天才魔道士の失敗魔法陣

Hinata

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天才魔道士の失敗魔法陣

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すっかり日が落ちた研究室。
ユリウスは、目の前で怪しく揺らめく魔法陣の光を見つめ、息を飲んだ。

ついに――。
数日間、寝る間も惜しんで研究に打ち込んできた魔法陣が、ついに完成したのだ。
大魔導師のユリウスですら手を焼いた工程の数々。
ああ、これを喜ばずして何を喜ぶというのか。

「ふっ……ふふふ。ふははは! はーっはっはっはっはっ――ぐぉっ」
突然、後頭部に走った衝撃に思わず舌を噛んだ。
「いって……っ!?」

ここは、王宮の中でもとりわけ警備が厳しい魔導研究所だ。
しかも、帝国一の大魔導師・ユリウス自らが、進入禁止の結界を何重にも張った機密中の機密の空間。
この場所まで踏み込める者は、もはや只者ではないだろう。

「まさか、我が研究を奪いにきた敵国の刺客か?!」

――今こそ、我が力見せつける時か。ここまで来た事を後悔させてやる。
ユリウスの黒い瞳がきらりと光り、金色に光る精巧な細工がされた杖を掲げた。

「ふふ。ユリウス様、妄想ごっこはいい加減にして下さい」
長い銀髪を靡かせた長身の騎士が、ユリウスを見下ろしていた。
「うげっ、ジークハルト……」
剣の柄を軽く持ち上げながらにこにこと笑うその男――ユリウスの護衛騎士、アイゼン=ジークハルトである。

「あなたの笑い声がまるで魔王のようで恐ろしいとの苦情が入りましたので、お止めするために参りました。こんな夜半に入った苦情のせいで騎士団に叩き起こされた私の今の気持ち──。ふふふふ、聡明なユリウス様のことですから、勿論お察し頂けると信じておりますが」
さすがは公爵家出身の元近衛騎士。
微笑を浮かべる彼の口調はあくまで穏やかで、まるでパーティーで当たり障りない挨拶を述べる貴族のようだった。
──その内容か耳に入らなければの話だが。

しかし、その手には、数々の剣術大会で悉く優勝を総なめにしている銀の業物が輝いていた。
ユリウスは、自分の命の火が危うげに揺らいでいるの感じ、――さっと両手を床についた。

「大変申し訳ありませんでした」



***


ジークハルトは、すっかり意気消沈した――どう見ても自分より年下にしか見えない大魔導師の姿に、少しやりすぎたかと反省した。

ただし、とても成人しているようには見えないが、魔力が強すぎて体の成長が止まっているだけで、その実、ジークハルトが物心ついたころにはもうユリウスは王宮の第一魔術師の地位についていた。
しかし、魔法の探求に心血を注ぐあまり、魔導研究所に篭りっぱなしのユリウスはまるで少年そのものだった。

「で、ユリウス様。今度は何を完成されたのでしょうか?」
そう尋ねるととたんにキラキラと目が輝く。
「ふふふふふ、聞いてくれるか。ジークハルトよ。仕方ない、そこまで言うならお前には特別見せてやろう」
そういうと、ユリウスは机に複雑な模様が書き込まれた一枚の魔法陣を広げた。
「ほう、これは……」
ジークハルトは、剣士とはいえ、国防のため多少魔法にも心得はある。
しかし、目の前に掲げられた魔法陣は一般で流通しているものとは一線を画す複雑な図形となっていた。
さすがこれでも王宮一の魔導師である。
これほど複雑な魔法陣は、ユリウスのもの以外見たことがない。

「世界征服大作戦、パート二万六千三百六十九――完成だ!」
帝国一の魔導士による作戦。
非常に恐ろしい名前に反し、番号の多さがすべてを物語っていた。
成功したことは──未だ一度もない。

とはいえ、今までの作戦がことごとく失敗してきたかというとそうではない。
ユリウスは、一日中魔術の研究をするのが好きな魔術馬鹿かつ、永遠の中二病患者のため、時折こうした危険な研究に手を染めるが、なんだかんだで極度の平和主義者であるため、一度としてそれを実行したことがないのだ。

危険な魔術は、例え国王の命令であっても一切この何重にも特殊な魔法陣が張り巡らされた研究室から持ち出すことを許さない。
作って妄想したり自慢したりして楽しむのが好きな、――残念な天才なのだ。
しかし、その魔法自体は馬鹿にできない威力であることが多い。

