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ep.9 5年前のこと Side伊吹
1.
走り出した車の窓から、榛名の姿が見えなくなるまでずっと見つめていた。
(大丈夫だろうか。ずっと立ち尽くしたままだ)
見えなくなっても後ろ髪引かれる思いで、来た道を眺めることしかできなかった。
「よっぽどお好きだったのですね」
「うるさいです」
祖父の第二秘書、そしてこれからは伊吹の秘書になる東城が運転席から声をかけてくる。
その声は突き放すようなものではなく、どこか気遣うようなものだった。
悪態で言い返したものの、東城は社長秘書として任された仕事を全うしているだけだ。
彼に文句を言うのは筋違いだ。だが今の一言は余計だった。
ただひたすら一点を凝視していたのを諦め、伊吹は座席に座り直した。
「シートベルトはきちんと締めて下さいね」
「わかっています。もう装着している」
伊吹は目を閉じた。決して忘れまいと、先程までの情景を目に焼き付けていた。
――「好きだ」なんて言葉では済ませられない。誰より愛しく、誰より大事で……。それなのに……
(今さっき、俺は何より大事だったものをこの手で壊した)
これから先の人生は、ホテルロイヤルヴィリジアンの後継者として、すでに取り組み始めている事業改革を軌道に乗せなければならない。
だが、1番大切なものを捨ててまで、一体何のために頑張るというのだろうか。
心の支えを失って、何のために生きろと言うのだろうか。
――俺がはるちゃんとの別れを選んだのは、他ならぬ俺に、君を守れるだけの力がなかったからだ――
◇
祖父である若宮柳之介と初めて会ったのは、大学3年生の初夏だった。
祖父が東京・銀座にある老舗、ホテルロイヤルヴィリジアン(旧ホテルグリーンワカミヤ)の社長であることは、中学生の頃、母親から聞いて知っていた。
「勘当を言い渡したのは、そう言えば諦めると思ったのだ。だが息子は本気だった」
祖父は凛とした姿勢を崩さぬまま、だが情を持って過去を語った。
「息子と君の母上の結婚については、もはや、とやかく言わぬ。可愛い孫である君が生まれてきたことを否定するようなことは言いたくない」
「私の願いは、ただ1つ。君に、私の後継者になってもらいたい」
「それはホテルロイヤルヴィリジアンの次期社長に、ということですか?」
「そうだ。信頼できる他者に託すことも考えた。だが、叶うのならば、血を分けた孫である君に継いで欲しい」
祖父の表情からは、伊吹に対して肉親としての親愛が感じ取れた。そこに芝居がかったものはなかった。
この時、伊吹はひとまずアルバイトとして雇ってもらうことを提案した。
跡を継ぐにしても、自分に適正があるかわからない。まずは試用期間ということで、自分の実力を見定めてもらおうと思ったのだ。
しかし予想に反して、最初の仕事はホテルマンの修行ではなく、経営企画室での新サービスの立案だった。
まだ伊吹の適正もわからない段階で、祖父の若宮柳之介はずいぶんと大胆な賭けに出たなと思う。
ホテルから支給された最新型ノートパソコンとWiFiを携えて、静岡のアパートでのリモートワークが始まった(PC利用分の電気代も支給された)。
(大丈夫だろうか。ずっと立ち尽くしたままだ)
見えなくなっても後ろ髪引かれる思いで、来た道を眺めることしかできなかった。
「よっぽどお好きだったのですね」
「うるさいです」
祖父の第二秘書、そしてこれからは伊吹の秘書になる東城が運転席から声をかけてくる。
その声は突き放すようなものではなく、どこか気遣うようなものだった。
悪態で言い返したものの、東城は社長秘書として任された仕事を全うしているだけだ。
彼に文句を言うのは筋違いだ。だが今の一言は余計だった。
ただひたすら一点を凝視していたのを諦め、伊吹は座席に座り直した。
「シートベルトはきちんと締めて下さいね」
「わかっています。もう装着している」
伊吹は目を閉じた。決して忘れまいと、先程までの情景を目に焼き付けていた。
――「好きだ」なんて言葉では済ませられない。誰より愛しく、誰より大事で……。それなのに……
(今さっき、俺は何より大事だったものをこの手で壊した)
これから先の人生は、ホテルロイヤルヴィリジアンの後継者として、すでに取り組み始めている事業改革を軌道に乗せなければならない。
だが、1番大切なものを捨ててまで、一体何のために頑張るというのだろうか。
心の支えを失って、何のために生きろと言うのだろうか。
――俺がはるちゃんとの別れを選んだのは、他ならぬ俺に、君を守れるだけの力がなかったからだ――
◇
祖父である若宮柳之介と初めて会ったのは、大学3年生の初夏だった。
祖父が東京・銀座にある老舗、ホテルロイヤルヴィリジアン(旧ホテルグリーンワカミヤ)の社長であることは、中学生の頃、母親から聞いて知っていた。
「勘当を言い渡したのは、そう言えば諦めると思ったのだ。だが息子は本気だった」
祖父は凛とした姿勢を崩さぬまま、だが情を持って過去を語った。
「息子と君の母上の結婚については、もはや、とやかく言わぬ。可愛い孫である君が生まれてきたことを否定するようなことは言いたくない」
「私の願いは、ただ1つ。君に、私の後継者になってもらいたい」
「それはホテルロイヤルヴィリジアンの次期社長に、ということですか?」
「そうだ。信頼できる他者に託すことも考えた。だが、叶うのならば、血を分けた孫である君に継いで欲しい」
祖父の表情からは、伊吹に対して肉親としての親愛が感じ取れた。そこに芝居がかったものはなかった。
この時、伊吹はひとまずアルバイトとして雇ってもらうことを提案した。
跡を継ぐにしても、自分に適正があるかわからない。まずは試用期間ということで、自分の実力を見定めてもらおうと思ったのだ。
しかし予想に反して、最初の仕事はホテルマンの修行ではなく、経営企画室での新サービスの立案だった。
まだ伊吹の適正もわからない段階で、祖父の若宮柳之介はずいぶんと大胆な賭けに出たなと思う。
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