いとしのわが君

ナギ

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それから、の話

その色はあなたの色 後編

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 扉が開くと、そのお迎えだ。
 クロヴィスと、アルベールが一緒にいる。バティストは一緒ではなかった。
 きっちりと正装し、いつもとは雰囲気も違う。その代り様にブランシュは少し驚いたくらいだった。
「今日もかわいいな、フラン」
「あら、お上手ね、クロちゃん。けど私は貴方のためにいつでもかわいいつもりよ」
「知ってる」
 二人の世界、というものには口を出さない、突っ込まない。それが良いとブランシュは思いすすーと視線をそらす。
 すると同じことを思ったのだろう、アルベールもまた同じように視線をそらしていた。
 その視線がぶつかって、アルベールはしばしブランシュを凝視していた。その不躾さに居心地の悪さを感じて、何とブランシュは問う。
 アルベールは自分が向けていた視線が遠慮なしだったことに気付いてふいと逸らす。
「……それなりの格好をすれば、それなりなんだなと」
「あなたもね」
「いや、悪い。違うな、こういう時は……素直に、綺麗だと賛辞を贈るべきか」
 ほんと咳払いひとつ。アルベールは、似合っていると紡いで手を差し出した。
「……?」
「不思議そうな顔をされても困る。お前のエスコートを俺が」
「え、そうなの?」
「ああ、お前の父上のところまで」
 それなら、とブランシュはそっと手を重ねた。
 自分を連れてきた手前、確かに父のもとまで連れて行くのは彼らの約束の内にはいるのだろう。
 ブランシュは疑問も抱かず、エスコートされるままだ。
 その様子に、あれは気付いていないのよねとフランチェスカはそっとクロヴィスに尋ねる。
「どっちも、だな。そもそも……アルベールが勝てると俺は思わないんだけどな」
「なに、それどういうこと?」
「まぁ、いろいろだ」
 何々ーと問う言葉をクロヴィスはかわして笑う。
 政治的にとかなんだかんだで、ブランシュと婚約などできればそれはきっと、アルベールにとって意味のある事なのだろう。
 しかしそれ以前に、あれはどうみても惹かれているだろうとクロヴィスは思うのだ。
 本人は気付いてないし、気付いたとしても否定するだろうが。
 バティストもブランシュには好意を抱いていたのだろう。しかし、相手が悪いと身を引いた。誰にも何も言わずだが、クロヴィスはその心中を察していた。それはアルベールのことに気付いて、ではない。
 ブランシュの傍にいる幻獣。あの赤公にかなうと思わなかったからだ。
「それでも、人と幻獣という壁はあるんだけどな……」
 ぽそりと呟いた言葉に、フランチェスカがどうしたのと首かしげる。なんでもない、とクロヴィスは笑って返す。
 城の中を歩み、向かうのは広間だ。すでに夜会は始まっている。
 先にクロヴィスがフランチェスカを伴って、広間へと入った。二人の事は多くの者が知っている為、いつものことかというところ。
 しかし、アルベールが誰かを伴って現れるというのは初めてのことでざわつく。
 しかもどこの誰かもわからない者を伴ってだったのだから。
 広間へ降りてゆく、ゆったりとした螺旋階段。
 それを降りるのにブランシュは四苦八苦していた。やはりピンヒールなど、と足元に殺意を覚える。だが今、この場でそれを脱ぎ捨ててしまうのはまずい、ということはさすがにわかる。
 一応、父親の体面も考えて我慢することにしたのだ。
「呪ってやるわ……ピンヒール」
「物騒だな」
 思わず零した言葉にアルベールがぷっと吹き出す。あなたも履いてみればいいのよとブランシュは悪態をつき、どうにか階段を降り切った。
