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一皿目 採用試験と練り切り
その5 試験と蘭丸
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「菜々美!」
派手に転ぶと思った途端、強い力で手を引かれた。ぐっと体が急に前のめりになり、そのまま咲人の胸に抱きしめられる。
「……っ」
「大丈夫か? 試験だからと焦ることはない。少し落ち着け」
真上から落ちてくる声に顔を上げると、咲人は美麗な顔を強張らせ、静かに菜々美を見下ろしていた。
(今、菜々美と名前で呼ばれた気がする……)
近すぎる距離に、ドッドッドッと心臓が暴れ出し、菜々美は眩暈を覚えてぎゅっと目を閉じた。
「どうした? 体調が悪いのか?」
咲人の低い声に、菜々美は我に返った。
(あっ、採用試験中だった……)
「す、すみません。大丈夫です」
あわてて立ち上がった菜々美を見て、咲人が心配そうに眉を上げた。
「風邪でもひいているのか? 顔が真っ赤だ」
「い、いいえ! し、試験の続きを頑張りますので。あの、熱はないので……」
このままでは不採用になってしまうかも。菜々美は大きく深呼吸をすると、もう一度丁寧に手を洗い、落ち着けと自分に言い聞かせながら厨房に立った。
白玉粉と水と上白糖を潰すようにしながら混ぜて加熱し、片栗粉を敷いたバットに取り出して冷ます。
次は練り切り生地だ。咲人が作った白こし餡を使わせてもらう。求肥と混ぜ合わせて揉みまとめ、生地が伸びるようにする。
「ほぅ……」
腕を組んで壁に背を預けた咲人が、じっとこちらの動きを見ていたが、生地作りに没頭していて気にならなかった。
青色の色粉を少量の水で溶き、練り切り生地を水色に染めておく。白地の生地の縁に水を付けて合わせた。
次は包餡だ。一個分の練り切り生地を左手に載せ、平たくしていく。
急に咲人の鋭い声が飛んだ。
「菜々美、中央を厚めに丸く伸ばせ。包み終えると閉じ目が厚くなる」
「……はいっ」
言われた通り縁を薄く伸ばし、餡玉を載せて手を窪ませる。少しずつ回しながら生地を下から上に伸ばすようにして縁をすぼめ、指先でしっかりとつまんで閉じた。
「形を作るのは布巾を使え。絞るように捩じりを加え、底になる部分に張りを持たせろ。……そうだ」
布巾を外して形を整えると、上から氷餅を散らして完成だ。六個作って、それぞれ銘々皿に載せ、調理台の上に並べると、菜々美はさっと手を上げ、大きな声を出す。
「出来ました!」
咲人は出来た練り切り六個をじっと見つめ、何度も頷いた。
「うむ――。この短時間でここまで作るとは、大したものだ」
「あ、ありがとうございます」
これは合格できるかも。菜々美は顔が緩まないように、唇を噛みしめた。
「味見をする。こちらのテーブルへひとつ持ってきてくれ」
「わかりました」
厨房を出て、テーブル席で咲人と向かい合って座った。
緊張しながら、彼が長い指で器用に動かし、黒文字で口へ運ぶのを見守る。
「ん……なるほど」
彼が低い声でつぶやいて、練り切りを咀嚼した直後、ガラガラと音が響き、正面の扉が開いた。
定休日という看板に気づかなかったのか、若い男性客が入ってきた。
「こんにちは、咲人くん! あれ?」
病的なほど色白で、優しそうでお人好しそうな雰囲気の男性が、小首を傾げていた。
咲人ほどではないが背も十分高く、なかなか格好いい彼は、ひと昔前のアイドル歌手のような甘い顔立ちをして、カジュアルなシャツとデニムがよく似合っている。
愛想もいいようで、テーブル席で向かい合って座っている咲人と菜々美を交互に見つめていたが、じきに花が咲いたような笑みを浮かべた。
