死にたがりの神様へ。

ヤヤ

文字の大きさ
79 / 102
第六章 研究施設

78.夢心地の悪夢の中

しおりを挟む
 ふわふわと、心地の良い感覚に包まれていた。
 だからだろうか、自分が今、自分では無いような気がしてならない。

 これが果たして良いことなのかどうなのかは分からない。けれども、ひどく穏やかな気持ちになれれば悪いことも考えなくなる。

「いい子ね。いい子」

 声が聞こえる。優しいそれはまるで母のようで、私は……

 わたし、は──……



 ◇◇◇



 ポタリと、口端から何かが垂れたのを感じた。
 それにそっと目を向けようとすれば、共に目の前に差し出される何か。

「ほらいい子。お食べ」

 優しい声と同じくして、優しく頭を撫でられる。それがやはり心地よくて大人しく口を開ければ、それを待っていたとでも言いたげに口の中に放り込まれるなんらかの物体。
 ちょっと硬いけれど、柔らかさがあり、美味しいと感じるそれににこにこ笑えば、「いい子ねぇ」と声は言う。

「ほうら、もっとあるからお食べ」

 お食べ、おたべ、オタベ。

 言われるならば食べようと、はむりと何かに食らいつく。

 美味しい。おいしい。オイシイナァ……。

 口内で蕩けるように消えていくそれに、私は口を開けた。そして──……。

『いいの? 本当にそれで』

 ふと聞こえた声に、目を瞬く。パチリと一度、大きく瞬きをすれば、声はクスリと愉快そうに笑った。

『そう。認識しなさい。アナタがアナタでいるために。今なにをしているのか。何を食らっているのか。認識するの』

 肩に手を置かれるように囁かれた言葉。その声に従い、歪む視界を懸命に動かし差し出されるなにかを見る。見て、そして、私は思わず──喉の奥から引きつった悲鳴を発してしまった。

 臓物。言うなればソレ。
 まだ瑞々しさの残るそれは、だらりとひとりの人間の手の中にて垂れ下がっている。思わずその場に座り込んだまま後ずさりすれば、共に手のひらに感じる温かな液体。恐る恐るそちらを見れば、ひどい赤が、夥しい程に広がっていた。自分を見れば、その赤に塗れており、口元を抑えれば、今し方までの自分の行為を思い出す。

 食べた。食べた。食べていた。食べてしまっていた。
 ヒトを、人を、ひとを、ヒトを……!!

「? どうしたの? まだご飯はあるわよ?」

「ひっ!!」

 短い悲鳴をあげ、私は退く。赤い海に足がもつれてべしゃりと転げる私に、その人間は「あら?」と不思議そうに小首を傾げた。傾げて、なるほど、と言いたげにポンと手を拳で叩く。

「石の効果が切れたのね。いやだわ、最近仕入れが悪いから変えもないし……」

「ぁ、あ……っ」

「やだ。そんなに怯えなくても大丈夫よ! ほら、アナタの種族わかるわよね? わかるなら大丈夫と思うけど、人間食べるのは普通のことなの。ね? 怖くなぁい怖くなぁい」

「うっ、ング……ッ」

 込み上げてくる気持ち悪さに、思わず口元を押え蹲った。人間はそれに深く嘆息すると、「大丈夫よ」と、静かに告げる。

「なにも変なことなんてないから。それにほら、美味しかったでしょう?」

「っ、わた、わたしは……ッ」

「うん?」

「わたしはッ、化け物なんかになりたくないッ!!」

 劈く、悲鳴のような声に、人間は一瞬驚いた顔をした。けれど、すぐにその表情を消して、彼女はカツカツとこちらへ。「無理よ」と一言、言葉を告げる。

「アナタは化け物になるしかない。その道から逃れられない。だってアナタは──禁忌だものね?」

「……、っ」

「ほら、おいで。今自分がすべきことを理解するの。アナタにはこれらが必要だから」

「っ、いや、いやッ!!」

 食べたくない。こんなもの食べたくない。

 そう泣き叫べば、人間はムッとしたように顔をゆがめる。

「こんなものなんて言わないで。これはアナタのために払われた、尊き犠牲たちなんだから」

「……わたしの、ためっ?」

「そう」

 そうして人間は言った。
 これらは私という生き物を抑制するために、自ら命を差し出した者らなのだと。

「信仰深いが故に、神への贄となることを心から望んだ者たち……それが今までアナタが食べていたものよ」

「……うそ……」

「嘘じゃないわ。わかるでしょう?」

「……、ぅっ、ううっ」

 ボロボロと涙が零れる。こんなのってない、あんまりだと、必死に首を横に振った。それに、人間は哀れむように言う。

「食べるの。それが、この命たちが救われる唯一の道……」

「……っ、ぅ」

「……食べなさい。そうすれば、アナタはアナタでいられるわ」

 私が私でいられる?