 そこでやっと気付く。視線が集中していることに。今までは階段を下りるのに必死で気付いていなかったのだが、好奇の視線というものはわかりやすい。
 それがアルベールではなく自分に向けられていることもすぐに理解できた。
「珍しい動物でもみているような、そんな感じね」
「違うだろ……美人がいれば誰だって気になる」
 あれは俺がいるから寄ってこないだけで、離れたらすぐに取り囲まれるぞとアルベールは囁いた。
「少し話をとかダンスの誘いとかだな」
「面倒ね……」
 どうやってかわそうかしらとブランシュは零す。それよりなにより、早く帰りたくて仕方ないというような雰囲気だ。
「お父様のところに連れて行ってもらえる?」
「そうしたいのだが」
 そうはいかないようだとアルベールは視線で示す。ブランシュがそれを追うと、にこにこと微笑む国王の姿があった。
「やあ、久しぶりだね。ブランシュ嬢」
「……お目にかかれて光栄です」
「うん、まさかアルベールと一緒の姿を見るとは思っていなかった」
 にこにことご機嫌な様子だ。
 アルベールもそつなくかえし、ブランシュも適当に問題ない感じで答えている。
 するとその様子に、王は満足したのかうんうんと頷いて爆弾を落としたのだ。
「私は二人が良いなら婚約などどうかな、と思っているのだがね」
「は?」
「父上、そういう話はここでは」
「いや、こういう場だからこそ」
 ブランシュにその気は全く無い。
 アルベールとしては、その話は有りだと思っている。
 そこで二人は限りなくかみ合っていないことを、お互いに理解はしていた。
 だがこの夜会という、不特定多数の有力者がいる場で王がそんな話をするなど、意味のある話にしかならないわけで。
 狙ってやったのだと、ブランシュは盛大に舌打ちしそうになるのをどうにか抑え込んだ。
「いいえ、アルベール様は私にはもったいない方ですので、きっともっとふさわしいお嬢様がいらっしゃいます。今日は、私の父に請われて、私はここにいるだけですので」
 何もございません、とブランシュは口にする。だが、それも謙遜と受け取られることだ。
 そしてアルベールも何も言わない。否定をしない。
 ブランシュは、この二人はと腹の底でふつふつと沸きあがる怒りを感じていた。
 何か言いなさいよとブランシュはアルベールを睨む。するとアルベールは意味ありげに笑みを浮かべ。
「……私は、ブランシュが良いならそれもありかと思っていますが」
「えっ、やめてよ冗談じゃない」
 即座に零れた本音。あっ、と思った時にはもう遅く、その言葉はアルベールにも、国王にも届いていた。
「ということらしいので、父上」
「そうか、残念だな」
 国王は本当に、残念だと何度も零す。ブランシュは諦めたかしらと思うのだがまだ油断はできない。
 にっこりと微笑めば苦笑いを向けられた。
 そしてその場を離れた時、だ。
 ざわざわと入口の方が騒がしい。衛兵たちがあっちだこっちだとざわついている。
「何事かな?」
「さぁ……」
 微かに聞こえてくる声。その中で獣が、とか赤い、とか聞こえてくる。
 その内容に、ブランシュは思い当たるものがあった。
 そこへごめんと笑いながらバティストが近づいてきた。
「蒼公がもうギブだって。いや、良くとどめたと思うけど」
「疲れた!」
 ぺそんとバティストの腕の中で蒼公はつぶれている。へふへふと息は荒い。ところどころ羽根が抜けている気もするが、ブランシュは深く聞かない方が良さそうだと察した。
「バティスト、蒼公を頼む」
「いいよ。俺は今日、浮気が色々ばれてお嬢さん方から総スカンくらってるから」
 みんな等しく、好きって囁いたんだけどなとバティストは零す。クロヴィスはフランチェスカがいるから蒼公を抱いてはやれないのだ。
「蒼公様、あとでおいしいお菓子をごちそうしますね」
「おお、フランか! うんうん、楽しみにしてるからな」
