たとえ“愛“だと呼ばれなくとも

朽葉

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2章

53.一度手を汚せば

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 久しぶりの帰宅。紗代は自身の家の玄関へ向かっていた。理久の家を張り込んでかなりの時が経ったが、勿論何の成果が得られる筈もなくその間はネカフェや野宿で生活。流石に心身に疲労が溜まってしまったのだろう。ボロボロになった身体と重い足腰を休ませる為に家へ帰る事にしたのだ。久しぶりの帰宅だからであろうか。住んでいるアパートの様子が何時もと違う事が分かる。

(私の部屋の前に誰かいる……?)

 紗代の言葉通り、部屋の前に誰か立っているようだ。見たところ四十代から五十代くらいの男性。しかし、紗代は彼に見覚えがあったようで元々顔色の悪かった顔を更に青褪めさせた。

「……

 彼と目があった瞬間、思わず口から言葉が溢れてしまう。いつかは話に来るとは思っていたが、今更来るなんて考えもしていなかった。まあ、職場にまで来なかっただけ良かったと言える。彼を

「嗚呼、紗代さんだよね? 有沙がいつも世話になってるよ。聞きたい事があ────」

「あの、部屋の中で話しませんか?」

 有沙の父、警部の声を遮ってそう提案する。もう有沙を殺した事がバレてしまっているのなら仕方ない。仮に彼を生かしておけば理久と両思いになる為の計画の邪魔になるのだ。けれども彼は紗代の瞳を真剣に見つめるとこう言った。

「紗代さん、自首してくれないか」

 と。彼の肌はボロボロで髪も衣服も汚い。きっと何日も紗代の帰りを待っていたのだと思う。自分は死んでも構わないからとでも言うようにくしゃくしゃとした顔を見せながら、紗代の瞳を見つめ続ける。

「な、なに言ってるんですかっ! 私が何をしたって言うんです? まさか私が有沙を殺して其処に花を添えたと言うんじゃ──」

 しまった、と思わず紗代は手で口を塞いだ。何故なら有沙の遺体が見つかった事は公になっていたとしても、花が添わっていたのはメディアには公になっていない筈。バレたという焦りからか思わず自爆してしまった。これでは自分が犯人だと認めたような物だろう。

「……部屋に入らないのか?」

 警部は冷や汗を床にポタポタと落とす紗代を見て声を掛ける。何で態々危険な室内に入ろうとするのか、紗代は全く理解出来ない。余計頭が混乱に陥ってしまう。

「ど、どうぞ」

 混乱した頭を冷静にさせながら鍵を使って警部を部屋に入れるとまず紗代はこっそりと玄関の鍵を閉めた。当然、それは外から人が入って来ない為。次に鞄の中に入れていた愛斗を殺す為のナイフにゆっくりと手を掛ける。だが彼はその行動を見抜くかのように口を開いて話し始めた。

「……なあ、紗代さん。私は怒っている訳でも君に復讐しに来た訳でもないんだ。。あれは君から有沙へのメッセージだろ? 君が有沙に依存しているだなんて有沙は思ってない……! 只、伝えたかったんだ……」

 警部が何かを言いかけようとした瞬間、紗代は警部に向かってナイフを振り翳す。音を立てるように彼の腹にナイフが食い込み、体内にある筈の血液がじわじわと外へ溢れだしていく。刺さった時は火傷を負ったように熱いと感じた傷口。にも関わらず、少しの時間を経てそれは猛烈な痛みへと変わり、加えて少し痺れたような感覚がした。

「……ゔっ、有沙は、有沙は────」

 この後に続く言葉を紗代は心底理解している。だからこそ聞きたくなかったのだ。言葉を発する前に彼が息を途絶えられるよう、何度も何度もナイフで腹を強く刺す。しかし、ピンチに陥った時の人間の生命力とは凄まじい物でまだ彼の意識ははっきりとしている。

「君に……た、とえ愛だと……呼ばれ、な、くとも、君の……君……愛し続け……たんだ……」

 衣服に染み込みきれなかった血液が不快な音を立てながら玄関の床に流れていき、やがて血溜まりになっていった。警部は暗がりの部屋に流れる自分の血液が何処か綺麗でとても美しく思えた。

 彼は床にぱたりと倒れるとそのままぴくりとも動かなくなる。足で避けるように蹴っても指で突いても動かない。有沙を殺した時には動揺すらしなかった身体が細々と震え、脳内に有沙との思い出が一つ一つフラッシュバックしてきたのだ。それがとてつもなく滑稽に思えたのか、紗代は死体が転がるその部屋で声を出しながら全力で自分を嘲笑った。
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