黎明の残滓

入江瑞溥

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「やあっぱ駄目かぁ」
 見晴らしのよい高台に身を伏せて。
風の吹き荒ぶ眼下を見下ろし、トゥフォンは独りごちた。
 時は夜更け。イーシャの姿はない。と、いうより出し抜いてきたのだ。彼女の手を借りずに屋敷に近づけるのならそれに越したことはないと考えてのことだったのだが……。
 屋敷を警備する篝火かがりびはむしろ彼のような無頼ぶらいの徒にはまばらにすら見えるぐらいだが、あれはそもそもい子のための分かりやすい牽制けんせいに過ぎない。実際には、そういった警告を無視して侵入を試みる輩のためにちゃんと伏兵が用意されている。
昨晩はそこを見誤ったためにしくじって、見事牢屋にぶち込まれる羽目になったわけだが。
 こうして俯瞰ふかんして見てみると、ますます隙はない。やはり政府の動きを警戒して殺気立っているのだろう。
(色々ザルなくせして、こういう所はしっかりしてんのな)
 これでは事を構えずに成し遂げるのは不可能に近い。
それだけでも厄介やっかいではあるが、その上、身をもって確認したように霊言符れいげんふ使いも何人か配されている。このまま力尽くで突っ込むのがいかに無謀なことか。はかりに掛けるまでもなく、明白なことであった。
 苛立いらだたしく舌打ちして、トゥフォンは引き下がる。
(なに、まだ手はある)
 空を仰ぐ。
(……ゆるゆる戻りゃあ、ちょうど良い按配あんばいかな)
 街の中ならいざ知らず、こんな時間にこんな場所をほっついていれば間違いなく不審者だ。
見とがめられて面倒なことにならないよう注意はおこたらず、けれど歩調は緩やかに市内へと戻ってゆく。
 二大勢力が居座る街の御多分ごたぶんれず、ここ、クウォンカも壁に囲われた造りになっている。争いの増加に伴って、特に昨今ではこういう町が増えてきたが、いかんせん急ごしらえな上にここは規模が大きい。当然、市域全てをあまねく囲いきれるわけもなく、探せば穴を見つけるのはそう難しいことではない。
 人の気配がしないのを確認して穴を抜けると、トゥフォンは一般信徒用の法服を引っ掛けて頭巾ずきんを目深に下ろした。
(教団のこういうトコだけは気に入ってるぜ。なんせ恰好だけ合わせて不景気なツラしてりゃ、ほぼ疑われることなくお仲間だと認定してもらえるもんな。
政府のナワバリじゃあ、こうは行かねぇぜ)
 そのまま、商業区へと足を向ける。
 ひんやりとした空気が鼻腔びこうを、肌を刺す。
いや、底冷えと形容した方がふさわしいか。
 尊君とうとぎみが失われたという事を嫌でも意識させられる空気だった。
 崩御ほうぎょから十年。
 やく所為せいかは分からないが、近頃は、はっきりと感じられるようになってきていた。
……この地上から、徐々に熱が失われつつあるのを。
 うっすらとした光が足元を照らす。
 朝と夜の境目だ。
 弱々しくて強い光が、一面を覆う静寂の星空を塗り替えようとしていた。
(さってと、古物商は……と)
 ひらいて間もないだろう頃だったが、市場にはそれなりに人出はあった。
空気のように希薄な気配で漂いながら、人中を縫う。
 このご時世だ。いかな教団のお膝元ひざもとといえど残滓ざんしの恩恵がないこの街の市場は、規模に見合わず大分だいぶ空きが目立って閑散かんさんとしてしまっている。古物商などという酔狂すいきょうな商いは絶えてしまっているかもしれないが、悪くてもガラクタみたいな古物ふるものを置いている店なら一軒くらいはあるものだ。
(おっ、あそこなんかイケそうだな)
 路地の先、奥まった場所にこぢんまりといる店に目をつける。
 遠目に見て最も雑多で、何を売っているんだかだか分からない。
案外、こういう所だったりするのだ。大抵たいていの者の目には見過ごされがちなものが、ひょいと置かれていたりするのは。
「古い地図なんてものは扱っていませんか。例えば、この街の創建当時の地図、とか」
 入ってみて。
 この店はとりあえず、雑貨をあきなうことを目処めどとしているのだということは伝わってきた。
ほこりを被った瀬戸物せとものから耳かきまで、広く薄く置いている。
「なんだい、教団のお勤めかい」
「いえ、昔からの趣味でして。入信してもこれだけは手放せないのです」  
 はにかんだように、わずかに口の端を持ち上げる。
終焉しゅうえんに向けて全てを受け入れ、無私むしの精神を持つことを尊ぶ教義とは反することだからだ。
「ははっ。
まぁ、信徒って言っても人間だからねぇ」店主が茶目ちゃめのある笑みで応じる。
「でも残念だ。ちょうど兄ちゃんが喜びそうなヤツがあったんだが、ひと月くらい前に売れっちまったんだよ」
「その人、誰だか分かりますか」
「そうさなぁ……。
年の頃なら十六、七。長い髪をひとつに束ねた——」
「ふっふーん、抜け駆けしようとしても無・駄♡」
 嫌な予感が過るのと、背後から声がしたのとは同時だった。
「……
イーシャ」
 その手には、件の地図と思しき紙片。
これ見よがしにヒラヒラとひらめかせて見せている。
「おお!!ちょうどこんな感じの!
……ってあんたら知り合いだったんかい。
よかったなぁ、兄ちゃん。これで万事解決だ」
 後は二人でやってくれとばかりに店主が手を振る。それにげんなりと応じながら、トゥフォンは戸口へと向かう。
 彼が近づくと、イーシャはサッと地図を引っ込めた。
ここで力尽くで、というのは取るべき手段ではないだろう。
 トゥフォンは観念した。
 ため息ついでに吐き出す。
「……わかった。よろしく頼む」