 そう言って、蒼公はアルベールの隣にいるブランシュをみて動きを止めた。
「……ブランシュか?」
「ええ。大変だったみたいね」
「ああ、それはもう! しかしこれからもっと」
 大変になりそうだと蒼公が零すのと、人の間を抜けて赤い塊が転がりでてきたのは同じタイミングだ。
「人間どもが! 我をなんだと思っているのか!」
 唸りながら赤い塊――ムゥは身震いをししゅたっと立ち上がった。
「えぇい、ブランシュを探さねば! こんな場所好むわけがない!!」
 その様子にあらかわいいと、フランチェスカは零す。
「今かわいいといったのはどこのどい、つ…………」
 そのかわいいに反応し、ムゥは周囲を見回した。
 すると視線はある一人で止まって、外せなくなる。
「……ぶ、ぶらんしゅ?」
「なぁに、ムゥ」
「ブランシュ……? ごふっ、なんぞそれは!」
 と、それがブランシュであることが確定すると同時に、ムゥはそこでごろごろと転がりまわった。
 何を突然暴れだしているのか、とブランシュはやめなさいというのだが言葉は届いていない。
 仕方ない、と、失礼しますと一言断ってバティストはムゥを捕まえ抱きかかえた。
「は、離せ小僧が! いやこのままブランシュのところにつれていけ!」
「いえ、そうもいかないので……」
 バティストはムゥの耳元に何事か囁く。するとムゥの動きはぴたりと止まった。
「ちょっと用意をしてきます。皆様お騒がせしました」
 バティストは笑顔を振りまいて、ムゥを連れてその場を離れる。
 ブランシュもまたムゥが申し訳ありませんと頭を下げていた。
「……バティスト様、おめかしでもしてきてくれるのかしら。リボンでも結んできてくれたらかわいいのに……」
 そうはならないと思うが、とアルベールは呟いて周囲も静まってきたからとブランシュの手を引く。
「父君のもとに行くのだろう?」
「ええ、そうだったわ。文句言わないと……」
 ブランシュはお父様はどこかしらと視線を巡らせる。すると小さく手を振る父の姿を見つけた。同じタイミングでアルベールも見つけており、足はそちらへ。
 長い裾に、ヒール。アルベールは気づかってゆっくり歩いてくれているのだが、それでも歩きにくいことにはかわりなかった。
「おお、ブランシュ……元気そうで」
「お父様、こういう回りくどいやりかたはやめてください」
「そうはいっても連絡も何もないし……うまくやっているのか心配で……アルベール様、どうもこのたびはありがとうございました。そして娘をよろしくお願いいたします」
「は?」
「え、先程婚約がどうとか」
 そんな話はありませんとブランシュは即座に言う。この父は何を聞いていたのだろうか。嬉しそうにして、と二人だけならすぐに色々な言葉が飛び出ただろう。
 しかし、夜会なのでそれはまた後日になりそうだ。
 違うのか、そうなのかとがっくりする父の姿に、ブランシュは当たり前でしょうと呆れた声だ。
「そうだ、ブランシュがこの男と結ばれることはない。そもそも我が許さん」
「っ!」
 突然、だ。
 アルベールの手からブランシュの手を奪う男が現れる。
 王子の手からそんなことをできるものなどいない。いてもそれは王くらいのものだ。
 しかし、それをやって除けた者の登場に、その様を見ていた者達は息を呑む。
 アルベールはそれについて咎めない。気に入らない、とは思っているのだが事を荒立てるのは良くないとわかっているからだ。
 それはその男が幻獣であると、ムゥであると知っているから。
「ごめん、ひとまず止めたけどやっぱり無理で……」
 後ろから顔をのぞかせたバティストは苦笑い。そこでふと、じっとブランシュがムゥを見つめたままなのに気付いた。
「あれ、大丈夫?」
「ブランシュ? どうした、ブランシュ」
 大丈夫か、とムゥは顔を寄せる。するとブランシュは瞬いて。
「か」
「か?」
「かっこいいムゥが悪い」
