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再会

別れと再会

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◇◇◇

「ただいま。」
「ゆのか、おかえり。」

 祖父が、ニコニコ笑って迎えてくれた。

「お友達と、公園でお喋りかい?」
「うん!宿題の話とか、休み時間の話とか…あと、将来の夢の話もして…それから………。」

 少しだけ…心が痛む。

「どうした?」
「…航ちゃんが、いなくなって…もう、2年だね、って話をしたの。」

 祖父の顔が、少し曇った。

「みぃちゃんに…航ちゃん、生きてるよね?…って聞かれて…
 大和は、当たり前だって断言したのに…私、何も言えなかった………」

 2年も経った。
 それなのに…航は、姿を現さない。

(私には……航ちゃんが生きてるって、信じられる自信が……ない………)

 ゆのかはギュッと拳を握りしめた。
 その手を…祖父は皺の刻まれた手で握る。

「おじいちゃん…?」
「ゆのか……航くんのことで、聞いて欲しいことがあるんだ。」

 いつになく、真剣な祖父の眼差しに、思わず背筋がピンと伸びる。

「…確信を、持ってるわけじゃない。
 憶測で、こんなことをゆのかに話すのは、気が引けるのだが…」
「うん…」
「実は………ぐっ…」

 呻き声が耳に届く。

(…え?)

 ゆのかの祖父は……苦しそうに、胸を押さえた。

「おじいちゃん…?」
「ぐ……あぁ………」

 ゼーゼー…と荒い呼吸。額には、大粒の汗が流れていた。

「おじいちゃん?!!
 …っ、誰かぁっ…誰か来て!!!」

 ゆのかは、声の限り叫んだ。

「ゆのか様?どうかされましたか?
 …州長様?!!」

 ゆのかの声を聞いた執事は、倒れ込んだ祖父を見て、顔を青ざめた。

「おじいちゃんがっ…苦しんで…
 いやあっ!!おじいちゃん!!!」
「今、医者を呼びますからっ…ゆのか様落ち着いて!!!」

 他の執事やメイドも、いつの間にか部屋にいて…泣き喚くゆのかを、必死になだめた。

(嫌だ…嫌…嫌!!!
 大切な人がっ…いなくなるなんて……もう、嫌…っ!!)

 その時…祖父は、ゆのかの腕を掴んだ。

「おじいちゃん?!
 おじいちゃん大丈夫?!!」
「…を……」
「え…?」
「気…を…つけ……ろ……っ、逃げ」

 祖父は、がっくりと意識を失った。

「おじいちゃん!!」

 その後、祖父は病院に運ばれ、入院することになった。
 数日間、一度も目を開けずに……ゆのかの祖父は、静かに息を引き取った…………



 よく晴れた日のことだった。祖父の葬式が、あった。
 両親が死んでから、ずっと傍にいてくれた祖父は、いつもニコニコ笑ってゆのかに優しくしてくれた。

(だけど……もう、いないの……?)

 ここ何年かで、いろんな人が、ゆのかの前からいなくなった。
 たくさん泣いた。何度もその人達を想った。
 目を閉じて、耳を塞ぐ。でも……

(夢じゃ…ない……………)

 現実いまが変わることはなかった。



 豪勢な葬式が終わり、ゆのかはようやく家に着いた。
 心身ともに疲れきっていたゆのかは、自分の部屋の隅で座り込んで、ギターを触っていた。

「お母さん…お父さん…
 今日…おじいちゃんの…お葬式があったの……」

 ギターに話しかけると…瞼の裏に、大好きな両親の姿が浮かんだ。

「また…いなくなっちゃった……
 また…っ、大好きな…人…いなくなっちゃったっ……」

 涙が…頬を伝う。

「でもね…私、頑張ったよ……?
 お葬式の…時……泣かなかった…の…ほんとは…っ、航ちゃんの時みたいに…泣きたかったけど…我慢したんだ…
 だから…だからぁっ…」

『ゆのか!ののか!
 だーいすき!』
『しょうがねぇな。ほら、抱っこ。』

 もう二度と聞くことのできない優しい両親の声が、耳に響く。

(よく頑張ったね。って笑って
 また優しく…私を、抱きしめてよ……)

 もう二度と叶うことのない願いを、心の中で叫び続けた。


◇◇◇


「ゆのか。降りてきなさい。」

 しばらく泣いていると…祖母の声が扉越しに聞こえた。

(降りたくない……体、だるい…動かしたくない…)

 直面したくない現実に疲れて、このまま眠りにつきそうになってしまう。

(…駄目。
 きっと、大事な話があるんだ……おばあちゃんだって悲しいのに…わざわざ、私を呼びに来たんだもん………)

 涙を拭いて、部屋の外に出た。
 階段を降りた先の部屋で、祖母は足組みをして、椅子に座っていた。

「おばあちゃん?どうし…」
「ゆのか。
 私のことは、今日から“おばあ様”と呼びなさい。」

 ゆのかの言葉が、遮られる。
 その口調は、いつになく厳しく、淡々としていて、悲しみは全く感じられなかった。

「……え?」
「あと、私や他人に対して、敬語を使うこと。
 あなたは、次期州長なんですからね。綺麗で美しい動作や言葉遣いを、身につけなさい。」

 足元が、ぐらついた。

(次期…州長……?
 どういう、こと……?)

 祖父は州長だった。そして、祖父が亡くなってしまった今、祖母が州長に就任することになる。
 州長は、家族がその跡を継ぐことがよくある。普通に考えたら、祖母の後はゆのかが継ぐことになるだろう。
 だが、祖父はよく……ゆのかに言い聞かせていた。

『州長にはならなくていい。自分のやりたいことをしなさい。』

と。
 だからゆのかは、州長になる気なんて、これっぽっちもなかった。

(だって、私の夢は…いつか、ののかと再会して、ミュージシャンになることだから………)

 ゆのかは、言わずにはいられなかった。

「おばあちゃんっ…私、州長になる気なんてない…!」
「まったく…あの人は甘いんだから…
 あの人のせいで、ゆのかの成績がどんどん落ちていく一方…恥ずかしくなかったのかしら?」

 祖母は、ゆのかの話を聞かず、溜め息をいた。

「まさかあなた、母親と同じ歌手になりたいなんて、言い出すんじゃないでしょうね?」
「それは……」
「そんなこと、許すわけないでしょう?!波花は、そのせいで死んだの!!
 あなたは州長になるんです。もう中学生なんだから、そんな子どもじみた馬鹿馬鹿しい夢、とっとと捨てなさい!!」

 今にも、物を壊しそうな剣幕に、ゆのかは黙り込んでしまった。
 祖母は、荒げた息を落ち着かせるように、深呼吸した。

「ちょうど、邪魔者もいなくなったことだし…今まで、あなたが怠けてきた分、厳しくしますから。私は、あの人みたいに、あなたを甘やかすつもりは、一切ありません。」

 邪魔者。その言葉は…明らかに、祖父を指すものだった。

(どうして…そんなことが言えるの…?)

 頭が真っ白になる。

(おじいちゃんは…両親とののかを失った私に、優しくしてくれたんだよ…?
 どうして…おばあちゃんは、悲しそうにしないの…?
 寂しくないの…?おじいちゃんのことなんて、どうでもよかったの…?
 おばあちゃんが…愛した人じゃないの……?)

 無意識に、体が震える。祖母は、そんなゆのかを祖母は睨む。

「あなたに“監視係”をつけます。」
「え………?」
「入りなさい。」

 その言葉の後に、ほっそりとした男が、部屋に入ってきた。
 漆黒の髪。目はつり上がっていて、口は固く結んでいる。
 年は近いように見えるが、身長はゆのかよりはるかに高い。ジロリと睨まれているような気がした。

(……あれ?)

 初対面の人を前にして、不思議な感覚に陥る。男は、ぺこりとお辞儀した。

「本日付けで…ゆのかさんの監視係になりました。」

 その声に……息を飲んだ。

『ばいばいっ、ゆのか!また明日っ!!』

 あの子より、低い声。
 それなのに…なぜか、大事な人の声と重なった。


「航…ちゃん…?」


 2年間。ずっと、生きてるって信じたくても……信じることが、できなかった。

「航ちゃん……だよね…?」
「……………。
 こうです。よろしくお願いします。」

 あの時の、無邪気な面影は、どこにもない。

「航ちゃんっ……よかった……っ、生きてて…よかったぁ…」

 だが、ゆのかから涙と笑顔が零れる。祖父が死んだ後で不謹慎かもしれないが、ゆのかは、言葉に言い表せないほど嬉しかった。

「元気だったっ…?怪我、してない…?
 航ちゃん、今までどこにいたの?私も、みぃちゃんも大和もよしくんも…先生も…みんな、航ちゃんを捜してたんだよ…?」
「……。」

 ゆのかは我に返った。自分ばかり話していて、肝心の航は黙り込んでいる。

「あ……質問攻め、しちゃって…ごめんね……?
 航ちゃん、疲れてるよね?今日は、ゆっくり休んで……落ち着いたら、みんなに会いに行こう?」

 初めて、航と会った時のように
 今度は…ゆのかが、航の手をとった。

「みんな…航ちゃんのこと、心配してたから。」

 声も黒い髪も華奢な体も、全部航そのものだ。
 たとえ、怖い雰囲気に包まれていようとも。たとえ2年ぶりに再会できたのに、一度も笑顔を見なくても。祖母の意味深な“監視係”の言葉も。ゆのかにとって、ずっと焦がれていた人に会えたことの喜びが、小さな違和感を一瞬で消し去っていた。

 パシンッ…!!

「…え?」

 ゆのかの手の中にあるはずの、航の大きな手は、なくなっていて
 かわりに、ゆのかの手が少しヒリヒリしていた。

「こ…航ちゃん……?」

 声を振り絞る。航は微動だにしない。

(今…手を、振り払われた…?)

 ようやく状況が分かった。だが、体が硬直して、何も言えない。
 航は、この場に来てから、初めて笑った。
 その顔はとても冷たくて……ゾクッ、と背筋が凍った。

「今、州長様が言ったこと、聞こえなかった?
 “他人に対して敬語を使え”、って。」
「航ちゃん……?」

 ゆのかに笑顔をくれた人。
 1人になったゆのかに、家族のように接してくれた人。

「どう…したの……?」

 そんな航の明らかな変貌に…ゆのかは、何がなんだか、分からなかった。

(この怖い人は…誰……?
 この人は、本当に……航ちゃん…なの……?)

 航が、ゆのかに近づく。ゆのかは思わず、後ずさりしてしまい……ハッ、と我に返った。

(あんなに会いたかったのに…私ってば、何やってるの…?!
 航ちゃんは、航ちゃん……じゃん…)

 ゆのかは、目の前の航が、昔優しくしてくれた航と、“同じ”だと思っていた。

「州長様の言いつけを、守らないようなら…罰を与えるから。」
「罰……?
 罰って……何?」
「…………。」
「航…ちゃん…?」

 ゆのかには、全く縁のないおぞましい言葉。
 別人のようになってしまった航は、何も言わない。ただゆのかを、ジッと見つめている。

「…まあ、航になら敬語を使わなくてもいいでしょう。
 一応、ボディーガードも兼ねていますからね。」

 祖父が、勝ち誇ったように言い放った。

『航くんのことで、聞いて欲しいことがあるんだ。』
『気…を…つけ……ろ』

 ふと、祖父の言葉が、頭をよぎった。

(おじいちゃん……何か、知っていたの…?
 この2年間…航ちゃんに一体、何があったの…?
 おばあちゃんは…あんなに嫌っていた航ちゃんを…どうして家に招き入れたの…?)

 祖父の死と、航や祖母への計り知れない恐怖。
 これは……これから始まる地獄への、合図に過ぎなかった。


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