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闇の魔女の信者

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「初めまして、レディ。私はこの国の宰相を務めております――」
「レディ、私は――」
 大広間に戻ると、男たちが一斉に声を掛けてきた。
 少女はそんな彼等の背後でニコニコと笑っていてるクリストフェルを睨みつけている。
「御伽噺通り、麗しき漆黒だ。とても美しい」
 肩まで伸びたストロベリーブロンドの髪を靡かせたひとりの青年が、そう言って他の男たちを押しのけるようにして歩いてくる。
 青年が少女の手を取ろうとしたそのとき、横から漆黒の腕輪を付けた腕が伸びてきた。
「気やすく触れないで頂きたい」
 がっしりと青年の腕を掴んだのは、バルコニーに置いてきたデュクスだ。
 しつこく追いかけてくるな、と言ったばかりなのに、デュクスは懲りることなく少女を追いかけてきたのだろう。
 少女は僅かに顔を背け、ムッと顔を顰める。
 そんな少女の頭に、ふわり、とベールが被せられた。
「忘れものだ」
 デュクスはそう言い、寄り添うようにして少女の横に立とうとする。だが少女は半歩左にずれ、それを無言で拒否した。
「これは第一騎士団長殿。かの国から麗しき漆黒のレディを連れ帰ったというから彼女に気に入られたと思っておりましたが、そうではないようだ」
「アーヴァイン侯爵の嫡子殿がまさか彼女にまで手を出そうとしているとは、私はそちらの方が驚きですよ」
 バチッ、と二人の青年の間に火花が散る。
 その様子から、この二人があまり仲が良くないことがうかがえたが、少女はまったくそんなこと気にも留めていなかった。
 少女の視線は大広間の中を見渡しており、「お気に入り」の騎士を探していた。
(彼、どこにいるのかしら……)
 大柄で背も高く漆黒の騎士服をまとうハレスは、この会場内で目立つはずだ。
 だが、どこを探してもハレスが見当たらない。
 その代わりに、長いストロベリーブロンドの少女がこちらに向かって駆けてきているのが見えた。
「セルジュ兄さま!!」
「おや、これは我が愛しの妹、メアリーじゃないか。お前も来ていたのか」
「白々しいですわね」
 少女メアリーがデュクスの腕を掴み、セルジュと呼ばれた青年を睨みつけた。
「何をしにいらしたの! お兄さまは呼ばれていないはずよ!」
「招待状はアーヴァイン家に届いたんだ。私もここに招待されるだけの資格はあるだろう」
「よくもそんなことが言えますわね!」
 メアリーは兄を怒鳴りつけると、デュクスの腕を抱き込み「行きましょう」と彼を連れ去ろうとしている。
 それを、少女はどこか遠くの光景のように横目で盗み見ていた。
(嫌味なくらい、お似合いね……)
 胸がズキリと痛んだことに気づかぬふりをして、ふっ、と少女は心の中で小さく微笑む。
 デュクスとメアリーは鋭い眼光でセルジュを軽蔑するような瞳で見据えているが、その光景すら絵になる。
 ふたりは本当に美男美女なのだ。
 他の男たちがその眼光に数歩後ずさりたじろぐ中、少女は彼等とは全く違うものを感じていた。
「せっかくの夜会で騒ぎは困るなぁ」
 その声に、その場にいた者たちは勢いよく振り返り、少年のために道を開けた。
「この夜会は僕の姉様のために開いたというのに、セルジュ。キミはそれを邪魔しにきたのかい?」
「これは皇帝陛下。決してそのようなことはございません」
 セルジュは非難されているにもかかわらず飄々とした表情でクリストフェルへと笑いかけた。
「この度は麗しい漆黒のレディの御目通りが叶うということで、少し自己紹介をしていただけでございます」
「そう。でももう挨拶も終わっただろう? もう良いんじゃないか?」
 クリストフェルは笑顔だ。
 あくまで笑顔なのだが、その口調はゾクリと鳥肌が立つほど冷たい。
「そもそも、お前にはその腕輪が見えないのかい?」
 少年の視線が、少女の右手首へと向けられる。それを辿るようにしてセルジュも少女の金色の腕輪を視界にとらえた。
 夜色のドレスを纏う少女の腕についたそれは、黙って立っているだけでもよく目立つ。
 気付かないはずがなかった。
「デュクス殿と同じものですね。そうでしたか、これは失敬」
「本当に白々しいんだから」
 セルジュの言葉の後に毒づいたのはメアリーだった。
「デュクス殿も隅に置けない。我が妹という婚約者がいながら、まさか――」
「お兄さま!!」
 大きく手を振りかぶったメアリーだったが、それはセルジュの手によって動きを止めた。
「兄を殴ろうとするなど、淑女としてどうかと思うぞ?」
「あなたを兄だと思ったことなどありませんわ!」
 デュクス以上に、セルジュとメアリーは仲が悪いのだろう。
 可憐な少女はその顔に似合わず、ギリッと奥歯を噛みしめ歪んだ表情で兄を更に鋭く睨みつけている。
 これにはさすがのクリストフェルとデュクスもやれやれ、と言った表情だ。
「メアリー。もう良いだろう」
「でもデュクス様!」
「彼女も見ている」
 デュクスのその言葉で、はっとしたような顔でメアリーの瞳が漆黒の少女へと向けられた。
 ぱちりと目が合う。
 するとメアリーの顔色が徐々に悪くなり、パッと顔を背けられた。
 怖がらせてしまったかな、と漆黒の少女は思わず微苦笑を零し、踵を返した。
「姉様!」
 歩き出そうとした少女を引き留めたのは、クリストフェルだった。
「お取込み中のようだし、私は向こうに行っているわ」
「なら、僕も一緒に行くよ」
「そう?」
 先に歩き出した少女に続くようにして、クリストフェルが付いていく。その様子を集まってきていた男たちは頭を下げつつ見送る。
「あ……」
 デュクスの小さな声が、その中でわずかに響いた。
「…………」
 少女を呼び止めようとしたデュクスはしかし、グッと下唇を噛みしめて唇を閉ざした。
 その様子を、セルジュはニヤリ、と笑いながら横目で見ていたが、それを見ている者はいなかった。