「は、な、何故だ? 悪い? な、なにがだ、かっこいいのが悪いのか? どうすればいい!?」
 わたわたと焦るムゥは自分でも何を言っているのかわからない。
 ブランシュはふんとそっぽを向いてしまった。
 ブランシュ、ブランシュとムゥは何度も名前を呼ぶ。
 ブランシュがそっぽを向いたのは、直視するのがなかなか、難しいからだ。
 ムゥが纏うその服は、異国の物のようで。けれど一番しっくりとはまるものだ。いつも人の姿をとった時のものより上質なものだとわかる。
 そんな、いつもと違う姿にブランシュの心は跳ね上がるばかりで、それを悟られるのは悔しく。
 知られるのももちろんいやで、素直にはなれない。
 そう、慌てているくらいのほうが、いつもの自分を保てるとブランシュは思ったのだ。
「あ、あの……こちらの方は……」
「ムゥです。その……私についた幻獣の」
「え? そ、それは……幻獣様、いつも娘がお世話になっております」
「世話してるのは私よ」
「ブランシュ! お、お前は……! 私はこれの父にございます」
「なんと、ブランシュの父上か。そうか、うむ。ブランシュの事は任せておけ」
 ははー! と平伏しそうな勢いの父に、もういいからとブランシュはどうにか追い払う。
 いつでも家に帰っておいでと言いながら、ブランシュの父は他の貴族たちとも話があると離れていった。
「……アルベール様も、バティスト様も、用事がおありでしょう。私の事はもう心配しないでください、帰りますし」
「うん、そうだね。赤公様もいらっしゃるし……アルベール」
 バティストに呼ばれて、アルベールは頷く。けれどふとブランシュに視線を戻した。
 ブランシュはその視線の意味がわからず、瞬く。
「俺はお前なら有りだと思っている」
「?」
 何が、とブランシュが問う前にアルベールはそのまま言葉続ける。
「今日は楽しかった。気を付けて帰るといい……足がもたなくなる前に」
「ええ、そうするわ」
 やっぱり察していたのね、とブランシュは小さく微笑む。それにアルベールも緩く微笑むもので、なんとなく嫌なものを感じたのかムゥは二人の間に割って入った。
「世話をかけたな、お前はお前を仕事をしてくると良い」
 ムゥはアルベールを追い払い、そしてブランシュと向き合った。
 赤は、自分の色だ。それを纏うブランシュが愛しくてたまらない。こみ上げるこの気持ちを何と言葉にして語ればよいのか。
 語る言葉が見つからないとムゥは思っていた。すると耳にゆったりとした曲が流れ込み、こほんとひとつ咳払い。
「ブランシュ、一曲踊」
「踊らないわ」
「……どうしても、か」
「どうしても、よ」
 そんな、とムゥはしゅんとする。自分より大きな体の男がしゅんとする。
 ブランシュはその姿にほだされそうになる。
「本当にどうしても、ダメか?」
「…………」
「ダメか?」
「い、一曲だけよ」
 せっかくなのだから、とすがるような視線。
 それにやはり、負けてしまう。ブランシュは嬉しそうにするムゥに、あなたは踊れるのと問う。
 もちろんとすぐさま返る言葉は自身に満ち溢れていた。
 ムゥはブランシュの手を引き、ゆっくりと歩みホールにでる。
 他にも踊っている者達もいるが気にはしない。その輪の中に入りブランシュはムゥに支えられる。
 いつもより距離が近い。
 というより、人の姿をとったムゥとこんなに近づいているのは久しぶりだ。
 そう思ったとたん、恥ずかしくなり今すぐ逃げ出したいような気持ちになる。そんな気持ちであるがゆえに、ムゥをまっすぐ見つめるのに抵抗があり俯いてしまう。
「ブランシュ、俯くな。よくない」
「だ、だって」
「だって、とは。なんだ?」
 ゆるく流れる音に合わせて踊る。
 そんな中での会話は二人の間だけのものだ。
 ムゥはブランシュが逃げられないのがわかっているからこそ、こうして詰め寄るのだ。
「……ムゥが、か……かっこいいから……どきどきさせられて悔しいし、腹が立つわ」
