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第1章
異世界は綺麗事だけでは成り立たない
しおりを挟む「セト、着いたよ」
「はっ!」
気づいたら眠ってしまっていたらしい。父上の優しい声で飛び起きると、俺は馬車の中の座席で横になり、体には小さめの毛布が掛けられていた。
洋服にシワが着いてないかな、と気にしつつ、どうせポンチョで隠れるからいいか、諦めた。思い出したようにフードを被ったら、父上はほんの少しだけ申し訳なさそうな顔をしたので、何も言わずに笑顔を向けた。
「…行こうか、セト」
「はい!」
暫くは気にしないふりをして明るく振舞おうと思いながら、差し出された手を取って馬車から降りる。手は繋いだまま、父上は目の前の店にずんずんと進んで行った。後ろからはロイとルークが、静かに着いてきている。
2人とも、後で話は出来るのかな。今後長い付き合いになるのであれば、少しは仲良くなっておきたいんだけど。
そんなことを考えながら父上に連れられて入った店は、思ったより広かった。ぐるりと店内を見回すと、360度ざまざまな動物や生き物がケージや水槽に収まっている。
ペットショップみたいな感じかな?と思いながら、キョロキョロと辺りを見回す。犬に猫、蛇とかトカゲっぽい爬虫類から、水槽の中で悠々自適に泳ぐ綺麗な熱帯魚まで、多くの種類を取り揃えているみたいだ。
「おや!オーウェン公爵様!」
人の気配を感じたのか、店奥から店主らしき人が顔を出した。腰が低い感じが伺えるので、どうやら公爵家より階級は下のようだ。
「今日は、息子に何か用意したくてね」
「あぁ、あの…」
明らかに意味を含んだ視線が俺に向けられる。ポンチョのフードで見えにくいだろうけど、念の為一歩下がった。暫くはこういう視線を向けられるだろうから、慣れていかなきゃならない。
貴族は大変だな…と他人事のように思いながら、俺に合う生き物をいくつかピックアップすると言って父上と話し始めた店主をぼんやりと見つめていた。
「セト、少し話しているから、お店の中を見ていなさい。気に入ったのがあれば言うんだよ」
「はい」
繋がれていた手からするりと抜け出して、俺は大人しく店内の動物たちを順々に見ていく。貴族もペットを飼うことあるんだな、と思ったけど、金持ちってなんかわさわさの猫とか、でっかい犬とか飼ってるイメージはある。
でもなぁ、俺、生き物飼う自信ないんだよなぁ…。話は通じないし、何を思っているのか分からないから、怖いのだ。何かを間違えて殺してしまったら、俺は悔やんでも悔やみきれない。生き物を飼うということは、ひとつの命を預かるということだ。生半可な気持ちで手を出していいことではないと俺は思う。
まぁ公爵家だし、メイドや執事も手伝ってくれるだろうし、俺一人で世話するわけではないから死なせてしまう可能性は低いだろうけど…。
父上の好意は嬉しいけど、ちょっと気が重いなぁ。
ケージに入れられた動物たちを眺めていると、視界の端で何かがキラリと光った気がした。
「…?」
顔を上げて、目を凝らして一点を見つめる。するとまた、キラキラと何もない空間が光った。そのまま光は、瞬きながら少しずつ移動していく。まるで、「こっちに来い」と言っているように。
「まって」
光に誘われるように、ふらふらと歩き始めた。広い店の中、幾つもの商品棚を抜けて、奥へ奥へと向かっていく。客が入っちゃいけないであろう場所に続いていく光を追うことに、不思議と抵抗はなかった。何故だか分からないけど、行かなきゃならない気がした。
やがて光は、とある扉の前で消えた。それは見るからに従業員以外立ち入り禁止の空間で、店内の煌びやかなイメージとはかけ離れた、薄汚い扉。俺はドキドキと早る心臓を抑えながら、ゆっくりとドアノブを回した。
ギィィ、と扉の軋む音が辺りに響いて、恐怖を増長させていく。扉の向こう側は、真っ暗で何も見えない。俺は出来る限り目を凝らして、暗闇に慣れるのを待つ。すん、と鼻を鳴らすと、鉄の匂いがした。
冷や汗がこめかみに流れていくのを感じる。浅い呼吸を繰り返しながら、俺はゆっくりと歩を進めた。中は意外と広かった。
ザリザリと足音が暗闇に響く。少しずつ暗闇に慣れてきた目は、薄らと空間を把握出来るほどにはなっていた。何かがあるのを確かめるために手を伸ばすと、ヒヤリと冷たい棒状の何かが手に触れた。多分鉄格子っぽい。
ライトか何かあれば見やすいのに、これじゃあ手探り…、
