群青の緋

竜田彦十郎

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或いは夢のようなはじまり

60 回答編

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「くそ、なんでだ! マンションでは助けるような事までしておきながら!」

 香月の住むマンション崩落の際、足下が崩れると警告を発したのは眼前のドッペルゲンガーだと直樹は気付いていた。
 鵺同様、その存在と行動原理ともいうべきものは諸説ある。精霊だとも、悪魔だとも。
 過去の経験からも警戒していた直樹だったが、助言を与えられた事により、かつてとは違う存在になったのではないかという可能性も考えていたのだ。

「ばっかだなぁ。あれは君を助けたんじゃなくて、香月を助けたんだ。
 こうして実体を形成するには、まだ時間が必要だったからね」

 ドッペルゲンガー――ドッペル直樹は気を失ったままの香月に視線を向け、そしてまた直樹を睥睨する。

「そうさ。やっと彼女を僕の物にできるのさ。君はここで僕にバトンタッチなんだよ」

 地に縛られている直樹に顔を向けたまま、ドッペル直樹は舞台劇よろしく両腕を大きく振って感動を表す。

「これも、お前の仕業かっ!!」

 地面に縫い付けられたまま、直樹は不格好に両腕を振り回す。
 地に触れれば固定されてしまう事は疑いようもなく、それを避けようとして可動範囲がさらに狭められる。

「んー、ちょっち違うんだなぁ」

 ドッペル直樹の笑みは、ますます深く歪んでゆく。
 言いたくて堪らないという様子であり、煽りなどせずとも勝手に喋り始めてしまいそうだ。

「そうだねぇ。何も知らないままで死んじゃうってのも不憫だよねぇ。なんてったって、君は僕なんだ。
 残り時間も少ないけど、回答編を始めようか」

「………」

 残り時間?
 何を言っているのかと直樹は訝しんだ。
 ドッペル直樹が自分を亡き者にしようとしている事は明白になった訳だが、わざわざ時間制限を設けているのだろうか。
 人間である直樹と比べて物事の認識に差異があるのは不思議な事ではないが、この場でそれを指摘してみたところで残り時間とやらが増える事はないのだろう。とりあえず聞き流す事にした。

「まず、僕らは君ら人間に対して、直接的な危害を加える事はできない。
 この世界において、僕らは影に過ぎないからね。
 君らと入れ替わりたいと考えてる者は、それこそ無数にいるんだけどさ」

 入れ替わるなどと、割と重い話をさらりと言ってのけるものだと、直樹は眉根を寄せる。

「寿命で死なれれば、こっちも消える。残念だけど、これは仕方ない。これはもう、自然の摂理ってやつだ。
 事故だとか事件に巻き込まれて命を絶たれれば入れ替わる事もできるんだけど、なかなかそうもいかない」

「は?」

 思わず声に出してしまった。
 天寿を全うせずに死ぬ者は結構な数の筈だ。
 身近なところでポンポンと人死にがあるものでもないが、地域を広く見れば、毎日どこかで誰かが不慮の死を遂げている。

「それだと、相当な数の人間が入れ替わってるのか?」

「うんにゃ、それがそうでもないんだな。入れ替わるためには、死亡現場に居合わせないといけないのさ。
 残念な事に、僕らは予言者でもなければ千里眼も持っていない。更に言えば、こっちの世界に顕現できる総時間が限られていてね。入れ替わりたい人間の死に目に立ち会えるなんて、奇跡そのものなのさ」

 ずずい、とドッペル直樹が顔を寄せる。

「ところが! ここにその奇跡が起きたのさ!
 既に知っていると思うけど、君は何度も死んでいる。そして何度も繰り返している。
 これはね、君がひっっっじょ~~~うに、死にやすくなっている状態でもあるんだ」

「死にやすい、だと?」

 鵺のような存在につきまとわれてしまったならば、それはたしかに死にやすいと言えなくもないだろう。何度も時間を巻き戻せるチャンスがあったのだとしてもだ。
 だが、鵺は既に討ち果たされている。
 ここから先は普通に生活を送り、事故や事件に注意すれば良いだけではないのか。

「甘いっっ! 僕と香月がこれから送るラブラブ人生よりも、ちょ~~~~っ、甘い、ねっ!」

 ドッペル直樹は、全身を伸ばしてぶるぶると震えるように言葉を吐き出した。
 いちいち大仰というか、溢れる興奮を隠す気はないという事だろう。

「それじゃあ、今週のハイライト~ぉ! 何度も説明する時間はないから、ちゃんと見て、理解してくれよなっ」

 言うや、ドッペル直樹は宙に浮いている直樹の右手首を取った。

「くそっ!」

 その身体能力は直樹と同等であり、今や全身のほとんどを地に貼り付かせている直樹の抵抗など児戯に等しいものだった。
 右腕を地に押し付けられ、他の部位と同じく地面に固定されてしまう。

「ほらほら、よ~っく、目を凝らして見てちょーだいな」

 無理だと分かっていながらも腕を地面から剥がそうと足掻く直樹に対し、ドッペル直樹はにこやかに語りかける。
 ここで言う目を凝らせとは、霊視の事だ。
 鏡を見ずとも自身にまとわりつく影が視界に入り込んでくるのが気になってしまうため、直樹は意識的に霊視をしていなかったのだ。

(こいつ、何を言って―――げっ!?)

 身動きが出来ない以上、促される言葉を無視し続ける事にさしたる意味はない。
 そんな直樹の視界に映ったのは、自身の右腕を握り締める無数の白い手だった。
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