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第二章 Side B
6 エリーと緊急の難題
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エリーがエリザベス・ロンズデールからエリザベス・オルグレンになって、三か月が過ぎた。夫であるブラッドリーとは白い結婚を保ち、この三か月、一度も接触しなかった。
同じ屋敷に住んでいるはずなのに、一度もだ。お互いに避けあえば、ここまで会わないことが可能なのだと、エリーは感動している。
しかし、この日、ついにエリーはブラッドリーに彼の書斎に呼び出された。
「旦那様が私を?」
「はい。」
侍女のメアリーも困惑した顔をしている。メアリーを困らせるわけにはいかないので、エリーはすぐにブラッドリーの書斎に向かった。
何かしら?庭が気に入らないのかしら?
エリーが最初に手を付けた庭はすっかりと整い始めていた。今は秋の花が美しく咲き誇っており、ガゼボが美しく庭を見られる場所と家庭菜園のそばに建設中だ。
それとも、食堂にお手製の刺しゅう入りのテーブルクロスを飾ったことかしら?
ブラッドリーはエリーと時間をずらして食堂を使っているらしい。もちろん使わない日も多いのだが。食事を一緒にするかどうかはブラッドリーに任せるとリチャードに伝えてあるので、一緒にならないのはつまりはそういうことだろう。
あと、ナンシーにいくら頼まれても、彼のために雑貨を作らないこととか?でも別に望んでないと思うのよね…。
エリーが思うに、侍女長のナンシーはエリーとブラッドリーを仲の良い夫婦にしたいと考えているようだ。どうやら屋敷の使用人たちは、ブラッドリーがエリーをお飾りの妻にしていることを良しとしていないらしい。
本当の夫婦になってほしいと思われている、気がする。なぜならみんな優しいから。
「旦那様、お呼びと伺いましたが…。」
「あ、ああ。」
ブラッドリーはエリーに旦那様と呼ばれて驚いたようだ。そういえば、目の前で読んだことはなかった。
久しぶりに見たブラッドリーは相変わらずの不愛想なイケメンだった。最近忙しくしていたようで、記憶にあるより少しやつれている。
「来月、エスパルの王女が王太子殿下に輿入れするが、その歓迎の舞踏会と結婚式に夫婦で参加するようにと陛下に言われた。」
「まあ!」
エリーは困ったように顎に手をやる。
「それは旦那様でも断れませんわね…。」
「ああ…。だから君に出席してもらいたい。」
「かしこまりましたわ。致し方ありませんものね。」
エリーの頭にTo Doリストがしゅぱぱぱっと出来上がる。
「ドレスを二着用意しないといけませんね…。舞踏会用と結婚式用に。一か月で二着は難しいですよね?」
「そこはナンシーとリチャードと相談してくれ。」
「ダンスも踊る必要がありますか?」
「俺はいつも踊らないから問題ない。」
リチャードが隣で顔をしかめているが、ブラッドリーは気にならないようだ。実はエリーはダンスの教育はろくに受けられていない。この屋敷にいるうちに習っておいた方がいいかもしれない。
「舞踏会と結婚式の作法を一通り復習しておきたいのですが…?」
「ナンシーとリチャードと相談してくれ。」
ダメだ、こいつ。頼りにならない。
「かしこまりましたわ。リチャード、後でナンシーと部屋にきてくれる?」
「かしこまりました。」
ブラッドリーは優秀な人だと聞いたが、女性のことには疎いようだ。相談するだけ無駄だろうと早々に切り上げて書斎を後にすることにした。
「それでは失礼しますわ。」
「…ああ。」
ーーーー
「困ったことになったわ…。次期公爵夫人が下手なドレスは着れないわよね?アクセサリーもよ?」
「アクセサリーは奥様が結婚式で身につけられたものをお使いになるのでよろしいと思います。」
「あのエメラルドのネックレスとイヤリングね。いいと思うわ。高そうだったし。」
「ドレスについては、大奥様御用達のお店がありますが、おそらくもうドレスを作る余裕はないでしょうね。奥様にドレスをと頼んでも…。」
「私の評判、めちゃくちゃ悪いんですってね。ヘンリーに聞いてるわ。他のお得意様を押しのけてまでは作ってくれないわね。」
エリーの評判が悪いのは全てブラッドリーのせいだ。お飾りのいずれいなくなる妻に対してそこまでするつもりはないのだろう。
それか、社交に出ないから問題ないと思っているのかもしれない。
「なので、エバンズ商会に頼むのがいいかと思います。」
「私もそう思っていたわ。手紙を書くから用意してくれる?」
そうしてその日の午後にはヘンリーが飛んできた。
「こうなるんじゃないかと思ってたよ。うちの服飾部門にはまだ余裕があるし、ドレスを用意できる。」
デザイン画をたくさん机の上に出しながら、ヘンリーは早口でまくし立てる。
「でも、公爵家のドレスだから布も高級でないと…。エバンズ商会では布を扱っていないでしょう?」
