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3.王子妃教育
視線を感じたナディアは、ゆっくりと顔を上げる。
そこにいたのは――イサークだった。
彼女は小さく息を吐き、立ち上がる。
「どうして、こちらにいらっしゃるのですか?」
その声は、昨日までの甘い響きは一切ない。
アメジストの瞳は氷のように澄んでいて、感情の揺らぎは見えない。
イサークは一瞬、言葉に詰まったように見えたが、すぐにいつもの自信たっぷりな笑みを浮かべる。
「俺の馬車に乗らないかと誘いに来た」
馬車?
授業はすでに終わっている。後は帰るだけ。
兄と一緒に帰らないといけないのも息が詰まるけれど、目の前にいるイサークよりはマシだ。
ナディアが黙っていると、イサークは言葉を続ける。
「今日は王子妃教育の日だろう」
……ああ、そうだった。
週に一回。第二王子の婚約者として、ナディアは王宮に通い、王子妃になるための作法や教養の授業を受けていた。
色々あったせいですっかり忘れていた。
ナディアは無表情のまま、イサークの翠色の瞳をじっと見つめる。
「なぜですか?」
「王宮に行くなら一緒の馬車に乗るのもいいと思ってな。前は同じ馬車に乗っていたんだから――」
「そうではなく」
ナディアは話しを遮った。
「私たち、婚約破棄しましたよね?」
イサークの表情がわずかに強張る。
前は同じ馬車に乗っていたなんて、そんな話はどうでもいい。
そんなことより、婚約破棄をした今。どうして私が王子妃教育を受ける必要があるの?
昨日、彼が口にした言葉を、ナディアがそのまま返しただけ。それなのに、婚約破棄という一言が妙に重く響いた。
「昨日のことは……まだ正式に陛下に報告していない。表向きは婚約継続のままだ」
「だから?」
ナディアの淡々とした声が静かに響く。
婚約破棄に表向きも裏向きもあっては困る。
イサークから解放されると喜んでいたのに。
「婚約が続いているから、王子妃教育を受ける義務があるということですか?」
「……ああ、そういうことだ」
イサークは少し苛立ったように、金髪をかき上げる。
太陽の下で輝くその髪も、今のナディアにはただ眩しいだけでしかない。
いつもなら、ナディアはイサークの言葉を喜んで全て受け入れていた。
それなのに、彼女はただ冷たく彼を見つめるだけ。
そのギャップが、イサークの胸をざわつかせた。
「それとも」
ナディアは小さく首を傾げ、目を細める。
「私が王子妃教育を受けなくなったら、困る人がいるのですか?それとも……あなたの友人が、王妃の座に就くための準備がまだ整っていないとか?」
その瞬間、イサークの瞳が大きく見開かれた。
「何を……」
「冗談です」
ナディアは薄く笑う。笑顔なのに、その瞳は全く笑っていない。
今日、はじめて見る彼女の笑顔はただの仮面のような、完璧に作り込まれた貴族令嬢の微笑み。
「お気になさらないで。私は偽りの婚約者として、これから一人で王宮に向かいます。同じ馬車に乗る必要など、もうありませんから」
そう言い終えると、ナディアはくるりと背を向け、歩き出す。
絹のように長い銀髪が、風に揺れてイサークの視界を掠める。
イサークは思わず手を伸ばしかけ――しかし、指先が空を切る。
「……ナディア」
名前を呼ぶ声は、自分でも驚くほど掠れていた。
ナディアは振り返らない。
ただ、静かに、しかしはっきりと告げた。
「もう、私を名前で呼ばないでください。第二王子殿下」
足音が遠ざかる。
イサークは立ち尽くしたまま、彼女の背中を見送ることしかできなかった。
胸の奥で、何かが軋む音がした。
まただ……このざわつきは何だ?
