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君を絶対…

たった1つだけ…?

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◇◇◇

 しばらくブランコで遊び、2人は公園を後にした。
 靴投げで、うみには勝てなかったものの、コツを掴み、真っ直ぐ前に飛ぶようになった。最終的には距離も伸ばせた。

(楽しかった…………でも)

 公園を出る直前までは、満足感に溢れていたが、そうは思っていられない状況になってしまった。

(この角を曲がって…少し歩いたら………家。
 逃げたい……でも、駄目…………大事なギターが…取り戻せなくなる…………
 それに、今逃げたら…使用人さんに、捕まるかもしれない……この人から、離れちゃ駄目………)

 家に近づくにつれて…何かに体が支配されるように、動きがぎこちなくなる。足取りは重く、手はガタガタ震えていた。

(大丈夫…大丈夫…怖く、ない………
 ちょっと…家に、戻るだけ…………大丈夫だから……)

 手をギュッと握りしめるが、力が入らない。

「大丈夫?」

 ゆのかの体が、ピクッ!と強ばった。

「え…?」
「まぁ……ほぼ初対面の俺を、信用しろっていうのも、ちょっと無理があるけどね。」

 うみはクスッと笑った。爽やかで、どこか憂いを帯びていた。道を歩く女性達が、顔を赤らめてうみの方を振り返る。

(信用してないって、思われてる…?
 もしかして…それで、気分が悪くなった……?)

 だが、ゆのかの顔は真っ青だった。
 家に近づくプレッシャーで、何もかもが良い方向に考えられない。うみの微笑み1つさえ、何かあると思い込んでしまうほど、ゆのかは追い詰められている。

(そんなことない、って…訂正、しなきゃ…………
ただ…家に行くのが……怖いだけ……
 ……って、違う。怖くない。さっき、言い聞かせたでしょう…?)

 深呼吸して、落ち着かせようとも……浅い呼吸しかできない。
 すると、うみが突然、クルリと方向転換して、ゆのかの目の前に立った。

「…!!!」
「だから、驚きすぎだって。」

 思わず後ずさりしてしまうゆのかを見て、うみは苦笑いした。少しかがんで、ゆのかと目線を合わせる。

「今更だけど…無理させて、本当にごめん。
 怖いかもしれないけど…あと少しだけ、頑張ってくれないかな。」

 すぐに震える体。関われば関わるほど見えてくる、怯えた表情。
 ゆのかの限界が、とっくの昔にきていることに、うみは気づいていた。

(できれば、安全圏で待っていて欲しかった。
 でも、アウェイな場所で、1人でギターを探すくらいなら……家やこの州のことを知っているゆのかを、守りながら行く方が、早いし確実なんだよね。)

 うみは、まだ怯えているゆのかに、安心できるよう優しく声をかけた。

「あ。でも、歩けなくなったら、すぐ言っ」
「私っ…!」

 ゆのかは、うみを遮った。今までそんなことはなかったので、うみは驚きの表情を見せる。

(怖くないっ……だってさっき、言い聞かせたから………怖く…ない!!)

 ゆのかは、何とか悟られまいと、必死に言葉を続ける。

「大……丈、夫…
 無理…して…ない……怖く、ない…………大…丈夫…………」
「……なんで、そんなこと言うの。」

 それまでとは違う低めの声色。ゆのかの体は、ビクッ…と震えた。

(え……この人…怒ってる……?
 なんで…………?)

 さっきまで、にこやかだったうみが、少し怒ったような表情を見せている。理由が分からないゆのかは、頭が真っ白になった。

「誤魔化すなら、もっと上手にやらないと。無理してるの、バレバレだよ?」
「そん…な……無理、なんて…して…ない……」
「よく言うよ。色々、抱え込んでるくせに。」

 心の隅々まで見透かされそうな気分になる。ゆのかは、うみを見ていられなくなって、目を逸らした。

「そ…そんなこと……ない…」

 うみは、決して怒っているわけではない。頑なに弱音を吐かないゆのかに、意地になっているだけだった。
 だが、それでもまだ、バレバレの嘘をくゆのかに…うみはとうとう、口にしてしまった。

「へぇ。じゃあ、聞くけど。
 ゆのかが、家出した理由…“頑張る意味が見いだせなくて”“意味のない生活から逃げたかったから”って言ってたけど…それ、本当なの?」

 時が止まったように感じた。

(………………え?)

 うみは、ゆのかを…真っ直ぐ見つめている。

「本当は…もっと別の理由があったから、家出したんでしょ?」

 ドクン、と大きな音が聞こえる。
 鋭利な刃物が心臓を引き裂き、その血が口から出てきそうな感覚に襲われる。

「…………っ!!」

 猛烈な吐き気。頭痛が酷い。生暖かい春風に、身震いする。
 だがゆのかは、そんなこと、気にもならなかった。

(なんでっ……どうして…?!
 “あの事”…隠してるって……なんで…っ、気づかれたの……?!!)

 隠し通せたと、これでもう触れられることはないと、完全に油断していた。

(これから、仲間に、なる人っ………隠し事なんかしちゃ…嘘なんかいちゃっ…駄目で……
 でも…本当の事を言ったら………あいるさんと星さんに、全部伝わって…っ、2人に絶対、嫌われる……)

 気を失いそうな不意打ちに、血の気が引く。息が吸えない。酸素がどんどん奪われていく。

(もし…嫌われたら?
 私は、大好きな2人に見捨てられて…ののかにも、会えなくて………それどころかっ、航ちゃんに捕まって…また…罰を受けることになる…?)

 最悪のシナリオが、頭の中で完成した。

(家出のこともあるから…きっといつも以上に、重い罰……
 それだけじゃない…………っ、私は、また…人を傷つけ続ける地獄のような生活に…戻らなきゃいけないの…?)