「ねぇ、クウォンカの由来って知ってる?」
「ああ、小耳に挟んだことはあるぜ。何とかっていう
ロ・ク・デ・モ・ナ・イ!
偏屈でイカれててクソくらえな建築家が都市設計から全部手掛けたっていうんだろう」
 相の手には、いらだちを通り越して押し殺しきれない殺気じみた気配すらにじんでいたのだが、それにまるで気づかなかったかのようにサラリとイーシャが後を引き取る。
「そそ。狂気の建築家って言われてる。
そのヒト、設計士としてダケじゃなく、建築系の霊言符れいげんふ使いとしても優秀だったみたいね。門弟もんていの力も駆使して造ってるらしいけど、人間業とは思えないわよね、コレ。中でもクウォンカは、最高傑作のひとつとして数えられてるんだってよ」
「ああ、そうだろうさ」
 はらわたが煮え繰り返る思いで、この場においては火に油を注ぐだけのイーシャのうんちくを辛抱強く受け止める。
(ここにその野郎が居やがったら、胸ぐらつかんで思いっきりなぐってやりたいところだ)伝説化する程とうの昔の故人なので、残念ながらそれは見果てぬ夢なのだが。(無駄にデカくて、無意味にロクでもないもん造りやがって……)
 地上の街も特に昨日今日来たての新参者にとっては迷路さながら、いや、もう迷路と言い切ってしまっても良いややこしさと複雑さと難解さと煩わしさの大競演なのだが、この地下はそれに輪をかけた酷さだ。
 何のためか。
 そんな問いは馬鹿馬鹿しいのだろう。
 何を隠すのでもなく、何を守るためでもない。要は、これが嗜好しこうなのだ。この建築家の。ここに比べたら、単なる迷路だった地上の何たる親切なことかと、今は心の底の底から感じている。
(これに悪意がめられてないってんなら驚きだぜ)
 彼の意に反して取っ手をしっかりと握る手をにらみつける。
「……で、いつまでこうしてりゃ良いんだ」
 薄暗い地下に朗々と響き渡るのは、場違いに明るくて華やかな音色。
周囲を圧するようなまばゆさが煌々こうこうと周りを包み、これでもかとゴテゴテとけばけばしい装飾が詰め込まれた空間の中を、随分ずいぶんと可愛らしい方向に脚色された馬が上下運動を繰り返しながらグルグルと回り狂う。
まるで別世界のようだとはイーシャの言だが、全くその感はあった。もっとも、トゥフォンのそれは彼女のような肯定的なものではなく、真逆の意味合いなのだが。
 回転木馬というやつだろう。話には聞いたことはあるが、実際にお目に掛かるのは初めてだった。と言っても、こんなに華美で胸焼けを覚えるようなこってりと凝り性なものは、彼らが乗っているものくらいだろう。
 事ここに至る全ての因果は、イーシャに有る。地下の図面と称する紙切れを手に、自信満々にこれが屋敷に通じる道だと先導した先で、妙な機構を作動させたのだ。床下から派手にせり出してきたこの回転木馬には、この音楽だか、それとも仕掛けそのものに呪縛の力が掛けられているらしい。そのままなす術もなく強制的に乗り込まされ——
こうして今もこの回転木馬の付属品と化してここから抜け出せずにいるというわけだ。
(でなきゃ、何が楽しくてこの俺がこんな大概子供じみた代物にお行儀よく収まってるかよ)
「あたしにかれたってねぇ。そうねぇ……
あと十曲ぐらいじゃない?」
 切実な訴えに、実に適当なあしらいが返ってくる。
馬車に乗り込んだイーシャは、妙に楽しそうだ。つまり、彼女の気分としては少なくともあと十曲はこのままでも構わないということなのだろう。
 ぷつんと、彼の中の何かが切れた。
 体感では、もう既に二十分余りもこうしてお馬さんにまたがって、いたたまれない程に少女趣味な空間を延々と堂々巡りしているのである。
 もう、充分だ。
 充分耐えた。
 誰もが彼のことを立派だと褒め称えるに違いない。だから——
『……れ』
 意志の力を総動員して呪縛じゅばくに抗うと、一際キラキラしさが凝縮された中枢部ちゅうすうぶ目掛めがけて霊言符を放つ。
剣と化したそれは、彼の期待に応えて見事に柱を貫いた。
 調子っぱずれな数音を奏でて、悪夢の回転木馬が停止する。
 
