いとしのわが君

ナギ

文字の大きさ
33 / 33
それから、の話

赤公、ムゥ、名

しおりを挟む
 ムゥ、とブランシュが呼ぶ幻獣。
 それは幻獣からは赤公と呼ばれている。赤を纏う幻獣の内、もっとも強い者をそう呼ぶのだ。
 蒼は蒼公、黄なら黄公、緑公、紅公、紫公、といったように。
 そしてそういった呼び名のほかに、名もある。それが真に己を示す名、真名だ。
 それは幻獣にとって、特別なものだ。
 そしてムゥは――それを、ブランシュに捧げたいと思っていた。
 そうすることで、彼女と繋がる。彼女のものになれる。
 しかしそうなることを教えずに、名を捧げるのはできない。
 というより、なんでそんなことしたのと怒られるのが見えていた。
「あああ……」
「何、その変な声」
「いや、ブランシュ……俺は、な」
 前脚で頭を押さえうごうごするムゥをブランシュは胡乱げな目で見る。
 ムゥは下からそっとブランシュを見上げた。
 名の話をするのに、この獣の姿では威厳も何もない。
 そう思い、側から離れて人の形をとった。
 するとブランシュはぎょっとして、固まった。そして、ガタッと大きな音立てて立ち上がり、距離をとる。
「ブランシュ、話が」
「あ、あっ、な、なんで、かわるの!!」
「え?」
「突然、そんな、人の姿とって、なんなの!」
「なんなの、と言われても、な……」
 ムゥは困った顔で、この方が話がしやすいと思ったのだと紡ぐ。
 ブランシュは話、と何故か構えた。
「そう、話だ。ブランシュ、逃げるな。待て、何故逃げる」
「ち、近づいてくるからよ!」
 何度見ても、慣れないとブランシュは思う。
 人の形をとったムゥは獣の形の気安さを持てない。
 近寄られると恥ずかしくてたまらなくて――どうしようもなくなるのだ。
 だから、逃げる。ある一定以上、必要以外は近づきたくない。
「ではこの距離でならいいのか?」
 そう言って、ムゥはぴたりと歩むのをやめる。じりじりと詰め寄られていた距離は一定だ。
 ブランシュはその手が届くか届かないか。ぎりぎり届かない距離を逃げていた。
「……そ、そこの」
「そこの?」
「テーブルに向かい合って、座る距離なら……落ち着いて、話を聞いてあげる」
「そうか!」
 ブランシュの言葉に嬉しそうにムゥは笑う。その屈託のない笑顔がまぶしくて、ブランシュはああと零した。
 そういう笑顔は、私に向けるにはもったいないと。
 けれど、目にすることができているのは自分だけと言う優越感のようなものはあった。確かに、嬉しいものはあった。
 ムゥが席へと向かう。それを見て、ブランシュは一つ息をついて傍に寄った。
 お互いに、椅子の横に立って座るのは同時だ。
「それで……話、ってなんなの?」
「それは、名の話だ」
「名? 名前ってこと?」
 そうだとムゥは言う。
 しかしそれはブランシュとしては、何を言っているのかと言う所。
「ムゥは、ムゥでしょう?」
「ムゥというのは、唸り声をブランシュが、勘違いしてであって本来の俺の名ではない」
「は?」
「名を告げていいものか迷ううちに、ムゥでいいではないかとブランシュがつけたのだ」
 そういえば、そんな記憶があるような、ないような。
 そんなことあったかしら、というようにブランシュは思う。
「ムゥっていうのが、気に入らないの?」
「いや、これはこれで……ブランシュがつけてくれた名だから、好きだ」
「じゃああんたはムゥでしょ?」
「ま、まぁそうではあるのだが……俺は俺の、本当の名も知ってほしい」
 本当の名前? とブランシュは聞き返す。
 ムゥは、名について語らねばならんなと続けた。
 名は、幻獣にとって大切なものだ。
 それは真実、己の存在を現す者であり簡単に他のものに教えるものではないのだと。
「我らの言葉には力がある。互いの名を呼ぶのは禁忌にも近い。だから、我らは赤公、蒼公と……身にまとう色によるところで呼んでいる」
「でもその身にまとう色、って……他にもいるんでしょう?」
「ああ。俺は赤公と呼ばれる前は、赤い毛並の爪牙のものと呼ばれていた。蒼公はうるさい蒼だな」
「うるさい、って……ふふ、でも少しわかるわ」
「俺もあいつの本当の名は知らんよ」
「そうなの。それで……ムゥのその名前って?」
 ブランシュはごく自然に問う。ムゥはその問いに苦笑して名を告げる前に確認しなければいけないことがあるのだと言った。
「確認?」
「そう。俺の名を受け取り、俺を支配し、俺のすべてになる覚悟、そして俺のすべてであるという覚悟」
「何よ、それ……」
「名を渡せば、俺はお前だけのものになれるという事だ。それはきっと俺が今まで感じた事のないような幸せだろうさ」
「待って、ちょっと待って、ムゥ」
「ああ」
「ねぇ、なんだかその口ぶりだと、あんた、私にその……そんな大事な名、さらっと教えるつもりって、こと?」
「そうだが?」
「どうして!」
