群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

47 まさかの

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(……なにあれ、凄いじゃないの)

 第一体育室の脇に併設されている準備室に隠れていた香月は、小窓から様子を覗き見て息を呑んだ。

 正体不明の敵がいると理解してから、香月はとにかく身を隠す事に専念していた。
 自身の非力さを理解している香月としては、直樹の足手まといにならない事を第一とした。
 場合によっては手近な物を投げて援護をとも思ったが、猛獣そのものの体躯を持つ鵺を見た瞬間に自分では何も出来ないと理解してしまった。
 多少重量のある物をぶつけてみたところで、分厚い肉の鎧はかすり傷ひとつ負わないだろう。

 普通に考えれば、襲い掛かってくる猛獣に勝てる人間などそうはいない。
 猫が鼠をいたぶるような、そんな一方的な展開さえ予見してしまっていた。

 だが実際、直樹はそんな鵺を相手に負けてはいなかった。
 香月では目で追う事もできない攻撃を避け、短い木刀で深手を負わせる程の健闘ぶりだった。

『――いいね!!』

 直樹が声高に叫ぶのを聞き、悪い癖が出ていると香月は額を押さえた。
 普段澄ましている反動なのかどうか、時に直樹は暴走を始める。
 そうだ、あれは楽しくて仕方がないのだ。

「どういう神経してるのよ」

 命のやり取りをしている瞬間が楽しいだなんて、どうかしている。
 とはいえ、そういうスタンスで臨まねばならない側面もあるのだろうと、香月は自身を納得させる。
 陰鬱な気持ちで敵に向かったところでロクでもない結末を迎えるのは明らかであり、そこを乗り切るためにも自身を鼓舞させねばならない。

 わかる。
 テンション高めでないと、やってられない時というのは確実に存在する。
 香月とて、そういった経験がない訳ではないのだ。

「………」

 香月と直樹が直面する場面設定に若干の差異があるような気もしたが、今はそれどころではないので気にしない事にした。
 問題は、直樹はテンションが上がると視野が狭くなる癖があるという事だ。

 目の前への集中力が上がる一方で周囲への注意が疎かになるというのは、こういった場面ではとても危険なもののように思えて仕方がない。
 眠っていながらにして危険察知できるという特技が台無しだ。

 実際、大きな傷を負いこそしていないものの、直樹の挙動は鵺に対して遅れを取っている。
 今もまた姿を变化させた鵺に驚き、大きく弾き飛ばされてしまっていた。

(でも、なんでだろう…)

 押されているようにしか見えないにも拘らず、安心感にも似た思いで直樹を見る事ができている。
 直樹ならば大丈夫だと信じてはいるつもりだが、信頼とはどこか違うと香月は感じていた。

 強いて言えば『知っている』だろうか。
 どうしてそう感じるのか、自身の事ながら香月は不思議で仕方がない。

『まだまだあっ!!!』

 直樹の雄叫びが体育館内を震わせる。

 まさか木刀が宙を舞う様を見ようとは、香月は露ほども想像していなかった。
 大道芸のようだと喝采すれば直樹は不本意な顔を見せるだろうが、香月には他に適当な形容詞が思い浮かばない。

 そんな奥の手ともいうべき大技が決まり、鵺は無様に転がっている。
 誰が見ても直樹の勝利は確定だ。

(……なんで?)

 しかし先程までの安心感とは打って変り、香月の胸中には煩いばかりのざわめきで溢れ返っていた。

(これも『知っている』の?)

 直樹はこれまでにない程に、目の前の鵺に集中できている。
 鵺が僅かでも動きを見せれば、即座に対応できるだろう。
 その優勢は覆りそうにないのに、香月の中で不安ばかりが大きくなる。

(ああもう、もどかしいっ!)

 直樹の身に危険が迫ると知っているのならば、それを伝えねばならない。
 しかし香月は、それ・・が何であるのか見当もつかない。
 自らの命を脅かす存在に立ち向かっているのだ。気をつけて、などと言われるまでもない。
 香月の言葉であれば直樹は嬉しく感じるだろうが、逆に集中力を切らしてしまいかねない事を考えると、不用意に声を掛ける訳にはいかない。

(…なにか、何かがおかしい……?)

 瓦礫の散乱する体育館を見回し、違和感の正体を探す香月。
 とはいえ、何においても素人でしかない香月である。
 焦りを隠し切れない状態では、見つけられるものも見つけられない。

「落ち着け……落ち着くのよ、私」

 声に出して自身に言い聞かせると、小窓から身を離して深呼吸を始める。

 すーはー、すーはー、すーーー、はーーーー

「よしっ」

 背を向けていた小窓に額を擦りつけるようにして状況を窺う。
 地に転がり動けない鵺と、その前に油断なく立つ直樹。目を離した隙に状況が変わった様子はない。
 直樹を中心にして視界を広げていくが、少なくとも香月には、鵺の味方をするような存在は発見できなかった。
 せいぜい、最初に直樹が斬り落とした鵺の尾が転がっている程度だ。

「……え?」

 改めて倒れ臥している鵺に目を向ける。
 直樹によって斬り払われた四肢は塵となって消えていた。本体から切り離された部位には、単独で存在するだけの力――有り体に言えば、命が存在しないからだ。

 ならば、あそこに転がっている尾はどうだ。
 この場での香月はそんな理屈など知りもしないが、それでも目の前の光景の違和感には気付いた。

(ちょっと、ちょっとちょっと――!?)

 思えば胸の裡に懸念にも似た感情が出てきたのは、尾が斬り落とされたあたりだったような気がする。

『俺の――勝ちだ!』

 自身の勝利を確信した直樹の叫びが響き、大きく振りかぶった木刀が鵺めがけて振り下ろされる。
 だが、香月には見えてしまっていた。
 鵺の残されている右目に、嘲笑うような不敵な光が宿った事に。
 そして、離れた位置にあった鵺の尾が鋭く跳ねた事に。

「な、直樹ぃーーーっ!!!」

 叫ぶ香月だったが、防音設備も整っている準備室からの声が届いているかは怪しいものだった。

「――っ!!」

 扉を蹴破らんばかりの勢いで慌てて飛び出すも、すべてが遅かった。
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