砂竜使いアースィムの訳ありな妻

平本りこ

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第四章

5 もっと面白いことがしたいの

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「ああ、やっぱり君は僕の娘だね。筋が良い」

 精霊王せいれいおうの言葉に微笑みを返して、ラフィアは眼下に立ち込める砂塵を眺めた。

 砂を巻き上げながら、多数の砂竜さりゅうが東から西へと大移動をしている。決して凶暴化している訳ではないものの、乗り手が宥めても従わず、彼らは西へ西へと進んでいる。何かに突き動かされたかのような異様な光景だ。現に砂竜らは、精霊王とラフィアにより熱せられた地下水に追い立てられ、移動をしているのである。

「さ、もう一回やってみなよ。そう、両手を砂に突いて身軽な精神になって……」

 言われるがまま、精神を水に同化させる。隣に立つ精霊王の言葉通りに地下へと潜り、指示に従い適切な水脈に干渉する。

 赤の集落でハイラリーフに補助されながら初めて精神の旅をした時には、肉体を砂上に置き去りにすることに大きな違和感を覚えたものだが、何度も繰り返した今となれば、息を吸うのと同じように自然に行える。

 だが、ラフィアが精霊としての力を極めつつある要因は、実践の量のみではない。精霊王の実演が大いに参考になるのだ。

 ハイラリーフに言わせれば、精霊王が水に干渉する様子を何度見学したとて、高次元過ぎて何の学びにもならないらしい。しかしラフィアには、精霊王が何を感じ何を意図して水に触れるのか、手に取るようにわかるのだ。それを忠実に再現することで、ラフィアは日々、本物の精霊ジンに近づいている。

「うんうん、良い感じだ。あ、そういえば、そろそろ覚悟は決めたかい? 肉体を完全に捨ててしまえば君は、もっと崇高な存在になれるよ。ここに来るまで誰かに連れて来てもらう必要もなくなるしね」

 ラフィアは、帝都から砂漠の南西部まで、巨鳥に化けたハイラリーフの背に跨って来た。完全な精霊となり変化の能力を得れば、このように回りくどいことをする必要はない。

「……そうね、いつかは肉体を捨てるわ。でもそれは、今じゃないと思う」
「うん?」
「だって、今肉体を失い砂と水に還ったとして、すぐに精霊として生まれ直すとは限らないでしょう? その間、水の一部になってただぼんやりと世界を循環しているなんて嫌。目の前でこんなに楽しい事件が起こっているのよ。最後まで見届けたい」
「ああ、そういうことか。うんうん、確かにラフィアの言う通りだ。じゃあ今は、将来優秀な精霊になるために、父と一緒に訓練しよう」

 は楽しいな、と無邪気な笑みを浮かべる精霊王に、ラフィアは後宮ハレム暮らしで身につけた、負の感情を読ませぬたおやかな微笑みで応える。

 精霊王の言動は、人間の倫理や常識から見れば異様である。

 己の退屈しのぎのために何の罪もない人々を苦難に陥れる。その企みに実の娘を利用し、悪びれることもない。それどころか、完全なる精霊とするために人間としての肉体を捨てさせようとしている。

 肉体を失うということはつまり、人としての死を迎えるということである。今のところ無理強いをする様子はないのだが、ラフィアが頷きさえすれば、今この瞬間にでも楽し気に娘の首を斬り落とすだろう。

 精霊王に、悪意はない。あるのはただ純粋な好奇心だけ。

 ラフィアとて、絢爛な後宮で何一つ不自由なく育ちながら、砂塵に塗れた世界を夢見て育った変わり者である。自由を愛することになったのは、精霊王の教育のせいもあっただろう。しかしラフィアには、誰かが苦しむ様子を観察して楽しむ趣味はない。精霊王はこの砂漠で起こる事態を、娯楽として観劇しているのだ。その振る舞いには、嫌悪を通り越し、不気味さを覚えるほどだ。

「そろそろ水だけではなく、水神の眷属に直接干渉することができるようになるんじゃないかい? この前、砂竜相手に練習をしていただろう」
「ええ。かなり上達したわ」
「半分人間なのにすごいねえ。さすがは僕の娘。そうしたら次は精霊にも干渉できるかも」
「精霊に」
「同じ水神の眷属とはいえ、肉体の有無という違いがある。肉体を持つ砂竜を意のままにするよりも難しいよ。そうだな、少し試してみようか。……おいで、下僕げぼく