 どうして、とはとムゥはきょとんとする。
 ムゥの中で名を教えるということはもう決めていたことなのだ。だからどうしてブランシュが声をあげるのかわからない。
 ムゥはすでに教える気だ。しかし、ブランシュにそれを、何も言わず教えたとなるとあとで何か言われそうだ。
 だから気持ちを聞こうとしているのに、なぜかもう怒っているような気がする。
 それが何故なのか、わからないのだ。
 しかし少し、考えてみて気付く。
 名を教えるのは大事だというのは、おそらくブランシュは理解している。
 だからその大事なことを何故、一人で勝手に決めて納得しているのか、と。
 そこではないだろうかと思ったのだ。
「俺が名を教える、渡すと決めたことが……気に入らない、のか? いらぬのなら俺は」
「違う。私は……その、あんたが簡単に、大事なものを私に渡すって言ってるのが、もやっとするの」
「何故だ」
「だって大事なものを、簡単に……」
「それはお前相手だからだ、ブランシュ」
「え?」
 お前以外の誰にも教えないし渡さぬものだとムゥは言う。
「上手く言葉にできないのだが……俺が簡単に、お前に大事なものを渡そうとしているから、怒っている、のだろう。けれど違うぞ、ブランシュ。お前だから渡そうと思えるのだ。他の者にそんな気は起きない」
「そう、なの?」
「そうだ。お前だからだ。俺はお前を愛しているから」
「!」
「愛しているから、お前のものになりたいのだ」
 緩やかに、笑む。
 ゆっくりと瞳を細めて、幸せそうに笑う幻獣の男はブランシュの心をざわめかせる。
 愛しているから、お前のものになりたいのだ、と。
 その言葉がゆっくりと心のうちに滲みて、沈んで。
 ブランシュの顔はかーっと、一気に真っ赤になった。
「ブランシュ?」
「あっ、え、うっ、あ……わ、わかった。わかったわ、ムゥがちゃんとおざなりに渡そうとしてるんじゃないことは、わかったわ!」
「そうか、良かった」
「け、けど私、欲しくないわ!」
 その言葉に明らかにショックを受けたムゥ。そのしょんぼりとした顔にブランシュは慌てて、今はと付け足した。
 今は、まだと。
「今は?」
「そう。だ、だって名前知ったら何か……変わりそう、だし……その、今のままが、今はいいわ」
 この状態が一番、おちつくとブランシュは言う。
 でもこの気持ちがいつまで同じように続くかは、わからない。
 どこかで変化を望むときがあるのだと思う。
 きっと、その時が名を教えてもらう時なのだと、ブランシュは思っていた。
「あんたは、赤公で、ムゥだもの」
「ブランシュ」
「毛むくじゃらのかわいいあんたが、好きよ」
 ふいっと、ブランシュはそっぽを向く。ムゥは小さく笑って、そこではたと気づいた。
 毛むくじゃらのかわいいあんた、というのは。
 今の子の姿の事ではない。幻獣の、あのちんまりとした姿を示していることに。
「ブ、ブランシュ? で、ではこの姿は……この姿は、いいいいい、一体、一体どう、どう思っておる!?」
「え?」
「こ、この人の姿は!?」
 がたっと勢いよく立ち上がり、ムゥは傍に寄ってくる。
 ブランシュの足元に膝をついて、そして手を取り見上げてくるのだ。
 不安そうに瞳は揺れており、そわそわとしているムゥ。
 その顔を見てかーっと、再びブランシュの顔の熱は上がってしまう。
「ブランシュ、どうなのだ? この姿は、嫌いか!?」
「っ!」
「お、教えてくれブランシュ!」
 必死。
 どちらも必死だ。
 答えが欲しくて必死のムゥ。そして、恥ずかしくてたまらない気持を押さえるのに必死のブランシュ。
 先にそれに耐えられなくなったのは、ブランシュの方だ。
「な、なんだっていいじゃない!」
 ぺしっと手を叩いて立上がるとそそくさと部屋の出口に。
 どこへ行くのだというムゥの慌てた声に、どこでもいいでしょと投げやりな言葉。
 置いてけぼりのムゥは、嫌われているのかもしれないという気持ちを抱えつつ、はっとしてその後を追った。
「ブランシュ! 待て、ブランシュ!」
「いやよ! 待たないわ!」
 そう言って逃げる、追いかける。
 ブランシュはどうして聞いてくるのか、どうしてわからないのかと思う。
 私は顔を真っ赤にして、恥ずかしくて逃げてるのよ。
 察しなさいよ、と心の中で零していた。
「ムゥの、ばか!」
「な、なにがだ!」
「そういうところよ、ばか!」
 赤公と呼ばれる赤い毛並の幻獣。
 それをムゥと名付けたのはブランシュだ。
 実はその時点でもう、ムゥは支配されているに等しいことを黙っている。
 ムゥは逃げるブランシュの背中を追いかけるのが楽しくもあった。
 慌てているような声色がでているのは事実なのだが、笑いが零れてしまう。
 ああこれが見つかればまた怒られるだろうと一層、笑み深めながら。
 しかし、やはりどうして逃げるのか――そして馬鹿といわれるのか。
 その意味はわからなかった。
しおりを挟む
感想 5

