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 あの時の我を忘れるほどの激しいセックスと自分の中に芽生えた妙な感情から目を背け、できる限り思い返さないようにしながら、俺は日常の生活を淡々とこなしていった。
 その頃の俺は部活が楽しくてしかたなかった。颯太に会えない寂しさが一番紛れるのもサッカーをしてる時だった。好きで真剣に取り組んでいたからめきめき上達していったし、部活をしている時にグラウンドのフェンスの向こう側で可愛い女子たちが熱い視線で見守ってくれてるのも気分が良かった。モテることが不愉快な男なんていない。

 中1の時に泊まって以来、親からもう一人でバスに乗って颯太に会いに行くことも許されていたから、2ヶ月に1度くらいは颯太の都合のいい時に会いに行っていた。コンドーム買ったりゲーム買ったりで貰うそばからどんどん消えていく小遣いも、颯太に会いに行くために必要な費用は必ず毎月それなりに残していた。颯太に会っている時間は本当に心が満たされた。颯太は相変わらず、会うたびにどんどん綺麗になっていく気がする。ひそかに見とれつつも、俺はいつも颯太の言葉を一つも聞き逃すまいと真剣だったから、颯太のことは何でもよく知っていた。美術部で今どんな作品を作っているのかも、文系科目が得意なことも、体育の授業が嫌いなことも。好きなテレビ番組も、好きな音楽も、ハマっているスイーツも、…彼女がまだいないことも。

「…樹は?モテるからもう彼女ぐらいいるんじゃない?」

 颯太のマンションからわりと近いファーストフードの店で一緒にハンバーガーを食べている時にその話題になった。6月の曇った日曜日の昼だった。

「……っ、」

 気になってこっちからその話を振ったんだから聞き返されてもおかしくはないのだが、なんだか妙な後ろめたさがあって答えづらい。なんとなく…、颯太には蘭のことは知られたくなかった。

「いねーよそんなの。…何でお前、俺がモテまくりなこと知ってんだよ」
「ふふ、モテまくりかどうかは知らないけどさ。樹ならモテないはずがないと思って」
「…何でだよ」
「だって、カッコいいし」
「……っ」

 初めて颯太の口から“カッコいい”と言われて、俺は心臓が痛いくらいに大きく跳ねた。

「……何だよ急に……」
「カッコいいし、運動神経抜群だし、背も高いし、話してて楽しいし。…女子が放っておくはずないと思って」

 その頃の俺は颯太よりもう10センチぐらい背が高くなっていた。
 突然そんなに褒められて、俺はめちゃくちゃ動揺した。一気に汗が噴き出る。

「…何でそんな褒めんだよ急に。金ならねーぞ」
「いらないよ、バカ」

 颯太は普段と変わらない様子でクスクス笑っているけど俺は汗かいて顔も赤くなってしまってすげぇ恥ずかしい。カウンターに並んで座って話していたが、慌てて颯太とは逆の方を向いて外の景色を見るふりをしながら氷が溶けて薄くなったコーラをグビグビ飲んだ。

「……本当にいないの?樹」
「いねーってば」

 何故か颯太は重ねて聞いてくる。赤い顔を見られるのが恥ずかしくて、俺はそっぽを向いたままつっけんどんにそう答えた。本当は颯太に褒められたことがめちゃくちゃ嬉しくてたまらなかった。心臓がバクバクいっている。

「そっかぁ」

 それで納得したのか、颯太はもうその話題には触れなかった。


 それから2週間後の日曜日。
 俺は蘭の買い物に付き合っていた。ヤる時以外は別に会わなくていい。むしろ会いたくない。買い物なら女同士で行けよ、なんて本音を言えるはずもなく、渋々一緒に出かけた。
 人でごった返す休日の繁華街を腕を組んで歩く。蘭はやたらと人前でベタベタしたがるから鬱陶しい。どうせベタベタしたって外ではヤれねぇんだからもうちょっと離れて歩いてくれねぇかな。すげぇ歩きづらい。

