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ep.3 私と伊吹くんの昔話<前編>
1.
由比榛名が興津伊吹と出会ったのは大学1年生の時。2人とも静岡市にある国立大学の学生だった。
榛名の実家も同市内にあるのだが、少々通学に時間がかかるため、入学を機に、静岡駅近くの学生向けアパートを借りて1人暮らしをしていた。
伊吹とは学科は異なるが、選択科目が被っていることが多く、講義でよく姿を見かけた。
もっさりした少し癖のある黒髪に、黒縁メガネをかけて、ぶかぶかのトレーナーにデニムというのが伊吹の通学スタイルだった。
興津伊吹はいつも独りでいて、静かに本を読んでいた。
だが、大人しくても、独りでいても、遠巻きにされることはあれど、伊吹が周囲から揶揄されることは皆無だった。
なぜなら、伊吹にはどこか貫禄があり、気軽に話しかけてはいけないような、威厳のある空気が不思議と醸し出されていたからだ。
そんな堂々たる静寂を帯びた伊吹に対して、榛名はなぜか話しかけてみたいと思っていた。
不思議と気になる存在だった。
後から思うと、榛名は無意識の深い部分で、伊吹に惹かれていたのかもしれない。
だが、話しかける勇気がなかった。
そんな榛名に転機が訪れたのは1年生の秋。
静岡駅の近く、夫婦で切り盛りしている食堂でバイトを始めたことがきっかけだった。
バイトの初日、見覚えのある人物が働いていることに驚いた。
Tシャツにエプロンを巻いた姿で料理を運んでいるのは、例の興津伊吹だった。
「えっと、興津くん……だよね? 私は同じ大学の……」
「知ってるよ。由比榛名さんだよね。これからよろしく」
おそるおそる尋ねてみると、興津伊吹は淡々と挨拶をし、なぜか握手するための手を差し出してきた。
榛名もつい釣られて手を差し出し、なんだかよくわからないまま2人は握手をする。
少し骨ばってゴツゴツした、大きくて温かい手だった。
「えっ、私の名前、知ってたの?」
「店長から新しいバイトの子が入るからって名前だけ伝えられた」
「だよね……」
少しばかり期待していた自分の自意識過剰ぶりが恥ずかしくなり、カァッと顔が熱くなる。
「あっ、いや、由比さんのことは大学で認識していた。講義が結構被っているから、よく見かけるし」
「そうだったんだ」
存在を認知されていたことは嬉しいが、気を遣わせてしまったようだ。
喜んだり落ち込んだり、今日は気持ちが忙しい日だ。
◇
初めてのアルバイトは慣れない接客業だったが、伊吹の助けのおかげで何とか初日を乗り切ることができた。
「なんだかゴメンね……。余計な労力をかけさせちゃったよね」
バイト終わりの帰り道、榛名と伊吹は駅までの道を一緒に歩いていた。
榛名のアパートは駅から歩いて10分ほどの場所にあり、伊吹は電車で1駅先のところに住んでいると教えてくれた。
伊吹はいつもの仕事をこなしながら、榛名の教育係兼サポート役までこなしていた。
(バイト代は変わらないのに、彼の負担を増やしてしまった……)
初日から上手くできるとは思ってはいなかったものの、伊吹からしたら、逆に仕事が増えたと迷惑がられていないかと不安になる。
「大丈夫。由比さんはすごく頑張っていたし、きちんとしてるから、すごく助かる。これからよろしく」
「興津くん……」
しかし、思いもよらぬことに、伊吹からは温かいお褒めの言葉をもらい、胸がジーンと温かくなる。
伊吹のもさっとした前髪と黒縁メガネの間から、朗らかな笑顔がのぞき、思わずキュンとしてしまう。
バイトのシフトは、榛名はひとまず週3日だが、伊吹はほとんど毎日シフトに入っていることを、帰り道の会話の中で知った。
榛名の実家も同市内にあるのだが、少々通学に時間がかかるため、入学を機に、静岡駅近くの学生向けアパートを借りて1人暮らしをしていた。
伊吹とは学科は異なるが、選択科目が被っていることが多く、講義でよく姿を見かけた。
もっさりした少し癖のある黒髪に、黒縁メガネをかけて、ぶかぶかのトレーナーにデニムというのが伊吹の通学スタイルだった。
興津伊吹はいつも独りでいて、静かに本を読んでいた。
だが、大人しくても、独りでいても、遠巻きにされることはあれど、伊吹が周囲から揶揄されることは皆無だった。
なぜなら、伊吹にはどこか貫禄があり、気軽に話しかけてはいけないような、威厳のある空気が不思議と醸し出されていたからだ。
そんな堂々たる静寂を帯びた伊吹に対して、榛名はなぜか話しかけてみたいと思っていた。
不思議と気になる存在だった。
後から思うと、榛名は無意識の深い部分で、伊吹に惹かれていたのかもしれない。
だが、話しかける勇気がなかった。
そんな榛名に転機が訪れたのは1年生の秋。
静岡駅の近く、夫婦で切り盛りしている食堂でバイトを始めたことがきっかけだった。
バイトの初日、見覚えのある人物が働いていることに驚いた。
Tシャツにエプロンを巻いた姿で料理を運んでいるのは、例の興津伊吹だった。
「えっと、興津くん……だよね? 私は同じ大学の……」
「知ってるよ。由比榛名さんだよね。これからよろしく」
おそるおそる尋ねてみると、興津伊吹は淡々と挨拶をし、なぜか握手するための手を差し出してきた。
榛名もつい釣られて手を差し出し、なんだかよくわからないまま2人は握手をする。
少し骨ばってゴツゴツした、大きくて温かい手だった。
「えっ、私の名前、知ってたの?」
「店長から新しいバイトの子が入るからって名前だけ伝えられた」
「だよね……」
少しばかり期待していた自分の自意識過剰ぶりが恥ずかしくなり、カァッと顔が熱くなる。
「あっ、いや、由比さんのことは大学で認識していた。講義が結構被っているから、よく見かけるし」
「そうだったんだ」
存在を認知されていたことは嬉しいが、気を遣わせてしまったようだ。
喜んだり落ち込んだり、今日は気持ちが忙しい日だ。
◇
初めてのアルバイトは慣れない接客業だったが、伊吹の助けのおかげで何とか初日を乗り切ることができた。
「なんだかゴメンね……。余計な労力をかけさせちゃったよね」
バイト終わりの帰り道、榛名と伊吹は駅までの道を一緒に歩いていた。
榛名のアパートは駅から歩いて10分ほどの場所にあり、伊吹は電車で1駅先のところに住んでいると教えてくれた。
伊吹はいつもの仕事をこなしながら、榛名の教育係兼サポート役までこなしていた。
(バイト代は変わらないのに、彼の負担を増やしてしまった……)
初日から上手くできるとは思ってはいなかったものの、伊吹からしたら、逆に仕事が増えたと迷惑がられていないかと不安になる。
「大丈夫。由比さんはすごく頑張っていたし、きちんとしてるから、すごく助かる。これからよろしく」
「興津くん……」
しかし、思いもよらぬことに、伊吹からは温かいお褒めの言葉をもらい、胸がジーンと温かくなる。
伊吹のもさっとした前髪と黒縁メガネの間から、朗らかな笑顔がのぞき、思わずキュンとしてしまう。
バイトのシフトは、榛名はひとまず週3日だが、伊吹はほとんど毎日シフトに入っていることを、帰り道の会話の中で知った。
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