「…………ブランシュ、もう一度」
「え?」
「さ、さっきもだが……かっこいい、と思っているの、だな?」
「っ!」
「そうか! そうか! 嬉しいぞ」
 問い返され、かぁっと赤くなる。それが言葉にせずとも一番の答えだった。
 ムゥは嬉しそうに笑み零し、機嫌が良い。
 その様がまた、何ともいえず腹立たしくてブランシュは非難を込めた目で見つめるしかないのだ。
「なんだ? どうした? 腹でも痛いのか?」
「こういう時の気持ちは察せられないのよね……」
 ブランシュは呆れた、と。なんだか今までの気持ちの、その毒気を抜かれたような感じになる。
 そしてもう曲が終わるわと言う。
 曲が途切れるのもゆっくりだ。そのまま、ムゥとブランシュは踊りの輪からはずれる。
 ブランシュを誘おうとしている者達もいるが、ムゥはそれを牽制して近くに寄らせない。
 寄られてたまるものか、というところだ。
 ムゥは人気のないバルコニーへとブランシュを連れ出し、改めて向き直る。
 広間からの灯りがブランシュの顔を照らす。少し頬が赤いのは照れているからだ。
「言うのが遅くなってしまったのだが」
「何?」
「その……赤を纏っていてくれるのが嬉しい。とても似合っていると思う……とても、綺麗だ」
「あ、ありがと……」
 その素直な礼にムゥは動揺した。
 そんなことはない、何言ってるの、頭は大丈夫?
 そういった感じの答えを予想していたし、変な顔をされると思っていたのだ。
 しかしそうではなく、照れて視線を外しながら素直に礼を言う。
 ぐらりと傾きそうになるのをどうにか堪えた。できるなら、今すぐに抱きしめてしまいたいのだがそんなことすればまた、何と言われるか。
 しかし、先程の答えならばそれもできたかもしれない。許されたかもしれないとムゥは心中、もったいないことをした! と勢いに任せなかった先程の自分を馬鹿だと罵った。
「……ブランシュ?」
 だが、なんだかそう、今にもブランシュが崩れそうな、そんな気がして咄嗟にムゥは引き寄せてその体を支えた。
 すると至近距離。うるんだ瞳が恨みがましく見上げてきて、ごくりと息を呑んだ。
「足が痛い」
「え?」
「踊ったから足が痛いの」
 ヒールが、とブランシュは零す。ムゥはブランシュを抱えると、バルコニーの手摺の上へと座らせた。ムゥはしゃがみ込みそっとその足を手に取る。
 ドレスの裾を捲るのはとも思うが周囲に人はいない。少しだけめくりあげ、靴を脱がせてやる。
 ちらりと見えた踵は赤く擦れあがっていた。
「こんなにヒールが高いものをはいていたのか」
「ええ、ピンヒールではなかったから我慢はできたけど」
「そういえばピンヒールはどうとか言っていたが、あれは何だったのか?」
「……それは」
 ブランシュは答えようかどうしようかと迷う。
 ピンヒールの靴を履く。
 それは見た目にもとても美しいが、それを履く人間の負担は非常に高い。
 そんなものをこんな夜会で履くことはまずないが、二人だけで食事にでかける時などは有りだ。
 動きにくい靴を履いてでも、綺麗に着飾って今日は最高の私になる。
 私は馬車を降りてから、店の席までと最低限しかあるかない。こんな大変な靴を履くのは、あなたがエスコートしてくれるから。
 男の方も、それを了承して受け入れるのだ。
 そんな、あなただからこそという含みがあると、何かの折にブランシュは知ったのだ。
 それを教えると、なら俺のためにそうしてくれるかとムゥは言いそうで。
 ブランシュにしてみれば、ピンヒールを履くなんて拷問をまず受けたくない。
 だが何を話そうとしていたのか教えてくれと見上げる視線はわくわくとしている。
 ブランシュはそれを無碍にできず、知っている話をムゥへと教えた。
「ああ、確かに……長距離を歩くなどは無理だろうな」
「ええ、だからエスコートするから履いてくれなんて、なしよ」