ジークハルトが見下ろす魔法陣は、場所によっては赤く、場所によっては青く光っており、時折グラデーションのように色が変わった。

「今回はかなり趣向を変えたのだよ。というのも、私は気づいたのだ。爆発や病気の蔓延といったスタイルは、実行してから復旧するまでに時間や労力がかかる。とてもスマートではないとね」
ユリウスは自分の魔法となると、とたんに饒舌になる。
現在どのような魔法を研究しているか調査するのもジークハルトの仕事の一つのため、多少長い話でも諦めて聞くことにしている。
「そして、新たな手法を探求するため、マリー女史に市井の書物を借りたのだ。――しかし、驚いたよ。私がこの研究室に籠っている間に、慎ましやで面白味の無い堅物な我が国の人々に、このような激しい感情が目覚めていたなんて――」
ジークハルトは、はてと首を傾げた後、非常に嫌な予感がした。
マリー女史といえば、薬草学の権威の魔導士だが、少し性格に難があることで有名だった。
ジークハルトの視線が研究机に積まれた書物の背表紙を凄まじい速さで駆け抜けていく。

『教授と僕の危ない関係』
『危険なお兄さんは好きですか?』
『永遠に君を離さない――Last Winter――』

こ、これは。
表紙には露出度の高い男性の絡み合う絵姿。すべて、男性同士――。
マリー女史、あ、あ、あなたはいったい何を――。

ジークハルトは戦慄した。

「……」
ジークハルトは、それ以上書物を見るのをやめた。
一瞬気が遠くなったが、それを揺り起こすようにユリウスは続ける。
「どうやら、男同士で恋に落ちると常識など飛び越えて相手のためになんでもしてしまうらしい」

そんなわけあるか!と、声に出そうとしたが、あまりの出来事に声がでなかった。
「考えてもみるんだ。国で重要な役職についているのはだいたい男だ。――ようは彼らが自分の思い通りになればいいのだよ、ジークハルト君」

ユリウスは魔法で、手のひらサイズの花火を打ち上げながら、じゃじゃーんと効果音を奏でた。
「世界征服大作戦、どんな男も君に夢中!その名も――『惚れ薬魔法陣』」

……こいつ、本当に馬鹿なのでは?
ジークハルトは、思わず頭を抱えた。

「おやおや、ジークハルト君。驚きで声が出ないようだが、重要なのはここからだよ」
ジークハルトの反応などお構いなしに、ただ喋りたいだけのユリウスの口調はどんどん加速していった。
「なんと、この魔法陣に触れた者は、最初に目にした相手に、性別を問わず強い恋心を抱くのだ。それこそ――この本のように、だよ」

……。

「政府の要職をこれに触れさせ、自分をその目に写してしまえば我は世界征服を成し遂げたも同然なのだよ。誰もなしえなかった偉業に歴史家はひれ伏すのだ」

「……あ、ああ……」
どこから突っ込むべきかさえ分からず、いたたまれなやら呆れたやら、ため息しか出てこなかった。
とりあえず、マリー女史に厳重に注意せねば──。

もちろん、ユリウスがこれを使って世界征服を図るとは思っていない――そもそもこの間の世界征服大作戦は太陽光を浴びた人間をすべて意のままに操るという凶悪なものだった。
はっきりいって、そちらのほうが"現実的"で何億倍も効率がいい。
問題はそこではなく、思い込みが激しく突っ走りやすいユリウスにこういった俗物を与えるべきではないのだ。
こういった知識に影響され、何をはじめるかわかったものじゃない。

「……っとにかく、これは私から返却しておきます。こういった妙な知識に染まることは王宮魔道士として望ましくありません」

ジークハルトはなんとか我に返り、とりあえず有害物を排除することから始めることにした。
しかし、それに気づいたユリウスが待ったをかける。
「いや、待つんだ。マリー女史からすべての本の感想を求められているのだが、よく理解できていない点が多々あるのだ。あの恐ろしきマリー女史に適当な感想を言ってしまえば、私は簀巻きにされて海に沈められてしまうだろう」
ユリウスは、なんと恐ろしいことかと、ぶるっと体を震わせた。
しかし、ジークハルトは、この状態のほうが恐ろしいと、彼の静止を無視してマリー女史から借りたという本たちを両腕で抱えた。
「ま、待てっ……」
焦ったユリウスは、ジークハルトの持った本を奪い返そうと手を伸ばした。
と、研究明けで体が憔悴していたユリウスは、うっかり足がもつれてしまい、床へ向かって一直線に倒れこんだ。

「ユリウス様っ」
この、へたれ!
このままではユリウスは顔面から床にぶつかってしまう。
慌てて抱きとめようと、本を手放し、ユリウスへ手を伸ばした瞬間。

何かとてもとても熱いものが、その指に触れるのを感じた。

その熱は指から全身へ――。

ドクンッ

――体が熱い。

間一髪、ユリウスの腕を掴み引き寄せたことで、偉大な魔導士が顔面から血まみれになることを防ぐことはできた。
だが、もはやそんなこと気にしていられないほど、体の芯が発熱している。
「はっ…うぁ」
ジークハルトは、思わず動きを止めた。
何が起きたかわからず、眉根をよせ目を見開く。