「咲人くん、今日はお店、休みでしょ? 女の子連れ込んで何しているの?」
「蘭丸、邪魔をするな」
「ええっ、僕、お邪魔だったの? 和菓子一筋の咲人さんに恋人ができるなんて驚いたなぁ」
「違う。まったくお前は――」
どうやらアイドル系の彼は、咲人の知り合いというか、友人らしい。二人とも二十四、五歳くらいに見えるので、同級生だろうか。
どうでもいいけれど、採用試験中なので、邪魔しないでほしい。
咲人が思いついたように「そうだ、蘭丸」と彼を呼んだ。
「ん、どうしたの?」
「蘭丸もこの練り切りを食べて、感想を聞かせてくれないか?」
「いいよ。あれ、感想ということは、この人が採用を希望している……えっと、桃色モモミさん?」
「名前が違う。モモミさんって誰だ? 何度も話したのに、彼女の名前を覚えてないのか?」
咲人が呆れている。
おかしな名前と間違われ、菜々美は思わず笑ってしまいそうになった。
「ごめん。えっと、太ももふと子さんだっけ? 違う? えっと、太もも……いや、お尻?」
「桃瀬です。桃瀬菜々美」
どんどん遠ざかっていくので、菜々美は大きな声で自己紹介した。蘭丸という色白の美形はポンと手を打ち、菜々美の方を向いてペコリと頭を下げる。
「桃瀬さんか。ごめん、ごめん。なんだか色っぽい名前だなぁって覚えていたんだ。僕は熊野蘭丸です。ここでアルバイトしているので、仲良くしてくださいね」
部外者だと思っていたら、思いっきりこの店の関係者だった。菜々美も頭を下げる。
「よろしくお願いします。熊野さん」
「蘭丸でいいよ。色が白いから、皆から白熊って言われることが多くて、苗字より名前で呼ばれる方が好きなんだ。僕も菜々美ちゃんって呼んでいいかな?」
「……はい」
美形二人から、「菜々美」「菜々美ちゃん」と下の名前で呼ばれている。
クラスメートの男子からは「桃瀬さん」としか呼ばれたことがなかったので、菜々美は嬉しいというか、なんだかくすぐったくて落ち着かない気持ちになった。
派手に転ぶと思った途端、強い力で手を引かれた。ぐっと体が急に前のめりになり、そのまま咲人の胸に抱きしめられる。
「……っ」
「大丈夫か? 試験だからと焦ることはない。少し落ち着け」
真上から落ちてくる声に顔を上げると、咲人は美麗な顔を強張らせ、静かに菜々美を見下ろしていた。
(今、菜々美と名前で呼ばれた気がする……)
近すぎる距離に、ドッドッドッと心臓が暴れ出し、菜々美は眩暈を覚えてぎゅっと目を閉じた。
「どうした? 体調が悪いのか?」
咲人の低い声に、菜々美は我に返った。
(あっ、採用試験中だった……)
「す、すみません。大丈夫です」
あわてて立ち上がった菜々美を見て、咲人が心配そうに眉を上げた。
「風邪でもひいているのか? 顔が真っ赤だ」
「い、いいえ! し、試験の続きを頑張りますので。あの、熱はないので……」
このままでは不採用になってしまうかも。菜々美は大きく深呼吸をすると、もう一度丁寧に手を洗い、落ち着けと自分に言い聞かせながら厨房に立った。
白玉粉と水と上白糖を潰すようにしながら混ぜて加熱し、片栗粉を敷いたバットに取り出して冷ます。
次は練り切り生地だ。咲人が作った白こし餡を使わせてもらう。求肥と混ぜ合わせて揉みまとめ、生地が伸びるようにする。
「ほぅ……」
腕を組んで壁に背を預けた咲人が、じっとこちらの動きを見ていたが、生地作りに没頭していて気にならなかった。
青色の色粉を少量の水で溶き、練り切り生地を水色に染めておく。白地の生地の縁に水を付けて合わせた。
次は包餡だ。一個分の練り切り生地を左手に載せ、平たくしていく。
急に咲人の鋭い声が飛んだ。