「えっ、何?」
途端、いきなり掌が熱くなって、ぽわんッと光の玉が飛び出した。
「えぇ!?何これ!?」
光の玉はふよふよと浮きながら俺の周りを彷徨っている。目の前の奇妙な状況に戸惑いつつ、そういえばここ魔法がある世界なんだった、と思い直す。
もしかしたらこれは、俺の魔法なのかもしれない。検査をしてないから属性は分からないけど、もし今使えるのなら。
「…頼む、この部屋を照らしてくれ!」
言うやいなや、光の玉はクルクルと俺の周りを回りながら天井へと上がっていき、むくむくと膨らんで弾けた。瞬間、辺り一面が明るくなって、突然の光に目が眩んだ。
数回の瞬きののち、目に飛び込んだ状態に俺は息を飲んだ。錆びた鉄格子に、掃除の行き届いていない床。そこに転がる、小さな身体。
「…ッおい!生きてるか!?」
弾かれたように鉄格子に駆け寄ると、ガシャン!と錆び付いた扉が音を立てた。鉄格子の向こうに打ち捨てられたように横たわる小さな身体は、紛れもなく生き物で。
俺は鉄格子の隙間から出来る限り手を伸ばして目の前の生命体に必死に声を掛けた。
「起きろ!死ぬな!おい!」
ガシャガシャと音を立てれば、その小さな身体が微かに震えた。生きていることに安堵しながら、出来る限りそれに向かって手を伸ばす。手が届けば、こっちに手繰り寄せてどうにか出来るのに。
これまで、何となく知らない世界に来た実感がなかった。だって出会った皆普通の人間だったし、温かい人ばかりだったから。最初は少し緊張していたけど、家族に受け入れられてからは、何だかんだこの世界でやっていける気がしてた。
でも違う。ここは、紛れもなく今までの俺の知ってる世界ではない。魔法なんて非日常な存在もあるし、毒で殺される可能性だってある。俺はたまたま、公爵家という地位のある家庭に着地したけど、裕福じゃない人間だっている。
そしてこうやって、命の尊厳を奪われてしまった人間だって、当たり前のようにいるんだ。
「ぬぉおおお……」
伸ばした手が、指が、何度も空を切る。
人身売買とか、そんなこと現実に有り得んのかよ!?と内心悪態を吐きながら、俺は目の前の薄汚れて、所々血が滲んでいる小さな人間に手を伸ばし続けた。
「ちょっとだけ!後ちょっとだけだから、頑張れ!」
俺の言葉なんて届いていないかもしれない。もしかしたら、理解すら出来ないかもしれない。それでもその小さな手を、どうにかして掴みたくて。
「!」
汚れた小さな手が、弱弱しく動いた。伸びきった髪の毛のせいでその顔は見えないけれど、何故か俺の事を見つめている気がした。
俺は片手を伸ばして俺よりも小さな手を掴むと、なるべく痛くないように少しずつこちら側に手繰り寄せた。もう片方の手が届く距離まで引きずって、今度は両手で軽く浮かせながら鉄格子越しに抱き抱える。
傷つけないように髪の毛を掻き分けた先で、あどけない子供の顔が顕になった。力なく開かれた虚ろな瞳が、ゆるゆるとこちらを見上げている。
俺はすぐさま、馬車の中で父上に貰った腰元のポーチに手を伸ばし、瑞々しい宝石達を掴み取った。
「これ、食べられる?美味しいよ」
通じてるかも分からないまま語りかけ、子供の口の中にルビーのような粒を放り込んだ。数秒の躊躇いの後、ゆっくりと咀嚼し始める。俺は掴み取ったジュエリードロップを片っ端から口元に持っていき、結局「もういらない」と言うように首を振るまで繰り返した。
取り敢えず、これで水分補給は出来た筈だ。人間は水があれば7日間は何も食べなくても生きていけるらしい。この子がどれだけ食事を与えられていないかは分からないけど、今ので屋敷までは持つと思いたい。
いつの間にか眠ってしまった子供は、弱くはあるけれど規則正しく呼吸も出来ているし、何より小さな手で俺の指をしっかりと握りこんでいるから、生きようとする気力もあるらしい。こんな牢獄みたいな所で、こんな扱いを受けても生きようとしているなんて、凄い。俺なら簡単に生きるのを諦めてしまいそうだ。
よく見ると髪は伸び放題でもさもさだし、モップみたいになったその髪が埃を吸い込んでいるのかその色は薄汚いし、身体もあちこち傷だらけで、場所によっては血が滲んでいる。6歳の俺が持ち上げられるくらいに軽いその体重も、思わず顔を顰めてしまった。
連れて帰るなら、この子にしよう。父上はきっと、社交界デビューの機会を失った俺に友達を作ろうとここに連れてきたんだろうけど。俺はこの子を、このままここに置いて帰るほど冷たくはなれない。