 視界が、ぐわんぐわんと揺れている。それでも、“家には戻らない”という強い意志で、なんとか小さい体を支える。

「…っ、ち…がっ…違、い……っます……ほん…とに…私、が……弱…くて…だから…っ………」

 だが、どんなに強い意志を持とうとも…一度怪しまれてしまったこの状況を打破することは、ゆのかにはできなくて
 結局、うみにまた、嘘をくことになってしまい……そのことが、ゆのかを余計に苦しめた。

 すると、うみはしゃがんで、俯いたゆのかの顔を覗き込んだ。ゆのかの体が、ビクン!と飛び跳ね、半歩後ずさりする。

「なーんだ。そうだったんだ~」

 明るい声。強ばった体の力が、思わず抜けていく。

「え…………?」
「疑っちゃって、ごめんね。
 話聞いてる感じ、頭良いみたいだからさ。本当に勉強嫌なのかな?って、思っただけ。」
「え…あ……」
「でも、そうだよね。俺はエール号で自由気ままに生きてるから、あんま想像できないけど…どこかに縛られるなんて、考えただけでも鳥肌立つもん。
 いくら頭良くても…そりゃ、そんな家、出ていきたくなるよね~」

 うんうん。と納得するうみに…ゆのかの震えは、いつの間にか止まっていた。
 吐き気も頭痛も、目眩も収まっている。呼吸もだいぶ楽になっていた。

(誤魔化せた……?
 よかった………これで、船を追い出されずに…済む…………)

 心臓はまだ速く動いているものの、うみはニコニコ笑っている。ゆのかは安堵の溜め息を吐いた。

(あぶな……)

 一方で…うみは内心、ヒヤリとしていた。
 ゆのかが怖がる顔は、嫌という程見てきた。だが、今にも倒れそうなくらい青ざめて、ふらつき、絶望に覆われたあの顔は、今が初めてだった。

(あれ、過呼吸起こしてたよね…?冗談抜きで、倒れる寸前で…それだけトラウマになってる隠し事ってこと…?)

 星とあいるは、ゆのかの隠し事がきっと重いものであると、見当がついていた。ゆのかがこうなることすら、予測していたのだろうか。

(そんな隠し事を…出会ったばかりの俺に、言うわけがない。あれほど親しいあいるさんと星さんにさえ、打ち明けられてないっていうのに…)

 それを、無理矢理聞き出そうとする自分の愚かな行動に…うみは猛省していた。

(しかも、星さんに、探るなって言われたのに……本当、悪い癖がついたよな…)

 財宝を扱うトレジャーハンターにとって、信用できる人物を見極める能力は、必要不可欠だ。だから、うみは、常に人の真意を暴こうとする癖がついている。

(でも…今、目の前で震えてるは…身一つで海に飛び込んで、過去にたくさん大事な人を失って…尋常じゃないほど、何かに怯えていて…いつも苦しそうで……
 どう見ても……欲に目がくらんで、嘘をいているわけじゃないだろ…………)

 少しは顔色が良くなったゆのかを見て、うみはホッとした。

(あそこまで怖がらせたなら、本当は土下座レベルだけど…さっきのゆのかの嘘が、俺にバレてるって知られたら、引きずりかねない。
 落ち着け……今するべきことは、敵しかいないゆのかの家から、ゆのかを守りながらギターを奪還すること。ゆのかの宝物を取り返して…ゆのかを喜ばせること。
 ゆのかの隠し事を暴いて、怖がらせることじゃない。)

 この状況での正解は、ゆのかの嘘が通じたと、ゆのかに思い込ませることだ。だからうみは、咄嗟にゆのかの嘘に乗っかったのだ。

「でも、本当にしんどかったら、遠慮なく言ってね?
 エール号の先輩だし…一応ゆのかより、1年長く生きてるからさ。」

 隠し事の話から、何気なくフェードアウトすると……ゆのかは、目を丸くした。

「え……?」
「ん?」
「え……そ、の…
 17…歳……?」
「あれ、何その反応。もっと年寄りかと思った?」

 うみは、いたずらっぽくゆのかに聞いた。
 長身で、物腰柔らかなのに、堂々として、かなりの自信があるうみ。ゆのかから見て……少なくとも、立ち振る舞いは、たった1つ違いには見えなかった。

(勝手に…20歳ぐらいかなって…思ってた……)

 だが、確かによく見せるあどけない表情は、高校生でも違和感はない。

「年寄り…じゃ、なくて……その…もっと、年上…か、と………」
「うっわ。俺、老け顔?やだなー。」

 うみがおどける。

(老け顔って……顔は、年相応なのに。)

 極度の緊張から逃れ、安心したせいか…面白いと思える余裕が、ゆのかに生まれていた。

「あはっ…」

 クリクリした深い緑の瞳が、細くなる。キュッと、口角がほんの少しだけ上がった。
 ゆのかは思わず、声に出して、笑っていた。

(わっ…笑っちゃった…?!今の、絶対……失礼、だよね…?!)

 うみは、驚いた表情で黙り込む。ゆのかはほんのり顔を赤くして、慌てて謝罪した。

「ご…ごめん…なさい………」
「笑った…?」
「!!
 ごっ…ごめ……」
「なんで謝るの?
 今の」

 “笑顔可愛い。もっと見せてよ。”……なんて言いかけたキザったらしい台詞を、うみは慌てて飲み込んだ。

(それは流石に、ゆのかには駄目。引かれる。)

 うみは、ニコッと笑って誤魔化すことにした。

「…いや。
 さっき俺も笑っちゃったし。それでおあいこ。」
「……?」

 何も知らないゆのかは、不思議そうにうみを見た。


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