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或いは夢のようなはじまり
01 竹林のふたり
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そこは町を一望できる高台にもなっていた。
気持ち次第では睥睨する爽快さを感じ取れる反面、すべてが小さく遠く見える事による孤独感すらも味わえる場所である。
西に大きく傾いた陽が世界を黄色がかった朱に染め、それを追って東の空からは蒼い色が滲み出すように勢力を広げている。
そんな光景を前に佇む人影がふたつ。何を語るでもなく、朱く燃える景色を前に微動だにしない。
時折耳に届く音は、背後で存在を主張する竹林のさざめき。
前に立つ人影は少女であった。ゆったりとした白い袖と朱色の袴。和装――― 一般的に巫女と呼ばれる装束だ。
十代半ばと見られる容姿ではあったが、どこか憂いを帯びた瞳と背筋の伸びた姿は一人前の淑女であり、神秘性さえ感じさせる威光のようなものが彼女を実際の年齢以上に見せている。
とはいえ、今それを目にする事の出来る者は、背後に控えるように立つ男のみであり―――その男も少女の背を護るように立っているので、その横顔すら見る事は適わないのだが。
その少女より明らかに年嵩と見える男は、白い長袖のシャツに藍染のジーンズという、どこにでも居そうな若者の格好ではあった。しかし長く伸びた銀色の髪と深い紅の瞳とが、少女と同じく俗世から離れた存在であると印象づける。意識的にではなく、自然に引き結ばれた口元が男の寡黙さを物語っている。
少女の絹糸のように滑らかな黒髪がゆったりと踊った。それまで緩やかだった風が俄に強くなったのだ。
夕陽の朱を吸い込み、まるで炎が柔らかく揺らめいているかのような幻想的な光景。それは、少女の顔を見る事のできない男への慰めとも見える。
「なぁ―――」
男は少女の名を呼び掛けたが、突風に遮られてその耳に届く音とはならない。
それでも少女は顎を引き気味にして視線を背後へと向けた。
朱の焔を受けて髪と同じく鮮やかに染まる瞳は、その年代には持ち得ない気高さと強い意志を放っている。
「――――」
風は強いままであったが、構わずに男がまた何かを口にした。
質問か意見か―――受け取る側によってその内容は意味を変えるが、緊張を帯びた男の表情から察するに、あまり面白いものでない事は明らかだ。
「そうね――」
少女の声が風に乗って男の頬を滑ってゆく。容姿同様に透き通った美しい声。少しソプラノ気味の音程ではあったが、癇に障るようなものではなく、むしろずっと耳に留めておきたいと思わせる響き。
「――いずれ、この街に全てのものが集まるのは必然だもの。陳腐な言い方をしてしまえば、運命――」
そこまで言い、少女は言葉を切る。
「…ごめんなさい。運命って言葉、嫌いだったのよね」
背後に流していた視線を瞼で遮り、少女は再び前方へと顔を向けた。
男は俗に言われる『運命』という存在を嫌悪していた。憎んでいるとさえ言っても良い程に。
それを知りつつも、この少女は時にその言葉を口にしてしまう。故意か失念か、あるいはその言葉が好きなのか。
そのどれであっても……また、別の理由であっても良いではないか、と男は嘆息する。
少女が必要以上に気遣わないのは男に対する親愛の証しだと考えれば済む話であるし、仮に悪戯心から口にしているのだとしても、それはそれで年齢相応の可愛さではないかと一笑に伏してしまえるのだから。
そう、自分はこの少女が好きなのだ。
人間としての高潔さ、清廉さ、純真、博愛、そして若さ故に見せる未熟さ……すべてが愛おしいと感じている。
記憶の奥底に眠る、若かりし頃に振りかざしていた恋愛感情とは異なっているが、いちいち理屈づけるまでもない。この少女を護りたいという自分の信念に偽りはないのだから。
だから平然と答えを返す。
「気にする程の事でもない」
勿論、虚勢だという事くらい少女に分からない筈がない。
しかし同時に、少女が『気にする事ではない』という意味合いでは本当だという事も。この事に関しては、自分ひとりの問題なのだ。
少女は目を閉じたまま、薄く開いた唇でゆっくりと息を吸い込み――倍近い時間をかけてまたゆっくりと吐き出した。
「――――」
落ちゆく朱の光を瞳に受け、口元を強く引き結ぶ。
人の耳に届かない程の音で、男の名が風に流れてゆく。
「どれほどの時間を要するか、まだ分からないけれど――」
少女が振り向き、豊かな黒髪が力強く躍った。
逆光でよく見えなかったが、それでも男は確かに感じていた。少女の瞳に宿った強い意志と闘志。そして微笑むように歪められた口元とを。
「勝ち取るわ。すべて取り戻してみせる。必ず」