 バカを言わないでほしい。こんなものを食べて私でいられるわけがない。正気になれるわけがない。
 私は正常な生き物でありたい。ヒトを食べるなんてしたくない。でないと、みんなに嫌われてしまう。化け物だって、逃げられてしまう。

 リオルも、睦月も、アジェラも、きっとリックも。

 みんなみんな、怖がってしまう。

「食べるの」

 人間が言う。私はそれに、口を開け、否定し、そして──……

 …………そして?

 ドクンッと胸が脈打つと同時、揺蕩う波に落ちるように意識がどこか遠くへのまれていった。それと同じくして、私の中の“何者か”が浮上していくのを目にした。そのヒトはとても綺麗で、美しく、けれど悲しい……そんな、ヒトだった……。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

お嬢様はお亡くなりになりました。

豆狸
恋愛
「お嬢様は……十日前にお亡くなりになりました」 「な……なにを言っている?」

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

やり直すなら、貴方とは結婚しません

わらびもち
恋愛
「君となんて結婚しなければよかったよ」 「は…………?」  夫からの辛辣な言葉に、私は一瞬息をするのも忘れてしまった。

幼なじみと再会したあなたは、私を忘れてしまった。

クロユキ
恋愛
街の学校に通うルナは同じ同級生のルシアンと交際をしていた。同じクラスでもあり席も隣だったのもあってルシアンから交際を申し込まれた。 そんなある日クラスに転校生が入って来た。 幼い頃一緒に遊んだルシアンを知っている女子だった…その日からルナとルシアンの距離が離れ始めた。 誤字脱字がありますが、読んでもらえたら嬉しいです。 更新不定期です。 よろしくお願いします。

俺の伯爵家大掃除

satomi
ファンタジー
伯爵夫人が亡くなり、後妻が連れ子を連れて伯爵家に来た。俺、コーは連れ子も可愛い弟として受け入れていた。しかし、伯爵が亡くなると後妻が大きい顔をするようになった。さらに俺も虐げられるようになったし、可愛がっていた連れ子すら大きな顔をするようになった。 弟は本当に俺と血がつながっているのだろうか?など、学園で同学年にいらっしゃる殿下に相談してみると… というお話です。

【魔女ローゼマリー伝説】~5歳で存在を忘れられた元王女の私だけど、自称美少女天才魔女として世界を救うために冒険したいと思います!~

ハムえっぐ
ファンタジー
かつて魔族が降臨し、7人の英雄によって平和がもたらされた大陸。その一国、ベルガー王国で物語は始まる。 王国の第一王女ローゼマリーは、5歳の誕生日の夜、幸せな時間のさなかに王宮を襲撃され、目の前で両親である国王夫妻を「漆黒の剣を持つ謎の黒髪の女」に殺害される。母が最後の力で放った転移魔法と「魔女ディルを頼れ」という遺言によりローゼマリーは辛くも死地を脱した。 15歳になったローゼは師ディルと別れ、両親の仇である黒髪の女を探し出すため、そして悪政により荒廃しつつある祖国の現状を確かめるため旅立つ。 国境の街ビオレールで冒険者として活動を始めたローゼは、運命的な出会いを果たす。因縁の仇と同じ黒髪と漆黒の剣を持つ少年傭兵リョウ。自由奔放で可愛いが、何か秘密を抱えていそうなエルフの美少女ベレニス。クセの強い仲間たちと共にローゼの新たな人生が動き出す。 これは王女の身分を失った最強天才魔女ローゼが、復讐の誓いを胸に仲間たちとの絆を育みながら、王国の闇や自らの運命に立ち向かう物語。友情、復讐、恋愛、魔法、剣戟、謀略が織りなす、ダークファンタジー英雄譚が、今、幕を開ける。  

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

〈完結〉遅効性の毒

ごろごろみかん。
ファンタジー
「結婚されても、私は傍にいます。彼が、望むなら」 悲恋に酔う彼女に私は笑った。 そんなに私の立場が欲しいなら譲ってあげる。

処理中です...