 まるで飼い猫を呼ぶかのような調子で声をかけられて、やや離れた場所に佇んでいたハイラリーフが進み出る。精霊王はハイラリーフの腕を掴み、無遠慮に引き寄せた。

「この子を操ってみてよ」

 ハイラリーフの頬に微かな怯えが浮かぶ。ラフィアは反射的に首を振り拒絶を示した。

「そんな」
「大丈夫だよ。別に悪いようにはしないでしょ。少し試してみるだけだからさ。それに、砂竜相手には何の躊躇いもなく力を使っていたじゃないか。同じ水神の眷属だよ。いったい何が違うの?」

 砂竜とて自我を持つ生き物だ。身体を別の精神に乗っ取られることは、彼らにとって決して好ましいことではないだろう。しかし、精霊はより高度な知能を持っている。人間が人間を操ることに嫌悪を覚えるのと同様に、精霊を意のままに操ることには、強い抵抗感を覚えるのだ。

 だが、精霊王が呈した純粋な疑問に、論理的な答えは持ち合わせていない。黙りこくったラフィアの眼前に、ハイラリーフの赤毛がさらに近づいた。

「さあ、どうぞ。砂竜にやったのと同じようにすればできるよ」

 ラフィアは、ハイラリーフの炎色の瞳を見つめる。常に眼底で燃え盛っていたはずの感情の火は、勢いを失い熾火おきびとなっている。精霊王に抑圧され、自己を押し殺しているハイラリーフを前にし、ラフィアは唇の動きだけで謝罪を述べ、瞼を下ろし水に語りかけた。

 今や、直接触れずとも、水神の眷属の体内を巡る水を捉えることは造作ない。眼球ではなく感覚の目で見れば、眼前の妖艶な美女の正体が揺らめく水蒸気であることは一目瞭然だ。その中心部、最も凝縮している部分に精神の触手を伸ばす。触れた途端、ハイラリーフは微かに震えて拒絶したものの、いとも容易に従順になり、ラフィアの支配下に入った。

 意思を重ね合わせ、ハイラリーフの身体を使い、精霊王を見上げる。艶めく朱唇しゅしんで言葉を発する。

「簡単よ、お父様。もっとすごいことがしたいわ」

 精霊王は何度か瞬きを繰り返した後、うっとりとラフィアを見つめた。

「君は本当に素晴らしい。後宮にいた頃の姿が嘘のようだ。それで、何がしたいの」
「この世界で一番水神に近い存在に影響を及ぼしたい」
「つまり?」 
天竜てんりゅうよ」

 ラフィアは躊躇いなく言って、ハイラリーフの身体を解放する。自らの肉体に精神を戻してから、努めて楽しそうな口調を装う。

「天竜を動かすことができれば、私達は真の意味で地上の全てを自由にできたことになる」
「うーん、でもさ、天竜は水神マージの使徒なんだ。つまりそれは、かつて使徒だった精霊王を操るのと同じくらいの難易度だよ」
「もちろん、私だけの力じゃ無理だわ。でも、二人でだったら?」

 精霊王は探るような眼差しでラフィアを見る。全てを見透かしてしまいそうな青玉の瞳から逃れるため、ラフィアは心を幾層もの水壁で覆い尽くし、さりげなく視線を逸らす。眼下で繰り広げられる砂竜族の混乱に向けて、言葉を続ける。

「砂漠の民は、大地に雨をもたらす天竜を心底崇めているの。その天竜が、全てを流し去るほどの豪雨を連れてやって来たら、敬愛していた存在に裏切られた彼らの絶望はどれほどのものかしら」
「ふむ、なるほど」
「天竜は雨を恵むために帝都を離れる時、人間の目に映らないように、姿を隠しているの。だから今回はあえてはっきりと見えるようにしましょう。実行は……そうね新月の夜が良いわ。その方が、あの金色の大きな身体が目立つもの」

 どうかしら、と目顔で問えば、しばしの思案の末、精霊王は満面に恍惚を浮かべた。

「うん、やってみよう。下僕、君も手伝ってくれ。まあ、大した足しにはならないだろうけど。ああ、ますます面白くなってきたね」

 その日、精霊王父子と配下の精霊により、天竜が住まう泉に張られた見えざる防護壁が破壊された。マルシブ帝国に水の恵みをもたらしてきた水神マージの使徒天竜は、何もわからぬまま全てを奪われて、雨雲を引き連れ西の砂漠へと飛翔した。
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