紺碧のイグジスト

ナギ

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1.瓦解する世界の中で

必然として縮まる距離

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 ラナとリアンリルトが出会って、そこから二人の生活が始まった。
 まず最初にもめたのが寝る場所。
 リアンリルトの家にベッドは一つ。ソファなどはもちろんない。
  寝台のある部屋、台所と洗面所。それらをつなぐ中心となる部屋。
  出会った日は、ラナも疲れていて何も考えずどうぞといわれたベッドを使った。
 だがそれも三日続くと申し訳なくなり、床で寝るといい出す。
 床で寝るというラナと、そんなことさせられないというリアンリルト。
 どちらも一歩も引かず、このままでは終わらないとどちらも思った。
「なら、しょうがない……一緒に寝よう」
「え!?」
「いや、変なことはしない、から……二人とも床で寝るって言うよりも、マシだろ?」
「……はい」
「絶対、何もしないから」
 強く言うリアンリルトに、ラナは頷く。
 そして、二人は一緒に眠るようになった。
 ラナは本当に何もしようとしないリアンリルトに安心した。
 リアンリルトは、その様が見て取れて、内心苦笑零すとともに、ラナに触れないでいた。
 極力。
「やばいって……無防備すぎだろ……俺だからもってるんだぞ」
 すやすやと眠るラナ。
 今は閉じられた紺碧の瞳。
 信頼してくれている。だからこうして眠っているのだろう。
 頬をなぞって、リアンリルトは苦笑する。
 笑うラナが好きだ。
 けれど、本当に笑ってはいないのはわかる。無理をしているのも、わかる。
「ん……」
「夢の中でも泣いているの? 優しいな……」
 ほろりと目からこぼれた一滴。
 ぺろり、とリアンリルトは舌をそこへ這わした。
「もっと触って、いろんな表情みて、俺のことだけ想うようになってほしいなぁ……」
 くだらないと思う、この独占欲。
 誰の目にも触れささず、ここにずっと置いておきたかった。
 だがそういうわけにも、きっといかない。
 ぎしり、とベッドが軋む音。
 リアンリルトは、ラナの上に覆いかぶさる。
 覆いかぶさって、ただ見下ろすだけ。
「馬鹿じゃねぇの、俺。俺ともあろうものが、三幻師ともあろうものが、三番目ともあろうものが、こんな、娘に」
 懸想しているだなんて。
 静かに、リアンリルトはラナに一層の影を落とす。
 これ以上は何もしないと決めた。
「くそっ……」
 悪態をつきつつ、リアンリルトは唇をラナに重ねた。
 静かに、触れるだけの、キス。
 「……うっわ……」
 リアンリルトは声を漏らす。
 そのまま、ラナからゆっくり、身を起こして離れた。
 傾く心は自制がきかない。
 このままではいつ、傷つけてしまうかわからない。
 好きだという気持ちは、はっきりとある。
 今までなら、ほしいなら奪って得てきた――でもそうしたくないと思う。
 奪っても何にもならないと、わかっているからだ。
 本当の意味でほしくて、たまらない。
 心から、欲しいと思ってしまったのだ。
 上辺ではなく、本質。彼女自身で求めて欲しいし、自分も求めている。
 それがどんな意味を持っているかもわかっているのに。
「やばい、誰にもこんな姿見せられねぇ……笑いのネタにされる」
 ラナの髪を何度も梳く。ラナに何度も触れる。
 それだけで温かい気持ちに、なれた。
 人でないリアンリルトは多少であれば眠らなくても大丈夫だった。
 眠るラナをじっと見つめて、一晩終わることが続いていた。
 それは、もちろん今日も。
「ん……ふぁ……」
「ラナ、おはよう」
「おは……やっ、わわわわ、私っ」
 今の状況に、ラナは焦る。
 すがりつくように、リアンリルトの胸に顔を寄せていたラナ。
 その状況を知ると同時に、かぁっと顔に熱が集まる。
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」
「別に謝ることじゃないよ。寝てたんだから……それに俺はかわいい女の子が胸の中にいたら嬉しいから」
「なっ、何言って……!」
「あはは、ほら顔洗っておいで」
 リアンリルトは笑いながらラナを寝台から立たせ、背中を押した。
