めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

003 帰路

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「それじゃ、また明日な!」

 片手を軽く上げて一樹が背を向けた。
 毎朝一緒に登校しているとはいえ、互いの家はそれなりに離れている。一樹と別れてから自宅まであと数分は歩く必要があった。

「やっと二人きりぃ」

 思いきり甘えた声が夕焼けに染まる路地に響いた。
 やっとも何も、一樹が同行している間もお構いなしに圭の左腕にしがみついていた訳だが。
 どうも病室での告白で何かが吹っ切れたらしく、これまで以上に圭に構ってくるようになった感のある眞尋だった。

(どうすんだ、これから……)

 圭は内心頭を抱えていた。そうでなくとも眞尋の圭に対する熱愛ぶりはクラス内で知らない者はなく『若夫婦』などというありがたくもない渾名まで頂戴しているのだ。
 誰もが冗談半分なのは分かっているのだが、それが冗談でなくなってしまいかねない流れは一種の圧迫感を与えてくる。
 もちろん、眞尋の事は可愛いとは思う。思うというよりも客観的事実だ。
 元気があって感情表現が豊かで、一緒にいればそれだけで楽しくなれる相手だ。背の低さはチャームポイントとして認めても良いだろう。

(……でも、なんか違うんだよな)

 圭は嘆息した。やはり緋美佳の事が諦めきれていない事を自覚していたからだ。
 こんな中途半端な状態で眞尋の想いに応えたとしても、それはこの少女に失礼な事ではないか。それとも単に圭に思い切りが足りないだけで、小難しく考える事でもないのだろうか。

「あ」

 小さく漏らした眞尋の声に足が止まった。思考の堂々巡りに陥りそうになっていたところを中断させられた事もあり、反射的に眞尋の視線を追ってしまう。

(…緋美姉)

 その先に見たものは緋美佳の後ろ姿だった。その名と同じ深い緋色の袴と長い黒髪を微かに揺らしながら社殿の陰へと消えていった。
 こちらに気付いた様子はなかったが、その背を見紛う筈もない。しかし、考える事ばかりに忙殺されて、緋美佳の実家である神社、鷸宮(しぎのぐう)の前まで来ていた事にも気付かなかったとは。
 圭は視線を上げ、鷸宮の全景を見遣った。
 二年前までは、神社の隣に加瀬家は居を構えていたのだ。そこも今や神社の敷地となり、かつて家屋があった場所には鎮守の杜が若葉を繁らせている。

(もう、一年経つんだよな……)


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 それはおよそ一年前。初夏の気配を肌で感じ始めた頃だった。
 境内に緋美佳が一人きりになるのを見計らい、思いきって声を掛けたのだ。もっとも、緋美佳が家の仕事をする時は大抵一人でいる事が多いので、圭は心の準備にばかり時間を費やしていたのだが。

『……お、おお、俺と付き合って欲しいんだ! 緋美姉が好きなんだ!』

 緊張のせいでうまく舌が回らなかったが、それでも最後まで言い切った。
 もう少し気の利いた言い回しもいくつか考えてはいたのだが、下手に恰好をつけるよりも率直に告げるくらいの方が緋美佳相手には効果的だと思ったのだ。
 僅かな逡巡。その時の緋美佳の表情に喜色を見出した気がしたのだったが、また次の瞬間にはそれは困惑の色へと姿を変えていた。
 何かを言おうとしながらも、一片の言葉も紡ぎ出せずにいる緋美佳。どう言えば圭を傷つけずに済むのか、考えあぐねているとしか見えなかった。

 その無言の空白に耐えきれなくなり、圭は逃げ出した。


  ◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇


 なんと言ってその場を脱したのか、すっかり落ち着いた今となっても微塵も思い出せない。そして緋美佳も追ってはこなかった。その事実が圭の恋が散った事を如実に示していた。
 しかし今日のように緋美佳はなにかにつけて圭の面倒を見てくれている。これはもう弟としての立場も極まれりといった具合だ。
 圭からしてみれば嬉しさを感じる反面、癒えない傷を抱え続けている状態だ。

「圭ちゃんっ!」

 苛立たしさを隠そうともしない叫びと共に、右脛に刺さるような激痛。

「ぐぁっ!?」

 唐突の事態に、圭はバランスを崩して地面に転がった。
 一瞬だけだった痛みが痺れるように脚全体に広がる段になって、眞尋に蹴られたのだと気付く。

「ふんだっ! 知らないっ!!」

 起き上がろうとした圭の側頭部を学校指定のスポーツバッグが薙ぎ、またしても地面に転がされる。
 天地がひっくり返った視界の中を、肩を怒らせた眞尋が小さくなっていくのを圭は黙って見送る事しかできなかった。
 鷸宮の奥へと消えた緋美佳の背を見ながら去年の出来事に思いを馳せていたのである。それは眞尋からしてみれば面白くないにも程があろう。
 身体を起こす事もせず、痺れたままの脛を感じながら、圭は己の不甲斐なさを噛み締めていた。
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