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第二章
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しおりを挟む──人質というものは、生きていなければ意味がない。
かつて、妹であるアランに教えられたことを思い出し、アドレンは静かに瞳を閉じる。なぜこの世はあの子にとって、こうも生きにくいのだろうか……。
アドレンは呼吸の止まりかけたジルの首を一旦離し、突如息することを許されたことにより咳き込む彼を小脇に抱えた。そのまま地を蹴り、振るわれたオルラッドの剣先を避け、後方へ。口元に笑みを浮かべてから、憤る英雄をせせら笑う。
「おいおいおい。お前さん、このガキも殺る気かよ? おっかねえなぁ、今時の英雄様は……」
「黙れっ! 今すぐその子を解放しろっ!」
「お? いいぜ?」
すんなりとした承諾。ジルの襟首を掴み、されるがままの彼を己の目の前で軽く揺らしてから、アドレンは懐から何かを取り出して見せた。
英雄より悪だと認識された敵が持つのは、小さな小瓶。中には赤黒い、少量の液体が注がれている。
「ホワイトエッグの作り方を知ってるか?」
小瓶についたコルクを外しながら、男は言った。
「まず用意する材料はドラゴンの血液と生命活動を行っている生き物の二つ。作り方は比較的簡単でな、用意した血液と生き物を合わせるだけ」
宙に浮く物質に液体をかけ、それで一切の戸惑いなくジルの胸部を貫いてみせる。当然上がる悲鳴など無視して、男は続けた。
「合わせた二つは争い合う。その争いで勝った方が、負けた方を完全な形で支配することになる。──意味わかるか?」
オルラッドだけでなく、会話にのみ耳を傾けていた二ルディーですらその顔に焦りを浮かべた。当然だ。二人はホワイトエッグ誕生の瞬間を間近で見た数少ない人間。このまま放置した場合、ジルがどうなるかなど分かりきっている。
苦虫を噛み潰したような英雄の顔を確認し、男はその手からジルを解放。倒れた少年の頭を片足で踏みつけながら、クツクツと喉を鳴らす。
「その顔じゃあ、これからこいつがどうなるかはわかってるみてえだな。いやぁ、おめでとさん。奇跡的な瞬間を再び、お前らはその目に収めることができる。これは大変喜ばしいことだぞ、おい」
「下衆がッ」
「下衆で結構」
頭にのせた帽子の位置を正し、男はわざとらしくこう告げた。
「あーっと、そういや一つ言い忘れてたな。実はこれには解毒剤があって、なんと、それは今、俺が持っていたりする」
懐から取り出した二つ目の小瓶。中には透明な液体が注がれている。先程の禍々しい液体に比べると、かなり安心感漂う色だ。
といっても、持ち手が持ち手なだけに油断ならないが……。
「ほれ、欲しいなら盗ってみな。タイムリミットは十五分だ」
長いようで短い、短いようで、彼らにとってはきっと長い、そんな中途半端な時間。
剣を構えたオルラッドを満足気に見やりながら、男は両腕を軽く開く。
「さて、お前さんはこのガキを救えるか、それとも救えないか……精々足掻いてくれや、英雄さん」
笑んだ男の背後で赤黒い物質が形を為す。羽のようにも見えるそれを視認した弱き少年は、この事態を否定する言葉を、震える、小さな声で紡ぎ出す。
赤毛の剣士が剣を構えていた。
その顔つきはやけに憤っており、視線はどこかへと向けられている。ジルは彼の視線の先にあるものをなんとか見ようとする。しかし、視界は歪んでおり、それを見ることは彼には不可能。
夢と現実が重なる。それが非常に、恐ろしい。
──ダメだ、逃げろ……逃げてくれ、オルラッド……。
濃い、紫色の煙が噴き出す黒い地面。首都でもない、首都へと赴くまでに踏みしめてきたものでもない地面に、力なく置かれているのはジルの白い手。地面に沿うようにして、ぽつんと置かれているそれに、自然と眉間にシワが寄る。
いけない。このままでは。
なんとかしなくては。この状況を、なんとか……!
「キュエッ」
思考だけしか動かすことの出来ぬジル。足掻くことすら許されぬ彼の心情を察したように声を発したのは、彼の傍らに寄ってきた子ドラゴンであった。
子ドラゴンは驚いたようなジルの顔を一瞥すると、一度だけ首を傾げ、己が翼をはためかせて飛んでいく。
その進行方向の先には、アドレン・バルディオンの存在があった。
「キョェエエエ──ッ」
甲高く奇妙な咆哮をあげ、アドレンの顔面に飛び込んだ子ドラゴン。さすがに驚いたようだ。よろけてしまったアドレンを逃すはずもなく、オルラッドの剣が素早くその片腕を切り落とさんと動いた。
しかし、アドレンとて伊達に強者を名乗っている訳では無い。片手で子ドラゴンを引っぺがしながら、彼は体を捻り鋭利な刃を交わす。
すぐに軌道を変えた刃。それを片手で抑えた彼の手からは、赤い鮮血が溢れ落ちる。
「早く薬を渡せ! さもなくばその首切り落とすぞッ!!」
「はっ、出来るもんならやってみるがいいさ」
声を荒らげるオルラッドに対し、アドレンはやけに気怠げに答える。
「正義気取りの英雄如きがこの俺に勝てるとでも? 自意識過剰もここまでくると笑えてくる。だが残念なことに、いくら負け犬が声たかだかに吠えようともアレはもうだめだ。直に死ぬ」
握っていた刃先を離し、アドレンは片手を振った。傷ついた手のひらから飛んだ鮮血。それを片腕で払い落とし、オルラッドは舌を打つ。
再び剣を構え直す英雄を眼下に見下しながら、高い位置へと逃げのびた男はため息を一つ。片手で引っ捕まえた子ドラゴンをやや雑な動作で放りながら、告げる。
「残念だったなあ? 英雄様は飼い犬一匹すら守れない。タイムリミットも後少しだし、こりゃどうしようもねえなぁ」
「黙れぇええええッ!!」
憤怒した英雄は地を蹴った。到底人間とは思えぬ程高い跳躍により、彼は己が敵の目の前へ。剣先を振るわんと、宙で手にした剣を振りかざす。
「──浅はかな野郎だ」
アドレンは呆れたと言いたげな表情で片手をあげた。そのまま攻撃体制に入ろうとした彼はしかし、何かを感じ取ったのか突如その視線をジルの方へ。近づく剣先を気にすることなく、その喉を震わせ焦りを含んだ声を張り上げる。
「逃げろ小僧ッ!!」
アドレンの低い声がジルの耳に届いたその直後、少年の片腕には、細いレイピアが突き立てられていた。
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