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君を絶対…

お仕事中ごめんね?

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 見慣れただだっ広い廊下。壁際には、これみよがしに高価な調度品が並べられている。壺1つで、7桁はくだらないものばかりだ。
 だが、そのきらびやかな景色に目を奪われることのないゆのかにとっては…ただの無機質な空間にすぎなかった。
 いつもなら、この広い廊下を歩いていれば、使用人の1人や2人とすれ違うはずだが、不気味なほど人気がない。

「…………って、マジ?!!」

 気を抜いていたその時、素っ頓狂な男の声が聞こえた。
 うみが人差し指を口に当てる。ゆのかは頷いた。

「お前、知らなかったのか?!
 だから人がいねぇんだよ!いねぇ奴全員、メイドも執事も騎士隊の奴らも、みんな家出したゆのか様を捜しにいったんだって!!」

 一本道だった廊下に、右に曲がる通路が現れ、曲がる直前でうみは止まった。見つからないように、こっそり顔を出して、様子を窺う。
 数m先に階段があり、その両脇に見張りの男が2人、立っていた。

(2人か……1人は、俺より体格いいけど、隙だらけ。もう1人のヒョロガリは論外。なんだ、余裕じゃん。)

 男達は、人がいないのをいいことに大きな声で話を続けている。

「だから今、この家の警備、必要最低限しかいねぇらしいぜ?」
「マジか……それにしたって、ゆのか様って自由気まますぎねぇか?!
 捜すのはオレたちじゃねぇかよ!ただでさえ忙しいっつーのに、すげぇ迷惑だよな!!」

 ゆのかは、顔こそ見ていないものの…その不満げな声は、鋭く耳に入ってきた。

(自由気ままだったら…よかったのに……)

 手をギュッと握りしめる。決死の覚悟でした家出を…“お嬢様の気まぐれ”として認識されていることを知って、ゆのかは少し悲しくなった。

「……いや、俺は家出して、当たり前だと思うよ。
 知ってるか?ゆのか様、ずっと州長様と航様に見張られて、部屋に引きこもって勉強してるんだぜ?
 しかも休日は、州長に連れられてパーティー三昧。友達だって、作れねぇって話だしな。」
「あぁ~なんか、聞いたことあるような、ないような………」
「平日も、航様と2人でどこか出かけることがあるだろ?あれ、年の離れた婚約者と会ってるって噂だぜ?そりゃ、逃げたくもなるだろ。」

 うみの視線に、ゆのかは慌てて首を横に振る。勉強とパーティーの話は真実だが、ゆのかに年の離れた婚約者がいるなんて聞いたことがない。

「それに…ゆのか様、トワ全体のテストで、50位以内取れって言われてるらしい。」
「マジかよ?!!
 んなの、一生かかってもムリだわ!」
「だろうな。
 俺には、ゆのか様と歳が近い娘がいるんだが…可哀想で仕方ねぇよ。」

 ヒョロガリと違い、大柄男は少し落ち込んだ様子を見せた。

(そんなこと…思ってくれる人も、いるんだ。)

 だが、“可哀想”と思っていても、この家で、州長ゆのかの祖母と航に意見できる者はいない。
 たった1人で孤独に耐えるゆのかを、大柄男は哀れんだが、一方でヒョロガリは、興味無さそうに頬をかいた。

「つかオレ、そもそも、ゆのか様の顔知らねぇんだけど。」
「嘘だろ?!!
 それはお前…いくら何でもヤバすぎ。ある意味、人生損してるっていうか…」
「おいおい、まさか絶世の美女とか言い出すんじゃねぇだろうな!ハハハ!!」

 そのまさかである。大柄男は、ヘラヘラ笑うヒョロガリに呆れきってしまっていた。

(うっわぁ。職務怠慢すぎ。
 あーあ。こんな近くにいたのに、見ないまま家出されるなんて、勿体ないなぁ。)

