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再会

7年前

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 ──7年前。

 ゆのかは、大きな馬車に乗っていた。地面から伝わる僅かな振動が、幼いゆのかを揺らす。
 普段のゆのかなら、“おひめ様みたいで、すてき!”…なんて、妹のとはしゃいでいるはずだが、その日は違った。

(お父さん…お母さん……
 ののか…………)

 馬車の中は、静まり返っていた。
 大好きな両親も妹もおらず、前と隣に座っているのは、初対面の老夫婦。
 どう振る舞えばいいのか分からないゆのかは、膝の上に置いた手をギュッと握りしめ、その手をずっと見つめていた。

「いつまでぶすくれているつもりなんですか?みっともない。
 次期州長は、どんな時でも気品溢れていないとなりません。こんなことで機嫌が悪くなるなんて…次期州長として失格ですよ?!」

 向かい合った席に座っている女───ゆのかの祖母は、ピシャリとゆのかに言い放つ。
 どうやら、馬車に乗っている間、真顔でずっと無言だったゆのかが気に食わなかったらしい。

(こんな…こと……?)

 視界が、グラ…と揺らめいて…自分が、真っ黒に染まっていくようだった。

(大好きな……お父さんとお母さん…しんじゃって…………ののかも…知らないおばさんに、つれていかれちゃって………
 どうして、そんなこと…言うの……?)

 祖母の言う“次期州長”なんて言葉は、ゆのかには全く届かなかった。
 ただ、愛する人を突然奪われて、言葉にしがたい喪失感が渦巻くばかりで。
 だが、当時のゆのかには、初めてのこの気持ちが何なのか分からなかった。

(わたしはもう……3人に、会えないの…?)

 まだまだ子どもだったけど、それだけは直感的に状況を理解できた。
 言葉にすればするほど、心がどこか遠くに行ってしまいそうな感覚。それでも、初対面の人の前で泣き喚く訳にはいかないと、ゆのかは唇を噛みしめて何とか耐えた。
 祖母が、ゆのかに聞こえるように溜め息
いたその時だった。

「そういうことを言うんじゃない!!」

 ビリッ、と空気が振動した。
 ゆのかの隣に座ってる男が怒鳴ると、祖母は驚いて固まった。

「両親が亡くなって、妹と離れて暮らすことになったんだ。受け入れられなくて、当然だろう?!
 そのぐらい、気持ちを察してあげなさい!!」

 祖母は、黙って俯いた。その男は、ゆのかの顔を覗き込んだ。

「ごめんなぁ……ゆのか。ののかと、引き離すようなことをして…
 大丈夫。ののかを連れていった人も、ゆのか達のおばあさんだ。きっと、ののかのことを、可愛がってくれるさ。」

 その優しい声に、ゆのかの心はほんの少しだけ緩んだ気がした。

「本…当…?」
「ああ。本当だとも。
 いつか絶対、何としてでも会わせてやるから…それまで、待っていてくれ。
 おじいちゃんだって、ののかに会いたいんだぞぉ。」

 胸をポンと叩いた男───ゆのかの祖父は、全く怖くなかった。

(わたしも…ののかに、会いたい……)

 胸の奥が締めつけられた。すると祖父は、少しだけ切なそうに笑った。

「いいかい、ゆのか。
 悲しい気持ちを我慢していたら、ずっと心の中にソイツがいることになる。そんなの、辛くて嫌だろう?
 泣きたいだけ泣いてごらん。」

 数日前、ゆのかは双子の妹のと一緒に9歳になった。
 誕生日の日は、家を飾り付けして、ちょっと豪華な夕飯とケーキを食べて、家族4人でお祝いするのが毎年恒例だった。
 楽しい誕生会になるはずだった。

『すぐ帰るから。』

 そう言って、ゆのか達の誕生日ケーキを買いに行った両親は車に轢かれ…そのまま、帰らぬ人となった。
 悲しむ間もなく、突然現れたもう1人の祖母にののかは連れて行かれた。
 祖父母がいるなんて知らなかったゆのかは、どうすることもできなくて。目の前の祖父達が来る間も、両親のお葬式の間も…ずっと、感情をシャットアウトしていた。

『ゆのか。ののか。
 ハッピーバースデイ。』
『生まれてきてくれて、ありがとう。
 お母さん達…すっごく幸せ。』

 笑ってくれた2人が、この世界からいなくなってしまった。

『ゆのかっ!もっともっとお歌のれんしゅーして…お母さんたちみたいなミュージシャンに、ぜったいなろーねっ??
 わたしも、ギターがんばるから!!』

  そう約束したののかと、離ればなれになってしまった。

 当たり前だと思っていた日常は、何の前触れもなく、突然なくなってしまった。そう気づいた時には…涙がボロボロ零れ落ちていた。

「おじいちゃんは、ずっとここにいるよ。」

 だから、祖父の言葉に安心して
 でも、二度と会えない両親を想うと、遠くに行ってしまった妹を想うと、悲しくて悲しくてしかたがなくて

「っく……う…わぁぁあああ!!!」

 気づいたら、大声で泣いていた。喉が痛くなるほど、大きな声だった。
 それでも、この悲しみを埋められない。ゆのかは、大好きな家族が恋しくて、ひたすら泣き喚いた。
 そんなゆのかの背中を…祖父は、ただ優しくさすってくれた。


◇◇◇


 それからゆのかは、涙が枯れるまでひとしきり泣いた。
 そうしたら、段々落ち着いてきて、何とか泣き止むことができた。

(さみしい気持ちは、まだ、あるけど……ちょっとだけ、スッキリした……)

 ゆのかは、初めて会った祖父に、いろんな話をした。
 ののかとたくさん遊んだこと。母とののかと3人でかくれんぼをしたけど、隠れ上手の母が全く見つからなかったこと。父と動物園に行った時、初めてライオンを見て、怖くて泣いてしまったこと。

 そして、休日はよく…近所の海辺に出かけて、4人で路上ライブをしたこと。
 実はゆのかの両親は、トワでそこそこ有名なミュージシャン。ゆのか達が産まれる前、かなり大々的に音楽活動をしていたらしい。
 母は歌手、父はギタリスト。今でも、レコードショップに行けば、両親の曲が売り出されている。
 そんな両親の影響を受けたゆのかとののかは、当然のように、歌とギターにのめり込んだ。
 ゆのかは特に、歌うことが好きだった。そんなゆのかは母から歌を、ののかは父からギターを教わっていた。

「たまに…お父さんから、ギターを教わったけど……わたし、歌の方が、すきで…
 だから…路上ライブする時は、お母さんと、わたしが、歌を歌って…お父さんと、ののかが、ギターでメロディーを奏でてくれたの。」

 そんなゆのかの話を、祖父はずっと聞いていてくれた。

 何日も馬車に乗っているうちに、とうとうホペ州に辿り着いた。

「長旅で疲れただろう。大丈夫かい?」
「うん。」
「ここが、おじいちゃんとおばあちゃんのお家だよ。
 今日から、ゆのかが住む家でもあるから…何か困ったことがあったら、なんでも言ってくれ。」

 祖父が指さす方を見ると、目の前には大きな家があった。
 黒光りする門。広い庭。レンガ造りの家。どう見ても、金持ちの家だ。

州長しゅーちょーさんだもんね…やっぱり、お金もちなんだ……)

 同級生に州長の息子がいた。その子も、金持ちだったのをよく覚えている。まさか自分も…州長の家族になるなんて、思ってもいなかった。

「近所の息子さんが、ゆのかと同い年なんだ。
 ご挨拶してこようか。」

 ゆのかが、祖父の言葉に頷こうとすると、祖母は目を大きく開いた。

「そんなことをして……あなたっ、許されると思っているのですかっ?!
 あんな薄汚い家と、交流を持つなんてっ…あの家は」
「君は少し、黙っていなさい。」

 だが、祖父の低い声に、祖母は黙ってしまった。

「ゆのか。行こうか?」

 祖父は、馬車から降りた。
 ゆのかは…チラッ、と祖母の方を見てしまった。

「……!!」

 それまで、ゆのかには興味が全くなさそうだった祖母は…恐ろしい目つきで、ゆのかを睨みつけていた。

(人食いの魔女みたい…!)

 絵本に出てくるような悪役の魔女のような形相に、ゆのかは祖母から、すぐさま視線を逸らした。

「ゆのか。おいで。」

 先に降りた祖父は、祖母の視線に気づいていない。
 怖くなったゆのかは、祖母から逃げるように、馬車を降りた。


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