あやかし甘味堂で婚活を

一文字鈴

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四皿目 どら焼きと離婚寸前の夫婦

その7 濡れ女の来襲

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 咲人が項垂れてしまったマリナの前に『ききょうもち』が載った銘々皿を置いた。

「食べろ、マリナ」
「うん、咲人くん……」

 十文字を手に取り、食べやすい大きさに切って口に入れたマリナは、咀嚼した途端、またぽろぽろと泣き出した。

「夫が……和菓子が大好きなんです。以前から、こちらで購入して、持って帰ると、本当に喜んで……」

 仲が良かった時のことを思い出して、マリナは言葉を詰まらせた。
 菜々美は静かに伝える。

「鬼之丞ちゃんも、餡子が大好きですよ。それから『どら焼き』も」
「夫も『どら焼き』が一番好きで……やっぱり親子ですね」

 マリナは涙を拭って、小さく笑った。
 ほっとした雰囲気になったので、菜々美はみんなに冷えた緑茶のお代わりを配った。その直後――。 

「ちょっと、お邪魔するわよ!」

 甲高い声と共にガラガラガラと勢いよく扉が引かれ、初めて見る女性が入って来た。
 つり上がった目をした若い女性で、ゆるくウエーブがかかった髪を揺らしながら、目をぎょろぎょろさせて店内を見回している。
 彼女からは抑えようというそぶりもないほど妖気と冷気が放出されており、あやかしだとすぐにわかった。
 菜々美はすぐに立ち上がり、応対する。

「いらっしゃいませ」
「どうも。お客じゃありません。こちらに来ている人を訪ねてきました。マリナという人が来ていませんか? お話があるんですが」

 マリナはゆっくり立ち上がり、おずおずと答える。

「は、はい。あたしですが……」
「あら、そう。あなたが鬼一郎きいちろうさんの奥さんなのね」
「あ、あなたは……夫の……?」

 女性はカツカツとハイヒールの踵を響かせながら、青ざめたマリナの前まで歩み寄った。

「――この、泥棒猫っ、鬼一郎さんと別れてちょうだい!」

 地を這うような怒鳴り声が店内に響いた。瑠璃が眉を上げ、女性を睨む。

「ちょっと、いきなり何? そもそもあなた誰なの?」
「聞いて驚きなさいっ。あたしは鬼一郎さんの愛人よ!」
「ゲホッ! ゴホゴホゴホッ」

 緑茶を飲んでいた蘭丸が、器官に入ったのか、思い切りむせている。
 自慢げに宣言する彼女に呆れつつ、菜々美ははっきり言い返す。

「ちょっと待ってください。泥棒猫は、あなたのほうじゃないですか?」
「そうよっ、人の夫に手を出すなんて、最低な女のくせに、偉そうにしないでよっ」

 瑠璃も大きな声を出すが、彼女はフンと鼻を鳴らし、両手を腰に当てた。

「今は愛人だけど、もうすぐ妻になる予定なの! マリナさん、一日も早く、あの人と別れて頂戴。彼、本当に困っているのよ」
「……っ」

 蒼白になりながら、マリナの目に怒りの炎が揺ぐ。

「わ、別れません。あなたこそ、夫をたぶらかすのは止めてください……!」
「なんですってぇ? 別れろというのがわからないの? あたしを誰だと思っているの……っ」

 口調が変化し、ゆるく巻いていた彼女の髪が、雨に打たれたようにしっとり濡れ出した。菜々美は小声で咲人に尋ねる。

「咲人さん、あの人……」
濡女ぬれおんなだ」

 水辺に出るあやかし、濡女は、蛇体の女妖として『百怪図巻』や『画図百鬼夜行』などに妖怪画が残っている。顔や上半身が人間の女で、首から下は蛇である。
 光を放ちながら妖力を開放し、じきに彼女の体は蛇妖へと変化した。
 ぬらぬらとした蛇体が、ゆっくりとマリナの周りを囲み、ずいっと人のままの顔を近づける。

「いいこと、奥さん。離婚して頂戴。鬼一郎さんがそう望んでいるのよ」

 ドスの聞いた声でそう言うが、彼女から殺意のような鋭い気配は感じられない。
 だからだろう、咲人は間に割って入ろうとせず、その場を動こうともしない。
 濡女の姿から元の人型に戻り、女性はくるりと踵を返した。

「それじゃあ」
「ちょっと待ちさないよぅ。あなたの名前は? マリナさんの旦那とはいつから……」
「うるさいわね、外野は引っ込んで頂戴! 関係ないでしょう!」

 瑠璃の質問を無視し、女性はハイヒールのまま器用にすたこら走って、店を出て行った。
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