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ep.4 私と伊吹くんの昔話<後編>
1.
伊吹と榛名、2人の交際は順調に育まれているように思えた。
だが、大学3年生になると、伊吹は新しいバイトを始めたらしく、多忙を理由に会える時間がずいぶんと減ってしまった。
新しいバイトを始めた「らしい」と伝聞スタイルなのは、伊吹は榛名に詳細を教えてはくれなかったからだ。
一体どんなところで、どんな仕事をしているのか、心配でないと言えば嘘になる。
だが頭が良く、現実的でしっかり者の伊吹のことだ。いくらお金のためとは言え、危険なことや、自分の将来を棒に振るような仕事はしないはず。
一方で、伊吹の方はだいぶ仕事にのめり込んでいるようだ。
久しぶりに彼が住むアパートを訪れた際に、これまでは所持していなかった最新型の薄型ノートパソコンがあるのが目に入った。
周囲には資料と思しき書類が山積みになっていた。
「今日は外に出よう」
伊吹からは急かされるように外出を促された。
どうやら伊吹は就職活動もしていないようで、今のバイト先に就職するようなことを曖昧に濁していた。
インターン先にそのまま就職するようなものだろう。なのになぜ、榛名にはっきりと話してくれないのだろうか。
(別に、先に就職が決まったからと言って羨んだりしないのに……素直に喜ぶのに)
榛名の心の隙間に冷たい風が吹きすさぶ。
――どこから、いつから、こうなってしまったのだろうか。
失くさないよう、榛名がどれだけ必死に手を伸ばそうとしても、肝心の伊吹はするりと手から離れてしまうようだ。
ついにはすれ違ったまま。彼の心と現状を知ることはできなかった。
◇◇◇
そして、ついにその日が訪れた。
大学4年生の12月24日、クリスマスイブ。
珍しく伊吹の方から「会いたい」と連絡を寄越してきた。
伊吹は食堂のバイトも辞めてしまっていた。
日頃会えなくても、せめてクリスマスイブは甘い夜を過ごせるはず、と榛名の胸は期待でいっぱい――にはならなかった。
夕方の静岡駅で伊吹のことを待っている間、胸騒ぎが止まらなかった。
現れた伊吹は、普段よりもさらに荘厳さを感じさせるような静かな佇まいをしていた。
その目には深く強い意志が現れていた。
2人は静岡駅から街中に向かって歩き出した。
これまでみたいに並んで歩くのではなく、少し先を歩く伊吹の背中を、榛名は観念するような気持ちで眺めていた。
ふと立ち止まると、伊吹はようやく重い口を開いた。
「今日これから東京へ出発するんだ」
「そう、何日くらい滞在するの?」
諦めの浮かんだ表情で、榛名が尋ねる。だが、伊吹からは予想外の返答が戻ってきた。
「いや……すでにアパートも引き払って、都内で生活している。大学の授業はもうほどんど残っていないから、必要な時だけ新幹線で通学する」
「えっ……?」
「遅かれ早かれ、3月には東京で生活を始めるつもりだったんだ。それが少し早まっただけだよ」
「それはそうだけど……」
(私だってそれは同じはず。なのに、どうして……)
榛名も春からの新生活のため、東京のアパートを契約済、引っ越し業者の手配も済んでいた。
――東京に行ってからも、伊吹くんとの付き合いは続くものだと思っていた。
今となっては、その願望も危ういものではあったけれど。
だけど、それはもう不可能なのだと、伊吹の態度や醸し出す空気からはっきりと伝わってくる。
「東京で祖父の仕事を手伝う。はるちゃんには、もう会えない」
まっすぐに決意を込めた目で榛名を見つめていた伊吹だが、最後の言葉だけは目をそらし、伏し目がちに呟いた。
――会って話すことはできなくてもいい。繋がりさえ断ち切られなければ。でも、それすらも、もう叶わないようだ。
「はるちゃん、今までありがとう。東京での生活は身体に気をつけて。君に幸せになって欲しい。さようなら」
最後に伊吹はふわりと微笑んだ。榛名の大好きな柔らかい笑顔。今は切なさも帯びて。
それだけ伝えると伊吹は背を向けた。
車道から「伊吹さん」と若くて聡明な感じの声が聞こえた。
伊吹は呼びかける声に応えると、停車していた車に乗り込んだ。
運転席には20代半ばくらいのスーツ姿の男性がいるのが見えた。
ドアが閉まると、車は走りだした。
取り残された榛名は、ただ茫然としていた。
夕暮れの街に流れるクリスマスソング、点灯を始めるイルミネーション。