 敵相手にも関わらず、うみも心の中で大柄男に同意してしまう。

「なぁ、代理のゆのか様の監視係、ヤバくね?
 あの無能が嫌いな航様だぜ?殺されるだろ?!」
「だからあいつら、昨日逃げた。」
「うっわ。仕事はえぇな~
 州長様達、帰ってくんのいつ?」
「大慌てで帰ってきてるらしいけど、早くて明日の朝だとよ。」

 隠れていなければ、うみは口笛を吹いていただろう。ゆのかが恐れている2人は当分帰ってこない。ゆのかのプレッシャーになるものが、少しでもなくなることが、うみは嬉しかった。

(もういいかな。
 情報も貰えたことだし。そろそろ、動き始めないと……え?)

 この後の作戦を伝えようと、ゆのかに目を向けると…ゆのかの顔は、真っ青だった。
 何かを祈るように両手を組んで、目を閉じている。

 「大丈夫?」

 ゆのかは、肩をビクッ!と震わせた。

「え…?」
「顔色、悪そうだけど…」
「あ…その……大…丈夫…」

 州長と航が来るのは、早くて明日の朝。鉢合わせることは、まずないのに……ゆのかの様子は、全く大丈夫そうに見えない。

(いやでも、それもそっか。
 死ぬ気で家出してきたんだから…航ちゃんやおばあさんがいなくても、この家にいること自体怖いよね。)

 うみは納得して、この後の作戦を伝えようと…ゆのかと目線を合わせた。


 ……だが、うみは気づいていなかった。

(お願い……どうか…早く、逃げて……)

 ゆのかが怯えているのには…別の理由があることを。


「今から、この後の動きを伝えるね。
 ゆのかはここに座ってて。で、俺がいいよって言ったら、俺の方に来て?
 待ってる間、俺が予想外の行動をとっても、声は絶対出さないこと。…あ。でも、誰かに捕まりそうになったら、すぐ呼んで?駆けつけるから。」

 ゆのかはホッとした。首を縦に振って、その場に座る。
 うみは、そんなゆのかの頭をポンと撫でた。

(ひゃっ…)

 声に出さないよう、慌てて口を押える。
 ゆのかが顔を上げた時には、うみは既に、その場を立ち去っていた。
 ……そして

「こんにちは。」

 見張りをしている大柄男とヒョロガリの前に現れて、うみは爽やかに挨拶をした。
 まさかうみが、堂々と使用人の前に姿を現すなんて思ってもいなくて……ゆのかはその場で固まった。

「おじさん、お仕事中ごめんね?
 この家広くてさ。ちょっと道に迷っちゃったから、教えて欲しいんだけど…」
「あぁっ?!
 オレはまだオジサンじゃねぇよ!!!」
「いい加減にしろ!!!そんなこと言ってる場合じゃねぇだろ?!
 貴様っ、何者だ?!どこから入ってきた?!」

 大柄男が、至極真っ当なツッコミをすると、ようやくその場は、緊迫した雰囲気になった。
 家主の州長はいない。ましてや、ゆのかが家出してしまっている緊急時に、来客なんてあるわけがない。
 ともすれば、門で見張りをしている使用人が、見ず知らずの男を家の中に入れるということになるが…そんなことは、有り得ない。
 つまり、うみこの男は、勝手に家に入ってきた侵入者となるのだ。
 バキバキッ!!と、大柄男は、うみを威嚇するように拳を鳴らした。

「どこだと思う?」

 うみは、妖しく笑った。

(こうなるって知ってたら、止めてたのにっ……
 今からでも遅くないかな?でも、声出さないでって言ってたし…もう姿見せてるから、手遅れだし……でも、でもっ……)

「ふっざけんなァッ!!!」

 ドスの効いた声。次の瞬間……ダァァァーーンッ!!!と、大きなものが、倒れる音がした。

(今の、音……人が、倒れた…?)

 2対1。人数を見ると圧倒的にうみは不利だ。今倒れたのは、うみの可能性が高い。
 鳴り響く心音が、耳にこびりつく。

(打ちどころが、悪かったら…?
 もし、彼が、気を失ったら……?)