綺麗事だと誰かに鼻で笑われるかもしれないけど。でもそもそも俺は、誰かの心を救うためにこの世界に放り込まれたんだから、これくらい自称神も文句は言わんだろう。
悶々と考えていると、遠くから父上の呼ぶ声が聞こえて、俺は慌てて声を上げた。声を頼りに進んでいるのか、大人二人分の足音がドタバタと近付いてきて、途中で店主の慌てた「オーウェン公爵様、その先は…!」という声が飛んでくる。まぁそうだよね、こんな所公爵家の人間に見られたくないよね。明らかにまずい雰囲気だもんね。
父上は店主の声なんて無視してズカズカ進んでいるようで、バン!と勢いよくこの部屋の扉が開いた。視線をやるとそこには俺の存在を確認して安堵してから、この部屋の惨状に険しい顔をする父上と、息の上がった店主だった。父上足長いからね、着いていくの大変だよね。
「…これは、どういうことかな」
「こっ、公爵様!」
父上の地を這うような声が辺りに響く。みるみるうちに青ざめていく店主を、俺は腕の中の小さな命をしっかりと抱きしめながら見つめていた。
「ええっと…そ、それは不良品でして…獣人のくせに、まともに獣化出来ないのでございます…」
「ほぉ。それで?こんな汚い場所に放置て、死ぬのを待っていたと?」
「めっ、滅相もない!その、適切な、処理をですね…」
しどろもどろになりながら説明する店主の額にはどんどん汗が増えていく。どんなに言い訳を並べたって、ここに広がる現実が何よりの証拠だ。なんの説得力もない。
俺は父上の横で小さくなっていく店主を冷え切った目で見てから、父上に向かって言った。
「父上、俺この子にします」
眠る小さな身体をぎゅっと抱きしめながら、強く父上を見る。父上は数秒考えた後、優しい顔で「そうか」と笑った。反対されるかと身構えていたので少し拍子抜けだったが、こいつを連れて帰れるなら何でもいいか、と思い直した。
「さてじゃあ、息子もこう言ってる事だし引き取らせてもらおうかな。…そういえば、獣人の取り扱いは専門的な資格を取り、政府に申請して許可が降りない限り法律的に罰せられることになっているよね」
ニコニコ。父上がこの上ない笑顔で店主の方を向いた。笑っている。もの凄く、笑っている。
「あっ、ハイ…」
「獣人がいるってことは、表に出ているものの中にも違法なものは混ざっていたのかな?私は別に、今すぐ検閲を呼んでも構わないよ」
な、ナチュラルに父上が人を脅している…!!笑顔で、圧を掛けている…!
『通報されたくなかったら寄越せ』って遠回しに言っている…!!流石公爵、やるときゃやるんですね父上!
「ッお、お譲りいたします…!もっ、元々廃棄処分するつもりだったものですので…そんなものに公爵様からお代なんて頂けません…!」
「そうかい?」
悪いね、と心にも思ってなさそうなことを言いながら父上は店主に牢屋の鍵を取りに行かせ、あれよあれよと準備をして、腕の中で眠る小さな獣人を引き取ることに成功してしまった。
てゆーかこの子、獣人だったのか。そう思ってもさもさの髪の毛を掻き分けたら、頭上の辺りに犬っぽい耳があった。そこそこ緊迫した空気感の中、け、ケモ耳だー!!!と1人でテンション上がっていたことは内緒である。
漸く牢屋から出して貰えた小さな身体を、着ていたポンチョを脱いで包んだ。これで少しは暖かいだろう。獣人の子は、店からなかなか出てこないことを心配して見に来たルークが馬車まで運んでくれることになった。
「優しくね、落とさないでね」
「大丈夫ですよ」
心配になって見上げると、ルークは少し笑ってそう言った。6歳のひょろひょろのガキが持ち上げるより、しっかり鍛えたルークが持つ方が安定性は高いに決まっている。公爵である父上が持つ訳にもいかないし、合理的に考えてそれが妥当なのだ。でもそういう事じゃなくて、俺はただ、ルークが躊躇なく獣人の子を抱き上げてくれた事が嬉しかった。
俺のポンチョで包んであるとはいえ、遠目から見れば薄汚い誇りの塊だ。それを嫌な顔ひとつせず、ルークは抱き上げてくれたのだ。まぁ、公爵の前だからかもしれないけど。
でも持ってくれたことに変わりはないのだから、俺はルークにお礼を言った。やっぱり今度、ルークやロイと話す機会を設けようとも思った。
特別に同乗を許されたルークが抱いている獣人の子を見つめながら、俺はオーウェン公爵邸へと帰ったのだった。
応援ありがとうございます!
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