「菜々美、中央を厚めに丸く伸ばせ。包み終えると閉じ目が厚くなる」
「……はいっ」
言われた通り縁を薄く伸ばし、餡玉を載せて手を窪ませる。少しずつ回しながら生地を下から上に伸ばすようにして縁をすぼめ、指先でしっかりとつまんで閉じた。
「形を作るのは布巾を使え。絞るように捩じりを加え、底になる部分に張りを持たせろ。……そうだ」
布巾を外して形を整えると、上から氷餅を散らして完成だ。六個作って、それぞれ銘々皿に載せ、調理台の上に並べると、菜々美はさっと手を上げ、大きな声を出す。
「出来ました!」
咲人は出来た練り切り六個をじっと見つめ、何度も頷いた。
「うむ――。この短時間でここまで作るとは、大したものだ」
「あ、ありがとうございます」
これは合格できるかも。菜々美は顔が緩まないように、唇を噛みしめた。
「味見をする。こちらのテーブルへひとつ持ってきてくれ」
「わかりました」
厨房を出て、テーブル席で咲人と向かい合って座った。
緊張しながら、彼が長い指で器用に動かし、黒文字で口へ運ぶのを見守る。
「ん……なるほど」
彼が低い声でつぶやいて、練り切りを咀嚼した直後、ガラガラと音が響き、正面の扉が開いた。
定休日という看板に気づかなかったのか、若い男性客が入ってきた。
「こんにちは、咲人くん! あれ?」
病的なほど色白で、優しそうでお人好しそうな雰囲気の男性が、小首を傾げていた。
咲人ほどではないが背も十分高く、なかなか格好いい彼は、ひと昔前のアイドル歌手のような甘い顔立ちをして、カジュアルなシャツとデニムがよく似合っている。
愛想もいいようで、テーブル席で向かい合って座っている咲人と菜々美を交互に見つめていたが、じきに花が咲いたような笑みを浮かべた。
「咲人くん、今日はお店、休みでしょ? 女の子連れ込んで何しているの?」
「蘭丸、邪魔をするな」
「ええっ、僕、お邪魔だったの? 和菓子一筋の咲人さんに恋人ができるなんて驚いたなぁ」
「違う。まったくお前は――」
どうやらアイドル系の彼は、咲人の知り合いというか、友人らしい。二人とも二十四、五歳くらいに見えるので、同級生だろうか。
どうでもいいけれど、採用試験中なので、邪魔しないでほしい。
咲人が思いついたように「そうだ、蘭丸」と彼を呼んだ。
「ん、どうしたの?」
「蘭丸もこの練り切りを食べて、感想を聞かせてくれないか?」
「いいよ。あれ、感想ということは、この人が採用を希望している……えっと、桃色モモミさん?」
「名前が違う。モモミさんって誰だ? 何度も話したのに、彼女の名前を覚えてないのか?」
咲人が呆れている。
おかしな名前と間違われ、菜々美は思わず笑ってしまいそうになった。
「ごめん。えっと、太ももふと子さんだっけ? 違う? えっと、太もも……いや、お尻?」
「桃瀬です。桃瀬菜々美」
どんどん遠ざかっていくので、菜々美は大きな声で自己紹介した。蘭丸という色白の美形はポンと手を打ち、菜々美の方を向いてペコリと頭を下げる。
「桃瀬さんか。ごめん、ごめん。なんだか色っぽい名前だなぁって覚えていたんだ。僕は熊野蘭丸です。ここでアルバイトしているので、仲良くしてくださいね」
部外者だと思っていたら、思いっきりこの店の関係者だった。菜々美も頭を下げる。
「よろしくお願いします。熊野さん」
「蘭丸でいいよ。色が白いから、皆から白熊って言われることが多くて、苗字より名前で呼ばれる方が好きなんだ。僕も菜々美ちゃんって呼んでいいかな?」
「……はい」
美形二人から、「菜々美」「菜々美ちゃん」と下の名前で呼ばれている。
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