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絶望の中で
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少女は闇の中にいた。
横たわっていた身体を起こし、手を這わせてみる。冷たい石畳の感触がして、少女は周囲を注意深く探る。
「ここは……」
何故か少女は、ずっと自分が閉じ込められていたあの地下牢の中へと、転移していたようだ。
周囲に、セルジュがいないことに、ホッと安堵の息が零れるのと同時に、背筋が凍り付いた。
ギュッ、と身体をかき抱き、己の身に起こったことを思い返す。
「っ……」
とても、気持ちが悪かった。
セルジュが触れてきた感触を思い出すと、吐き気がしてくる。
あのとき、少女は無意識に魔力を使ってここへと逃げてきたのだろう。
選りにも選って、この地下牢に。
だがここがまだ『外』の世界でよかったと思い直し、少女は手探りで地下牢の壁を見つけ、そこを伝って外へとつながっているであろう扉を探す。
壁とは別の、明らかに手触りの違う扉に手が届いた瞬間、少女はこの扉を開けるのを躊躇った。
「…………」
このまま、ここに居た方が良いのではないだろうか。
ここなら、心穏やかに過ごすことができる。
もうあんな目にも遭わない。
他人に触れて、傷つくこともない。
少女は扉に背を向けると、その場にゆっくりと蹲る。
膝を抱え、そうしよう、と瞼を閉じる。
ずっとここに居たのだ。
この地下牢は謂わば少女の故郷のようなものであり、ただ帰って来ただけである。
何も考える必要はない。
そう、考える必要など、ないのに。
「…………」
ここにいよう。そう思った瞬間、脳裏に浮かんだのはデュクスの姿だった。
金色に輝く髪と、どこまでも澄んだ深い青い瞳を思い出してしまう。
彼は居なくなった少女を探してくれるだろうか。
彼は『ここに居る必要はない』と、そう言っていた。
だから、少女がいなくなったとしても、探さないかもしれない。
少女がここを選んだら、もう二度と、彼には会えないだろう。
でもそれで良いのだ。
もう彼には会えない。
穢れてしまったこの身を、彼に晒したくない。
この身体に触れて良いのは、彼だけだ。
「…………ああ……本当に、もう……」
自分の気持ちを、このときはっきりと自覚した。
少女はもう、デュクスに恋をしていた。
記憶の中の青年と重ねている内に、一番懸念していた想いを抱いてしまった。
ずっと大切に守って来た恋を、やっと過去のモノにできると思ったのに、少女は彼へ特別な想いを寄せていたのだ。
その事実を自覚した瞬間、目の奥が熱くなり、ツンと鼻の奥が痛み始める。
ギュッと下唇を噛みしめ、少女は暗闇の中、嗚咽を噛みしめる。
好きではない男に身体を触られてしまった。
自分でも触れたことのない場所を、暴かれそうになってしまった。
彼等が口々に「気を付けろ」と言ったのは、このことだったのだ。
それを少女は、阻止できなかった。
だからもう、彼には会えない。
この身体は穢れてしまったのだ。
「っ……ぅう……」
ボロボロと、大粒の涙が膝の上に落ち、足を伝って流れていく。
(このまますべて、闇に溶けてしまえば良いのに)
ひたり、ひたり、と闇の中から歩み寄って来た禍々しく蠢く何かが、少女の前でぴたりとその動きを止めた。
地下牢の中で小さく蹲る少女へ、それは長い蔓のような触手を伸ばす。
その少女にそれが触れた瞬間。
パンッ、と何かが砕ける音が鳴り響いた。
その頃、デュクスは重い暗雲が空を覆いつくし、世界が闇に包まれていく様を目の当たりにしていた。
「…………」
彼女の身に何か起きたことは明白だ。
早く探し出さねば、と焦りが募る中、ある一室から声が聞こえてくる。
「あの娘はどこに行った!!」
セルジュの声だった。
デュクスは気配を消し、その部屋へと歩み寄る。少しだけ開いていた扉の影に身を潜め、中の様子を窺う。
部屋の中には、セルジュのほかに、ローブを被ったふたりの男が立っていた。
「おい! これはどうなってるんだ!!」
怒り狂っているセルジュの目は血走り、荒げる声は聞き覚えのある彼のモノではない、地を這う獣のような咆哮に聞こえる。
「闇の魔女を殺し力を解放する方法は、その純潔を奪うことなのではないのか!」
その言葉に、デュクスは腰に佩いた剣を思わず抜きかけた。