「ねぇ~、いっくん見て見てー。どっちが似合う?」

 ビルの中にあるやたらキラキラした店で蘭が2枚のワンピースを交互に体に当ててみせる。女だらけで居心地が悪い。何人もの女にチラチラと見られている。

「……。えっ…と…、…どっちも可愛いよ」
「もぉー!選んでよぉ。いっくんが好きな方を買いたいのー」

 やたら大きな声で甘えたように俺に言う。

「…………、こっちかな」

 適当に手が伸びた方を指差す。

「だよね!私もこっちがいいかなぁって思ってたんだ。ホントにいっくんって私のことよく分かってくれてるよねぇ」

 蘭は満足したらしく弾むような足取りでレジに向かった。はぁ。これであとはカフェでケーキでも奢ってしばらく喋ればもう帰ってもいいかな。くそー、そんな金すらもったいない。正直颯太に会いに行く時の交通費や昼飯代として残しておきたい。

 案の定その後はカフェでお喋りしたいと言われまだしばらく拘束された。私のどこが好きかだの、前の彼女とどっちがいいかだの、うんざりするような質問を次々とされ、グッタリ疲れた頃ようやく帰ることになった。

「…今日親いるんだよな?」
「うん、いる」

 だよなぁ。ヤれねーか。ちっ。

「…またエッチしたいとか考えてたんでしょ?」

 バス停まで歩きながら、蘭が眉間に皺を寄せていぶかしげに言う。

「まぁそりゃあ…。好きだからヤりたくなるって、前にも言っただろ」
「…………。」
「疑ってんの?蘭は嫌?俺とするの」
「……ううん。そんなことないけど」
「だよな」

 俺はできるだけ優しく見えるように蘭を見つめて微笑む。蘭は納得したようだった。腕をギュッと強く絡めてくる。

 大通りに面したバス停はわりと人が少なかった。バスが出たばかりなんだろう。蘭は俺の前に立ちこちらを振り向くと、体を密着させて強く抱きしめてくる。俺はポケットに手を突っ込んだまま蘭を見下ろして言う。

「…人いっぱいいるんですけど」
「イヤ?」
「恥ずかしいだろ」
「ううん。私は恥ずかしくない。いっくんにくっつきたいんだもん。…それにいっくんみたいなカッコいい彼氏がいるって、皆に見せびらかしたくなっちゃう」

 そう言うとますます強く抱きしめてきた。……はぁ。止めてくんねぇかなマジで。

「ねぇ、いっくん」
「ん?」
「……キスして」
「……えぇ?ここで?」
「ウン。一回だけ。ね?」

 蘭は小首をちょこんとかしげて上目遣いで俺に甘えてくる。……あぁ、めんどくせぇぇぇ……
 さっさと解放されたくて、俺は身をかがめて軽く蘭の唇に触れるだけのキスをした。大通りを挟んだ反対側にもバス停があって、あっちにはたくさん人がいる。めっちゃ見られただろうなぁ。…まぁ別にいいんだけどさ…。

 俺は何気なく通りの向こうに見えるバス停に目をやった。

「────っ!」

 その瞬間、心臓が大きく鳴って、体が硬直した。
 そこには、呆然とした顔で俺を見つめる颯太の姿があった。

「………………っ、」

 ドッと血の気が引いて、軽く目まいがする。指先が冷たくなっていくのが分かった。なんで。なんでそこにいるんだ。

 お互いに目をそらさない。颯太はじっと俺を見ている。いたたまれなくて顔を背けたいのに、俺は身動きひとつできなかった。
 その時、颯太の目の前にバスが停まり、その姿が隠れた。ドッドッドッドッ……と、自分の鼓動がやけに大きく体に響く。バスが去った後、颯太の姿はもうそこになかった。

「………………。」

 見られてしまった。嘘をついているのを知られてしまった。こないだ彼女はいないって言ったばかりなのに。まさか、こんなところで偶然出会ってしまうなんて。

 蘭が何度も俺の腕を乱暴に引っ張って何か話しかけてきていたが、もう何も耳に入らなかった。



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