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(5件)

小松。
2017.02.21 小松。

甘~い2人のやり取りにキュンキュンしました!ムゥとこのままくっついて欲しいと思うけど、王子も報われて欲しい…と言うかこの設定で乙女ゲームとしてプレイしたいと思いました(*゚∀゚*)

後日談も楽しいけど、第2章として新たな展開があったら嬉しいな~ムゥとくっつくの前提で、王子と青公がちょっかい出しつつ、ドタバタと(`・∀・´)

フランちゃんも初の女友達として遊ぶところが見たいです~~!

2017.02.21 ナギ

感想ありがとうございます!

キュンキュンしていただけて私も嬉しいです!
皆幸せになってほしいなぁと、この世界の子達に思うのできっと運命的な何かがあるはず…!
そして乙女ゲーム…!たしかにいけそうな気が…!それを想像してみたんですが楽しそうでした…誰か作って…

二章はないのですが、ある意味ちまちまかいているそのあとの話がそれ、見たいな感じになると思います。
そしてフランとのお話は今、書いていたりしますのでそのうち、そのうち…!

解除
砕牙
2017.02.01 砕牙

はぅ。可愛い。
ブランシュちゃん、ツンデレ(笑)
もう、可愛いなぁ!

2017.02.02 ナギ

感想ありがとうございます!

素直になれない女子感を目指して…!

解除
砕牙
2017.01.30 砕牙

ブランシュ×ムゥが可愛すぎる!

2017.01.31 ナギ

感想ありがとうございます!

そう、ブランシュ×ムゥなんですよ。
ムゥ×ブランシュなんですけど、ブランシュ×ムゥなんです…!

