群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

59 もうひとりの直樹

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「う、動かない!?」

 力なく座り込むままの香月を起こそうとした直樹だったが、右足を踏み出したところで左足が動かない事に気が付いた。
 危うく転びそうになるのを堪えたものの、今度は踏み出していた右足が動かなくなっていた。

「な、なんなんだ!?」

 前後に両足を開いた状態で、直樹の下半身は固定されてしまっていた。
 爪先に力は入るので麻痺を起こしたという事ではなさそうだが、足の裏が地に吸い付いてしまったかのように微動だにしない。
 膝や上体は動くものの、爪先の向きが完全に固定されてしまっているために珍妙な動きにしかならない。

「よう、なかなか面白い格好になったな」

 直樹の背後から声が掛かった。
 聞き覚えのない男の声……と思ったが、どこかで聞いた事があるような気もする。

「誰だっ!?」

 嘲るような調子を含んだ声であり、警戒すべき相手だと判断した。
 大きく動けるような状態にないながらも上体を捻って背後に視線を向けるが、背後にいた男は直樹の視線と同じ方向に動き、視界に収める事ができなかった。

「くそっ」

 直樹は小さく舌打ちした。
 こちらの挙動が制限されているのだとしても、人の視線の動きから逃れるなど並大抵の技量ではない。

「その状態でそれだけ動けるとは、なかなかじゃないか――」

 直樹の死角に移動した男は、そのまま背後へと距離を詰めてきた。
 息遣いさえ感じられそうな距離からの声は、素直に感心しているかのようでもあったが――

「――でも、ここまでだ」

 捻った上体を戻しきる瞬間に、直樹は地面に背を打ちつけていた。
 男に突き倒されたのだ。

「げべっ!」

 受け身も取れず、不格好な呻き声とともに肺の中の空気が一気に押し出される。
 男は際だった技術も力も見せなかったが、両足を固定されている今の直樹には十分なものだった。

「くっそ――え!?」

 慌てて上体を起こそうとした直樹だったが、今度は地に着いた上半身が動かせなくなっている事に驚愕した。

「なんなんだ、さっきから!」

 怒声を発してみたところで状況が改善される筈もない。
 肩から先は宙に浮いていたので動かせてはいるが、上体を捻る事も適わないとなれば何も出来ないに等しい。

「ま、諦めなよ。新條直樹クン?」

 仰向けの直樹を男が覗き込んできた。
 その顔を見て、直樹は重ねて驚愕する。

「お前……!!」

 そこにあったのは、直樹と瓜二つの顔。
 鏡を見ているのではないかと錯覚しそうになるが、目の前の顔は直樹自身が作った事のない底意地の悪い笑みを浮かべており、それが鏡像などではないと物語っていた。

 そして、自身と同じ顔をした男の正体を直樹は知っていた。

「ドッペルゲンガー!」

 かつて幼い直樹の前に現れ、その人生を取って代わろうとした存在。
 両親の助力もあって撃退に成功したが、それがまた現れるとは。

「ノンノン。そんな十把一絡げな名前で呼ばないでくれたまえよ。君らが考えているよりも、僕らは高尚な存在なんだからさ。それに――」

 男は人差し指を左右に振りながら、口角を吊り上げた。

「これからは、僕こそが新條直樹になるんだからさ」
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