彼女に手を出したのか、と一気に頭へと血が上る。けれど寸でのところで何とか耐え、様子を窺った。こちらは魔力をほぼ使い果たし満身創痍だ。
第一騎士団長の名は伊達ではないが、一対三では分が悪すぎる。
「純潔を奪えなかったあなたの不甲斐なさで私を責められても困ります」
ふたりのローブの男のひとりがそう反論すると、セルジュはその男を睨みつけた。
その血走った眼はギョロギョロと蠢き、もはや人の形相ではない。
「くそぅ! 探せ!! あれは私の女だ! あの女の力はすべて、私に相応しい、私だけのものだ!」
その会話を耳にして、デュクスは内心安堵していた。
彼女はまだ、純潔を奪われていない。
まだ間に合う。
わずかな希望を見出したデュクスは、一度その場を離れることにした。
セルジュのことは許せないが、それより先に居なくなったという少女を探すべきだ。
少なくともセルジュよりも前に、彼女を見つけ出さないといけない。
「……どこにいるんだ」
素早く移動しながら、デュクスはある場所を目指す。
確信があったわけではない。
今、城の中は闇の魔力で満たされていて、彼女の気配が追えなくなっている。
だがそれは、デュクスが彼女を起こしたときも同様だった。
あの時、少女は自ら外の世界との繋がりを断っており、この国のどこを探しても闇の魔女が居た地下牢が見つけ出せなくなっていた。
だがデュクスは闇の中に隠れてしまった彼女を見つけ出した実績がある。
「頼む……、私のことを、呼んでくれ……」
デュクスには聞こえていたのだ。
ひとり、暗い闇の中で千年前の思い出に浸り、名も知らぬ騎士を呼ぶ声が。
言葉にならないその想いが、確かに伝わってきたのだ。
だから見つけ出すことができた。
彼女の魔力によって閉ざされた空間の歪みを暴けたのは、偶然ではないはずだ。
「いや、だからこそ、呼ばれずとも、迎えに行く……」
彼女は追いかけるのではなく、迎えに行くのであればいいと、許してくれた。
腕輪の魔力などなくても、デュクスの想いが本物であれば見つけ出せるはずだ。
否、見つけ出さなければならない。
そうしなければ、もう二度と、彼女には会えないだろう。
その確信が、デュクスにはあった。
これを逃せば、もうあの少女を救うことはできないだろう。
――死なせてくれる?
初めて言葉を交わしたとき、彼女の望んだその願いを叶えるのは、今しかないのだから。
横たわっていた身体を起こし、手を這わせてみる。冷たい石畳の感触がして、少女は周囲を注意深く探る。
「ここは……」
何故か少女は、ずっと自分が閉じ込められていたあの地下牢の中へと、転移していたようだ。
周囲に、セルジュがいないことに、ホッと安堵の息が零れるのと同時に、背筋が凍り付いた。
ギュッ、と身体をかき抱き、己の身に起こったことを思い返す。
「っ……」
とても、気持ちが悪かった。
セルジュが触れてきた感触を思い出すと、吐き気がしてくる。
あのとき、少女は無意識に魔力を使ってここへと逃げてきたのだろう。
選りにも選って、この地下牢に。
だがここがまだ『外』の世界でよかったと思い直し、少女は手探りで地下牢の壁を見つけ、そこを伝って外へとつながっているであろう扉を探す。
壁とは別の、明らかに手触りの違う扉に手が届いた瞬間、少女はこの扉を開けるのを躊躇った。
「…………」
このまま、ここに居た方が良いのではないだろうか。
ここなら、心穏やかに過ごすことができる。
もうあんな目にも遭わない。
他人に触れて、傷つくこともない。
少女は扉に背を向けると、その場にゆっくりと蹲る。
膝を抱え、そうしよう、と瞼を閉じる。
ずっとここに居たのだ。
この地下牢は謂わば少女の故郷のようなものであり、ただ帰って来ただけである。
何も考える必要はない。
そう、考える必要など、ないのに。
「…………」
ここにいよう。そう思った瞬間、脳裏に浮かんだのはデュクスの姿だった。
金色に輝く髪と、どこまでも澄んだ深い青い瞳を思い出してしまう。
彼は居なくなった少女を探してくれるだろうか。
彼は『ここに居る必要はない』と、そう言っていた。
だから、少女がいなくなったとしても、探さないかもしれない。
少女がここを選んだら、もう二度と、彼には会えないだろう。
でもそれで良いのだ。
もう彼には会えない。
穢れてしまったこの身を、彼に晒したくない。
この身体に触れて良いのは、彼だけだ。
「…………ああ……本当に、もう……」
自分の気持ちを、このときはっきりと自覚した。