解除

あなたにおすすめの小説

誰でもイイけど、お前は無いわw

猫枕
恋愛
ラウラ25歳。真面目に勉強や仕事に取り組んでいたら、いつの間にか嫁き遅れになっていた。 同い年の幼馴染みランディーとは昔から犬猿の仲なのだが、ランディーの母に拝み倒されて見合いをすることに。 見合いの場でランディーは予想通りの失礼な発言を連発した挙げ句、 「結婚相手に夢なんて持ってないけど、いくら誰でも良いったってオマエは無いわww」 と言われてしまう。

10年間の結婚生活を忘れました ~ドーラとレクス~

緑谷めい
恋愛
 ドーラは金で買われたも同然の妻だった――  レクスとの結婚が決まった際「ドーラ、すまない。本当にすまない。不甲斐ない父を許せとは言わん。だが、我が家を助けると思ってゼーマン伯爵家に嫁いでくれ。頼む。この通りだ」と自分に頭を下げた実父の姿を見て、ドーラは自分の人生を諦めた。齢17歳にしてだ。 ※ 全10話完結予定

【完結】仲の良かったはずの婚約者に一年無視され続け、婚約解消を決意しましたが

ゆらゆらぎ
恋愛
エルヴィラ・ランヴァルドは第二王子アランの幼い頃からの婚約者である。仲睦まじいと評判だったふたりは、今では社交界でも有名な冷えきった仲となっていた。 定例であるはずの茶会もなく、婚約者の義務であるはずのファーストダンスも踊らない そんな日々が一年と続いたエルヴィラは遂に解消を決意するが──

悪役令嬢の末路

ラプラス
恋愛
政略結婚ではあったけれど、夫を愛していたのは本当。でも、もう疲れてしまった。 だから…いいわよね、あなた?

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

【完結】伯爵令嬢の25通の手紙 ~この手紙たちが、わたしを支えてくれますように~

朝日みらい
恋愛
煌びやかな晩餐会。クラリッサは上品に振る舞おうと努めるが、周囲の貴族は彼女の地味な外見を笑う。 婚約者ルネがワインを掲げて笑う。「俺は華のある令嬢が好きなんだ。すまないが、君では退屈だ。」 静寂と嘲笑の中、クラリッサは微笑みを崩さずに頭を下げる。 夜、涙をこらえて母宛てに手紙を書く。 「恥をかいたけれど、泣かないことを誇りに思いたいです。」 彼女の最初の手紙が、物語の始まりになるように――。

愛しの第一王子殿下

みつまめ つぼみ
恋愛
 公爵令嬢アリシアは15歳。三年前に魔王討伐に出かけたゴルテンファル王国の第一王子クラウス一行の帰りを待ちわびていた。  そして帰ってきたクラウス王子は、仲間の訃報を口にし、それと同時に同行していた聖女との婚姻を告げる。  クラウスとの婚約を破棄されたアリシアは、言い寄ってくる第二王子マティアスの手から逃れようと、国外脱出を図るのだった。  そんなアリシアを手助けするフードを目深に被った旅の戦士エドガー。彼とアリシアの逃避行が、今始まる。

夫に捨てられた私は冷酷公爵と再婚しました

香木陽灯
恋愛
 伯爵夫人のマリアーヌは「夜を共に過ごす気にならない」と突然夫に告げられ、わずか五ヶ月で離縁することとなる。  これまで女癖の悪い夫に何度も不倫されても、役立たずと貶されても、文句ひとつ言わず彼を支えてきた。だがその苦労は報われることはなかった。  実家に帰っても父から不当な扱いを受けるマリアーヌ。気分転換に繰り出した街で倒れていた貴族の男性と出会い、彼を助ける。 「離縁したばかり? それは相手の見る目がなかっただけだ。良かったじゃないか。君はもう自由だ」 「自由……」  もう自由なのだとマリアーヌが気づいた矢先、両親と元夫の策略によって再婚を強いられる。相手は婚約者が逃げ出すことで有名な冷酷公爵だった。  ところが冷酷公爵と会ってみると、以前助けた男性だったのだ。  再婚を受け入れたマリアーヌは、公爵と少しずつ仲良くなっていく。  ところが公爵は王命を受け内密に仕事をしているようで……。  一方の元夫は、財政難に陥っていた。 「頼む、助けてくれ! お前は俺に恩があるだろう?」  元夫の悲痛な叫びに、マリアーヌはにっこりと微笑んだ。 「なぜかしら? 貴方を助ける気になりませんの」 ※ふんわり設定です

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。