そんな景色の中、伊吹の乗った車が見えなくなるまで、いつまでもぼんやりと眺めていた。
だが、大学3年生になると、伊吹は新しいバイトを始めたらしく、多忙を理由に会える時間がずいぶんと減ってしまった。
新しいバイトを始めた「らしい」と伝聞スタイルなのは、伊吹は榛名に詳細を教えてはくれなかったからだ。
一体どんなところで、どんな仕事をしているのか、心配でないと言えば嘘になる。
だが頭が良く、現実的でしっかり者の伊吹のことだ。いくらお金のためとは言え、危険なことや、自分の将来を棒に振るような仕事はしないはず。
一方で、伊吹の方はだいぶ仕事にのめり込んでいるようだ。
久しぶりに彼が住むアパートを訪れた際に、これまでは所持していなかった最新型の薄型ノートパソコンがあるのが目に入った。
周囲には資料と思しき書類が山積みになっていた。
「今日は外に出よう」
伊吹からは急かされるように外出を促された。
どうやら伊吹は就職活動もしていないようで、今のバイト先に就職するようなことを曖昧に濁していた。
インターン先にそのまま就職するようなものだろう。なのになぜ、榛名にはっきりと話してくれないのだろうか。
(別に、先に就職が決まったからと言って羨んだりしないのに……素直に喜ぶのに)
榛名の心の隙間に冷たい風が吹きすさぶ。
――どこから、いつから、こうなってしまったのだろうか。
失くさないよう、榛名がどれだけ必死に手を伸ばそうとしても、肝心の伊吹はするりと手から離れてしまうようだ。
ついにはすれ違ったまま。彼の心と現状を知ることはできなかった。
◇◇◇
そして、ついにその日が訪れた。
大学4年生の12月24日、クリスマスイブ。
珍しく伊吹の方から「会いたい」と連絡を寄越してきた。
伊吹は食堂のバイトも辞めてしまっていた。
日頃会えなくても、せめてクリスマスイブは甘い夜を過ごせるはず、と榛名の胸は期待でいっぱい――にはならなかった。
夕方の静岡駅で伊吹のことを待っている間、胸騒ぎが止まらなかった。
現れた伊吹は、普段よりもさらに荘厳さを感じさせるような静かな佇まいをしていた。
その目には深く強い意志が現れていた。
2人は静岡駅から街中に向かって歩き出した。
これまでみたいに並んで歩くのではなく、少し先を歩く伊吹の背中を、榛名は観念するような気持ちで眺めていた。
ふと立ち止まると、伊吹はようやく重い口を開いた。
「今日これから東京へ出発するんだ」
「そう、何日くらい滞在するの?」
諦めの浮かんだ表情で、榛名が尋ねる。だが、伊吹からは予想外の返答が戻ってきた。
「いや……すでにアパートも引き払って、都内で生活している。大学の授業はもうほどんど残っていないから、必要な時だけ新幹線で通学する」
「えっ……?」
「遅かれ早かれ、3月には東京で生活を始めるつもりだったんだ。それが少し早まっただけだよ」
「それはそうだけど……」
(私だってそれは同じはず。なのに、どうして……)
榛名も春からの新生活のため、東京のアパートを契約済、引っ越し業者の手配も済んでいた。
――東京に行ってからも、伊吹くんとの付き合いは続くものだと思っていた。
今となっては、その願望も危ういものではあったけれど。
だけど、それはもう不可能なのだと、伊吹の態度や醸し出す空気からはっきりと伝わってくる。
「東京で祖父の仕事を手伝う。はるちゃんには、もう会えない」
まっすぐに決意を込めた目で榛名を見つめていた伊吹だが、最後の言葉だけは目をそらし、伏し目がちに呟いた。
――会って話すことはできなくてもいい。繋がりさえ断ち切られなければ。でも、それすらも、もう叶わないようだ。
「はるちゃん、今までありがとう。東京での生活は身体に気をつけて。君に幸せになって欲しい。さようなら」
最後に伊吹はふわりと微笑んだ。榛名の大好きな柔らかい笑顔。今は切なさも帯びて。
それだけ伝えると伊吹は背を向けた。
車道から「伊吹さん」と若くて聡明な感じの声が聞こえた。
伊吹は呼びかける声に応えると、停車していた車に乗り込んだ。
運転席には20代半ばくらいのスーツ姿の男性がいるのが見えた。
ドアが閉まると、車は走りだした。
取り残された榛名は、ただ茫然としていた。
夕暮れの街に流れるクリスマスソング、点灯を始めるイルミネーション。
そんな景色の中、伊吹の乗った車が見えなくなるまで、いつまでもぼんやりと眺めていた。
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