 ゆのかは恐怖で、体が震えた。
 それは、ここでうみが倒れてしまったら、ゆのかがこの家で捕まるかもしれないという恐怖ではなかった。

(もし、みぃちゃんみたいに……目を、覚まさなかったら……?)

 いてもたってもいられなくなったゆのかは、立ち上がった。
 そして、壁の向こう側に身を乗り出す。

「……え?」

 ゆのかは思わず、声を出してしまった。
 床には、寝そべっている大柄の男。
 痩せた男は青ざめている。その中でうみは、相変わらず涼しい顔をしていた。

(今の音は…使用人さん、が…倒れた音…?
 っ、じゃあ…倒したのは…)

 そう。先程の大きな音は……うみが、大柄の使用人を倒した時のものだった。

「どうする?
 今降参してくれれば、縛るだけで済むんだけど…」
「あっ……あぁっ!!?
 んなこと知るかっ、うおおーーっ!!!」

 痩せた使用人は雄叫びをあげて、うみに突進する。
 だがうみは、呆気なく攻撃をかわして、素早く拳を突き出す。

「ウグッ……」

 痩せた使用人も、膝をガクリと折って、そのまま床に倒れ込んだ。

 相手を徹底的に傷つけ、追いつめるわけではなく
 不要な戦いを避けるための、鮮やかで洗練された動き。
 見る者によっては、“美しい”と賞賛するであろう。

(本当に…強い人なんだ……)

 暴力を好まないはずのゆのかですら、例外でなく、思わず見入ってしまった。
 うみは、短剣と先程ゆのかを運んだ紐を出し、短剣で紐を切っている。その紐で、使用人の2人が目を覚ましても動けないように縛った。
 そして、素早く縛り終えると、ゆのかの方を向いて、ニコッと笑った。

「おいで。」

 ゆのかは、うみの元へ駆け寄った。

「見てたんだ。」
「……あ。」

 ゆのかはようやく、うみに“出てこないで”と言われたにも関わらず、体を乗り出してしまったことを思い出した。
 途端にゆのかは、うみを見れなくなって、俯いて、しゅんとしてしまう。

「ご……ごめん、なさい……」
「全然。
 この2人、ゆのかの方を見る暇もなかったから、気づいてないだろうし…多分、見ても、ゆのかって分からなかっただろうし。」

 思わず約束を破ってしまったが…怒られずに済んで、ゆのかはホッとした。

「あ…の……」
「ん?」
「その…大…丈夫……?」

 うみが、ゆのかの視線を追うと…意識を失った大柄男とヒョロガリに辿り着いた。

「この2人?多分、大丈夫。気ぃ失ってるけど、 1発殴っただけだから。
 腹から落ちてたし…せいぜい打ち身程度じゃない?」
「じゃ…なくて………」

 ゆのかは少し迷って、口を開いた。

「う……うみ……………が…」

 小さな声。だが、うみの耳にはきちんと届いた。うみは思わず目を丸くする。

(あれだけ嫌がってたのに……今、呼び捨てした…?
 しかも、俺のこと…心配してくれた?)

 ゆのかがうみの約束を破って、身を乗り出したのも…大きな音が気になったからだと思っていた。
 “大丈夫?”の言葉でさえ、床で伸びている男たちに向けたものだと思い込んでいた。

(やば…超嬉しい。)

 あれだけうみを、怖がっていたにもかかわらず…うみの身を案じて、うみの言ったことに精一杯応えようとしたゆのか。
 うみは、相変わらず俯いているゆのかの頭に手を伸ばす。

「大丈夫だよ。」

 そのまま優しく、ゆのかの頭を撫でた。

「っ?!」
「ゆのか残して、倒されるわけないでしょ?」

 ゆのかは、顔が熱くなった。うみは手を離すと、屈んでゆのかと目線を合わせた。

「あの階段を登れば、ギターのある部屋に行ける?」
「う…ん……」
「行こ。」

 2人は、階段を駆け上がった。





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