めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

068 野望と終焉・始

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「見事な侵蝕者討伐、おめでとうと言わせてもらうよ。加瀬圭君、鴫澤緋美佳嬢。
 盛大な拍手を贈りたいところだが、勘弁してくれたまえ。この通り、片手が塞がってしまっているのでね」

 修練場に現れたのは東條だった。
 スーツの上に白衣というスタイルはいつもの通りだったが、今日だけ違っていたのは右手に握られた鈍い光沢を放つ拳銃であり、その銃口からは薄い硝煙が揺らめいていた。

「け、圭くんっ!?」

 自分に重く圧し掛かる圭の身体に、緋美佳は一気に血の気が引いた。
 圭の右腕が力なく垂れ下がり、肩の痙攣が身体全体の震えとなって圭を包んでいる。
 急所は外れているようだが、血が流れ出るままに放置しておけば出血多量という事態も十分に考えられる。

「会話に没頭していたようだから気付かれないかと思ったが、彼はなかなか勘がいいね。
 彼を傷付ける気はなかったんだが、鴫澤嬢もそれだけの怪我をしていたとなれば、これは結果オーライというやつだ」

 東條の口ぶりからすると、その銃口は緋美佳を狙っていたらしい。
 つまり、圭は緋美佳を庇って撃たれた事になる。

「貴様…っ!」

 自分のせいで、またしても圭に余計な怪我を負わせてしまった。
 不甲斐ない自身への怒りが、そのまま目の前の男へと向けて噴き出しそうになる。

(だ…だいじょうぶ。ちょっと痛くて驚いただけだから……)

 今にも東條めがけて飛び出してしまいそうな緋美佳の耳元で、圭が震える声で呟いた。
 東條の狙いがどこにあるのかは分からなかったが、真っ先に狙われたのが緋美佳である以上、怒りに身を任せた行為だけは止めさせなくてはならない。
 脚に怪我をしている今の緋美佳では、飛び出した瞬間に狙い撃ちされるだけだ。

(緋美姉の身体、柔らかいな…。悪いけど、しばらく支えていて貰えるかな)

 多少の照れ隠しもあったが、その言葉に応じるように緋美佳の両腕が震えの止まらない圭の身体を強く抱き締めた。
 こうして緋美佳を足止めしておけば彼女自身の安全にも繋がるだろうと、圭は力を抜いて身を任せた。

「お兄ちゃんっ!!」

 離れた位置であっても、圭が撃たれた瞬間を目の当たりにしてしまった月菜が叫んだ。
 兄の許に駆け付けようと立ち上がったが、眼前に立ち昇った土煙と銃声に尻餅をついてしまう。
 そのまま背から転がりそうになってしまうところを、眞尋と穂が慌てて支えた。

(つきな…っ)

 圭の身体が一瞬跳ねたが、今度は緋美佳が静かに言い聞かせる。

(大丈夫。威嚇射撃されただけで怪我はしていないから)

 全身に力を込めようとする圭だったが、それも長くは続かずに、再び緋美佳に体重を預ける事になってしまう。

「一度しか言わない」

 空いていた左腕を高々と差し上げた事が合図だった。
 風の音だけが支配していた空間に、複数の爆音が割り込んできた。
 参道の石段とその周囲の樹木を派手に轢き散らしながら、哨戒部隊の装甲車が現れた。

 一、二、三……四台。
 東條の管轄下で上層部への申請なしで動かせるだけの戦力が、修練場にまで乗り込んできた事になる。
 装甲車は東條の背後を固めるように停車するとエンジンを停止させ、屋根の上に設置された大口径の機関銃が東條以外の者に照準を合わせた。
 機関銃の駆動音も止み、修練場からは機械音すべてが消え去ったが、突然降って湧いた暴力的な騒音に逃げ惑う鳥の鳴き声が周囲を飛び交っていた。

「一度しか言わない」

 東條は親切にも繰り返した。

「暴力を撒き散らす事が目的ではないが、不穏な動きをすると誰かが傷付く事を覚えておいた方がいい。
 これでも銃の扱いには慣れているのだが、慌てて発砲すれば急所を外す自信がないからな」