 大広間の隅まで移動した少女は、小さく息を吐いて壁に背を預ける。その隣に、クリストフェルが寄り添った。
「彼、セルジュ・アーヴァインには気を付けて」
 しばしの沈黙の後、クリストフェルは視線を前に向けたままそう囁いた。
「夜会を開けば来るとは思っていたんだ。あいつは姉様の信者だから」
「信者?」
「姉様のことは御伽噺で古くから語り継がれていてね。この国で姉様のことを知らない人間はいないよ」
「闇の魔女の御伽噺だなんて、面白くもなんともなさそうね」
 まあそうだろうな、とは思っていた。
 闇の魔女のことは少女が生まれる何千年も前から、人々の間で語り継がれている。
 だから闇の魔女は人々に恐れられ続けるのだ。
「御伽噺の元となった手記もあってね。それをどういう方法で手に入れたのか、あのセルジュが持ってる」
「そう」
 気のない返事をしてしまうのは、少女はその手記とやらに興味がなかったからだ。
 だからどうした、と少女はクリストフェルへと顔を向けた。
「もしかしたら、それをきっかけにしてセルジュが姉様に近づいてくるかもしれない。デュクスの屋敷にいる限り、そういうことはないだろうけど、気を付けて」
「何を気を付けろというの」
 あんな優男が闇の魔女に何ができる、と少女は馬鹿にするようにして息で笑った。
「その手記には姉様が知りたいかもしれないことも書かれているんだ」
「――何が書かれているの」
 ここまで言われれば、少女も無視することができなくなっていた。
 知りたいこと、とはなんだろうか。
 少女は静かにその続きを促した。
「……その手記っていうのがね、姉様が千年前に出会った青年が書いたものなんだ」
 ひくっ、と喉が鳴った。
 少女の瞳が大きく見開かれる。
「姉様のことが書かれてる」
「私、の……」
「やっぱり気になるんだね。でもね、その内容はデュクスがすべて知ってる。だから、どんな言葉で誘惑されても、セルジュには近づかないでほしいんだ」
「…………あなたは、知らないの?」
「すべては知らないけど、ある程度なら、僕も読んだことがあるから」
「彼は……」
 少女はそこで言葉を区切った。
 ほんの少しだけでもいい。あの記憶の中の青年が少女のことを書いたのであれば、その内容が知りたい。
 だが知りたいと思う反面、知りたくないという恐怖心もあった。
 もしもあの青年が、少女と会っている時間を苦痛に感じていたのであれば、その内容が書かれているかもしれない。
 綺麗な記憶しかない少女にとって、あの青年の本心を知ることは必ずしも良いことではなかった。
「僕はね、姉様が自分の力ですべての記憶を思い出す方が良いって思ってる。デュクスともっと関われば、きっと思い出せるはずだよ」
「思い出すって、どういうこと?」
「姉様は大切なことを忘れてる。デュクスの顔を見て、それを思い出さなかったってことはそういうことだよ」
「意味が分からないわ」
 長い時間を生きているせいで、忘れていることも多い。
 だが、大切なことは覚えている。
 あの青年と関わった時間で、忘れていることなどない。その記憶だけを大切に守ってきたのだ。
 そんなこと、あるはずがない。
 そう言い返そうとしたときだった。
「姉様は、『約束』を忘れてる」
「やく、そく……」
「そうだよ。たぶん、あの手記に込められた呪いのせいだろうけど、姉様が千年の眠りについた本当の理由を、姉様は忘れてる」
 少女は瞠目した。
 この世界に少女に害を為せる魔力を持つ者はいないはずだ。術者の身に秘められた魔力量に応じて、魔力は同等の力を発揮する。
 世界を滅ぼせる闇の魔女である少女以上に魔力量を持つ者は、千年の時を遡ってもこの世界にいないはずだった。
「たぶん、あの手記を姉様が読んでしまったら、姉様は――死んでしまうかもしれない」
「え……?」
 少女の心が、淡くその胸に秘めた恋心が、冷たい氷の中に閉じ込められたように凍えていく。
「あの手記には、姉様を殺す方法が書かれてる」
 パリン、と何かが少女の中で砕けた音がした。
 
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