群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

35 思わぬ遭遇

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「待ってぇ、センパ~イ」

 語尾にハートマークが舞い飛んでいそうな声音で、希理は直樹の背を追い掛けていた。
 鼻歌交じりにスキップをしながら、希理はこの上なく楽しそうだ。

『はははっ、早く来いよ~』

 希理の脳内では、直樹がイケメン全開スマイルを自分に向けている映像が流れている。

「ぜったい、ぜ~ったいに、追いつきますからね~♪」

 追い付き、その手を掴んだ拍子に、二人は絡み合うように倒れ込んでしまうのだ。
 思わぬ急接近を果たした二人は暫し見詰め合い、やがてどちらからともなく唇を重ねていく……。
 そんな妄想を現実にするべく、希理は直樹を追う。

「くっそ、なんであんなに楽しそうなんだ!」

 微笑みを崩さない希理に対し、直樹は見通しの利かない廊下を必死に駆けてゆく。
 スキップのみの希理に幾度となく追いつかれそうになるという、そんな理不尽ぶりも必死さに拍車をかける。
 ともかくこうなってしまっては、慎重に進むなどと言ってもいられない。目の前に壁や階段が現れでもしない限り、全力で駆け抜けると決意した直樹である。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 随分と走ったつもりだったが、希理を完全に引き離す事は諦めていた。
 逃げると同時に周囲の観察も続けた結果、ある程度ではあるが状況が呑み込めてきていた。

 校舎内は霧の壁により区画分けされており、それらがランダムに繋げられている。
 霧の壁を抜けると、別の区画に繋がっているという具合だ。遠くが見通せないのは、区画分けをしている霧が壁となっているからだ。
 区画同士の繋がりに法則性があるかどうかの検証は諦めている。時間が無さすぎであるし、二度と入り込みたくないと本気で考えている。
 また、長時間の滞在の結果として自我に支障をきたしてしまうのは、希理の様子から察することが出来る。理性のタガが外れてしまうのか、秘めている願望を膨れさせてしまうのかは判断の難しいところだ。
 そしてその状態にある者は霧に包まれた空間内を、自在とまではいかないまでも、かなり有利に動けるようだ。

「……おっと」

 爪先に力を込め、背後に伸びてきた希理の手を躱す。
 いくら距離を稼いでみたところで、区画単位をすっ飛ばされてしまっては何の意味もない。
 希理の刻むスキップよりも早い速度を保ちつつ、区画を飛び越して接近された際にはその手を掻い潜るというのが、現状では最も効率的だと結論づけた。
 追い掛けられている以上、いつまでも使える手ではないが、差し当たってはこれで対応していくしかない。

「…っ!?」

 T字路になっている廊下を左に折れようとして、足を止めた。
 一瞬だったが、右方向に何かが見えたような気がしたのだ。
 見慣れた後ろ姿だったようにも思えたが、この状況では願望が幻を見せただけという可能性もある。

「いや、行くか」

 どっちに進んでみたところで、行き先は分からないのだ。
 ならば願望の類であったのだとしても、何かを感じた方に賭けてみるのも悪くない。

「センパ~イっ!」

 それに、迷っている余裕も無いときているしな。
 口の中で呟き、霧の奥へと突き進む。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


「あれは……」

 誰かを見たと思ったのは気のせいではなかったが、残念ながら香月ではなかった。
 霧を抜けた先の区画で直樹の視界に映ったのは、制服を着た女生徒の後ろ姿。

「な、奈紀美先輩っ!?」

 ふわふわと掴み所の無い、いつも通りの様子の奈紀美がそこにいた。
 神出鬼没な人だと思ってはいたが、こんな場所にまで現れるとはどういった事なのだろうか。
 直樹の声が届いたのかどうか、奈紀美が一瞬だけ視線を背後に向けたように見えた。
 しかし、すぐに前に向き直ると、揺らめくように霧の奥へと姿を消してしまった。

「なに考えてるんだ、あの人は…っ」

 溜め息を吐きたくなる気持ちを抑えながら、その背を追う。
 常に飄々とした態度から随分と大人びているという印象が強かったが、直樹とひとつしか違わない同じ高校生なのだ。
 どういう経緯でこの空間に身を置いているのかは本人に問い質さねば分からないが、保護対象が増えた事は確かだった。
 遠目ではあったが、奈紀美は希理のようにおかしくなったりはしていないように見えたからだ。

(でも、俺の事は気付いていたよな…?)

 直樹が奈紀美を心配するように、逆に直樹が自我を喪っていると思われているのだとすれば近寄ってこないのも道理だ。
 少し話をすればそういった誤解は解けるであろうし、呼び掛けながら追うしかない。

(途中で香月も拾えるといいんだが…)

 望み過ぎはよくないと自戒しつつも、問題が増えれば増えるほどに、ご都合主義な展開を心のどこかで期待してしまう直樹だった。
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