少女はもう、デュクスに恋をしていた。
記憶の中の青年と重ねている内に、一番懸念していた想いを抱いてしまった。
ずっと大切に守って来た恋を、やっと過去のモノにできると思ったのに、少女は彼へ特別な想いを寄せていたのだ。
その事実を自覚した瞬間、目の奥が熱くなり、ツンと鼻の奥が痛み始める。
ギュッと下唇を噛みしめ、少女は暗闇の中、嗚咽を噛みしめる。
好きではない男に身体を触られてしまった。
自分でも触れたことのない場所を、暴かれそうになってしまった。
彼等が口々に「気を付けろ」と言ったのは、このことだったのだ。
それを少女は、阻止できなかった。
だからもう、彼には会えない。
この身体は穢れてしまったのだ。
「っ……ぅう……」
ボロボロと、大粒の涙が膝の上に落ち、足を伝って流れていく。
(このまますべて、闇に溶けてしまえば良いのに)
ひたり、ひたり、と闇の中から歩み寄って来た禍々しく蠢く何かが、少女の前でぴたりとその動きを止めた。
地下牢の中で小さく蹲る少女へ、それは長い蔓のような触手を伸ばす。
その少女にそれが触れた瞬間。
パンッ、と何かが砕ける音が鳴り響いた。
その頃、デュクスは重い暗雲が空を覆いつくし、世界が闇に包まれていく様を目の当たりにしていた。
「…………」
彼女の身に何か起きたことは明白だ。
早く探し出さねば、と焦りが募る中、ある一室から声が聞こえてくる。
「あの娘はどこに行った!!」
セルジュの声だった。
デュクスは気配を消し、その部屋へと歩み寄る。少しだけ開いていた扉の影に身を潜め、中の様子を窺う。
部屋の中には、セルジュのほかに、ローブを被ったふたりの男が立っていた。
「おい! これはどうなってるんだ!!」
怒り狂っているセルジュの目は血走り、荒げる声は聞き覚えのある彼のモノではない、地を這う獣のような咆哮に聞こえる。
「闇の魔女を殺し力を解放する方法は、その純潔を奪うことなのではないのか!」
その言葉に、デュクスは腰に佩いた剣を思わず抜きかけた。
彼女に手を出したのか、と一気に頭へと血が上る。けれど寸でのところで何とか耐え、様子を窺った。こちらは魔力をほぼ使い果たし満身創痍だ。
第一騎士団長の名は伊達ではないが、一対三では分が悪すぎる。
「純潔を奪えなかったあなたの不甲斐なさで私を責められても困ります」
ふたりのローブの男のひとりがそう反論すると、セルジュはその男を睨みつけた。
その血走った眼はギョロギョロと蠢き、もはや人の形相ではない。
「くそぅ! 探せ!! あれは私の女だ! あの女の力はすべて、私に相応しい、私だけのものだ!」
その会話を耳にして、デュクスは内心安堵していた。
彼女はまだ、純潔を奪われていない。
まだ間に合う。
わずかな希望を見出したデュクスは、一度その場を離れることにした。
セルジュのことは許せないが、それより先に居なくなったという少女を探すべきだ。
少なくともセルジュよりも前に、彼女を見つけ出さないといけない。
「……どこにいるんだ」
素早く移動しながら、デュクスはある場所を目指す。
確信があったわけではない。
今、城の中は闇の魔力で満たされていて、彼女の気配が追えなくなっている。
だがそれは、デュクスが彼女を起こしたときも同様だった。
あの時、少女は自ら外の世界との繋がりを断っており、この国のどこを探しても闇の魔女が居た地下牢が見つけ出せなくなっていた。
だがデュクスは闇の中に隠れてしまった彼女を見つけ出した実績がある。
「頼む……、私のことを、呼んでくれ……」
デュクスには聞こえていたのだ。
ひとり、暗い闇の中で千年前の思い出に浸り、名も知らぬ騎士を呼ぶ声が。
言葉にならないその想いが、確かに伝わってきたのだ。
だから見つけ出すことができた。
彼女の魔力によって閉ざされた空間の歪みを暴けたのは、偶然ではないはずだ。
「いや、だからこそ、呼ばれずとも、迎えに行く……」
彼女は追いかけるのではなく、迎えに行くのであればいいと、許してくれた。
腕輪の魔力などなくても、デュクスの想いが本物であれば見つけ出せるはずだ。
否、見つけ出さなければならない。
そうしなければ、もう二度と、彼女には会えないだろう。
その確信が、デュクスにはあった。
これを逃せば、もうあの少女を救うことはできないだろう。
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