「おかしなことを言う」
 ムゥはそんなことは言わないと笑う。
 そんなものを履かなくとも、素足でだって俺はブランシュをエスコートしたいのだから、と。
「昼は、王子共に連れていかれて悔しい思いもしたが、しかし……感謝してやっても良い」
「なんで?」
「本当に、お前を美しく着飾ってみせたからだ。しかし、そのドレスがあやつらの見立てだというのは気に入らん」
「それは、違うわよ、ムゥ」
 確かに、連れてきたのは王子達だ。
 しかし、たくさんのドレスを用意して、候補をだしてくれたのはフランチェスカだ。
 そのふたつから選んだのは、ブランシュ自身。
 着飾ったのは、メイド達だ。
「……すると、そのドレスは自分で選んだ、と」
「え、うん……そう、だけど」
「俺の、色をか」
「……そう、よ」
 それはなんと幸せなことだろうかとムゥは微笑む。柔らかに、優しく、確かに幸せの色をはらんだ表情だった。
 ブランシュはうぐ、と息を呑む。そしてもうしばらくはこんな恰好はしないとツンとする。
「しばらくたてばまたしてくれるのか? それは嬉しいな」
「っ、そういう言い方、腹が立つわ」
 ムゥが喜んでいるのがわかる。ブランシュはそれが嬉しくもあるのだが、こうして自分を飾ることは好きになれなさそうだ。
 それにこういう場にでなければ、特にする必要のないことでもある。
「もう、夜会なんて面倒でいやよ。帰りたいわ」
「そうか、では帰ろうか」
 ムゥはお前の良いようにしようと脱がせた靴をブランシュに持たせた。
 そして抱え上げようとするのだが、待ってとブランシュは止める。
 抱え上げて、この広間を突っ切って帰るつもりかと。そうだが、と何でもないようにムゥは言う。
 しかしそれはブランシュにとってはとても恥ずかしいことだ。注目されるし、望ましくない。
 それを言うと、ならばとムゥは一歩離れる。
 ムゥの体が揺らめく。ゆらめいて、その形は獣のそれへとかわった。
 しかしいつものあの小さな姿ではなく、大きな姿に。
 ブランシュがその背に乗れるほどの、大きさに。赤い毛並の獣はブランシュの傍らに身を低くして伏せる。
「乗れ、これでここから飛べばいい」
「……飛ぶ?」
「ああ、簡単なことだ。しっかりつかまっていてくれ」
 ブランシュは恐る恐るムゥの背中に座り、言われたとおりしっかりとそのふさふさの毛を掴み、伏せる。
「いいか?」
「ええ。ねぇ、ムゥ……あなた、獣臭いわ」
「は!?」
「帰ったらお風呂ね、洗ってあげる」
「な、いや、そんなはずは……」
 ぶつぶつ言いながらムゥは立ち上がる。そっと、ブランシュを気づかいながらだ。
 実際、別に獣臭くもなんともないのだが、それはブランシュのいじわるだ。
 なんとなく、そうしたいと思ったから。
「では、行くぞ」
 ええ、と一声。
 ムゥはゆるやかに地を蹴り飛び上がる。
 空中散歩はブランシュは初めてで、少しどきどきしていたが慣れてくると何ともない。
 街の灯りを眼下にというのはなかなか心地よいものがあった。
「ブランシュ、今日は良い一日であったか?」
「……ええ、まぁ……そう、ね。少し、楽しかったと思うわ」
 なら良かったと楽しそうな声色だ。
 ムゥはどうだったの、と聞く意味などない。聞かずとも、わかるからだ。
 この赤い獣には心かき回されてばかりだとブランシュは思う。そしてそれが別に、嫌ではないのもちゃんとわかっていた。
 気持ちの変わらぬこの獣の想いにいつか、私はちゃんと応えられる日がくるのだろうか。
 ブランシュはふとそんなことを思いながらムゥにしがみつく力を強める。
 獣臭くはない。しかし匂いが無いわけではない。
 ああ、ムゥの匂いがするとブランシュはふふと小さく笑み零していた。
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