ナディアの知らないことなどない。そう思っていた。
彼は初めて、ナディアが「自分のもの」ではなくなったことを、はっきりと実感した。
そこにいたのは――イサークだった。
彼女は小さく息を吐き、立ち上がる。
「どうして、こちらにいらっしゃるのですか?」
その声は、昨日までの甘い響きは一切ない。
アメジストの瞳は氷のように澄んでいて、感情の揺らぎは見えない。
イサークは一瞬、言葉に詰まったように見えたが、すぐにいつもの自信たっぷりな笑みを浮かべる。
「俺の馬車に乗らないかと誘いに来た」
馬車?
授業はすでに終わっている。後は帰るだけ。
兄と一緒に帰らないといけないのも息が詰まるけれど、目の前にいるイサークよりはマシだ。
ナディアが黙っていると、イサークは言葉を続ける。
「今日は王子妃教育の日だろう」
……ああ、そうだった。
週に一回。第二王子の婚約者として、ナディアは王宮に通い、王子妃になるための作法や教養の授業を受けていた。
色々あったせいですっかり忘れていた。
ナディアは無表情のまま、イサークの翠色の瞳をじっと見つめる。
「なぜですか?」
「王宮に行くなら一緒の馬車に乗るのもいいと思ってな。前は同じ馬車に乗っていたんだから――」
「そうではなく」
ナディアは話しを遮った。
「私たち、婚約破棄しましたよね?」
イサークの表情がわずかに強張る。
前は同じ馬車に乗っていたなんて、そんな話はどうでもいい。
そんなことより、婚約破棄をした今。どうして私が王子妃教育を受ける必要があるの?
昨日、彼が口にした言葉を、ナディアがそのまま返しただけ。それなのに、婚約破棄という一言が妙に重く響いた。
「昨日のことは……まだ正式に陛下に報告していない。表向きは婚約継続のままだ」
「だから?」
ナディアの淡々とした声が静かに響く。
婚約破棄に表向きも裏向きもあっては困る。
イサークから解放されると喜んでいたのに。
「婚約が続いているから、王子妃教育を受ける義務があるということですか?」
「……ああ、そういうことだ」
イサークは少し苛立ったように、金髪をかき上げる。
太陽の下で輝くその髪も、今のナディアにはただ眩しいだけでしかない。
いつもなら、ナディアはイサークの言葉を喜んで全て受け入れていた。
それなのに、彼女はただ冷たく彼を見つめるだけ。
そのギャップが、イサークの胸をざわつかせた。
「それとも」
ナディアは小さく首を傾げ、目を細める。
「私が王子妃教育を受けなくなったら、困る人がいるのですか?それとも……あなたの友人が、王妃の座に就くための準備がまだ整っていないとか?」
その瞬間、イサークの瞳が大きく見開かれた。
「何を……」
「冗談です」
ナディアは薄く笑う。笑顔なのに、その瞳は全く笑っていない。
今日、はじめて見る彼女の笑顔はただの仮面のような、完璧に作り込まれた貴族令嬢の微笑み。
「お気になさらないで。私は偽りの婚約者として、これから一人で王宮に向かいます。同じ馬車に乗る必要など、もうありませんから」
そう言い終えると、ナディアはくるりと背を向け、歩き出す。
絹のように長い銀髪が、風に揺れてイサークの視界を掠める。
イサークは思わず手を伸ばしかけ――しかし、指先が空を切る。
「……ナディア」
名前を呼ぶ声は、自分でも驚くほど掠れていた。
ナディアは振り返らない。
ただ、静かに、しかしはっきりと告げた。
「もう、私を名前で呼ばないでください。第二王子殿下」
足音が遠ざかる。
イサークは立ち尽くしたまま、彼女の背中を見送ることしかできなかった。
胸の奥で、何かが軋む音がした。
まただ……このざわつきは何だ?
ナディアの知らないことなどない。そう思っていた。
彼は初めて、ナディアが「自分のもの」ではなくなったことを、はっきりと実感した。
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