 スッと。

地下は何事もなかったかのように、静けさと淡い光が照らすだけの元の装いへと戻った。
「あーっ!!壊した!わっるいんだー」
 非難がましい視線を向けてくるイーシャへ、
「あー、うっせうっせ」両の指でわざとらしい耳栓を作る。「俺は忙しいんだ!
 ……こんな所でいつまでも足踏みしてらんねぇんだよ」
「フーン……。
そんなフッテン低いんじゃナガイキできないわよ」
「大きなお世話だ」
 悪態で応酬おうしゅうして、深く吐息をつく。
 威勢もここまでだった。
 さっきの無茶の反動もあるに違いない。津波のような疲労感がどっと押し寄せてきていた。
 くびすをめぐらすと、
「今日はもう引き上げる」
 トゥフォンは、ぐったりとつぶやいたのだった。


 戸をくぐった途端、視界が闇に染まった。
外から見えていた固い石の床とは明らかに様相の異なる柔らかな土の感触が靴裏に伝わってくる。
最前までとは打って変わった濃い自然のが、嗅覚を刺激した。
 淡く光が射す。
 それは徐々に強くなり、はっきりと身の上が見て取れるようになった。
 嫌な予感がして、後方、イーシャの居る方を振り向くと——
案の定。
どれだけ目を凝らそうとも、空気に溶けでもしたかのように、戸は跡形もなく消え失せていた。
「…………どういう事なんだ?こりゃ」
 半眼を向けられたイーシャはちょっと視線をさまよわせると、
「てへっ」
 取りつくろうようにぶりっ子めいた仕草で愛想笑いを浮かべる。
 トゥフォンは何かをえるように目を閉じて大きく深呼吸をすると、吐息に乗せてこれだけをつぶやいた。
「……ロクな案内じゃねぇな。報酬ほうしゅう、減らすか」
「ちょっとぉ、それ、ケーヤク違反よ!」片眉をはね上げ、イーシャ。「後払いである以上、タショウの手探りには寛容かんようであるベキよ」
「……多少、ねぇ」
 昨日の回転木馬も、つまずき方としては大分盛大だったのだと思うのだが。しかも、今日は明らかに昨日よりも派手なこけ方をしている感がありありとしている。
「モンクあるんなら、成功報酬の金額でこの図面を買い取ってくれてもイイのよ」
 意地悪げな笑みを浮かべて、彼の鼻先で紙をチラつかせる。
 トゥフォンは舌打ちして、苛立いらだたしく背を向けた。
 
