5 / 15
一、迷子
5
しおりを挟む夕焼けの中、ルーカスは診療所のドアを開けようとした。 だが、鍵がかけられており、中に向かって声をかけても返事はなかった。
向かいの靴屋から、店主の声が飛ぶ。
「ルーカス君」
ルーカスは振り返り、店主に笑顔で挨拶を返した。
「ハンスさん、久しぶり、元気にしてる」
ルーカスは勢いよく手を振る。
「あぁ、元気さ。ルードから伝言だ、『オルガ君を探しに大通りへ行く』ってさ。オルガ君も、診療所には戻ってないよ」
ルーカスはハンスに礼を言い、オルガが家に帰っていないかを確かめるため、自宅へ向かう。
家の鍵はかかっており、オルガの姿はなかった。 ルーカスは頬に手を当て、自分の体温が上がっていることに気づく。だが、自身の体調よりオルガを探すことを優先し、足早に大通りへと向かった。
夕暮れの街は、店が閉まり始め、人通りもまばらだった。
その中で、オルガの名を呼びながら歩き回るルードの姿を見つけるのは容易だった。
「ルードさん」
ルーカスは駆け寄り、声を張り上げた。
振り向いたルードの表情は険しく、吹き荒ぶ風が冷たいというのに、全身から汗が滲み出ていた。
「ルードさん、大丈夫」
ルーカスの声に、ルードは嗄れる息を吐きながらその服を掴み、膝から崩れ落ちた。
「――オルガがっ、帰ってこないんだ」
ルーカスはしゃがみ込み、視線の高さを合わせる。少し間を置いて、落ち着いた声で尋ねた。
「いつから」
「昼を食べて、使いに行ったきりだ」
昼からはすでに六時間ほどが経過していた。ここから城下へ続く道を見渡しても、子どもの姿はどこにもない。
「多分、一度帰ってきてる。……ドアの横に、素材の袋が置いてあったんだ」
オルガの几帳面な性格を知るルーカスには、それが不自然に思えた。 胸の奥に、重たい不安が広がっていく。
座り込んだまま動けないルードを支え、ルーカスは診療所まで連れ帰った。
「ルーカス。すまない、本当に……、すまなかった」
ルードのかすれた声に、ルーカスは言葉を飲み込み、代わりに笑顔を作った。
「また会えるかもしれない。俺も……そうだったでしょ」
その言葉に、ルードは目元を押さえた。
「一緒に待とう。……また三人で、ご飯を食べようよ」
「あぁ、帰ってくるまで待つさ。……いくらでも待ってやる」
子どもが日暮れを過ぎても帰らない場合、それはほとんどの場合、誘拐や暴行などの事件に巻き込まれた証だった。再会は望み薄で、帰ってきたとしても無言のまま。消息が途絶えることは、日常の一部のように受け入れられていた。
ルードを送り届けた後、ルーカスはもう一度大通りへ向かい、オルガの名を呼びながら探し続けた。 成人を迎えた彼でさえ、夜の路地裏は危険だった。 それでも出来る限りの場所を歩き回ったが、オルガの姿はどこにもなく、手がかりすら見つからなかった。
オルガが失踪した日の夜、ルーカスは何度も振り返りながら、自宅へと帰った。誰もいない部屋に足を踏み入れると、そのまま力が抜けたようにベッドへ突っ伏した。
身体の内側から熱がこみ上げ、息を吸うたびに喉が焼ける。頬を伝う汗がシーツに落ち、滲む。手探りで何かを求めたが、その先にあるはずのものはもうどこにもない。代わりにシーツを抱きしめ、震える体を押さえ込む。体の暑さに耐えきれずふらつく足取りで水場へ向かい、頭から水を浴びた。冷たい衝撃に体の震えは強まるが、それでも何度も水をかけた。熱が引く頃には、寒気でその場に膝を抱えて蹲った。
「――っオルガ」
返事はない。ルーカスは立ち上がると、脱ぎ捨てた衣服のかごをかき回した。そこから見つけたオルガの服を、宝物のように胸に抱きしめる。昨日まで彼が纏っていた温もりを探すように、顔を埋め、香りを吸い込んだ。服を着るのも忘れ、彼の服を両腕に抱えてそのまま寝床へ戻る。
シーツに身を挟み、鼻先に残るオルガの匂いに身を委ねると、ようやく呼吸が静まっていった。
翌朝、ルーカスの体調は前日よりもひどかった。片手にオルガの服を握りしめたまま、ふらつく足取りでパン屋へ向かう。
街は朝の匂いで満ちていた。焼き立てのパン、生ゴミ、香料。どの匂いも彼の頭を締め付ける。思わず手にした服を鼻に押し当て、ようやく呼吸を保ちながら扉を押し開けた。
