めぐり、つむぎ

竜田彦十郎

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はじまり

070 嵐の後

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「お…終わった……」

 その場にへたり込み、アレイツァは両腕を弛緩させた。
 無茶な力の入れ過ぎで、腕全体に痺れが残っている。
 急に肩を落としたせいで、担いだままでいた事を忘れていた千沙都が派手に転がり落ちた。

「…まぁ、いいか」

 どうせ転がり落ちたのは、気を失ってしまっている三人娘の上だ。
 多少打ちどころが悪かったとしても、大した怪我はないだろう。

 アレイツァは、たった今まですべてを呑み込まんと凶暴な顎を開いていた空に視線を泳がせた。
 向こうの世界でも、ルビィの生態はよく知られてはいない。
 自分が生きるだけで精一杯の世界だ。腹の足しにならない学術調査を行うのは、他人に理解されないような変人だけだと決まっているからだ。
 同様に、その調査結果を必要とする者も僅かなものだ。
 希少生物だという事くらいは知っていたが、大部分の者がその程度か、それ以下の知識だったのではないだろうか。

 おそらく、とアレイツァは考察する。
 ルビィには、単体で異世界を繋ぐ力は無かったに違いない。
 今日のこの時間、この場所が、二つの世界が最も接近するのだと感じ取っていたのだ。
 そこにほんの少し、傷をつける力を持っていたに過ぎない。

 向こうは嵐だったが、それでも戻ったという事は、ルビィはあの中でも生存可能なのだろう。
 どのようにしてこちらの世界に紛れ込んだかは分からないが、故郷へと帰還を果たしたのだ。もう二度とこちらに来る事はない。

「故郷……か」

 なんとはなしに溜息が洩れた。
 もともとは故郷に戻りたい一心でザナルスィバを追いかけていた筈が、多少なりとも心境に変化が出ているのだろうか。

 嵐だったとはいえ、向こうの世界を垣間見た時に郷愁の念は湧かなかった。
 生き抜くためだけに全てを捧げねばならない世界だが、異界の地に骨を埋めるくらいならば、なんとしても戻りたいと強く願っていた筈なのに。

「さっき…戻ろうと思えば、戻れたんじゃないのか?」

 弱々しい声で問い掛けてきたのは圭だった。
 銃弾を受けて虫の息かと思ったが、その身を抱えて起き上がった緋美佳共々、軽い会話を交わす程度の余力はあるようだ。

「……まぁ、そうかもしれないな」

 なんとなく濁して答えたものの、実際にはどうなのだろうかと自問せずにはいられない。
 もしかしたら、あの嵐の中に飛び込むだけの無謀さを持ち合わせていなかっただけかもしれない。
 こんな自分でも、やはり死は忌避すべきものと考えているのか。

「別に、これで良かったのさ。こっちの世界も、それなりに気に入っているからな」

 そう言い直し、アレイツァは自身の言葉に得心した。
 そうだ、自分はこの世界が気に入っているのだ。
 人間の住まうこの星は、たしかに破滅への道を歩んでこそいるが、ヒミカが言うほどに酷い人間ばかりではない事を知っている。

「それにしても、酷い有様になったものだな」

 改めて周囲を見れば、アレイツァの力が及んでいた足場以外は原型を留めていなかった。
 土と山林は根こそぎ奪われ、剥き出しになった岩石も相当量が切り崩されている。
 新緑に満たされていた山頂は茶色い禿山と化しており、美しかった景観は見る影もない。

 腰を落としているこの場所も、修練場が在った地点よりもゆうに20メートルは下がっており、山林によって遮られていた本校舎が手を伸ばせば触れられるような位置にまで姿を見せている。
 時空の裂け目がもう少し開いたままでいれば、本校舎まで損害を被った事だろう。

(よくもまぁ、耐えられたものだな……)

 正直なところ、現在のアレイツァの力量で乗り切れる状況ではなかった。
 それでも耐える事ができたのは、何者かによる力の後押しがあったからだ。

 己の足が引き剥がされそうになった時、アレイツァは間違いなく己が内包する以外の力を感じ取った。
 しかし、この場にいる誰もが普通の人間であり、アレイツァのような特殊な力など持ち合わせていない筈なのだが。

「…早く離れないと、面倒な事になりそうね」

 圭を抱き直しながら緋美佳が漏らした。
 いつもの緋美佳ならば事情説明だのなんだと居残る事を主張するところだが、怪我人がいる上に哨戒部隊まで絡んだ事件となれば、数日の拘束どころでは済まないに違いない。

 加えて、ルビィの存在も説明しなければならないとなれば、一体どれだけの人間が真相を信じてくれたものか。
 下手をすれば、全員揃って精神病院送りも考えられる。
 残念ながらこの場で起きた出来事は、各自の胸のうちにしまっておいた方が利口というものだろう。

 いずれにせよ、このままでは騒ぎを訝しんだ者達が続々と押し寄せる事は想像に易く、早々に立ち去らねばならない。
 とりあえずは二人ずつ抱えてこの場から離れてしまおうと、アレイツァは独断した。
 野次馬の輪よりも外側に出てしまえば、後はどうとでも誤魔化せるというものだ。

 小難しい事は、後でまたゆっくり考えるとしよう。
 その時には面倒臭くなっている可能性は十分にあるが。

「まずは、お前達からだな」

 一番の怪我人二人を、有無を言わさず抱え上げた。

「また……あれを味わうのか…」

 緋美佳は静かなものだったが、つい先日の体験を思い起こした圭は辟易とした声を漏らす。
 できれば普通に背負ってもらうか、担架の用意をして欲しいところだ。

「そう嫌な顔をするな。少し離れるだけだから手加減してやる」

 怪我をした本人が希望する方法は再考の余地もなく却下され、圭は返す言葉もなく諦めるしかなかった。
 跳び出すための足場を確認していたアレイツァだが、爪先脇の地面に視線が止まった。

(これは……)

 乾いた土が崩れかけていたせいで見落としそうになったが、円と直線が入り組んだ幾何学模様の集合体が描かれていた。
 いわゆる魔法円と呼称されるものだ。
 そしてそれが及ぼす効果を、アレイツァは知っていた。

(そうか、これが……!)

 それはアレイツァが――異世界の住人が振るう力の底上げを施す魔法円だ。
 その効果があってこそ、先の嵐の余波を乗り切れたのだ。

 そんなものを使っていたのは、異世界の住人との交流があった過去の時代の存在。
 現在では希少な文献のいくつかでしか残されてはおらず、一般人や年若い退魔師が閲覧できるようなものではない。
 つまり、あの混乱の中で魔法円を描いたのはザナルスィバである圭以外になく、アレイツァは圭の助力によって救われた事になる。

「……は、ははっ! なかなかやるじゃないか。見直したぞ!」

 圭は青ざめつつある苦笑いで応えたのみだったが、アレイツァはみるみるうちに上機嫌になってゆく。
 どのくらい上機嫌かといえば、ほんの少し跳び上がれば良かったところを、迷う事なく全力で跳び出してしまうくらいに。

「――っ!!!」

 手加減するという言葉を信用した傍から急激な加速に襲われ、圭は声にならない悲鳴を上げた。
 下手に暴れてアレイツァがバランスを崩したりしてはいけないと、全身の力を抜いてなすがままの圭だったが、あまりの圧力に血液が手足へと集中してしまい、意識を失うのにさして時間はかからなかった。
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