 分かっている。

アキレスけんを抱えているのはこちらなのだ。
どうあっても彼は屋敷に行かなくてはならないのだし、悠長ゆうちょうなことを言っている場合でもない。これ以上にマシな手を見出せない以上、この怪しげな話に乗っからざるを得ないのだ。
「あっ。
ちょっと足どかして」
 屈みこんで、ぐいと彼の脚を押しのけ、イーシャが雑に落ち葉を払い除ける。
「なになに……
 早解き✩伐採ばっさい体験!!
 迷宮を探索する君は、突如とつじょとして四方八方をいばらに取り囲まれたナゾの空間に放り込まれたっ!
 さあ、大変だ。
 何とかしてここを脱出しなくてはならないっ!
 そんな訳で、密生した枝を払いのけつつ、素早く出口を見つけよう!さあ、早速挑戦だ!!」
 無駄に白い歯をきらめかせた、爽やか暑苦しい男の幻像が目の前をちらついた気がした。
「あ?」
 こめかみに来るものを感じつつのぞき込むと、確かに。一見格式の高い体裁で、しかし実のところ子供にも分かる平易な書き方で、イーシャが読み上げた通りの文面が木の根に埋め込まれた石版に刻まれている。
(二発だ。
二発はなぐってやらねぇと気が済まねぇ)
 想像上の建築家に向かって呪詛じゅそれる心地で念じつつ、
れ』
 霊言符れいげんふなたと化すと、行き場のない怒りをぶつけるように手近な枝を切り払う。
「へぇ……
剣だけじゃないんだ。
 ……ん?霊言符の効果って一人一芸みたいに決まってるんじゃなかったっけ」
「ああ——」
 霊言符は珍しいというほど希少でもないが、さりとて、普通に暮らしている限りは縁遠い代物だ。知識に明るくないのも無理はない。
「霊言符から引き出せる力の幅は符のデキ次第だからな。俺のは刃物なら種類を問わずび出せるんだよ」
「ふぅん。地味に役立つ力ね。
 ……トゥフォン切り拓く者って感じよね」
「ま、俺に名付け主はいないからな。……もっとも、それだけじゃあないが」
 行く先に視線を戻しつつ、
「さって、こんなトコさっさと抜けちまう……
ぞ……」
 言葉尻は消え入るように、沈黙に取って代わる。
 そこには、先ほど確かに切ったことが幻覚であったかのように、元の通りの枝が居座っていた。
 じわじわと、ロクでもない確信がい寄ってくる。
「あっ、こっちにもなんかあった」
 沈黙の隙間に、お気楽であっけらかんとしたイーシャの声が響き渡った。
「えーっとぉ……
 ここでー——
出血だーいサービス✩
 こんなにあからさまに書いてるのに分からないっていうちょっと鈍めな人のために!特別にヒントをあげよう。
 
 なんと!!

この茨は切られてもすぐに復活してしまうのだ。つまりぃ——
 ここまで言えば十分であろう?では、諸君の健闘を祈る!!」 
 雄叫おたけびをあげて。
にこやかに腕組みをした幻像の男の顔めがけ、トゥフォンはりをお見舞いする。
「大丈夫?トゥフォン」
 眉根まゆねを寄せて本気で心配そうに聞いてくるイーシャに、
「当然、お前もやるんだよな?」
 ゆらっと上体を起こして、トゥフォン。
「こんな短剣でナニができるってのよ」
 少しく苦味をただよわせて、腰帯にした短剣を握る。
「特別だ。霊言符を貸してやろう」
「アリエナイ!こぉんな非力でか弱い乙女に鉈を振らせようっての?」 
 しらっとした視線を向けられる。
「……くっ。
 やりゃあいいんだろ!やりゃあ」
 得物えものを握り締めると、どことも知れない出口目掛けてトゥフォンは猛然と枝を切り始めた。
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