「痛たた……。わ、悪い……、平気か?」

ユリウスはジークハルトの体の上からゆっくりと顔を上げ、クッションにしてしまったジークハルトの顔を覗き見る。

――熱くて熱くて、苦しい。

「ユ、リウス、さま……」

二人の視線がしっかりと絡み合った瞬間、ジークハルトを包んでいた熱い火照りがすっと落ち着いた。
なんだったのだろうかと思いながらも、とりあえず落ち着いた体にほっと息を吐く。

ユリウスは、どこか焦点の合わないジークハルトの様子に、不思議そうに首を傾げた。
そして、ジークハルトの指先に気づき、一瞬で真っ青な顔になった。

「ジークハルト!」
切羽詰まったユリウスの声。
「どうか、されましたか……?」
変な箇所でもぶつけたのだろうかと心配になり、ユリウスに声をかける。
「……っいや、どうかしたかというのはお前のほうだ。何か、体に変なところはないか?――その、右手」

「変なところは特に。右手?

 ――あ」

そう、こともあろうか、慌てたジークハルトの右手の指がうっかり『惚れ薬魔法陣』に触れていたのである。
『惚れ薬魔法陣』は発動した証である七色の光を発していた。

ジークハルトは、ユリウスと自分の手を何度か見比べた。

「どこかおかしいところはないか?」
「おかしいところ?――ああ、なるほど」
すとんとすべてが理解できたジークハルトはふっと息を抜くように微笑んだ。
「ええ、とくに変わったところはありませんね」
その目はどこか寂しげだったが、魔法陣の光を観察するように視線を移したユリウスが気づくことはなかった。

「うーん、やっぱり魔法陣は発動したようだが──本当になんともないのか?無理していないか?」
「はい、最初は体が熱くなりましたが、──ユリウス様を見て落ち着きました。それ以外は今のところ大きな変化はないようです。この通り」

そう言って、ジークハルトは剣を抜くと、魔法陣を投げ上げ頭上で徹底的に切り裂いた。
ひらひらと小さな紙切れが宙を舞う──。
「ひっ……」
その紙切れは未来の自分自身にも思えて、ユリウスは小さな悲鳴をあげた。

「まったく、いらない知識を詰め込まれたと思ったら……、早速影響されてこんなものを作って。今日みたいな事故で妙なストーカーができたらどうするんですか」

怒っているというよりは心配そうな声音に、ユリウスはほっと安堵のため息をついたものの、納得いかないと眉根を寄せた。
「効果がないだと。うむむむ、我ともあろうものが失敗か!?いやそんなはずは……」
どんな大魔法でも確実に成功させてきたユリウスとしては初めてのことだろう。
その表情は困惑一色だ。

しかし、ユリウスに答えた内容に偽りはなく、ジークハルトにこれといって大きな変化はない。

「顔色、心拍、ああああああ、確かに異常なしだ。ど、ど、どこで間違えたのだ?すべて完璧だったはずなのに」
ユリウスは、大きな黒板に向かった。
ぶつぶつ呟きながら、魔法陣の再計算を始めたユリウスはすっかり自分の世界に入り込んでしまっているのだろう、もうジークハルトのことは視界に入っていないようだ。
そんな様子を横目に、ジークハルトは散らばった本たちを拾い上げた。
「では、この本たちはマリー女史に返却しておきますね」

勿論ユリウスの返事はない。
ジークハルトはユリウスの真剣な表情をじっと見つめると、一瞬困ったように顔をゆがめた。
すぐにいつもの穏やかな表情に戻すと、研究室を出た。
冷たい風が頬を撫でる。
──っ。
ジークハルトは、魔道士の宮を出てその場に立ち尽くす。
月は雲に隠れ、ぽつりぽつりと星が瞬くばかりの、静かな夜空だった。

「惚れ薬で、変化なんてあるはずないんです。
 私は昔からあなたのことを愛しているんですから」

あの平和だった世界がいとも簡単に崩れた日。
魔族の襲撃を前に泣きわめきながら右往左往するしかできなかった無力な子供の前に現れたあなたは、あまりにも神々しく、あまりにも優しくて――。

侯爵家の跡取りという地位を捨て、勘当同然で家を飛び出して騎士になったのは、厳しい環境に身を置いてまでも、あなたの傍に立てるようになるためだった。
――この気持ちは、あの日から決まっている。
そして、これからも。
誰にも言わない。
あなたにも、言うつもりはない。

これは墓場まで持っていくべき想いだ。
だからどうか、これからもあなたのお傍に──。
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