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第三十六話 蜂の一刺し
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部屋へ戻ったカーラは人払いをし、椅子に腰を下ろした。
――帝国券を売る。
今のところそれがゼザール帝国への打撃となることらしい。
だがそれは諸刃の剣であり、もし王家側が売れば売った王家側ももただでは済まないだろう。
国券と同じく帝国券も売ればすぐに分かるような仕組みになっている。
そして帝国券を購入するということは帝国の繁栄を信頼しているということ。
それを売るということは、帝国側に何か問題がある、と周辺国に思わせることになる。
そしてそれはシステバン王国がゼザール帝国へ含むものがある、と捉えられてしまう可能性が高い。
確かにこれでは王家が持っている『帝国券』を売る訳にはいかないわね。
でも、システバン王国内にそれほど『帝国券』を所有している者がいるのだろうか。
情報が足りないわ。
俯いたとき、かさり、と小さな音がした。
よく見ると裾の部分に小さな紙片が挟まっている。
何かしら?
異常があればリズが気付かないはずがない。
小さく畳まれたそれを広げたカーラは目を見開いた。
これって。
――翌朝。
カーラはリズに余分な時間が取れないかどうか相談した。
「そうですね。今日は歴史学の授業ですからサンダーソン先生に相談してみますわ」
「助かるわ」
「それでそのお時間をどうされるおつもりですか?」
「話をしたい人物がいるの」
朝食の食堂にはやはりジェラルドの姿はなく、一人で過ごした。
これは急いだ方がいいかもしれないわね。
午前中にある歴史学の授業を早めに終わらせて貰ったカーラは予定の入っていない応接間の一つにその人物を呼び出した。
「これは神託の花嫁様。昨日ぶりでございますな」
コフルが入室してきたが、カーラは固い表情を崩さなかった。
「リズ、これから先は口外無用です」
「かしこまりました」
物々しい様子に戸惑ったようにコフルが返した。
「どうかされましたかな?」
白々しい様子を見せるコフルに対面の椅子を勧めるが辞退されてしまった。
ただの従僕が神託の花嫁と同席する訳にはいかない、と。
「ではこれは一体どういうことかしら?」
カーラは昨日、裾の飾りに挟められていた紙片を取り出した。
そこには人名が書かれていたが、カーラにはあまり馴染みのないものだった。
ロイ・タイゼン、とだけ書かれた紙片を認めたコフルの視線が微かに揺れる。
「身に覚えがあるでしょう? 昨日あなたが紛れ込ませたのだから」
「カーラ様!!」
驚いたようにリズが叫ぶが、カーラは報告しなかったことを目で謝った。
「それでコフル、あなたはこれで何を伝えたかったのかしら?」
「処罰はされないのでしょうか?」
「勘違いしないで。内容によるわ」
かしこまりまして、と告げてコフルが話した内容は今のカーラにとって非常に都合のいいものだった。
「そのロイ・タイゼンという商人が持っている『帝国券』を売れば、ゼザール帝国に打撃を与えられるというの?」
聞き終わって思わず疑問を呈したカーラにコフルが頷く。
「さようにございます。タイゼンはおよそ一割五分の『帝国券』を所有してございますれば」
――一割五分。
帝国券はその期間が長いこともあり、その発行量はとんでもない数を誇る。
それを一割五分とは。
「確かにそれならゼザール帝国に一撃を与えることができるかもしれないわね」
現在の連絡手段は手紙や鳩だが、商人たちは独自に鳩を飼っているものが多い。
一割五分もの『帝国券』が売られたとなれば、帝国の価値は下がったと見る者が多くなるだろう。
「さようにございます。タイゼンに繋ぎをつけましょうか?」
「カーラ様!!」
勝手なことを、とリズは思っているのだろうが、ここまで来てカーラは引けなかった。
これでジェラルドが楽になるのだったら。
「ええ。お願いね」
その二日後、内密に呼び寄せたタイゼンは深い彫りのある顔立ちをした、壮年の男性だった。
「お呼びと聞きました。ロイ・タイゼンにございます」
応接間内にはカーラとタイゼンの他にリズとコフルが控えていた。
「マルボーロ男爵が長女、カーラです。早速ですがお願いがあります」
「何でしょうか」
「あなたが所持している『帝国券』を手放して欲しいのです」
すばりと用件を切り出したカーラに、タイゼンがどこかとぼけた様子で尋ねた。
「はて、それはどういったことでしょう?」
「タイゼンッ!!」
コフルが慌てたように声を上げるが、タイゼンはそれに対し、うろんげな目を向けた。
「何を焦る? 我ら商人が利を求めるのは必然のことだろう? して、神託の花嫁様はそれに値する対価をお持ちでしょうか?」
少しは予想していたが、やはりタイゼンは商人らしく、冷静な答えを返した。
「まずは貴重な時間を割いて下さりありがとうございます。対価に関してですが、それは売れば分かると思います」
タイゼンが眉を上げた。
「そのような曖昧な答えでは残念ながら納得できませんが」
「現在ゼザール帝国は関税以外にも次々と施行される法により、混乱していくと思われます。これまでの取引は何ひとつ成立しなくなり、不満をもつ周辺国が攻めてきてもおかしくない状況になってしまいます」
「次々と施行される法、とは?」
タイゼンの様子からまだそこまで詳しいことは伝わってないと分かる。
「通行手形の制限や通行料の値上げ、加えて帝国内の移民の退去――「ありえない」
あぜんとした様子で口を挟んだタイゼンに心の中で頷く。
そうでしょうね。
「ですので、タイゼン、あなたには蜂の一刺し、となって貰いたいのです」
――帝国券を売る。
今のところそれがゼザール帝国への打撃となることらしい。
だがそれは諸刃の剣であり、もし王家側が売れば売った王家側ももただでは済まないだろう。
国券と同じく帝国券も売ればすぐに分かるような仕組みになっている。
そして帝国券を購入するということは帝国の繁栄を信頼しているということ。
それを売るということは、帝国側に何か問題がある、と周辺国に思わせることになる。
そしてそれはシステバン王国がゼザール帝国へ含むものがある、と捉えられてしまう可能性が高い。
確かにこれでは王家が持っている『帝国券』を売る訳にはいかないわね。
でも、システバン王国内にそれほど『帝国券』を所有している者がいるのだろうか。
情報が足りないわ。
俯いたとき、かさり、と小さな音がした。
よく見ると裾の部分に小さな紙片が挟まっている。
何かしら?
