の、始まりの物語。
★新作『蜻蛉商会のヒトガミ様』
この物語から300年後……神様になった奏太の物語も公開中!
https://www.alphapolis.co.jp/novel/174241108/158016858
黄泉津役所
浅井 ことは
キャラ文芸
高校入学を機にアルバイトを始めようと面接に行った井筒丈史。
だが行った先は普通の役所のようで普通ではない役所。
一度はアルバイトを断るものの、結局働くことに。
ただの役所でそうではなさそうなお役所バイト。
一体何をさせられるのか……
【完結】あやかし団地 管理人見習い日誌
双月ねむる
キャラ文芸
就活全滅で「自分には社会性がない」と思い込む凛は、遠縁の親戚に紹介され、昭和レトロな巨大団地・さくらヶ丘第一団地の『管理人見習い』として住み込みで働くことに。しかしその団地には、中庭の「靴鳴らし」、エレベーター表示盤に棲む狐など、団地限定あやかし達が当たり前のように暮らしていた。
最初は逃げ腰の凛だったが、すねた空き部屋や、ベランダの風鈴が告げるSOSなど、人とあやかしのトラブルに巻き込まれながら、少しずつ『共同体』に関わる勇気を取り戻していく。
幽縁ノ季楼守
儚方ノ堂
キャラ文芸
「季楼庵当主の代理を務めてもらう」
幼少期、神隠しにあった過去を待つ青年ユメビシ。
迷い込んだ先で、事件に巻き込まれ両手を失い、生死を彷徨うことに。
ただ「死にたくない」と望んだ願いは、ある故人の手を移植することで実現した。
これを境に不死の体質へと変貌したユメビシは、約70年の時を経て、因縁の土地『瞑之島(みんのとう)』へ帰還する。
しかし、どうして今自分がここにいるのか、その理由となる記憶がすっぽり抜け落ちた状態で……。
奇妙な忘却に焦りを抱えながら、手がかりを求め探索するさなか、島の中枢を担う組織『季楼庵(きろうあん)』の面々と関わりを持ち、次々と巻き起こる騒動に身を投じていくのだった。
現代において、人と人ならざる者が共存する瞑之島を舞台に、半ば強制的に当主代理に据えられたユメビシの非日常。
異色の現代ファンタジー✖️和風奇譚✖️ミステリー
様々な思惑が交錯する中、彼の帰還を以て、物語は一つの結末へ動き出す。
その約束は、何十年何百年経ち、たとえ本人達が覚えていなくとも。
幽かな縁で繋がり続け、決して解けない糸となる。
それを人は、因縁――またの名を『呪い』と呼ぶのだった。
あやかしたちのとまりぎの日常
彩世幻夜
キャラ文芸
吉祥寺は井の頭公園界隈の一画で、ひっそりと営業するダイニング・バー【ペルシュ】に訪れるお客の大半はひとではないもの、いわゆるあやかしたち。
勿論店の店主や店員もまた人ではない。
そんな店でバイトをするとある専門学校生とあやかしたちが織りなす〝日常(?)〟物語
あやかし警察おとり捜査課
紫音みけ🐾新刊2月中旬発売!
キャラ文芸
※第7回キャラ文芸大賞にて奨励賞を受賞しました。応援してくださった皆様、ありがとうございました。
【あらすじ】
二十三歳にして童顔・低身長で小中学生に見間違われる青年・栗丘みつきは、出世の見込みのない落ちこぼれ警察官。
しかしその小さな身に秘められた身体能力と、この世ならざるもの(=あやかし)を認知する霊視能力を買われた彼は、あやかし退治を主とする部署・特例災害対策室に任命され、あやかしを誘き寄せるための囮捜査に挑む。
反りが合わない年下エリートの相棒と、狐面を被った怪しい上司と共に繰り広げる退魔ファンタジー。
明治かんなぎ少女の冥契 五百年の時を超えて、あなたに愛を
花籠しずく
キャラ文芸
――ですが、わたくしは生まれました。あなたに会うために。
月のものが来るようになってから、琥珀は不思議な夢を見る。誰かに探されている夢。きっと大切な人だったことは分かるのに、目が覚めると朧気で何も思い出せない。婚約者である志貴の言いなりの人形になる生活をし、生家とは会うと脅され、心が疲弊していたある日、家からひとり抜け出すと、妖魔のようなものに出会う。呪術師である志貴に、一時祓ってもらいはしたが、不思議と心が痛む。夢に美しい男が現れ、声に導かれるようにして、ある山のふもとの、廃れた神社の中に入ると、そこには苦しそうに蹲るあの妖魔がいた。琥珀はそれが夢に現れた、蘿月という男だと直感する。全身が黒い靄で包まれた彼の、靄を払う方法を、どうしてか琥珀は知っていた。口づけをし、息を吹き込むように、生きて、と願った。
帰ってすぐに志貴に殴られ、月のものがはじまっていたことが志貴にばれる。琥珀を穢そうとする志貴の様子に恐ろしさを覚えて、助けてと叫んだその瞬間、闇を裂くようにして、蘿月が現れた。
「琥珀は、俺が五百年待ち望んだ花嫁だ」
これは、時を超えて紡がれる愛の物語。そして虐げられた少女が、愛を知り、愛のために生きる自由を選ぶ物語。
※R-15っぽいゆるい性描写があります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる