春風さんからの最後の手紙

平本りこ

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6 入社四年目の証券マン

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 入社四年目の証券マンとなった僕は涙を拭い、手紙の文字をもう一度追う。

『拝啓

新緑の頃、風薫る季節となりました。いかがお過ごしでしょうか。

初めてお会いしてからもう、三年が経ちましたね。
その節は挨拶もできず、突然のお別れとなってしまい、本当にごめんなさい。
シワ一つないぴかぴかの黒いスーツに袖を通して街を歩く若者の姿を目にすると、君の初々しい顔が今でも鮮明に思い出されます。

あの日、公園で泣いている君を目にした時、僕はとっても驚いたのですよ。泣き落としは君の作戦だったのでしょうか? ともあれ、あの日君に出会い、一緒に相場を駆け回った思い出は、僕の心の中でずっと、美しく煌めいています。

三年が経ち、とても立派な証券マンになったでしょうね。できることならば、その姿を一目見たいものですが、君もご存じの通り、僕はだいぶ遠くに引っ越してしまったので、お会いすることは難しいでしょう。とても残念です。



この手紙を書いたのは、最後にお話をした時に言えなかったことが二つもあるからです。

一つ目は、当時新入社員だった君に対し、まさか口にはできなかったお話です。僕が新人を教える立場になった最初の年、直属だった新入社員の青年が一人、自ら命を絶ったのです。

日々のノルマと、顧客に損失を与えることの罪悪感に打ちひしがれてしまったのでしょう。僕は愚かにもそれに気づけず、「どうやったら買ってもらえるか、どうやったら良くない商品が良く聞こえるか」、ということばかり教えていました。

青年は遺書の中で、誰も責めてはいませんでした。とても心優しい青年でした。遠山君と少し似ている気がして……。だからあの公園で出会った時、涙を流す君を他人だとは思えなかったのでしょう。
ですが実際話してみると、君はもっと、ずっと強い青年でした。誠実の意味を知る、とても良い証券マンの卵でした。最後に君のような担当者と取引ができて、とても楽しかった。ありがとう。

二つ目は、僕はもう、それほど長くは生きられないということです。挨拶もなく移管書類だけ出してしまって、ごめんなさい。
君に直接告げたかったけれど、急に病状が悪化して、突然東京の大学病院に入院することになったのです。
この手紙は今、病室から書いています。すぐに出そうかとも思ったのですが、君が三年間は勤め続けると確信していたので、このタイミングでポストに投函してもらえるように、娘に頼みました。

正解でしょう? 君は僕との「石の上にも三年」の約束を守り、立派な証券マンになっているはずです。

四年目にもなると、仕事に慣れて後輩もできて、ひょっとするとズルをすることを覚える時期でしょう。少しくらいサボったって、いいと思います。でも、決して誠実さを失わないでください。
君がダメだと思った石ころみたいな商品も、本当はダイヤの原石かもしれない。その一見ありふれたように見える石に可能性を感じて、買いたいと言ってくれる人を探しなさい。それが結局ただの石ころだったなら、その時は素直に頭を下げるのです。インターホン越しでもいいからね。

……さて、賢い君はもう察したでしょう。僕はもう、この世にはいません。だから君が道を踏み外しそうになった時、その顔を睨んで諫めることができません。
でも、文字でなら。この手紙なら、いつでも君を諫めることができる。遠山君、誠実であれ。どんなに苦しい時であっても。
君は自分を弱いと思っているようだけれど、本当はとても強い。
天国という場所があるのなら、そこから君の活躍を見守っています。どうか、お元気で。

   敬具』



 僕は指先で、春風さんの名前を撫でる。春風俊夫はるかぜとしお。その名の通り、突然の風のように僕の心に吹き込んで、一瞬で通り過ぎて行ってしまった人。だけど、その風はとても暖かく、残り香はとても芳醇で、僕の人生に誠実という二文字を植え付けてくれた。

「春風さん、僕はあなたとの約束は決して忘れません」

 僕は鼻を啜り、腰を上げた。そこは、思い出のあの公園。僕は今も、春風さんの家があった空き地を時々眺めながら、仕事をしている。営業鞄の中に、誰かにとってのダイヤの原石を詰め込んで。


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