「やべぇ、こんな姿、誰にも見せられない」
「リアン?」
「ん?」
「えっと……何か言いました?」
「何も?」
 少しだけ振り返ったラナは不思議そうな表情をする。
 ラナは、リアンリルトの言葉や行動ひとつにいつもどきどきしていた。
 かわいいなんて言われて、平静ではいられない。
 今もまだ顔が熱いような感覚を感じていた。
「嬉しい、の……これって……」
 優しい視線が好きだ。
 柔らかな笑みが好きだ。
 名前を呼ぶ声に、ぞくぞくしたものを感じる。
 もっと呼んでほしくて、たまらない。
「う……まだ、熱い……」
 自分の頬を両手で包んで、一つ溜息をつく。
 こんな感情、今まで持ったことはなかったと思う。
 かっこいいとか、素敵などは同じ年頃の娘たちとひそひそと話してはいた。
 けれどもこんな気持ちはなかった。
 はじめての気持ちに戸惑いながらも、その心地よさにラナは幸せを感じる。
 今朝も、恥ずかしい気持ちもあったが、一層近くにあったそのリアンリルトという存在に、ラナは喜びを感じていた。
 近い。距離が近いと、心も近くなっているような、そんな錯覚を感じて。
「ラナー? 顔洗うのにどれだけかかってるんだよ」
「あっ、すぐっ! すぐです!」
 ほぅ、と考えていた時間は結構長かったらしく、リアンリルトの声が響く。
 ラナが慌てて、顔を洗いだす音が聞こえた。
 そんな様子を、リアンリルトはわかっていて、小さく小さく、笑いが漏れないように我慢していた。
 いつまでこんな時間が続くかわからない。
 とりあえず、自分にできる事をしようと思った。
 彼女の安全を確保すること。
「ミハイ……か……」
 街に出れば、うろうろとラナを探しまわっている男たち。
 ラナを連れて歩けばすぐに取り囲まれるだろう。
 ミハイ自身も出てくるかもしれない。
 そうなれば、話は早いわけだがタイミングが難しい。
 黙らせるなんて簡単なことなんだけどなと、リアンリルトは瞳を細めて笑った。
 そもそも、守りきれないなんてことは人間相手にない話なのだ。
 けれど今の所、人として過ごすという事をリアンリルトは自分に課している。
 それであってもどうにかできると思うからこそ、ラナにその話をふったのだ。
 ラナにとっては、それは唐突に降った声。
「ラナ、街へ行こう」
「え……」
「俺と一緒に。家の中だけじゃ、つまらないだろ?」
「で、も……街に、は……」
 思いだして、喉が引き攣る。声がうまくでないとラナは自分の喉をそっと抑えた。
 ラナはリアンリルトから、一歩後ろへと逃げる。
 それは無意識の行動。
「街には君を追ってるやつはいる。いるけど、このままじゃダメだ。俺が話つけるから」
「無理っ! だめ、ころ、殺されちゃう……!」
「大丈夫だよ」
「だめ……リアン、いなくなったら……私……」
「俺がいなくなったら? いなくなったらどうする?」
 意地悪なことを聞いている、とリアンリルトは思った。
 でも、止まらない。
 知りたくてたまらない。欲が止まらない。
「俺がいなくなったらどうする? ラナは死ぬ? そんなのは、許さないよ」
「リア……」
「生きろよ、ラナ」
 ぐっと、いきなり腕を掴まれ、ラナは気がつけばリアンリルトの腕の中にいた。
 ぎゅうっと、きつく抱きしめられる。
「あの、リアンっ、痛いっ」
「うん、わざと痛くしてる」
 あげられない顔。
 リアンリルトがどんな表情をしているのかラナはわからない。
 けれど見下ろすリアンリルトは、ラナの表情がわかる。
 顔を真っ赤にして、長いまつげが影を落としている。
「好きだよ」
「へ!?」
「ラナが好きだよ」
 優しい響きの声に、ラナは顔を少しあげた。
 その瞬間に、ちゅ、と。
 リアンリルトは額にキスを落とす。
 そしてとろけるような笑み向けて、再度紡ぐのだ。
「好きだよ」
「えっ、やっ……なっ……! じょ、冗談、とかっ」
「本気だよ。しかも友情じゃない感じで好きだ。実はこのまま、できることなら……額にキス以上をしたい」
 もちろん、いやならしないとリアンリルトは言う。
 ラナは、どうされてもいいと思っていた。きっとリアンリルトなら、受け入れられる。
「わた……しも、リアンが好き……です」
「本当に?」
「嘘なんて、言わないです」
 そっと、様子をうかがうように、ラナは顔を上げる。