 その銃口は、最も近い位置にある圭へと向けられていた。
 この場にいる誰にとっても大切であり、そして今現在動けない状態にあると知った上での標的だ。

「ちなみに、射撃の腕にどれほどの自信があるかといえば、彼の指を一本ずつ吹き飛ばすくらいは朝飯前といったところだな」

 意識が揺らいできている圭を除く全員が、その光景を思い描いて背筋を震わせた。
 東條の瞳に宿った鋭利な光が、その言葉に嘘はないと物語っており、誰もが指一本動かせずに固まってしまう。

「…何が目的?」

 圭の肩越しに緋美佳が鋭い視線を飛ばす。
 後方の三人も圭との関係が深いとはいえ、結局は一般市民の域を出ない。この場で話を進める事の適役は、緋美佳以外になかった。
 もちろんそれは、東條に話し合いに応じる気があればの話なのだが。

「ああ、そうだね。それを話せば少しは協力的になってくれるかな。
 なにせ、突き詰めてみれば君達とは無関係な事ではあるからね」

 東條は、白衣の陰からゴーグルを取り出した。
 一見すればスキー用品のシルエットにも見えたが、それを持つ手と比較すると明らかに巨大な規格であり、鈍い銀色の光沢もスポーツらしからぬイメージだった。

「さて……」

 実際に装着すると、アンバランスな大きさが際立って見えた。
 ゴーグルというよりもヘルメットに近い印象があり、まるで仮装道具のようでもある。

 東條はスイッチを入れた。
 装着者である東條の視力と周囲の大気成分を演算したユニットが、それまでとは違う景色をその網膜に投影する。
 東條の目に映る世界は、肉眼で見るそれに朱色のフィルムを重ねたような色となる。
 何度も行なった実験で見慣れた光景だったが、実験では一度として見る事のなかった物がそこには映っていた。

「ふふふふふ……。理論値でしか設計できなかったが、ちゃんと見えるじゃないか」

 あまりの嬉しさに、口許が大きく歪む。
 その視線は銃口とは違う方向へと向いていた。

(な…なに?)

 東條の視線を感じた月菜が身震いした。
 色の濃いゴーグルのためにその瞳は見えないが、今、東條は明らかに月菜を注視している。
 眞尋ではなく、穂でもなく、この自分を。

 そしてすぐに思い至る。東條が見ている対象の正体を。

「そう、私は探していたんだよ。それ・・を……ルビィを!」

 東條の視界は、月菜の頭上に浮かぶルビィの姿を確かに捉えていた。

 鼬と栗鼠。
 圭はそう例えたが、人によっては猫とウサギと言うかもしれない。
 複数の小型動物の特徴を併せ持ったような姿をした、この世界では生息していない生物。
 かつてその情報を耳にした時は何の世迷言かと一笑に付した東條だったが、情報部の記録を気紛れに調べてみた際の衝撃は、東條の認識を変えるに十分なものだった。

(もちろん、今だってその情報を鵜呑みにしている訳ではないさ……)

 しかし、こうしてルビィの存在を目の当たりにしたのだ。
 叩いていた石橋が、突然に鉄橋へと姿を変えたも同然だ。

(ルビィ? あいつは何を言っている?)

 一応の説明を受けている圭達と違い、緋美佳は困惑するばかりだった。
 東條の様子から察するに、なんらかの未確認生物を指しているようではあるが、何も目にする事の出来ない緋美佳には理解の範疇を超えている。

(月菜に、くっついてるのが、いるんだ……)

 緋美佳の呟きに、圭が回答する。
 時間も体力もなく、必要最低限の言葉すら上手く紡ぎ出せない。
 後は、緋美佳の持つ知識と想像力に期待するしかない。

「…そうだとして、何故私達に銃口を向けた? 協力を申し出れば済む話じゃないか!」

 未確認生物については昔から諸説あった。
 宇宙の彼方より隕石と共に飛来したという説、その数が希少すぎてこれまで確認されていなかっただけだとする説、次元の挟間を抜け並行世界より来たとする説。
 そういった中にルビィという名がなかったろうか。

 そのどれでなかったとしても、対象は人間と接点を持たない未確認生物だ。
 月菜に懐いているのだとしても、このような一方的な暴力の末に接収される謂れなど無い筈なのだ。

「大いなる野望の前では、そんな事は些細なものだよ」

 即答する東條を前に、緋美佳は絶望にも似た思いを抱いた。
 間違いなく、東條は狂っている。
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