「扱っていないんじゃなくて、売れないから売るのをやめたんだ。在庫はたくさんあるよ。」
そこでエリーはぴんときた。
「うちの領のシルクね!」
前王太子の失踪ですっかり廃れてしまったロンズデール領の養蚕業だ。なんとか継続してもらっているが、規模は縮小してしまった。
「あとはデザインだ。シルクを使えるデザインをいくつか持ってきたよ。全部エリーが昔にデザインしたものだ。」
「でも、これはドレスになってしまっているでしょう?それに最近の流行りでもないし。」
「そうだな…。今の王都の流行りを調べてこようか?」
「それでいいのかしら?エスパルの意匠を取り入れる方がいいかしら?どう思う、ナンシー?」
「舞踏会はそのようにするのがいいかと思います。式典はクラシックなブルテン式のドレスを用意されるのがいいかと。」
「確かに、私の結婚式でも、夫人のドレスにそこまでのバリエーションはなかったわね…。」
「じゃあ、そちらは過去のデザインをアレンジするでいいだろう。」
「エスパルの意匠を調べてもらえる?」
「わかった。」
ブラッドリーからの難題はヘンリーの助けとナンシーとリチャードの助けにより、なんとか目途が立った。
ーーーー
「ヘンリー、今日は助かったわ。ありがとう。」
「お礼はドレスが完成してから言ってくれ。」
「そうね。」
ヘンリーを玄関まで見送っていると、趣味の乗馬を終えて帰ってきたところのブラッドリーとかち合った。珍しいミスである。エリー、リチャード、ナンシーの意識が難題の方に向いていたのが原因だろう。
「客か?…君はたしか、ヘンリー・エバンズか?」
「エバンズ商会のヘンリーです。奥様から一か月後のドレスの依頼を受けまして、大急ぎで打ち合わせに来た次第です。」
「…そうか。君は卒業後、商会に就職したのか。成績は優秀だったが、官吏にはならなかったのか?」
「もともと自分は商会で働くうえでよいだろうと王立学園に進学したので。急がなければならないので失礼いたします。」
ヘンリーはなかなか不敬な態度だが、ブラッドリーは気分を害した様子もない。それどころか、ヘンリーが屋敷を出て行った後には、「彼は優秀だったから、国のために役人になればよかったのに」と高く評価するようなことを言った。
「ヘンリーは私の幼馴染ですが、昔から商会で働きたいと言っていましたよ。彼は夢をかなえたわけですね。」
ブラッドリーは不快そうに顔をゆがめた。
「才能があるのだから、国のために使うべきだろう。」
「商会も国に貢献する重要な仕事ですが…?」
エリーはブラッドリーの言っている意味がよくわからず、首を傾げてしまった。
同じ屋敷に住んでいるはずなのに、一度もだ。お互いに避けあえば、ここまで会わないことが可能なのだと、エリーは感動している。
しかし、この日、ついにエリーはブラッドリーに彼の書斎に呼び出された。
「旦那様が私を?」
「はい。」
侍女のメアリーも困惑した顔をしている。メアリーを困らせるわけにはいかないので、エリーはすぐにブラッドリーの書斎に向かった。
何かしら?庭が気に入らないのかしら?
エリーが最初に手を付けた庭はすっかりと整い始めていた。今は秋の花が美しく咲き誇っており、ガゼボが美しく庭を見られる場所と家庭菜園のそばに建設中だ。
それとも、食堂にお手製の刺しゅう入りのテーブルクロスを飾ったことかしら?
ブラッドリーはエリーと時間をずらして食堂を使っているらしい。もちろん使わない日も多いのだが。食事を一緒にするかどうかはブラッドリーに任せるとリチャードに伝えてあるので、一緒にならないのはつまりはそういうことだろう。
あと、ナンシーにいくら頼まれても、彼のために雑貨を作らないこととか?でも別に望んでないと思うのよね…。
エリーが思うに、侍女長のナンシーはエリーとブラッドリーを仲の良い夫婦にしたいと考えているようだ。どうやら屋敷の使用人たちは、ブラッドリーがエリーをお飾りの妻にしていることを良しとしていないらしい。
本当の夫婦になってほしいと思われている、気がする。なぜならみんな優しいから。
「旦那様、お呼びと伺いましたが…。」
「あ、ああ。」
ブラッドリーはエリーに旦那様と呼ばれて驚いたようだ。そういえば、目の前で読んだことはなかった。
久しぶりに見たブラッドリーは相変わらずの不愛想なイケメンだった。最近忙しくしていたようで、記憶にあるより少しやつれている。
「来月、エスパルの王女が王太子殿下に輿入れするが、その歓迎の舞踏会と結婚式に夫婦で参加するようにと陛下に言われた。」
「まあ!」
エリーは困ったように顎に手をやる。
「それは旦那様でも断れませんわね…。」
「ああ…。だから君に出席してもらいたい。」
「かしこまりましたわ。致し方ありませんものね。」
エリーの頭にTo Doリストがしゅぱぱぱっと出来上がる。
「ドレスを二着用意しないといけませんね…。舞踏会用と結婚式用に。一か月で二着は難しいですよね?」
「そこはナンシーとリチャードと相談してくれ。」
「ダンスも踊る必要がありますか?」
「俺はいつも踊らないから問題ない。」
リチャードが隣で顔をしかめているが、ブラッドリーは気にならないようだ。実はエリーはダンスの教育はろくに受けられていない。この屋敷にいるうちに習っておいた方がいいかもしれない。
「舞踏会と結婚式の作法を一通り復習しておきたいのですが…?」
「ナンシーとリチャードと相談してくれ。」
ダメだ、こいつ。頼りにならない。
「かしこまりましたわ。リチャード、後でナンシーと部屋にきてくれる?」
「かしこまりました。」
ブラッドリーは優秀な人だと聞いたが、女性のことには疎いようだ。相談するだけ無駄だろうと早々に切り上げて書斎を後にすることにした。
「それでは失礼しますわ。」
「…ああ。」
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「困ったことになったわ…。次期公爵夫人が下手なドレスは着れないわよね?アクセサリーもよ?」
「アクセサリーは奥様が結婚式で身につけられたものをお使いになるのでよろしいと思います。」
「あのエメラルドのネックレスとイヤリングね。いいと思うわ。高そうだったし。」
「ドレスについては、大奥様御用達のお店がありますが、おそらくもうドレスを作る余裕はないでしょうね。奥様にドレスをと頼んでも…。」
「私の評判、めちゃくちゃ悪いんですってね。ヘンリーに聞いてるわ。他のお得意様を押しのけてまでは作ってくれないわね。」
エリーの評判が悪いのは全てブラッドリーのせいだ。お飾りのいずれいなくなる妻に対してそこまでするつもりはないのだろう。
それか、社交に出ないから問題ないと思っているのかもしれない。
「なので、エバンズ商会に頼むのがいいかと思います。」
「私もそう思っていたわ。手紙を書くから用意してくれる?」
そうしてその日の午後にはヘンリーが飛んできた。
「こうなるんじゃないかと思ってたよ。うちの服飾部門にはまだ余裕があるし、ドレスを用意できる。」
デザイン画をたくさん机の上に出しながら、ヘンリーは早口でまくし立てる。
「でも、公爵家のドレスだから布も高級でないと…。エバンズ商会では布を扱っていないでしょう?」
「扱っていないんじゃなくて、売れないから売るのをやめたんだ。在庫はたくさんあるよ。」
そこでエリーはぴんときた。
「うちの領のシルクね!」
前王太子の失踪ですっかり廃れてしまったロンズデール領の養蚕業だ。なんとか継続してもらっているが、規模は縮小してしまった。
「あとはデザインだ。シルクを使えるデザインをいくつか持ってきたよ。全部エリーが昔にデザインしたものだ。」
「でも、これはドレスになってしまっているでしょう?それに最近の流行りでもないし。」
「そうだな…。今の王都の流行りを調べてこようか?」
「それでいいのかしら?エスパルの意匠を取り入れる方がいいかしら?どう思う、ナンシー?」
「舞踏会はそのようにするのがいいかと思います。式典はクラシックなブルテン式のドレスを用意されるのがいいかと。」
「確かに、私の結婚式でも、夫人のドレスにそこまでのバリエーションはなかったわね…。」
「じゃあ、そちらは過去のデザインをアレンジするでいいだろう。」
「エスパルの意匠を調べてもらえる?」
「わかった。」
ブラッドリーからの難題はヘンリーの助けとナンシーとリチャードの助けにより、なんとか目途が立った。
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「ヘンリー、今日は助かったわ。ありがとう。」
「お礼はドレスが完成してから言ってくれ。」
「そうね。」
ヘンリーを玄関まで見送っていると、趣味の乗馬を終えて帰ってきたところのブラッドリーとかち合った。珍しいミスである。エリー、リチャード、ナンシーの意識が難題の方に向いていたのが原因だろう。
「客か?…君はたしか、ヘンリー・エバンズか?」
「エバンズ商会のヘンリーです。奥様から一か月後のドレスの依頼を受けまして、大急ぎで打ち合わせに来た次第です。」
「…そうか。君は卒業後、商会に就職したのか。成績は優秀だったが、官吏にはならなかったのか?」
「もともと自分は商会で働くうえでよいだろうと王立学園に進学したので。急がなければならないので失礼いたします。」
ヘンリーはなかなか不敬な態度だが、ブラッドリーは気分を害した様子もない。それどころか、ヘンリーが屋敷を出て行った後には、「彼は優秀だったから、国のために役人になればよかったのに」と高く評価するようなことを言った。
「ヘンリーは私の幼馴染ですが、昔から商会で働きたいと言っていましたよ。彼は夢をかなえたわけですね。」
ブラッドリーは不快そうに顔をゆがめた。
「才能があるのだから、国のために使うべきだろう。」
「商会も国に貢献する重要な仕事ですが…?」
エリーはブラッドリーの言っている意味がよくわからず、首を傾げてしまった。
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