落ち着いた声色ではあったものの、それはどこか楽しそうな響きをもって男の耳に届いた。
竹林のざわめきは、当分は終わりそうにない。
気持ち次第では睥睨する爽快さを感じ取れる反面、すべてが小さく遠く見える事による孤独感すらも味わえる場所である。
西に大きく傾いた陽が世界を黄色がかった朱に染め、それを追って東の空からは蒼い色が滲み出すように勢力を広げている。
そんな光景を前に佇む人影がふたつ。何を語るでもなく、朱く燃える景色を前に微動だにしない。
時折耳に届く音は、背後で存在を主張する竹林のさざめき。
前に立つ人影は少女であった。ゆったりとした白い袖と朱色の袴。和装――― 一般的に巫女と呼ばれる装束だ。
十代半ばと見られる容姿ではあったが、どこか憂いを帯びた瞳と背筋の伸びた姿は一人前の淑女であり、神秘性さえ感じさせる威光のようなものが彼女を実際の年齢以上に見せている。
とはいえ、今それを目にする事の出来る者は、背後に控えるように立つ男のみであり―――その男も少女の背を護るように立っているので、その横顔すら見る事は適わないのだが。
その少女より明らかに年嵩と見える男は、白い長袖のシャツに藍染のジーンズという、どこにでも居そうな若者の格好ではあった。しかし長く伸びた銀色の髪と深い紅の瞳とが、少女と同じく俗世から離れた存在であると印象づける。意識的にではなく、自然に引き結ばれた口元が男の寡黙さを物語っている。
少女の絹糸のように滑らかな黒髪がゆったりと踊った。それまで緩やかだった風が俄に強くなったのだ。
夕陽の朱を吸い込み、まるで炎が柔らかく揺らめいているかのような幻想的な光景。それは、少女の顔を見る事のできない男への慰めとも見える。
「なぁ―――」
男は少女の名を呼び掛けたが、突風に遮られてその耳に届く音とはならない。
それでも少女は顎を引き気味にして視線を背後へと向けた。
朱の焔を受けて髪と同じく鮮やかに染まる瞳は、その年代には持ち得ない気高さと強い意志を放っている。
「――――」
風は強いままであったが、構わずに男がまた何かを口にした。
質問か意見か―――受け取る側によってその内容は意味を変えるが、緊張を帯びた男の表情から察するに、あまり面白いものでない事は明らかだ。
「そうね――」
少女の声が風に乗って男の頬を滑ってゆく。容姿同様に透き通った美しい声。少しソプラノ気味の音程ではあったが、癇に障るようなものではなく、むしろずっと耳に留めておきたいと思わせる響き。
「――いずれ、この街に全てのものが集まるのは必然だもの。陳腐な言い方をしてしまえば、運命――」
そこまで言い、少女は言葉を切る。
「…ごめんなさい。運命って言葉、嫌いだったのよね」
背後に流していた視線を瞼で遮り、少女は再び前方へと顔を向けた。
男は俗に言われる『運命』という存在を嫌悪していた。憎んでいるとさえ言っても良い程に。
それを知りつつも、この少女は時にその言葉を口にしてしまう。故意か失念か、あるいはその言葉が好きなのか。
そのどれであっても……また、別の理由であっても良いではないか、と男は嘆息する。
少女が必要以上に気遣わないのは男に対する親愛の証しだと考えれば済む話であるし、仮に悪戯心から口にしているのだとしても、それはそれで年齢相応の可愛さではないかと一笑に伏してしまえるのだから。
そう、自分はこの少女が好きなのだ。
人間としての高潔さ、清廉さ、純真、博愛、そして若さ故に見せる未熟さ……すべてが愛おしいと感じている。
記憶の奥底に眠る、若かりし頃に振りかざしていた恋愛感情とは異なっているが、いちいち理屈づけるまでもない。この少女を護りたいという自分の信念に偽りはないのだから。
だから平然と答えを返す。
「気にする程の事でもない」
勿論、虚勢だという事くらい少女に分からない筈がない。
しかし同時に、少女が『気にする事ではない』という意味合いでは本当だという事も。この事に関しては、自分ひとりの問題なのだ。
少女は目を閉じたまま、薄く開いた唇でゆっくりと息を吸い込み――倍近い時間をかけてまたゆっくりと吐き出した。
「――――」
落ちゆく朱の光を瞳に受け、口元を強く引き結ぶ。
人の耳に届かない程の音で、男の名が風に流れてゆく。
「どれほどの時間を要するか、まだ分からないけれど――」
少女が振り向き、豊かな黒髪が力強く躍った。
逆光でよく見えなかったが、それでも男は確かに感じていた。少女の瞳に宿った強い意志と闘志。そして微笑むように歪められた口元とを。
「勝ち取るわ。すべて取り戻してみせる。必ず」
落ち着いた声色ではあったものの、それはどこか楽しそうな響きをもって男の耳に届いた。
竹林のざわめきは、当分は終わりそうにない。
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