黎明の残滓

入江瑞溥

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——引きがねを、引いた。
































 鐘楼しょうろうを、風が吹き抜けていた。

 大小鈴なりにり下げられたかねは、曲を奏でる珍しいものだ。
風はそれらに行方を阻まれ、複雑な気流をなしていた。さすがに重い鐘を鳴らすようなことはないが、鋭く過ぎ行くそれ自体が、うら寂しい口笛くちぶえのようにも聞こえた。
まつるなら、やっぱここだな」
 風に髪をなぶられながら、眼下を見下ろし、トゥフォン。
 建築家の作品を存分ぞんぶんに眺められるよう、府庁舎はもともと見晴らしの良い場所に建てられている。その上、この楼はこの街で最も高い。街並みを超えて遠く、地平まで見渡すことができた。
「ふぅん、こう祀るのね。参考になったわ」
 を見上げ、イーシャ。
 厄除やくよけの符は、その効果を及ぼせる範囲を見渡せる場所に設置することが望ましい。そして日ごと、日の推移にって、しかるべく身を清めて祈りをささげる。そうすることで効力を維持できる。
残滓ざんしと比べてしまうとなおさら、じゃらじゃらと条件がわずらわしいが、厄に抗し続けるのはそれだけ生半なまなかなことではないということだ。
 こうした説明を、小人こびと男は真摯しんしな様子で受け止めていた。
「しかし、まさか神霊みたま二体に相対したてまつって、まことに収めてしまおうとはな。
 ……えん男よ」
「俺だけの力じゃないさ。
 にしても、大丈夫なのか?
……ってくのもヤボか」
「さよう。拙僧せっそうを見くびってくれるな。できぬ約束はせん。
先約の通り、そこもとのことには目をつぶろう。本拠教主座には、そうさな、痛恨つうこんながら神霊については政府の手とおぼしきぞく漁夫ぎょふの利を得させてしまったが、身内の恥はみずかすすいだと申そう」
「恩に着る」
「でもそれじゃ、コレの説明つかないじゃない」
 イーシャが符を示す。
「それついては、商人から手に入れたとでもすれば収まりが着こう。
 ……そういえば、まだそこもとの名を聞いていなかったな」
「なに。
名乗るほどのもんじゃないさ」
「そうか」
 小人男は小さく笑った。


「ふー。
 今度という今度こそ、この地下との腐れ縁もここまでだな」
 別宅を出たところで。トゥフォンは大きく伸びをする。
 小人こびと男の信義を疑ったわけではない。
が、彼はあくまで大仕教だいしきょう付き。元より、このクウォンカの僧兵を統括とうかつする立場にはない。加えて、状況も混乱している。行き届かないことを見込んで、彼らは再び地下を使ってクウォンカを脱することにしたのだ。
 残滓ざんしがなくなった屋敷は当然のようにうっちゃられ、さびれ、閑散かんさんとしていた。人目をしのぶにも都合つごうが良い。
「ほれ、報酬ほうしゅうだ。達者たっしゃでやれよ」
「トゥフォン!」
 去ろうとした後ろ姿に向かって、イーシャが呼びかけた。
「ありがと。
あんたが不可能なんかないってことを示してくれた。あんたがあたしに希望をくれた。
だから、ありがと」
 意表を突かれたトゥフォンは目をしばたたかせて、しばし彼女を見つめていたが、
「大げさだな。
しかも何のことやらサッパリだ」
 苦笑いして肩をすくめる。
「いいの。言っておきたかったの」
「変なヤツ。
 ……あんたの故郷が詰まった味、おいしかったぜ。きっと救ってやれよな」
 背中越しに言い置いて、ヒラヒラと手を振る。
「信じてるわ、あんたのこと。だから、さっさとナントカしなさいよね」
(ああ、やってやるさ)
 追いかけてきた少女の言葉に口には出さずにこたえると、グッと服越しに、残滓を溶け込ませた祈りひもをつかむ。
 
 目の前に広がるのは、ほろびを強く意識させる大地だ。

(だが、俺達はまだ滅んでない)
 
 尊君とうとぎみの力は、今際いまわきわに解き放たれていたのか?
 
 やくと、残滓。
 このようは尊君ののろいなのか、
慈悲じひなのか。

「何でもいい。
何であろうと、俺は、テメェの始末をテメェでつけてみせる!!必ず——」
 空に向かい、トゥフォンはえた。


                                ——了——
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