「おはよう、ルーカス。……体調、悪そうね」
店主の娘が駆け寄り、彼の額に手を伸ばす。その指先が届く前に、ルーカスは小さく首を振った。
「ごめん、少しの間休みをもらいたくて」
店の奥にいる主人へ頭を下げて、了承をもらうと店の外へと出る。帰り道にある診療所は、扉を閉ざしていた。風に揺れる看板を見上げ、胸の奥に小さな石が沈むような重みを感じた。そのまま、足を引きずるように家へ戻った。
部屋に入ると、昨日と同じ匂いが待っていた。
扉を閉めた途端、外の風とともに現実の音が途切れる。そこには、ひと晩経っても消えない空気が残っていた。ベッドの上に、オルガの服が置かれている。昨日、自分の腕の中で握りしめたままのしわ。布地の間に沈み込んだ、オルガの残り香を感じた。
ルーカスはまるで吸い寄せられるようにベッドへと近づく。膝をつき、指先でその服を撫でる。指が触れた瞬間、布越しに微かな温もりが返ってくる錯覚を覚えた。それだけで、胸の奥に埋め込まれた氷が軋むように溶けていく。
「――っオルガ」
その名を呼ぶ声は、自分でも聞き取れないほどかすれていた。彼の名前を口にしただけで、喉の奥が熱くなる。胸の奥からこみ上げるものを抑えきれず、ルーカスはその服を抱き寄せた。頬を押し当てると、繊維の奥から甘い香りが立ち昇る。
呼吸をするたびに、彼の香りが肺の中に流れ込んだ。
熱が再び上がり、体の芯がふっと抜け落ちるような感覚に襲われた。血が逆流するように脈打ち、皮膚の裏側を熱がゆっくりと這い上がっていく。手足の感覚が薄れ、指先だけが現実を掴もうと必死にもがく。喉の奥が焼けるように乾き、息を吸うたびに胸の奥が軋んだ。初めて味わう、空虚と快楽の交錯。呼吸を鎮め、目を閉じる。
その甘やかな熱は、二日間、彼を離さなかった。熱に浮かされたように、ルーカスは身をよじった。どうしようもなく込み上げる幸福が、体の奥を焼くように広がる。その熱は満たされることなく、焦がすように彼を締めつけた。シーツが肌を掠めるたび、微かな震えが走り、声が漏れる。
ルーカスはオルガの服に顔を埋め、そこに残る香りを吸い込んだ。その匂いだけが、まだ自分をこの世に繋ぎとめていた。
1
あなたにおすすめの小説
つがいごっこ~本物の番と再会したら偽物の番になりまして~
深山恐竜
BL
俺はオメガの発情期を経験する前ににうなじを噛まれた。
高熱で入院していて、朝起きたら歯型が残っていたのだ。
番が誰なのか、いまだにわからない。
しかし、首筋に残る歯型のおかけで、番がいないオメガに制限をかけられる社会で俺は自由に生きていた。
そんなある日、俺は番と再会する。
彼は俺の首筋を噛んだことを知らずに大人になっていた。
自由を謳歌していた俺とは反対に、彼は苦しんできたらしい。
彼はオメガのフェロモンも感じられず、しかし親にオメガと番うように強制されたことで、すっかりオメガを怖がるようになっていた。
「でも、あなただけは平気なんです。なんででしょう」
首を傾げる彼に、俺は提案する。
「なぁ、俺と番ごっこをしないか?」
偽物の番となった本物の番が繰り広げるラブストーリー。
※3月11日、題名、あらすじ、年齢を一部変更しました。
(雅との出会い4歳→20歳)
詳しくは活動報告をご確認ください。
番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か
雪兎
BL
第二性が存在する世界。
Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。
しかし入学初日、彼の前に現れたのは――
幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。
成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。
だが湊だけが知っている。
彼が異常なほど執着深いことを。
「大丈夫、全部管理してあげる」
「君が困らないようにしてるだけだよ」
座席、時間割、交友関係、体調管理。
いつの間にか整えられていく環境。
逃げ場のない距離。
番を拒みたいΩと、手放す気のないα。
これは保護か、それとも束縛か。
閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
【完結済】キズモノオメガの幸せの見つけ方~番のいる俺がアイツを愛することなんて許されない~
つきよの
BL
●ハッピーエンド●
「勇利先輩……?」
俺、勇利渉は、真冬に照明と暖房も消されたオフィスで、コートを着たままノートパソコンに向かっていた。
だが、突然背後から名前を呼ばれて後ろを振り向くと、声の主である人物の存在に思わず驚き、心臓が跳ね上がった。
(どうして……)
声が出ないほど驚いたのは、今日はまだ、そこにいるはずのない人物が立っていたからだった。
「東谷……」
俺の目に映し出されたのは、俺が初めて新人研修を担当した後輩、東谷晧だった。
背が高く、ネイビーより少し明るい色の細身スーツ。
落ち着いたブラウンカラーの髪色は、目鼻立ちの整った顔を引き立たせる。
誰もが目を惹くルックスは、最後に会った三年前となんら変わっていなかった。
そう、最後に過ごしたあの夜から、空白の三年間なんてなかったかのように。
番になればラット化を抑えられる
そんな一方的な理由で番にさせられたオメガ
しかし、アルファだと偽って生きていくには
関係を続けることが必要で……
そんな中、心から愛する人と出会うも
自分には噛み痕が……
愛したいのに愛することは許されない
社会人オメガバース
あの日から三年ぶりに会うアイツは…
敬語後輩α × 首元に噛み痕が残るΩ
こわがりオメガは溺愛アルファ様と毎日おいかけっこ♡
なお
BL
政略結婚(?)したアルファの旦那様をこわがってるオメガ。
あまり近付かないようにしようと逃げ回っている。発情期も結婚してから来ないし、番になってない。このままじゃ離婚になるかもしれない…。
♡♡♡
恐いけど、きっと旦那様のことは好いてるのかな?なオメガ受けちゃん。ちゃんとアルファ旦那攻め様に甘々どろどろに溺愛されて、たまに垣間見えるアルファの執着も楽しめるように書きたいところだけ書くみたいになるかもしれないのでストーリーは面白くないかもです!!!ごめんなさい!!!
経理部の美人チーフは、イケメン新人営業に口説かれています――「凛さん、俺だけに甘くないですか?」年下の猛攻にツンデレ先輩が陥落寸前!
中岡 始
BL
社内一の“整いすぎた男”、阿波座凛(あわざりん)は経理部のチーフ。
無表情・無駄のない所作・隙のない資料――
完璧主義で知られる凛に、誰もが一歩距離を置いている。
けれど、新卒営業の谷町光だけは違った。
イケメン・人懐こい・書類はギリギリ不備、でも笑顔は無敵。
毎日のように経費精算の修正を理由に現れる彼は、
凛にだけ距離感がおかしい――そしてやたら甘い。
「また会えて嬉しいです。…書類ミスった甲斐ありました」
戸惑う凛をよそに、光の“攻略”は着実に進行中。
けれど凛は、自分だけに見せる光の視線に、
どこか“計算”を感じ始めていて……?
狙って懐くイケメン新人営業×こじらせツンデレ美人経理チーフ
業務上のやりとりから始まる、じわじわ甘くてときどき切ない“再計算不能”なオフィスラブ!
箱入りオメガの受難
おもちDX
BL
社会人の瑠璃は突然の発情期を知らないアルファの男と過ごしてしまう。記憶にないが瑠璃は大学生の地味系男子、琥珀と致してしまったらしい。
元の生活に戻ろうとするも、琥珀はストーカーのように付きまといだし、なぜか瑠璃はだんだん絆されていってしまう。
ある日瑠璃は、発情期を見知らぬイケメンと過ごす夢を見て混乱に陥る。これはあの日の記憶?知らない相手は誰?
不器用なアルファとオメガのドタバタ勘違いラブストーリー。
現代オメガバース ※R要素は限りなく薄いです。
この作品は『KADOKAWA×pixiv ノベル大賞2024』の「BL部門」お題イラストから着想し、創作したものです。ありがたいことに、グローバルコミック賞をいただきました。
https://www.pixiv.net/novel/contest/kadokawapixivnovel24
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる