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ディランの想い

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早朝、ディランは寝台の上で書類に目を通していた。
あと数刻もすれば、リラがいつものように起こしに来るだろう。
毎日、その時を待つのが好きだった。
寝起きの悪い主人のフリをしていることは既に見破られているが、それでもリラはこの寝室にやってくる。
その健気さが実に愛らしかった。
ふっ、と小さく微笑みを浮かべたそのとき、部屋の外に人の気配がし、ディランは顔を上げた。

「なんだ」

短く問えば、スッとひとりの騎士が入ってくる。
その男はこの公爵家を守る騎士団の団長だ。
ディラン同様アルファであり、岩男のような巨体の男だ。

「ご報告が」

騎士団長の言葉に、ディランは目を眇める。

「リラ嬢が早朝、お出かけになりました」
「リラが? 昨日も出掛けていただろう。今日はどこへ行った」

リラの行動は彼女に気付かれないよう、屋敷の者たちに監視させている。
もちろん昨日の夕暮れ時に薬屋へ行っていたことも報告を受けていた。

「スラム街の娼館近くにある薬屋に入って行かれました」
「スラム街だと? そこで何を買ったんだ」
「どうやらヒートを抑えるための鎮静剤のようです」
「鎮静剤……か……」

リラはもうすぐ二十歳になる。
大抵のオメガは二十歳までには発情期が訪れるため、そのときのために購入したのだろう。だが、わざわざ早朝に行く必要はなかったはずだ。
リラのことだ。昨日行ったときに買い忘れた、というわけではないだろう。
早急に必要になる何かが起きた、と考えるのが妥当だ。

「リラに発情期が来たのか……? それともその兆候があったのか……」

そうとなれば、彼女に相応しいアルファを早急に見つける必要があるだろう。
叶うのであれば自分がリラの番になりたい。
だが今年で三十歳になる自分と年若いリラとでは、歳が離れすぎている。
彼女が自分のことを好いてくれていることはわかっているが、それは所謂、雛鳥の刷り込みなのだ。
酷い環境から救い出した存在であるディランを好いているに過ぎない。それは幼い子どもが親切にしてくれた大人を好くのと何ら変わらないだろう。
だからこそ、ディランはリラを手放すと決めていた。

「……リラが買ったモノは彼女の隙を見て、上等の物にすり替えろ」

スラム街で売っているような薬を口にすれば、何が起こるかわからない。
リラが発情期を遅らせようと必死にもがいていることを、ディランは知っている。そして今まで、そのことについて敢えて触れては来なかった。
彼女を大切に想えばこそ、リラの好きなようにさせてやりたかったのだ。
ディラン自身も、まだ彼女を他の誰かに渡したくないのだ。矛盾した思いだということは自覚している。
早く自分のような卑怯な男から解放してやりたいと思いながらも、もう少し傍に居てほしいと望んでしまっている。

「…………かしこまりました」

しばしの間を開けてから一言そう言うと、騎士団長は部屋を出て行った。
寡黙で必要なこと以外を口にしない騎士団長が何を言いたいのか、言われなくてもわかっている。
そんなに手放したくないなら番になればいい、と。彼はそう言いたいのだ。
お互いが強くそれを望むのであれば、歳の差や多少の事情などどうでもいいではないか、と。
オメガは愛されてこそ、自分の価値を見出すことができる。
つまり愛されなければ、永遠の絶望の中で生きていかなければならない。オメガという性に生まれた者は例外なく愛してくれる存在を追い求めている。
リラにとってそれがディランだというのであれば、ディランの事情など糞食らえだ。
だがディランは恐れていた。
仮にリラと番ったとして、彼女を傷つけてしまうのではないか、と。
ディランが自分の発情期ラットに屋敷の外でオメガを抱くのは、彼女を想ってこそだ。
アルファの発情期というのは凄まじく、必要以上にオメガを求めてしまう。
ディランは今まで数々のオメガを抱きつぶしてきた。本能を鎮めるために特別に教育された娼館のオメガたちですら、音を上げたほどだ。
こんな醜い欲望をリラにぶつけてしまえば、彼女を壊してしまうかもしれない。
それでも彼女であれば許してくれるだろう。だがそうではない。ディランが嫌なのだ。
リラに苦しい思いはさせたくない。
だからこそ、ディランはリラをオメガとして扱わないと心に誓っている。

「リラと歳が近くて有望な……、優しいアルファを早く見つけないとな……」

ぽつりと呟いた自分の言葉に、激しい嫉妬のような怒りが込み上げてくる。
リラは自分の物だ、と頭の中でもう一人の自分が叫ぶのを、大きく息を吐くことで押し留めるのがやっとだった。
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