異常があればリズが気付かないはずがない。
小さく畳まれたそれを広げたカーラは目を見開いた。
これって。
――翌朝。
カーラはリズに余分な時間が取れないかどうか相談した。
「そうですね。今日は歴史学の授業ですからサンダーソン先生に相談してみますわ」
「助かるわ」
「それでそのお時間をどうされるおつもりですか?」
「話をしたい人物がいるの」
朝食の食堂にはやはりジェラルドの姿はなく、一人で過ごした。
これは急いだ方がいいかもしれないわね。
午前中にある歴史学の授業を早めに終わらせて貰ったカーラは予定の入っていない応接間の一つにその人物を呼び出した。
「これは神託の花嫁様。昨日ぶりでございますな」
コフルが入室してきたが、カーラは固い表情を崩さなかった。
「リズ、これから先は口外無用です」
「かしこまりました」
物々しい様子に戸惑ったようにコフルが返した。
「どうかされましたかな?」
白々しい様子を見せるコフルに対面の椅子を勧めるが辞退されてしまった。
ただの従僕が神託の花嫁と同席する訳にはいかない、と。
「ではこれは一体どういうことかしら?」
カーラは昨日、裾の飾りに挟められていた紙片を取り出した。
そこには人名が書かれていたが、カーラにはあまり馴染みのないものだった。
ロイ・タイゼン、とだけ書かれた紙片を認めたコフルの視線が微かに揺れる。
「身に覚えがあるでしょう? 昨日あなたが紛れ込ませたのだから」
「カーラ様!!」
驚いたようにリズが叫ぶが、カーラは報告しなかったことを目で謝った。
「それでコフル、あなたはこれで何を伝えたかったのかしら?」
「処罰はされないのでしょうか?」
「勘違いしないで。内容によるわ」
かしこまりまして、と告げてコフルが話した内容は今のカーラにとって非常に都合のいいものだった。
「そのロイ・タイゼンという商人が持っている『帝国券』を売れば、ゼザール帝国に打撃を与えられるというの?」
聞き終わって思わず疑問を呈したカーラにコフルが頷く。
「さようにございます。タイゼンはおよそ一割五分の『帝国券』を所有してございますれば」
――一割五分。
帝国券はその期間が長いこともあり、その発行量はとんでもない数を誇る。
それを一割五分とは。
「確かにそれならゼザール帝国に一撃を与えることができるかもしれないわね」
現在の連絡手段は手紙や鳩だが、商人たちは独自に鳩を飼っているものが多い。
一割五分もの『帝国券』が売られたとなれば、帝国の価値は下がったと見る者が多くなるだろう。
「さようにございます。タイゼンに繋ぎをつけましょうか?」
「カーラ様!!」
勝手なことを、とリズは思っているのだろうが、ここまで来てカーラは引けなかった。
これでジェラルドが楽になるのだったら。
「ええ。お願いね」
その二日後、内密に呼び寄せたタイゼンは深い彫りのある顔立ちをした、壮年の男性だった。
「お呼びと聞きました。ロイ・タイゼンにございます」
応接間内にはカーラとタイゼンの他にリズとコフルが控えていた。
「マルボーロ男爵が長女、カーラです。早速ですがお願いがあります」
「何でしょうか」
「あなたが所持している『帝国券』を手放して欲しいのです」
すばりと用件を切り出したカーラに、タイゼンがどこかとぼけた様子で尋ねた。
「はて、それはどういったことでしょう?」
「タイゼンッ!!」
コフルが慌てたように声を上げるが、タイゼンはそれに対し、うろんげな目を向けた。
「何を焦る? 我ら商人が利を求めるのは必然のことだろう? して、神託の花嫁様はそれに値する対価をお持ちでしょうか?」
少しは予想していたが、やはりタイゼンは商人らしく、冷静な答えを返した。
「まずは貴重な時間を割いて下さりありがとうございます。対価に関してですが、それは売れば分かると思います」
タイゼンが眉を上げた。
「そのような曖昧な答えでは残念ながら納得できませんが」
「現在ゼザール帝国は関税以外にも次々と施行される法により、混乱していくと思われます。これまでの取引は何ひとつ成立しなくなり、不満をもつ周辺国が攻めてきてもおかしくない状況になってしまいます」
「次々と施行される法、とは?」
タイゼンの様子からまだそこまで詳しいことは伝わってないと分かる。
「通行手形の制限や通行料の値上げ、加えて帝国内の移民の退去――「ありえない」
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そうでしょうね。
「ですので、タイゼン、あなたには蜂の一刺し、となって貰いたいのです」
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