 いつもと変わらない表情のリアンリルト。
 きゅっと彼の服の裾を恐る恐る掴んで体を寄せる。
「会って、まだ少しだよ」
「それを言うなら……私も」
「そうだね……ラナ」
  一つ二つ。
 額、瞼の上、頬、鼻の上と、リアンリルトはキスをしていく。
 そのキスを落とされた場所が、なんだか熱いような気がした。
「キス、していい?」
「あ、え……」
「唇に、したい」
「う……どう、ぞ」
 控え目に紡がれた言葉に、リアンリルトは笑う。
 すっとラナの顎を持ち上げて、上を向かせた。
  綺麗な紺碧の色だと思いながら唇を重ねる。
 触れるだけ、そっと触れるだけのものだ。
「……好きだよ」
 笑みを一層深くして、紡ぐ言葉が自分が思っているよりも熱を帯びていた。
 甘ったるい声色に、自分でもリアンリルトは驚く。
 ラナは戸惑った。
 ラナも、リアンリルトのことは好きだった。
 その感情が、恋だということにはうすうす気がついてもいた。
 けれどもどこか踏み切れないものがある。
 何か一つ、何かわからないけれどもひっかかるもの。
 リアンリルトが笑う、ときめく。しかしその笑顔の奥に何かがある気がしてならないのだ。
 それは嘘とか、そういうものではなくて、自分に対して向けられる申し訳ないというような類のもの。
 リアンリルトが紡ぐ好きは、自分に向けられる好きという言葉、気持ちは本当なんだろう。
 その好きとともに向けられる、この感情はなんだろうと、不思議でたまらない。
 そしてその感情に、リアンリルトは気が付いていないのだと感じていた。
「リアン……あの、私も、好きなんだけ、ど……」
「うん」
 隠されているのか、隠れているのか、どちらかわからない感情。
 気になって、たまらない。
 でも。
「あ……」
 でも、深い色の瞳で見つめられたら、言葉がでなくなる。
 言葉にしたらダメなんじゃないかと自分の中で堰き止められてしまう。
「俺が、ラナが平和に暮らせるようにしてあげるから」
「はい」
「ラナが幸せに暮らせるようにしてあげるから……そんな不安そうな目、しないで」
 不安そうな目、なんてしているつもりはなかった。
 困ったような笑顔とともに告げられた言葉に、ラナは俯く。
 俯いて、ためらいがちに、その胸に顔をうずめた。
「え、な、何!?」
「リアンは、優しいです。大好き」
「ラナ……」
「……あ、ひ、引きとめてたら、お仕事!」
「あ、やべ……ラナ、俺が出ていったら鍵、ちゃんと閉めておくんだよ」
「はい」
 早く帰ってくるから、と額にキスをする。
 くすぐったそうに、嬉しそうにラナは笑った。
「ちゃんとここで、待っています」
 離れるのがなごりおしい。
 離れた瞬間がとても愛しくてさびしくてたまらない。
 ラナはリアンリルトにいってらっしゃいと笑顔を向けるのだった。
 リアンリルトは家を出て、街の雰囲気をすっと細めた冷たい瞳で見ていた。
 今日も、探しているんだろう。
 ラナが家から出ることがなければ見つからない、そういう風に自分の力を使った。
 だがそれも。
「いつまでもってわけにはいかないしな」
 ずっと、傍にいれれればいい。
 でもそんなことはきっと無理だ。
 離れなければいけなくなる時が絶対にある気が、していた。
「連れていけるなら、連れていく」
 リアンリルトの本来いるべき場所は魔界だ。
 でも、そこで人間は生きられない。
 どんなに強い人間でもあの魔界の空気に気が狂う。
 無事に生きていけるものは、よほど神の加護があるか、魔王の庇護を受けているかだ。
 自分の力ではラナをあの場所では守れない。
 魔王に庇護を請うわけにも、いかないのだ。
 ならば、せめて、この人間の世界でだけは無事に生きていけるように。
 そうしてやりたいと思った。
 ラナを狙う貴族はどうにかなる。
 殺せばいいだけ。
 だが自分がいなくなったあと、ラナを誰に任せるか、それが問題だ。
 今から、いろんな可能性を潰していかなければいけない。
「……あいつ、かな……」
 同じように、この世界にいる同胞。
 何をするでもなく、娼館なんてものを作って道楽している同胞。
 嫌だとごねても、脅せばいいとリアンリルトは思っていた。
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